第1話 かとりことははそう願う
何もできない自分が、守られる事しかできない自分が、わたしは心底嫌いだった。
敵はとても怖くて強くて、わたしはそんな敵と戦うことすら出来ない。
だからこそ、わたしは彼女たちを支えよう。
だからこそ、巫女としての力を彼女たちの為に全力で使おう。
それこそが、わたしに出来る全てだと思っているから。
△
その日の朝は、特別目覚めが良かった気がする。
「おはようございます綾乃さん」
「ええ、おはようございます寿葉お嬢様。本日も早起きですね」
時間は朝の5時過ぎ。いつも通りの起床時間にちゃんと起きて、自身が寝ていた布団を畳む。
そうして朝の支度をしようと自室を出ると、そこに居たのは優しく微笑む綾乃さんだった。
今井綾乃さん。
この香取家に代々仕えている今井家の人間で、わたし専属の使用人。
それと同時に、この広すぎる香取家の屋敷における使用人たちの長でもある。
幼いころから共に育ってきた15歳年上のこの人は、家族を亡くしたわたしにとって今では唯一の肉親のような存在だ。
「今朝のご予定もお変りはありませんか?」
「はい。神職も今日はありませんし、少し歩いて身を清めてこようかと。そうですね……、朝ごはんは6時30分頃にお願いできますか?」
「かしこまりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
そんな朝のやり取りの後、中庭にある井戸で水を浴び身を清める。
9月にしては温かい気温のお陰で、井戸の冷たい水も心地よい。
巫女としての使命を受けた時からの日課なので、この水浴びも慣れたものだ。
その後は香取家が所有する神社へと数分かけて歩き、そこで30分ほど祈りを捧げる。
早朝の境内には誰もおらず、そんな静かな空間がわたしは好きだ。
そうして祈りを捧げた後は、また数分ほど歩いてお墓参りに向かう。
神歴13年。西暦から移行して間もない500年前に建てられた、慰霊碑用の墓地。
沢山の慰霊碑が並べられたそこに、わたしの両親とお姉ちゃんの名前は連なれている。
“敵”を撃退するため、この出雲という小さな小さな離島を守る為。
その為に命を捧げた人たちを祀るこの慰霊碑たちの中に、わたしの大好きな人たちは眠っている。
「おはよう、お母さん、お父さん、お姉ちゃん。もう夏も終わりだっていうのに、今日は暖かいね」
そんな、なんて事のない会話。
巫女だから、世界そのものである大神様に選ばれた特別な存在だからといって、死者と会話をするなんて事はできない。
そもそも、死者の魂がここにあるのかすらも分からない。
それでも朝のお墓参りを欠かしたことはない。
それが単純に、お姉ちゃんたちがいないという現実からの逃避行為だという事は自分でも分かっている。
だからこそ、そんな弱い自分が、わたしは心底嫌いだ。
お墓参りを終えるとお屋敷へ戻る。
そこで綾乃さんが用意してくれていた朝食を食べて、早朝の流れは終わり。
そこから登校の準備をして香取家の門まで車で移動していると、運転席の綾乃さんから声がかかる。
「本日から飛び級で6年生になるとの事ですが、平気ですか寿葉お嬢様?」
「これも巫女としてのお役目であり、英雄様達を支えるのに必要な事です。この程度、ほんの些事に過ぎません」
この小さな世界を守ってくださっている大神様に変わり、“敵”から民を守る為に戦うのが英雄様。
その英雄様のサポートを日常からする為、本来小学5年生のわたしは今日から小学6年生に飛び級をすることになった。
この現代において巫女は複数人いるが、わたしはどうやら他の巫女よりも神に近いらしい。
それゆえに神託を下されることも多いので、先日決まった英雄様の近くでその神託を伝えるのがわたしの役目。
「……そうですか。ですが、無理はなさらないようにしてくださいね?私は何時でも、寿葉お嬢様の味方ですから」
「はい。ありがとうございます、綾乃さん」
そんなやり取りを終えて、香取家の屋敷の門までついたので車を降りる。
