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グランドヴァローム王国、王家の懸念


 グランドヴァローム王国は他国から英雄の血が守る国と呼ばれている。


 かの英雄は勇猛果敢に戦い、ときには冷徹な策略によって敵対する勢力を蹂躙したという。

 建国神話では周辺地域との争いに勝利し、国を興したというまさにそのとき、英雄の強さに歓喜した戦神が特別な加護を与えたとされている。

 その英雄こそオベール家の初代であるリュドヴィック・オベールだ。

 では特別な加護とは何か。

 たとえば政治的な駆け引きや策略、他国の武力による侵略など。自国から悪意を持って仕掛けた戦でない限り必ず勝利する。負けないという稀有な加護だと人々は噂した。

 争いの大小に関係なく、加護はさまざまな手段でもってグランドヴァローム王国を包んでいる。そして王家はオベール公爵家と手を携えて綿々と血を繋ぎ、現在に至る。


 義理の娘となるリュシエンヌ・オベールとの定例のお茶会が終わった後のこと。

 王妃アナイスはリュシエンヌだけを王城に用意した自室へと戻し、代わりに彼女に随行してきたオベール家の侍女長でもある腹心のマルグリット・バルトロ伯爵夫人を呼び出した。使用人を下がらせて早速本題に入る。


「どうですか、オベール家は」

「アナイス様の勘違いではないかもしれません。あの家は、たしかに何かがおかしい」

「やはりそうですか」


 アナイスはため息をついた。それにしてもと、マルグリットは首をかしげる。


「よく見抜かれましたね。オデット・オベールの散財による経済的な不安定さ。それ以外に表面上は問題がなさそうに見えていたものを」


 しかも問題のオデット・オベールは裕福な商家へ嫁に出している。つまりセレスタン第二王子殿下の婿入り前に、王家が知る問題はすべて解消されたはずなのだ。

 それなのにあれだけ内部の統制が取れていないとはどういうことなのだろう。統制が取れていないというか、よくぞあれだけ山積みの問題を隠し通してきたものだ。


「リュシエンヌよ」

「リュシエンヌ様ですか?」

「オベールの黄金、公爵令嬢らしく磨かれた美しさ。教養もあるし、あの子は立ち回りも上手く弁も立つ」

「正直なところ、わたしもあの方のすべてを把握しているわけではありませんが、周囲の評判だけならセレスタン様の妻として申し分ない方でしょう。派閥もうまく統率しているようですし」


 けれどアナイス様は目元を押さえて小さく首を振った。


「でもね普通なのよ、リュシエンヌは平均的な公爵令嬢の枠からどうしても外れないの」

「どういうことですか?」

「だってオベール家は戦神の加護を受けているのよ、普通なわけがないでしょう!」


 まるで悲鳴のような叫びだ。珍しくうろたえた王妃の姿にマルグリットは息を呑む。


「あなたは先代当主、カルロッタを知っていたかしら?」

「学年が違いましたので挨拶を交わす程度でしたが。凛として美しい方だったことは覚えております」


 その美しさと威厳は、誰が喩えたか月下の薔薇と。

 華やかさと儚さが共存する奇跡のような人だと誰もが口を揃えて言っていた。


「私は同級生で、王家に嫁ぐ前から親しく付き合っていたわ。だからわかるの、彼女は普通じゃない」


 今でも思い出す、学校の帰り道のことだった。

 馬車の事故があり、違う道を通った。いつもとの違いはそれだけだったのに。事故は意図的に起こされたものだったようで迂回した道で複数の刺客に襲われたのだ。激しい戦いとなり、護衛の奮闘もあってほとんどの刺客は討ち取った。だがここで護衛達は全員力尽きてしまったのだ。アナイスの前に一人の刺客を残した状況で。

 もう逃げられない。思いつく限りで最悪の状況だった。


「加護があったとしても戦いに勝つというだけで戦わずに済むというわけではないの。戦神の加護だけに戦が起きることは避けられないのね。そのせいなのか、すでに王の婚約者だった私は命を狙われることがたびたびあった。でもね、あの日は本当に危なかったのよ。目と鼻の先に刺客がいてさすがに死を覚悟したわ。ところが気がついたときには目の前にカルロッタの背中があったの」


