第5話 戦いを前に、かとりことはは──
9月21日の日曜日。マガツカミの兵が攻めてくる当日。
神託を大神様から賜って、わたしは昨日から神庁に赴いていた。
英雄様と巫女様を崇拝し、現代の基盤を整え続けている機関。
西暦や神歴の初めごろにあった犯罪も、この神庁のお陰で年間件数は片手の指で数えられるほどになっている。
だけれど、わたしはこの機関を好きになることはできない。
今回赴いたのも、今日の事を話して厳戒態勢を敷いていただく為だけ。
わたしはわたしを崇拝するような人は、決して好きにはなれない。
「寿葉様!」
「あれ、優花様?」
避難指示や巫女様達との会話を終えて神庁を出ようとすると、背後から呼び止められ振り返る。
そこにいたのは、わたしと同じ最年少巫女の鈴美優花様だった。
「はぁ、はぁ……。す、すみません……!すこし、お待ちを……!」
「お、落ち着いてください?ゆっくりで大丈夫ですから」
淡い栗色の長髪を上下させながら、優花様は深呼吸を始める。
もしかして、何か見落としてしまっていたのかな。
結界の指示はしたし、万が一の備えもしていただいたし……。
「ふぅ……。お、お待たせしてすみません!」
「いえ、大丈夫です。それより、わたしに何か……?」
「はい!こ、これを受け取っていただきたくて!」
優花様が下さったものは、表に祈願と書かれたお守り。
「これは?」
「現職の巫女、総勢73名の神力を少しづつ込めたものです!有事の際の事も考え、そこまで多くは込められていないのですが……」
しゅんとした顔で俯いて、優花様は申し訳なさそうに呟く。
わたしのような筆頭巫女以外は、例外を除いて、有事の際の結界維持や他のお役目に従事している。
その作業には、巫女の持つ神力というエネルギーを大量に使うことがある。
時間で回復するにせよ、それは自身の身を削っているのも同然で。
このお守りには、その巫女様達の神力が込められている。
「わたし達は祈ることしかできません。ですが、少しでも寿葉様と英雄様のお力になりたくて。他の巫女様達も、同じ気持ちでこの提案を汲んでくださりましたから」
「優花様……」
語りから察するに、提案者は目の前の小さな少女。
健気で、行動力があって。なにより、そのお心遣いはとても嬉しいものだった。
「………優花様、次のお休みはいつですか?」
「つ、次のお休みですか?」
巫女は基本、神庁に常駐している。
わたしのように学校に通うことはせず、教育もその中で終えてしまう。
巫女様はわたしも含めて、世間を知らないことが多い。
「えと、次の土曜日でしょうか……」
「よければ、その日をわたしに頂くことはできませんか?……わたし、ぱんけーきというものを食べに行く約束をしているんです。優花様も一緒に、と思いまして」
「よ、よろしいのですか!?ぱんけーき?というものは、わたしも存じ上げないのですけど……」
「大丈夫です。……わたしの友達が、案内してくださいますから」
万全は期した。想定外の良縁もあった。
あとは今日の敵の侵攻を撃退して、ぱんけーきを食べに行くだけだ。
▽
「すっご、アタシ境界まで来たの初めてかも」
「そ、そうね……。なんだか、不思議な空気もするし……」
「……ついさっきまでとは、何もかも違うね」
かななとみずずの言葉に同意しながら、私達はキョロキョロと周りを見渡す。
神聖区。神庁が管理している、特別禁足地。
周囲は大神様の結界で閉じられていて、目の前にある御社殿だけが人の手を借りている部分だ。
この場所が戦地である結界外との唯一の道。
目の前にある御社殿を守り切ることこそ、私達のお役目。
この御社殿が破壊されれば、大神様の結界が機能しなくなってしまうから。
「皆様、足元に注意しながら付いてきてください。ここはまだ大神様の結界内ですから、そこまで身構えなくとも大丈夫です」
私達とは対象的に、ことりんはとても落ち着いている様子で。
何度もここに立ち入っているからこそなのか、全く動じていない。
そんなことりんに付いていくと、御社殿の中は外観よりも広く思えた。
その中央に、淡く白に発光した球体が宙に浮かんでいた。
「聞いたことはあると思いますが、これが八尺瓊勾玉です。現存する最古の神器であり、わたし達の生命線でもあります」
「まが、たま?」
みずずがそう思うのも分かる通り、私にも勾玉のような形には見えない。
というより、発光のせいで球体と認識するのが精いっぱいのような……?
