第2話 春日ゆかりは彼女を想う
大神様から英雄に選ばれたと聞き、本当は少しだけ怖かった。
英雄とは選ばれるものではなく成るもので、その力で成しえるものは自分を犠牲にする行為。
それでも恐怖より嬉しさが勝った理由は、大好きな女の子を守れるから。
神に最も近い巫女、それで苦しんでいる大好きな女の子。
彼女を守れる力を、私は、春日ゆかりは誰よりも望んでいた。
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「はじめまして皆さん、香取寿葉と申します。本日からこのクラスで皆さんと一緒に勉学に励ませていただく運びになりました。何卒、よろしくお願い致します」
わたしがそう挨拶を終え頭を下げると、教室の至るところからヒソヒソと話し声が聞こえ始める。
詳細まで聞き取れはしないけれど、決して良い内容ではないだろう。
何せ、わたしは香取家の巫女なのだから。
……やっぱり、ここもおんなじ。予想はしてたから、なにも気にしてなんかない。
そんな気持ちに沈んでしまっていると、コツコツと足音が聞こえる。
その足音はわたしの目の前まで来ると立ち止まって、良く知っている声音が頭上から聞こえてきた。
「こ~とりん♪」
軽やかで涼やか、それでいて穏やかな声音。
そしてわたしをへんてこな渾名で呼ぶ声に顔を上げると、そこに居たのは良く知っている子だった。
「ゆかちゃん?」
「久しぶりことりん!えへへ~、これからは学校でも一緒だね~!」
春日ゆかりちゃん。
香取家と並んで、現代において最も発言力が強い春日家の女の子で、幼いころからよく遊んでいた一つ年上の幼馴染。
銀色の肩まである髪とちょっとの垂れ目が特徴的な女の子で、そんな見た目通りおっとりとした性格だ。
そして、大神様から選ばれた英雄様の1人でもある。
巫女としての修行と香取家の用事で数か月ほど会えていなかったけれど、ゆかちゃんは何も変わっていない。
神職に就いている家系の人間で、わたしを唯の女の子として接してくれていた幼馴染だ。
「は、はい。よろしくお願いします……?」
「よろしく~!やった~、久しぶりのことりんだ~♪」
「ひゃっ!ゆ、ゆかちゃん!?」
そんなわたしの幼馴染は、いきなり抱き着いてきて頬ずりをしてくる。
そう、ゆかちゃんはこんな風にわたしにだけスキンシップが激しくて、それがどことなく気恥ずかしい。
というか、ここは教室の教壇だよ!?いくらなんでも、皆さんが見てる前でこういうのは……!
「ね!昨日話した通り、香取さんはこうやって普通に恥ずかしがるような女の子です!巫女様ではあるけれど、それ以前にみんなの一つ年下の女の子なの!だからいっぱい構ってあげて!」
「ふぇ………?」
頬ずりをしてくるゆかちゃんの向こう側で、クラスメイトの皆さんを見ながら神宮司先生が微笑んでそう言う。
つまり、ゆかちゃんがこうして抱き着いてきたのはアピールの為?