 普段はいないのに、なぜかその日は()()()()近くをオベール家の馬車が通った。


「あのときの私は一国の王太子の婚約者でありながら、彼女の揺るぎない背中を見上げることしかできなかった」


 ただ一人、優雅な物腰でアナイスと刺客の間に割って入るとカルロッタは刺客に笑いかけたそうだ。

 その姿はあまりにも気高く美しく、思わずアナイスは見惚れてしまった。

 まるで戦いと知恵を司る女神のよう。

 だが刺客にすれば狙う獲物の間に割って入ったのは護衛ではなく華奢な令嬢だ。

 想定外の出来事に動けなくなった刺客に彼女は微笑むと、ためらいもなく恐ろしい台詞を口にする。


「いいこと、狙う心臓はここにある」


 そして扇子の先でトンと己が心臓の位置を示した。


「王太子妃になられるアナイス様の心臓はあげられないが、私のものでも十分でしょう?」


 だが、その前に。言葉を切ってカルロッタは薄らと笑った。


「さて私が殺せるか――――初代オベールの、戦神の寵愛を受けた心臓はここよ」


 周囲を満たすのは恐ろしいまでの威圧。守られるアナイスも思わずたじろぐほどだ。

 そして直撃した刺客は完全に戦意を喪失し、無様な悲鳴をあげてその場から逃げ出した。だが直ちにカルロッタの指示で隠れていた護衛によって取り押さえられる。

 まさに、あっという間の出来事だった。

 呆然と座り込んだアナイスに、申し訳ないという顔をしてカルロッタは手を差し出した。


「ご実家にはわたくしの侍女を向かわせました。まもなく応援が到着するでしょう。それまでは我々が守りますから、心配はいりません」

「あ、ああ……」


 声も出ないアナイスにカルロッタは困った顔をした。


「怖がらせてしまって、ごめんなさい。あの状態で護衛の姿が見えては真っ先にあなたを殺して逃げたでしょう。ですから無傷のまま隙を作るために、わたしが直接介入しました」


 実はお転婆なのです。先ほどまでの威圧が嘘のように、カルロッタは月下の薔薇と呼ばれるにふさわしい、華やかで儚げな微笑みを浮かべた。

 アナイスは、今でもときどきあの微笑みを夢に見る。


「あの状況で笑えるのよ。カルロッタと同じことができるかと聞かれたら私にはできないわ」


 刺客を取り調べたところ、アナイスの実家と敵対する貴族家の差し金だとわかった。

 王太子の婚約者の座を狙った犯行。

 自分は助かった代わりに、多くの血が流れたあの日のことをアナイスは決して忘れないだろう


「わかったかしら。オベールの黄金を持つ者は容易に己が命を差し出せるの、だから普通ではないのよ」


 大国の王妃であるアナイスが唯一、勝てないと思ったのがカルロッタだった。

 自分の命よりも大切なものを守る、その揺るぎない信念が戦神の心を動かした。

 だからこそ与えられた特別な加護。


「圧倒するような気品、抜き出た品格や威厳。彼らの強さは形を変えながら彼らの心に宿る。はっきり言うとね、リュシエンヌにはそこまでの強さが感じられないの。残念なことにあの子は自分のために人が命をかけることを、あたりまえと思う平凡な子だった」

 

 オベールの黄金を持ちながら、あの人の娘なのに。


「品位や風格というものは歳を重ねるごとに強くなっていくもの。だから幼いうちは加護の存在がわかりにくいのよ。でも経験を重ね、時間をかけて彼らの加護は唯一無二の揺るぎないものに成長する。本人の意思とは関係なく、自分よりも大切な物を守るために無意識のうちに加護の力を垂れ流すようになるの」


 そして垂れ流された加護の力が、彼らの命よりも大切な国を守ってきた――――これまでは。


「我々が恐れているのは加護を受けた者が国よりも大切な物を見つけてしまうことなのよ。セレスタンはこの国を大切に思っている。だからあの子を愛するリュシエンヌもこの国を守ってくれると思ったのに」


