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悪役を押しつけられた貴婦人は色のない夢を見る  作者: ゆうひかんな


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アデライドの暗躍3


 ようやく降り続く雨は止み、荒れ狂う川は落ち着きを取り戻したという。

 モルタナの水害は王家からの援助もあり堤防を補強するなどの努力が実って小麦畑の大半は守られた。

 そして先日、修繕工事が終わったそうだ。


 事前に伝えられた予定では、明日セレスタン様と父が領地から戻ってくる。

 

 執務室での一件のあと、リュシエンヌは侍女長に止められたのもあって書類仕事から完全に手を引いた。

 彼女の言い分を要約すると、どうやらオデットの邪魔をするなということらしい。

 おかげで当主の部屋に決裁待ちの書類や重要な手紙が仕分けることなく積み上がっている。

 しかもメラニーやオデットが手をつけないから貯まる一方だ。メラニーはともかく、オデットは公爵令嬢として学校を卒業したわけだし、公爵家の資金で十分な教養や執務に関する知識を持ち合わせているはずなのだがどうしてもやりたがらない。


「小さな文字は目が痛くなるし、数字は桁数が多くて頭が痛くなるのよ」


 いつまでもその言い訳が通用すると思っているのだろうか。


 楽観的なのはオデットの性格なのか、もしくは書類仕事との相性の問題か。

 当主としての仕事がなくなったけれど、メラニーのすべき公爵夫人としての仕事がまだリュシエンヌの手元に残っている。けれど執務室に出入りすることもなく自室で片付くものばかりだった。

 リュシエンヌは今日も午前中のうちに侍女として割り振られた仕事を終わらせて、部屋で結婚式に招待する方々へ送る正式な招待状を書いていた。


 領地の危機に先送りとされた結婚式は仕切り直して三ヶ月後と決まった。

 招待状の作成は本来は公爵夫人であるメラニーか、オデットの仕事でもあるのだけれどね。とはいえ侍女に代筆を頼むことはあるから別にわたしがこの作業をしていてもおかしなことではない。


 こちらの侯爵家では子供が生まれた。こちらの伯爵家では領地で作物の出来が良く、特にワインが絶品だ。


 エリック様がフルニエ商家経由で調べてくれた貴族家の近況をほんの少しずつ書き添えて、結婚式の日付と場所を記した。署名欄に書く名前はもちろんリュシエンヌ・オベールである。

 そしてこの結婚式が行われるころ、エリック様と約束した期限の半年を迎えることになる。今後の身の振り方をどうするか決めなければならない時がくるのだ。

 リュシエンヌはため息をついた。


 離れたくない、できればずっとこのままそばにいたい。


 リュシエンヌはこの焦がれるような気持ちが何なのか、とうに気がついていた。

 エリック様はリュシエンヌに未来を与えてくれたのだ、そんな人を好きにならないわけがない。

 でも彼は、わたしのことをどう思っているのか。

 エリック様が絡むと迷ってばかりだ。

 

 あらかた招待状を書き終えたところで、激しい音を立てて扉が開いた。

 そこには血相を変えたヨハンがいる。

 あら、父に代わって領地の差配をしていた彼がどうしてこんなところに?


 ヨハンはリュシエンヌの襟を掴んだ。首が締まって徐々に呼吸が苦しくなる。

 目と鼻の先に血走った目と彼の顔があった。


「収支報告書をなぜ誤魔化さなかった!」

「どういうことでしょう、わたしにはわかりかねますが」

 

 ようやく気がついたのね。内心でほくそ笑みながらリュシエンヌは途切れ途切れに答えた。


「おまえが提出する収支報告書を作っていただろう、あれのことだ!」


 領地の収支報告書とはその名のとおり、領地の収入となる作物の売上げから種や肥料などの必要経費を支出として引いたものを記した報告書だ。

 この報告書を国に提出することで税が決まり、毎年決まった額を国に納める。

 納税は貴族の義務とされていて、税金は道路整備などの公共工事や炊き出しなど国民のためにも使われる。たとえば今回のように自然災害によって被害があったときは暫定的に納税額が減らされることもあるから悪くない制度だと思うのだけれど。

 ちなみにこの支出には領館を維持するお金も含まれている。

 つまりヨハンが自由に使えるお金、ということだ。そして、もう一人。


「ジェルマン様にも、うまく誤魔化すように指示されていただろう!」

 