わたしが唯の人間だと見せるための仕込みなのかな。
でも、たったそれだけで何か変わるなんて思えない。
これだけで受け入れてくれるなら、わたしはもっと……。
「よろしくね寿葉さん!ていうか、めっちゃ綺麗な黒髪!しかも長くてサラサラ!いいなぁ~」
「は、はい、よろしくお願いします。か、髪ですか?それほどサラサラでは……」
「あ、ダメだよ~かなな!ことりんの髪は私専用なんだよ~!」
「ひん!?ちょ、ちょっとゆかちゃん……!?」
わたしの長髪に顔を埋めたゆかちゃんは置いておいて。
今しゃべりかけてくれた彼女は、鹿島香苗。
対面するのは初めてだけど、とても活発な印象を受ける女の子だ。ぱちくりと大きい瞳と茶髪のショートヘアが、彼女の性格を外見でも表してくれているようで。
そして彼女もゆかちゃんと同じく、大神様に選ばれた英雄様だ。
「こら、だめよ香苗!それにゆかりも、こんな公衆の面前でそんな……!い、イチャイチャしようとしないの!香取さんも困っているでしょう!?」
「ふっふっふ、そんなことないよ~みずず?それに、この程度じゃイチャイチャには入らないんだぜ~?」
「こ、この程度!?それ以上のイチャイチャを……!?ふ、2人はそういう……!」
「ち、違いますからね!?わたしとゆかちゃんは、別にそういう関係では……!」
どんな風にわたしとゆかちゃんの関係を想像したのか、顔を真っ赤にしながら取り乱す彼女は伊勢水希。
鹿島さんと同じく初対面だけれど、青みがかった髪色をサイドで結んでいる姿はとても女の子らしさを感じる。
彼女もゆかちゃんと鹿島さんと同じ、3人の英雄様の1人だ。
「え~、春日さんだけずるーい!可愛い子は独り占めしちゃだめだよ!」
「ねぇねぇ香取さん!巫女さんだって聞いてるけど、どんなことしてるの!?」
「ほんとにお人形さんみたいに可愛いね!ねぇねぇ、寿葉ちゃんって呼んでいい!?」
「え、えと……、あぅ………」
ズイズイとクラスメイトの皆さんが寄ってきて質問をしてくる。
まるで唯の転入生に対して接するようなそれは新鮮で、逆にわたしは固まってしまう。
と、というかどういう事なの!?
歳が近い子たちにこんなにグイグイ来られたことはなかったから、思ってた反応と違い過ぎて………!
だ、だめ!このままだと、わたしじゃ捌ききれない!た、助けを!
「じ、じんぐうじせんせぇ……!」
「うんうん!それじゃあせっかくだし、1時間目は寿葉ちゃんの為のオリエンテーションにしましょうか!」
「せんせぇ……!?」
そんな神宮司先生の言葉で、クラスメイト達が一気に最前列の机まで押し寄せる。
結局その日の放課後まで、勉学とは名ばかりのオリエンテーションは続いた。
△
「どうどうことりん!もうこのクラスには慣れた?」
「慣れました、けど……。少し疲れてしまいました……」
「あははっ、寿葉さんすっごく人気者になってたもんね!」
「そうね……。ふふっ、皆もやっぱり興味深々だったんだわ」
転入初日の放課後、6年2組の教室。
巫女であるわたしと英雄様である3人は、他に誰もいない教室で今日一日の事を振りかえっていた。
疲れ切ったわたしの精神は、間違いなくクラスメイトの皆さんの質問攻めによるものだ。
色んな大人と接してきて業務的なものには慣れているけれど、あんな風に距離の近い接し方はゆかちゃんとの会話でしか知らなかった。
改めて背筋を伸ばして、目の前にいる3人の英雄様を見る。
わたしより1つ年上とはいえ、まだ幼い3人の英雄様。
神託で知らされた“敵”との交戦開始まで、期間にしておよそ後半月。
各々個人の訓練と連携の鍛錬は進んでいる様で、それには少しだけの安堵を覚えた。
事前の鍛錬と心構えは何よりも大切だと、わたしは知っている。
この3人を、わたしの命に代えても死なせない。
それだけが、わたしがお姉ちゃんに生かして貰った理由だ。
「改めまして、英雄様方。本日から皆様のサポートをさせていただく、巫女の香取寿葉です。民の為の大変なお役目ですが、共に精進していきたいと思っています。よろしくお願いいたします」
英雄とは、何かを成した人間に与えられる称号。
大神様に選ばれただけでまだ何も成していない彼女たちにその称号が与えられるという意味を、わたしはこう考える。
《命を賭して民を守る事を定められているが故の、人柱としての称号》
だからこそ、わたしはこの3人を絶対に生かす。
その為なら、わたしはどうなろうと構わない。生かして貰ったこの命は、自分ではなく他者の為に使うんだ。
…………だけど、もし望んでいいのなら──
「んふふ、硬いよ~ことりん?も~、私がもっと柔らかくしてあげる~!」
「おっと、それじゃあアタシも!これからよろしくね寿葉さん!」
「ふ、2人ともくっつき過ぎよ!……それはそれとしてこれからよろしくね香取さん!私たちがしっかりと、巫女である香取さんを守るから!」
──どうかこの英雄様達と、一緒に歩んでいく未来を。