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エリック・フルニエの嘲笑

エリックサイドのお話です。


 アデライドが帰ってこない。

 ため息をつきながらエリックは何度も窓の外を眺めて彼女の姿がないか確認する。


 当初の予定ではエリックは半年を無難にやり過ごして、早々に帰国する予定だった。アデライドとは形ばかりの夫婦として過ごし、移民申請が認められたらそれぞれ別の道を歩むつもりで。

 ところがアデライドがエリックの探し求める泉であり女神で天使であることがわかってからすべてが変わった。

 不思議なことにアデライドと出会ってからエリックの仕事は順調だった。アデライドを脳裏に思い描くだけで、いくらでも素晴らしいデザインが清水のように湧いてくる。さすがエリックの泉である。

 そしてときには清廉で高潔な女神を、ときには純粋で無垢な天使のように印象を変える彼女を想像してワンピースやドレスを装飾すれば新たな顧客がついて飛ぶように商品が売れた。


 この幸運はこわいくらいだ。


 エリックは知らないけれど、たとえばデザインや商品の価値を競い合うこと、経済という分野もときには戦場と例えることもあるのだ。

 加護はゆるやかに効果を及ぼして、負けることはない。つまりかつてないほどにエリックの心だけでなく懐も潤っていた。そして理想を絵にしたようなアデライドがいれば満ち足りるわけで、新たなひらめきを求めて女性を渡り歩く必要すらなかった。

 というわけで当初の予定とは逆に、このところのエリックは自宅で仕事ばかりしている。

 ところが今度は肝心のアデライドが帰ってこないのだ。

 オベール家の領地で問題が起き、書類の処理で泊まり込みになるという手紙が来てから連絡が途絶えて一週間が経った。リオネルに聞くと、どうやら長く続く雨で川から水が溢れたらしい。川には小麦畑が隣接しているから、農作物にも被害が出たそうだ。

 それはオベール家の一大事だ、でもそれがアデライドの泊まりがけの理由になるとは思えなかった。

 エリックはアデライドの気配が消えた部屋を見回して眉を下げる。待つ者のいない部屋で、いつ帰るとも知れない相手の帰りを待つということがエリックには初めての経験だった。


 こんなにさみしく、悲しいことだったのか。


 当初の予定では半年間もアデライドに同じ思いをさせるところだったと気がついて呆然とした。

 なんて傲慢で残酷なことを。後悔すると同時に恋しさも募った。

 少しでも会いたい、今すぐに会いに行きたい。

 お互いに干渉しない予定だったが、今のエリックにはアデライドのいない孤独が耐えられそうにもなかった。


 執着しすぎて嫌われないように気をつけなさい!

 脳裏にジャクリーヌ様の言葉が浮かんだが、あっさり無視した。


「侍女は基本、通いのはず。帰ってこないので心配になってという理由は立つな」

 

 加減は大事だ、でも自分はアデライドの夫である。元気に働いているか、会いに行くくらいは許されるだろう。

 そうだ行こう、今すぐ!

 というわけでエリックはアデライドの様子を見にオベール公爵家へと向かった。

 元は公爵令嬢だが今は平民だからと表門からではなく裏口に回って扉をノックした。すると近くで働いていたらしい侍女が顔を出す。視線が合うと、侍女の頬がほんの少しだけ赤くなった。

 エリックは愛想良く微笑みながら、極力不審感を抱かせることのないよう慎重に言葉を選んだ。


「お忙しいところ申し訳ありません、私はエリック・フルニエと申します」

「まあ、フルエニ商会の方?」

「はい、こちらで妻が働いているので様子を見に来たのですが少しだけでも会うことはできますでしょうか?」

「あらそう、奥様のお名前は?」

「オデットです、オデット・フルニエ」


 その瞬間、侍女の顔色が変わった。


「オデットという名の侍女はおりません」


 まるでその人間がこの場にいてはならないと言わんばかりの顔だ。

 そんなバカな、エリックは一瞬言葉を失ったけれどハッと気がついて別の名を口にした。


「アデライドはおりませんか?」


 すると今度はあからさまに不機嫌そうな顔をする。今度は触れてはならない人物の話題に触れたような顔だ。


「我々は忙しいのです、あまり騒ぐと不審者として通報しますよ」

「それでもかまいませんよ」

「はい?」

「通いのはずの侍女がオベール家に泊まるという連絡を最後に、一週間も家に戻ってこないのです」

「え、泊まり?」


 知らなかったのか、侍女の顔色が変わった。ここぞとばかりにエリックは追い打ちをかける。


「これは大変だ、アデライドから泊まりとの手紙を受けていたから訪問を差し控えていたけれど、もしかしたら誘拐されたのかもしれない!」

「は、え⁉︎」

「それとも事故にでも巻き込まれて連絡が取れなくなっているのか。こうしてはいられない、すぐに巡回の兵士に捜査を依頼して、新聞社にも広告で行方不明者の捜索を呼びかけでもらわないと」

「待って、わかったから! まったくもう忙しいのに面倒なことをあの娘は!」


 吐き捨てるような彼女の言葉でオベール公爵家におけるアデライドの扱いがわかってしまった。

 こんな劣悪な環境で、彼女はなぜ働き続けるのだろう。

 しばらくすると奥から侍女が戻ってきた。しかも若干、顔色が悪い気がする。


「表に回って」

「は、どうしてです?」

「当主代行としてリュシエンヌ様がお会いになるそうよ。失礼のないようにね」


 いや、別に会いたくないのだが。というよりもオベール家の侍女の質が悪すぎる。下級侍女に会いにきた得体の知れない男をなんで大切な公爵令嬢に会わせるんだ?