ランドセルを背負いなおして、綾乃さんに一礼して学校へと歩き出す。
わたしなんかには勿体ないくらいの綾乃さんの言葉は、とても嬉しかった。
△
「お待ちしてました!久しぶり寿葉ちゃん!今日から貴方の担任になる、神宮司鈴です!少し前の奉職の時以来ね!」
「はい、お久しぶりです神宮司先生」
わたしが通っている拝神小学校の会議室。
今日からの飛び級にあたって呼ばれていたその部屋に行くと、中で待っていたのは神宮司鈴先生だった。
この拝神小学校に通う生徒達は、両親のどちらかが神職に就いている。
大神様が人に必要なものの全てをお恵みして下さっている神歴513年において、神という文字を拝借しているこの学校はとても格式高い小学校だ。
その為、教員も神職の人間が兼任していることが多い。
黒い長髪をポニーテールに纏めている神宮司先生は、巫女の家系である神宮司家の人間だ。
まだ26歳だっただろうか。その活発な性格は、神職の人間からもこの学校の生徒からの人気も非常に高い。
香取家の巫女であるわたしにこんな砕けた態度で接してくれるのは、神職に関わる人間だと神宮司先生ともう1人くらいだ。
「ん~、相変わらず可愛いわね寿葉ちゃん!寿葉ちゃんなら、ウチのクラスの子達ともすーぐ仲良くなれるわよ!」
「そうだと嬉しいです。ですが、わたしは英雄様のとしてのお役目がありますので、あまり他のクラスメイトの方には時間を割けそうに……」
「だいじょーぶ!英雄のお役目を持った子達もそれ以外の子達も、みんなフレンドリーだから!」
「……そうですか」
わたしが通っていた5年生のクラスでは、程度の差はあれ皆わたしを避けていた。
≪香取家の巫女である香取寿葉は、歴代でも神に最も近い巫女である≫
神職に就いている人間なら当然の知識であるこれは、わたしを避けるには充分な理由だ。
わたしの機嫌を損なえば、などという漠然とした恐怖があるのだろう。
実際には、わたしにそんな力はないのだけれど。
だからどうせ、6年生のクラスもきっと同じだ。だからこそ、わたしは英雄様のサポートというお役目に集中できる。否、集中しなければならない。
英雄様の死はわたし達の死と同義なのだから。
「さ、もうすぐHRね!行きましょうか寿葉ちゃん!」
「はい、よろしくお願いします」
時間はもうじき8時。始業の時間に合わせて、先導してくれる神宮司先生の後ろを歩く。
朝の生徒たちの喧騒は少なく、澄んだ空気の廊下を歩いていく。
現代における英雄様は大神様から選ばれ、巫女たちに神託といった形で知らされる。
英雄様たちは基本10~15歳までの少女が選ばれ、その少女たちは特別な力を得る。
時代によって例外はあるものの、大体は3~6人。
今回の3人の英雄様は、わたしが転入する6年2組に集まっている。
わたしは彼女たちの基本の情報は知っているものの、1人を除いて話した事すらない。
「よし!それじゃあ、私が呼んだら入ってきてくれる?そこから自己紹介の流れで!」
「はい、ありがとうございます」
そう言って、神宮司先生が中に入る。
中からは楽しそうな年上の生徒たちの声が聞こえてきて、少しだけ緊張している自分に気づいた。
「それじゃあ寿葉ちゃん!入ってきて~!」
神宮司先生のそんな声が聞こえてきて、表情を引き締めて教室へ入る。
中に入ると、クラスメイト達の好奇の視線が集まるのを肌で感じた。
そんな視線には慣れっこではあるけれど、やっぱり気持ちのいいものではないかな。
「はじめまして皆さん、香取寿葉と申します。本日からこのクラスで、皆さんと一緒に勉学に励ませていただく運びになりました。何卒、よろしくお願い致します」
▽
これは3人の英雄様と1人の巫女の物語。
神の諍いに巻き込まれた人間たちにとっての希望の光を持った、少女たちの物語。
そんな使命を持っていても、神に選ばれた少女たちは願う。
いつまでも友達と、大好きな人達と一緒にいれますように。
そんな当たり前の幸せを。