 相手が限定されてしまえば加護の力は国には及ばない。だからこそ今代は王族が婿に選ばれた。

 カルロッタの婿であったジェルマンは辺境伯家の次男。戦となれば真っ先に戦場となる場所だ。だからこそ伴侶にふさわしかろうと数多いる候補を押し除けて選ばれた。

 目には見えなくとも辺境伯軍の連戦連勝は加護の後押しもあったから。

 そうだ、加護の差が戦況を変えることもある。そしてもし、加護がなければ。

 そういえばアナイス様の顔色が悪い。それと気がついたマルグリットは小さな声で尋ねた。


「もしかして何かあったのですか?」

「これは誰にも言ってはダメよ……先週のことだけれど辺境伯軍が隣国との小競り合いで負けた。そのおかげで王や側近は大騒ぎなのよ」


 マルグリットは青ざめた。建国以来、初めて戦とつくもので負けたのだから当然そうなるだろう。

 なんでも敵兵の数が多く、持ち堪えることができなかったらしい。そのことが余計に不安を煽る。今まで辺境伯の軍はどれほど不利な状況で、相手が大軍であっても負け知らずだったというのに。

 

「加護の力が弱まっているとしか思えない状況なのです。王も、側近もそう考えていて。セレスタンをオベール家の領地に派遣したのも、リュシエンヌの心が国から離れることのないように支えるためでもあるのです。神殿の教義では神の与える加護は与える影響もゆるやかなものとされています。ゆるやかに力が満ち、力が失われていくときも……そうと気がつかないうちに消えていく。だからこそこわいのです、失われてから気づいてはもう遅い」


 残されるのは加護を失った国の骸だけ。マルグリットは息を呑んだ。どうして、こんなことに。


「加護を授けるとき、戦神はこう言ったそうよ。汝が血筋に加護を残す。目印は黄金だ、と」


 つまりオベール家の血を受け継ぐリュシエンヌが加護を受けていることは間違いなかった。


「もし間違えているとすれば、周囲の人間のほうなのよ」


 周囲の人間とは、たとえば父のジェルマン・オベールや母のメラニー、婚約者であるセレスタン第二王子、オベール家の使用人達、そして……アデライド。あの侍女がどうにも油断ならない。

 決して馴染むことなく、染まることもなく。あの娘がオベール家で唯一、異端なのだ。


「そういえばオベール家にはアデライドという侍女がいるそうね」


 ちょうど彼女のことを考えていたためにマルグリットの反応が遅れた。


「どうしてその娘の名を」

「セレスタンから聞いたわ。侍女長に叩かれて怪我をしたアデライドという名の侍女を自宅まで馬車に乗せて送ったそうなの。侍女長をすげ替える話をした流れで思い出したみたいね。そのときにあの子がね、こうつぶやいたのよ」


 ……なぜかアデライドの笑った顔が、小さいころのリュシエンヌの表情と重なったんだ。だから、思わず。


「よほど衝撃的だったようね、本人もつぶやいたのは無意識みたいよ」


 そうかもしれない。執務室で遭遇したときのことをマルグリットは思い出した。間近で顔を覗き込んだときの衝撃、あのときのことは今もよく覚えている。


「そう思うのも無理ないでしょう。アデライドの顔はリュシエンヌ様と瓜二つでしたから」

「何ですって、そんなことが!」

「ですが二人の雰囲気はまったく違います。華やかさを極めたようなリュシエンヌ様と比べたら、地味な娘です。間近で見てようやく気がつく、そのくらいに雰囲気は違っているのです」


 なのにどういうわけかアデライドに視線を奪われる。リュシエンヌ様と並ぶとより顕著に違いが際立つのだ。


「どんな娘なの?」

「平民の娘にしては礼儀作法も学んでいるようでした。ただ貴族のご令嬢と比べればさすがに見劣りします。それと書類を仕分けるのは得意なようですね、当主から書類仕事の時間が特別に割り振られています」