「皆様が今まで使っていた神器、実はレプリカなんです」
「そ、そうなの!?」
「はい。本物の神器の神力はとても強力で、ともすれば一般人に悪影響を及ぼす可能性もありますから。普段の鍛錬で使用出来るのはレプリカだけなんです」
言われてみればそうかも。
私たちが英雄に選ばれたときに賜った神器は、普段は身に着けるものに変化している。
みずずは髪留め、かななはイヤリング、私はネックレス。
これがレプリカじゃなかったら、学校で皆と会うときにどんな影響が出てしまうか。
「ですので、まずは皆様の神器にひと時だけ。本物の神器と同じだけの神力を与える儀を行います。まずはわたしから、皆様と同じ儀を行いますので見ていてください」
そう言いながら、ことりんはゆっくりとその球体に手を伸ばす。
「神化」
ぽつりと、ことりんは呪文のようなものを呟いて。
その瞬間、球体の白い光がことりんを吞み込んだ。
「まっぶし!?」
「…………すごい」
感じたことのないくらいの、神々しい光。
うっすらだけど、周囲の空間すら歪んで見える。
そしてその発光が収まって見えたことりんの姿は、まるで神話の神の使いのようだった。
巫女服に似てはいるけど、より運動用に洗練された白と赤の装い。
祈るためだけじゃなくて、万が一の動きやすさも視野に入れていて。
ことりんの赤い瞳と黒の長髪も相まって、人の域を超えた美がそこにはあった。
「このように勾玉に手をかざせば、大神様が戦闘衣をご用意してくださいます。それに加えて……、皆さん?どうかしましたか?」
「い、いや、寿葉慣れてるなーって……」
「ええ、神秘を目の前にしても動じない。それに、一目で大神様に近づいたというのが分かるし……」
「ええっと、これでも巫女ですから。特段驚いたりなどは」
そう言い終えたことりんと私の目線が、パチリと交差する。
その神々しさと異常なほどの綺麗さで、私の鼓動は早くなる。
「ゆかちゃん?」
「え、っと……。その、え、えへへ~……」
いけない、こんなの絶対だめだ。
この後に命を懸けたお役目があるというのに、こんな気持ちでいてはいけない。
「そうですか?それでは、皆様も同じようにお手を翳してください」
「おっけー!一人づつ?」
「一斉にで大丈夫です。比較的猶予はありますが、まだしなければならないこともありますから」
「分かったわ」
ことりんに言われて、私たちは勾玉の前に立つ。
うーん、やっぱり発光で輪郭が朧気だね?
「「「神化」」」
ことりんに倣って、手を勾玉にかざして単語を唱える。
そうすれば熱く感じる光が私たちを包んで、その青い光に思わず目を閉じる。
「────って」
「え?」
い、今の誰の声だろ?
頭の中に直接響いてきたような気が……。
「すっご!なにこれ、凄い動きやすい!」
「ええ、これが大神様が用意してくれた……!」
かななとみずずのそんな声に、私もゆっくりと目を開ける。
「……綺麗」
かななの戦闘衣は、本人の活発さが表に現れたような赤と橙色の混ざった戦闘衣。
鮮やかで、でも確かな神々しさを纏っている。
みずずの戦闘衣は、冷静さが表出したような青と紫色の混ざった戦闘衣。
流麗で涼やかさを感じるのに、どこか神秘を感じる。
私の戦闘衣は鮮やかな緑に、白色の線が混ざった戦闘衣。
決して主張するような色ではないのに、どうして惹かれてしまう。
ことりんの神話の巫女のような装いとは少し違うけど、それでも大神様の力を纏っているのが目に見えてわかる。
これが、英雄の戦闘衣なんだ。
「わー、2人とも凄い綺麗!水希は青でゆかりは緑なの、なんとなく想像通りだし!」
「え~、私ってもう少し派手な色だと思ったけど~」
「ふふっ、ゆかりのそのイメージは置いておくとして」
「置かれた!?」
「この衣装、本当に凄いわ。着ているだけで力が湧いてくるもの」
みずずの言う通り、今ならどんな事だって出来そう!
レプリカだって聞いて驚くくらいには鍛錬の時の神器も身体能力を上げてくれていたのに、体感だけでもその3倍くらいは凄いもん!
「皆様、戦闘衣は正しく授かれたご様子で。目に見えるほど、多大な神力が備わりましたね」
「これで、私たちの神器はレプリカじゃなくなったの?」
「はい。皆様の神器も、十全にその性能を発揮できる筈です」
そう言い終えたことりんは、どこか申し訳なさそうな顔をする。
かと思えば、意を決したように話し始めた。
「もう一つ。先日みずちゃんがおっしゃっていたように、わたしの神力も皆様に授けなければいけません。それでようやく、正規の英雄としての力が備わりますので」
「そうなのね」
「でも、さっきからどうしたの寿葉?何か気まずそうな顔してるけど?」
「そ、そうですね。……そ、その、儀式の内容なのですが……」
そういえば、昨日みずずがそんなこと言ってたっけ。
巫女と英雄は対の関係だから、巫女の力が混ざって初めて英雄として完成する。
なんだけど、どうしてことりんはそんなに言いづらそうなんだろ~?