 そういうことだ、彼の背後には父がいた。

 父もまた自分の自由になるお金が欲しくてヨハンの罪に加担していたのだ。手口は支出金を誤魔化して、収入を少なく申告している。

 きっと領地でセレスタン様が収支報告書を確認したのだろう。次期当主としては当然のことだ。

 災害が起きたときだけでなく炊き出しや修繕費などで領の支出が増えるから確認の意味もあったのだろう。しかも根が真面目な人だから、帳簿や領収書とも照らし合わせた。

 そうしたらいろいろとつじつまの合わないことが出てきてセレスタン様が父を問い詰め、不都合な証拠を消すためにヨハンだけがこちらに舞い戻ってきた、と。

 そして今、彼はここにいる。締め上げられたまま、ここぞとばかりに不思議そうな顔をした。


「いいえ、わたしは関係ありません」

「関係ないだと⁉︎ 国に提出する書類を作ったのはおまえじゃないか!」

「ですが作成者の欄に署名したことはありません」


 この国の収支報告書には署名欄が二つある。一つは確認者、つまり父が署名する。

 そしてもう一つ、報告書作成者の欄には。


「ヨハン様、あなたの署名があったはずですが」


 王家に提出する書類にオデット・オベールの名を残すわけにはいかないからと、この男と父が話し合ってそう決めた。リュシエンヌは彼らの指示に従っただけだ。

 そしてわたしがしたことはただ一つ、つじつまの合わないところをつじつまの合わないまま報告書に仕上げた。

 だからセレスタン様が気がつかなくても、いつか誰かが気がついたはずだ。遅かれ早かれバレるとは思っていたし、むしろ想定よりもずいぶんと発覚するまで時間がかかったものね。

 父も彼も、リュシエンヌに任せたことで安心して内容を確認せずに署名した。だから国に提出した収支報告書の内容とリュシエンヌを結びつける証明は何もない。

 そのからくりに、ようやく気がついたらしい。体を震わせてヨハンは吠えた。


「この裏切り者!」

「何のことだか、あなたと手を組んだ覚えは一片もありません」


 いい迷惑だわ、自分達が勝手に仲間だと思い込んだだけだというのに。

 ヨハンが襟を掴んだままリュシエンヌの体を持ち上げる。首元がさらにきつく締まった。

 息ができない、持ち上げられたままリュシエンヌは苦しそうに呻いた。


「何をしているのです!」


 部屋にバルトロ伯爵夫人が駆け込んできてヨハンの手首を叩きリュシエンヌを解放する。音を立てて床に落ちたリュシエンヌは空気を求めて喘いだ。


「公爵家内で何を血迷っているのです!」

「この女が騙したんだ!」

「だからって命を奪ってもいい理由にはなりませんよ!」


 彼女はリュシエンヌを守るようにヨハンの前に立ち塞がる。

 ためらいなく身を挺してリュシエンヌをかばうなんて強い人だ、こんな人がこの国にもいたなんて。

 ほっと息を吐いてリュシエンヌは立ち上がる。

 呼吸を整えてから、ゆっくりとバルトロ伯爵夫人の前に出た。


「彼はわたしに収支報告書をなぜ誤魔化さなかったのかと聞いてきたのです。戻ってきたのも執務室で都合の悪い書類を破棄するためでしょう」

「……何ですって」

「おまえ!」


 バルトロ伯爵夫人のヨハンを見る目が一気に険しくなる。視線の先がリュシエンヌに向いた。


「誤魔化さなかったとは、どういうことですか? あなたは何をさせられていたのです?」

「領地から上がってくる収支報告書を代筆していました。ここにある招待状と同じように」


 リュシエンヌは卓上にある書きかけの招待状へと視線を投げかける。

 そう、わたしは誤魔化さなかった。誤魔化さなかったということはつまり単なる代筆だ。


「彼はわたしに罪を擦りつけるつもりだったのでしょう、だからこんな命を奪う真似を」

「報告書の代筆ですか。本来はアデライドが記入者の欄に署名すべきなのでしょうが明確な決まりはありませんからね。それよりも現時点では証拠隠滅ととれるようなヨハンの行動のほうが問題です」

「ちがう、わたしはそんなつもりは」

「ではどんなつもりでこんなことをされたのです?」


 すかさずリュシエンヌは言い返して侍女服の襟を少しだけ下げた。

 首筋には今も赤く擦れた跡がある。

 

「あなたの言葉どおりですね。至急、セレスタン様と王妃様にも連絡をしましょう」

「そんな!」

「ヨハンを拘束して牢に放り込んでおきなさい」


 男の使用人に引きずられるようにしてヨハンは連行された。青ざめた侍女に声をかけて王城への遣いを出すと、バルトロ伯爵夫人はポケットから鍵を出す。見慣れた形状の鍵にリュシエンヌは状況を察した。

 ああ、そういうこと。


「執務室に鍵をかけておきました。書類を持ち出すことができなくてあなたのところにきたのでしょう」


 彼女はテーブルの上にある招待状へと視線を向ける。


「これはリュシエンヌ様の結婚式の招待状ですか?」

「はい、メラニー様から代筆するように言われています」

「招待者リストはありますか?」

「こちらに」


 手渡したリストに目を通してバルトロ伯爵夫人は眉をひそめる。

 でしょうね、本来ならば自ら書くべき相手のものまで含まれているのだから。

 メラニーが貴族間の礼儀と優先順位を理解していないという証明であり、リュシエンヌがエリックに頼んで貴族の近況を教えてもらったのもここに理由がある。

 そして厳しい表情のまま、侍女長は招待状を手に取って文面に目を通す。すると厳しい視線が、ふっとゆるんだ。


「たしかに代筆を頼みたくなるような美しい字ですね」

「ありがとうございます」


 手元の招待状の筆跡を眺めて感心したようにバルトロ伯爵夫人は目元を柔らかく細める。

 ほめられるのはうれしい。ほっとした気持ちでリュシエンヌは微笑んだ。


「そういえば侍女長からいただいたお見舞いの手紙ですが、とても美しかったです。言葉遣いや文面も気遣いと優しさに満ちていて。わたしもこんな手紙が書けるようになりたかったと、そう思います」