「平民ということは下級侍女ではないの? それが書類仕事とは、立場と割り当てる仕事が食い違っているわね」

「ええ、私もそう思います。オベール家は万事がその調子なのです」


 アナイス様の言葉でマルグリットはようやく違和感の原因に気がついた。

 平民の下級侍女でありながら、アデライドを中心として家のすべてが回っている。

 マルグリットの言葉にアナイス様はどこか浮かない顔をした。


「もしかするとリュシエンヌの替え玉ということかしら」


 有事の際に命がけでリュシエンヌを守るための盾。それならば平民に礼儀作法や書類仕事を手伝わせる理由がつく。アナイス様の予想はマルグリットにもあり得ることのように思えた。

 ただ、なぜかそれだけではないような気もするけれど。

 あの娘の顔を見るととにかく落ち着かないのだ。こちらの思惑などとうに見透かされているような得体の知れない居心地の悪さを感じる。あんなの、普通では……そう思ったとき、何かを掴みかけた。

 けれどマルグリットの思考はアナイス様の言葉によって霧散する。


「一度、その娘に会ってみたいわ」

「王城に呼び寄せるおつもりですか?」

「いいえ、できれば警戒されないように普段どおり過ごす姿が見たいの」

「では結婚式の後にオベール家で行われる予定の披露宴で働くところをご覧になってみてはいかがでしょう」

「そうね、それがいいわ」


 侍女として働くところを見た限りでは他の者と比べて技能が劣るわけではない。むしろ手際は良いし、家具などの物の在処は彼女が一番よく知っている印象だった。

 オベール公爵家の侍女はあるときを境にして大きく入れ替わっている。なんでも先代のときに執事と侍女長が悪事を働いていたそうで加担した侍女や使用人をジェルマン様が全員まとめて解雇したからだとか。詳しく調べてみるとカルロッタ様が存命のときに働いていた侍女は誰も残っていなかった。

 誰も知らないことを詳しく知っているアデライドは唯一、残ることを許された者のような気がする。

 やはりリュシエンヌ様の替え玉として雇われた者だから、それとも他に理由が?

 とにかくアナイス様の目で直接見てもらえば何か気づくものがあるかもしれない。


「そういえば、オベール家を調べるとき助けとなるように一つ伝えておきたいことがあるの。戦神の加護には代償があることを」

「代償ですか?」


 アナイスは一段声を落とした。


「オベールの黄金を持つ者は嘘がつけない。嘘をつくと、直ちに血を吐いて死ぬ」


 マルグリットは呆然として言葉を失った。


「戦神が嘘を嫌うかららしいわ。実際、やむを得ずついた嘘で血を吐いて死んだ当主もいるそうよ。他家に知られると悪用されるかもしれないから内密にね」

「それは」

「正確には『加護は家を受け継ぐ者に与える。代わりに嘘をついてはならない』だったかしら。初代が建国の英雄と呼ばれながら自ら王にならず弟を王にしてオベール家を興したのはこれが理由よ。身を守るためについたものも嘘と判断されるくらいに厳格なものだから。外交を担う王族が他国の追求をはぐらかすこともできないなんて致命的だわ。けれど初代がオベール家を起こしたことで、王家はその理の外側にいられる」

「た、たしかに」

「それにね、彼らは本当のことしか言えない。それがわかっているからこそ、逆に王家にとっても心強いわ。策略しかない貴族階級で本当のことを言ってくれる相手は希少なのよ」


 嘘がつけない、だから彼らは都合が悪いときに沈黙する。それすらも王家にとっては答えたも同然だった。


「そのアデライドという娘は平民ですが、特別に披露宴の会場内に出入りすることを許可しましょう」

「かしこまりました、そのように手配いたします」


 アナイスは王妃として指示を出すと手振りでマルグリットを下がらせる。

 念のため、当主にはアデライドが引き取られた経緯を確認しておこう。

 マルグリットはこのとき、たしかにそう思っていたはずだ。


 続けて発覚したオベール家の醜聞の後始末で、それどころではなくなってしまったけれど。


 

 

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