 たとえ本人が会いたがっても、公爵夫人や侍女長に報告して諌めてもらうべきところだろうに。

 とはいえ、ここまで来て案内するというのだからエリックには着いていくという選択肢しかない。

 応接室に案内されてしばらく待っていると扉がゆっくりと開いた。

 エリックはフルニエ商会で仕込まれた礼の姿勢をとる。


「おまえがエリック・フルニエ、アデライドの夫ね」


 声がして、扉が閉まる。気がつけば侍女もいないし、部屋に二人きりだった。エリックは内心で頭を抱える。

 公爵令嬢が婚約者でもない男性と部屋に二人きりなんて、オベール公爵家はどういう教育をしているんだよ!


「顔を上げて、こちらによく見せなさい」


 これがリュシエンヌ・オベール公爵令嬢か。まるで舐めるように品定めをする視線が不愉快だ。

 仕返しとばかりに真正面から見つめ返した。化粧で派手に装っているが、恐ろしいほどアデライドにそっくりだ。肌も髪も公爵令嬢にふさわしく磨かれて衣装も金が掛かっている。

 でも、それだけだ。二人を比べてみればリオネルの言った意味がよくわかる。

 これ以上は比べるまでもないな。エリックの泉で女神で天使と並び立つことすらおこがましい。

 とにかく本人が出てこない以上、この場所に用はない。アデライドの不利益となってはいけないから無難なところでさっさと切り上げよう。そう思っていたのだが。


「あらいやだ、思っていたよりもいい男じゃないの。失敗したかしら?」


 公爵令嬢とは思えないような品のない台詞が聞こえてエリックの動きが止まった。意図が読めなくて眉をひそめると、視線が合ったリュシエンヌ・オベール公爵令嬢は口元を隠すように扇子を広げた。


「アデライドはいないわ、オベール家に泊まりがけだなんて嘘をついて悪い子ね。きっとどこかで見ず知らずの男と遊び歩いているのでしょう」

「それこそ嘘ですね」


 エリックは間髪入れずに言い返した。

 エリックの泉で女神で天使は嘘をつかない。けれど彼女は違うらしい。

 リュシエンヌ・オベール公爵令嬢は不快そうに眉を顰めた。


「わたしが嘘をついているとでもいうの、無礼極まりないわね!」

「アデライドはオベール家の紋章が入った便箋で手紙を寄越しています。封筒も封蝋にもオベール家の紋章が。この家以外で三種類すべてが揃うところはありませんよ」

「我が家で手紙を書いて持ち出しただけかもしれないでしょう?」

「手紙で誤魔化したとしても、こうやって直接調べにくれば嘘だとバレるのに?」


 エリックは即答した。男性と遊び歩くのに所在を明示するような手紙を送って誰が得するんだ。

 どいつもこいつも、我々を馬鹿にしすぎる。


「何を隠したいのか知りませんが、でしたら兵士に通報して、新聞にも捜索の広告を」

「その必要はないわ。まったくアデライドはいつも余計なことばかりする。尻拭いするほうの身になってほしいわ」


 エリックの言葉をリュシエンヌ・オベール公爵令嬢は不機嫌な顔でさえぎった。

 何だ、尻拭いとは?

 エリックは訝しげに眉を顰めるけれど、彼女の態度はただただアデライドの存在が気に食わないと言わんばかりだった。

 

「失敗だったわね、噂では女にだらしなくて下品な男と聞いていたのよ。面白おかしい醜聞もいくつかね。だからアデライド……いいえ、気狂い姫と呼ばれるオデットにはお似合いだと思ったのだけれど残念だわ」

「残念とは、どういう意味でしょうか?」

「あなたは義妹にはもったいないということよ。ごめんなさい、悪評を信じておかしな娘を押しつけてしまって」

「おかしいとは……義理の妹になんてことを」

「いいのよ、正直な気持ちを言ってちょうだい。あの子の悪い噂はあなただって聞いているでしょう。わがままで傲慢、愚かで金遣いばかりが荒いオデット・オベール。まるで小説に出てくる悪役令嬢そのものだわ。だから皆、あの子よりも華やかで賢く美しいわたしを選ぶと決まっているの。あなただって、今日はあの子を言い訳にして、わたしに取り入るつもりで来たのでしょう。ふふ、いいわよ。あなたのように遊び慣れたお洒落な男性は周囲にいないから新鮮だし、せっかくだから付き合ってあげてもいいわ」

 

 テーブル越しに手の甲が差し出される。この国で女性の手の甲に口づけるのは男性が愛を乞う証とされていたためにエリックはギョッとした。

 これが本当に婚約者のいる公爵令嬢がすることなのか⁉︎

 派手な色の口紅で彩られた唇が不気味な弧を描いた。


「オデットは適当に遊んで、飽きたら捨てていいわよ。あなたもそのつもりなのでしょう?」


 

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