「書けるようになればいいではありませんか」

「え?」

「始めるのに遅いということはありません。これだけ美しい字が書けるのですから、書き方や機微というものを学べば美しい手紙を書く技術はあなたの武器となるでしょう」


 視線が合うと彼女の口元は柔らかく微笑んでいた。


「学ぶ意思があるのならわたしに手紙を書いてみなさい。練習ですからどんな内容でもかまいませんよ。もちろん、お返事も差し上げましょう」

「ですが、お忙しいのではありませんか?」

「それはあなたの心配するところではありません。わたしはできないことを約束するような人間ではありませんよ」


 さすが王妃様の側近を務めただけある。手紙を読むのも書くのも得意らしい。ならばせっかくだから教えてもらおう。家を出たあと、学んだことが役に立つこともあるかもしれない。

 リュシエンヌは感謝の気持ちを込めて微笑んだ。


「ありがとうございます、よろしくお願いします」

「この招待状ですが、すべて書き終わったら一度わたしに見せなさい。添削したものを戻しますから、その内容に沿って書き直すのです。そうすればあなたの勉強にもなるでしょう」

「はい!」


 思わぬところで収穫があった。厚かましいとは思ったけれど、言ってみるものだわ。

 扉の外からノックの音が聞こえる。応じると、青ざめた侍女が顔を出した。


「侍女長、王城から使者が参りました」

「わたしが対応します。応接室に案内しなさい。それから場合によってはヨハンの事情聴取も必要になるかもしれません。彼の部屋の前に兵士を待機させるように伝えて」

「かしこまりました」


 事情聴取という剣呑な言葉に、あわてて侍女が走り去っていく。

 リュシエンヌは心の中で指折り数えた。

 これで、二人目。


「ヨハン様の件は、公爵夫人やお嬢様にはお伝えいたしますか?」

「状況の整理がついたところでわたしがお話しいたします。セレスタン様からも追って連絡があるでしょう」


 公爵が国に虚偽の報告をしたとすれば、王家が動くことは当然のこと。

 もはやオベール公爵家の中で収まる話ではなくなってしまったということだ。


「筆頭公爵でありながら義務である税金を誤魔化すなんて。オベール公爵は何を考えているのだか」


 心底失望したという顔をして、背を向けたバルトロ伯爵夫人にリュシエンヌは深々と頭を下げた。

 あわよくばと思っていたけれど、三人目も一度で済みそうね。


 貴族の規範となるべき筆頭公爵の醜聞だ。

 何も知らなかったとしてもメラニーとオデットの立場は一気に悪くなるに違いない。


 ――――


 背後で扉の閉まる音を聞きながら、マルグリットは深々と息を吐いた。

 何なのアデライドという娘は。注意して見ているのに行動が読めない。

 あんな目に会いながら、無邪気な顔で笑うなんて。

 しかもマルグリットに庇われた後から急に表情と態度が大きく変わった。


 ではどんなつもりでこんなことをされたのです?


 あの台詞でヨハンの抵抗を完全に封じ込めた。

 あのとき垣間見せた恐ろしいまでの気迫には、さまざまな状況に慣れているはずのマルグリットまでが一瞬呼吸を止めてしまったくらいだ。

 あの一瞬だけは、マルグリットを守ろうとする彼女の意思が働いたように見えたのだが……自分の思い過ごしだろうか。


 なぜオベール家の人間は、あの娘の異常さに気がつかないのだろう。

 リュシエンヌ様やメラニー様だけでなく、侍女仲間や使用人まで。あれだけの器量を持つ彼女を、よく下級侍女として扱うことができるものだ。


 オベール家の誰もが気がついていなかった。あの娘が自分を中心として物事を動かしているという真実に。


 その真実にマルグリットだけが気がついている。でもあの娘が万事を動かしているという明確な証拠は何もなかった。なぜならこの家の誰もが、彼女の指示で動いているとは決して言わないからだ。まるであの娘の存在を上書きするように彼らは必ずこう答える。

 彼女ではなく、自分が指示したものだと。

 マルグリットには、揃えたような彼らの答えですらあの娘の意図したもののように思える。

 そして誰よりも怪しい動きをしているはずの彼女が、いつも最後は包囲網をすり抜けるように思えるのはなぜだろうか。


 何か大切なものを見逃しているような。でもそれが何なのかこの期に及んでもわからない。



 

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