神話の巫女様みたいなことりんが、ここまで気まずそうにするなん────。
待って?神話、巫女様、英雄を送り出す役割……。
ま、まさか……!
「最初は私から受けるよ!!!」
「うわっ、びっくりした!?どうしたゆかり!?」
「ど、どうしてそんな大声を出したの!?」
だ、だめだめ!
私の想像通りの儀式なんだったら、まずは私から受けないと!
それでもって、目と耳を塞いで隅っこの方に行かなきゃ!!私の脳が壊されないように!!
「わ、分かりました。……えっと、ゆかちゃんはこちらへ」
「は、はい!」
「……最初がゆかちゃんだと、わたしも少し気が楽かもです」
こ、こんな場所で初めての……!
でもでも、ことりんも私が最初で気が楽ってそういう事だよね!!
し、心臓が破裂しそう……!が、がんばれ私!年上として、終わった後に余裕のあるところを見せなきゃ───
「それでは、失礼します」
「────あれ?」
いつまで待っても、私の唇に当たる柔らかいものはなくて。
戸惑う私が受けたのは、ことりんからの抱擁だった。
「こうする事で、わたしと皆様の中の神力を結ぶんです。わたしなどとの抱擁は抵抗があると思いますが、これも儀式ですので──」
「もう、寿葉は自分の事を卑下し過ぎよ?抱擁なんて、むしろこっちからしたいくらいなのに!」
「そうだよ寿葉!ゆかりが終わったら、次はアタシだからね!」
「……はい。本当に、わたしは果報者ですね」
私の耳元で話すことりんは、2人とそんな話をしていて。
でも、でもですね!!
ことりんはすっごく良い香りがするなとか、細いのにちゃんと柔らかいなとか、ことりんの声綺麗すぎるとか!!
私は結構、というかかなり!ことりんにやられてしまっているのですが!!!
さっき言ってた私が最初で良かったっていうの、いつも私がことりんに抱き着いているから!?
もしかして私、とんでもない勘違いを!?
「は、はずかしい……!」
「ええ!?ゆかちゃん、いつもわたしに抱き着いてきますよね!?」
「あー、寿葉?それは多分違う意味で……」
「……寿葉には、まだ難しいかもね」
みずずもかななも、私が何を予想してたか分かってる感じするし!
い、いいもん!どっちにしろ、ことりんの初めては私なんだもん!
「ふぅ……。これで、皆様とわたしの中の神力が結ばれました。意図的にその結び目を解かない限り、わたしとの繋がりは消えません」
「本当……。寿葉と繋がってるのが、神力を通して感じる……」
「良かった……。無事に成功してくれて」
かななとみずずの儀式も終わって、ことりんは安心したように微笑む。
その微笑みに相変わらず胸が高鳴るけど、それ以上に安心してしまう。
ことりんと神力で繋がったことで、ことりんの暖かい感情がゆっくり流れ込んでくる。
その暖かさこそ、ことりんが人として生きている証。
ことりんがその生き方を選んでくれた事実だけで、どうしようもなく嬉しくなってしまうから。
「──!敵兵が侵攻を開始するとの神託です。皆様、ご準備を」
「よっし!今ならどんな敵でも大丈夫かもアタシ!」
「ええ、負ける気がしないわ!」
「よ~し、それじゃあ出発──」
「すこしだけ、お待ちください」
結界の外に行こうとした私たちを、ことりんは制止する。
そして私たちの前に立って、巫女としての顔で告げる。
「決して、油断をしてはいけません。ここからわたしもサポートをしますので、わたしの声をよく聞いて。お互いをカバーしあうのを忘れずに」
強くて綺麗な、巫女様の忠告。
それを終えると深く息を吐いて、いつものことりんの顔に戻った。
私が大好きで、守ってあげたくて、どうしようもなく虜になってしまっている顔に。
「……巫女として、言ってはいけない事を言います」
「え?」
「危ないと思ったらすぐに撤退を。誰かの為に自身を犠牲にするなど、もってのほかです」
ことりんは今にも泣きだしそうな顔で、私たちにそう告げる。
確かに出雲を護る英雄に、それは言ってはいけないかもしれない。
だって、英雄の肩書は。同時に、人柱の意味も含まれていると思うから。
「絶対に、絶対に死んではいけません。そうなったら、わたしも皆様と一緒に死にますから」
だけど、まだ10歳の巫女様ははっきりと告げる。
その眩しいくらいの激情は、私たちが友達だという証明でもあって。
「信じていますからね、わたしの英雄様達」
ことりんの裏表のない言葉に、私たちはどうしようもなく奮い立ってしまうから。
「任せてよ!終わったら、皆で打ち上げだからね!」
「ふふっ、そうね♪寿葉の重い信頼に応えられるよう、頑張らなきゃね!」
「……うん!ちゃんと帰ってくるからね、私の巫女様」
本当に、ことりんはずるいと思う。