39話「ラピスラズリは今際に煌めく」
「いいか、仁。」
「なに? 兄ちゃん。」
「人にはな、自分の力ではどうしようもない時がある。
そういう時、どうしたらいいか分かるか?」
「うーん………分からない!」
温かい大きな手が、ぼくの頭を優しくなでる。
「そういう時はな、人を頼るんだ。」
「兄ちゃんを頼ればいいの?」
兄の手が一瞬ぴくりと止まる。そして再び動き出す。
「いや、兄ちゃんだけじゃなく、皆を頼るんだ。」
「どうして?」
「……いつまでも兄ちゃんが
仁と一緒に居られるわけじゃないからな。」
「……ふーん。」
頬を膨らますぼくに兄は苦笑いする。
「大丈夫。きっと仁が思っている以上に、
仁を助けようとしてくれる人はたくさん居るよ。」
兄がぼくをぎゅっと抱きしめる。
「だからね、仁。忘れちゃいけないよ。
人に助けてもらったら、『ありがとう』だからね。」
「うん!」
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――JEC本部 地下 審議の間
「微分は手加減はできないから、全力で行くよ。」
筋骨隆々の大男・明空王羅は組手構えをする。
明空が腕で十字を切ったその刹那に放たれた強烈な殺気。
この場に居るだけで絶えず閉塞感と絶望感が襲いかかる。
何故かは分からない。だが本能が訴えている。
『この男だけは絶対に相手してはいけない』と。
蝶野楽はあれこれと思案を巡らせ、
半狂乱になり、目に涙をため、過呼吸を引き起こす。
「楽! 動け!!!」
その時、先に動いたのは明空王羅だった。
繁芸獏の忠告が楽の耳に届く頃、彼は既に目の前に居た。
「―――――ッ!?」
身の入った重々しい一撃が、楽の首に当たる。
鋭い一撃だ。喉を貫くような激痛で声が出せない。
「野郎!!!」
獏が銃を連射するが、あまりにも速い拳で弾かれる。
そして瞬き1つの間に明空は獏の元へ移動。
力強い蹴りにより拳銃は破損し、腕が衝撃で痙攣する。
獏が状況を理解するまでの僅かな間に、
明空王羅はもう次に繰り出す攻撃の準備をしている。
獏にとって、その拳はひどくスローモーションに見えた。
だが、それは逆転の兆しだとか覚醒の予兆だとか、
そういった希望溢れるようなものでは到底なく、
ただ単に、拳が届くまでの恐怖を増大させるだけだった。
その衝撃は脳を揺らし、激しい痛みをもたらした。
続いて動いたのは蝶野楽だ。
だが明空王羅の反応速度は並々ではない。
考えるよりも先に右足を繰り出した。
……だが、その蹴りの矛先は楽ではない。
「(何だこれ!? 身体が勝手に……!?)」
それはペンダントだ。青い結晶のペンダント。
中に白い何かが封じられていることを除いて、
なんの変哲もないただのペンダントのはずなのに、
微分はこのペンダントから目が離せない!!!
「(目立! ありがとう!!!)」
目立益世がくれたペンダントのお陰で、
明空王羅が無防備になるという千載一遇の好機が訪れた。
俺は暴力を振るうのが大嫌いだが、
ここでコイツを倒さないと、俺たちの命が危ない。
「ごめん。ちょっと痛くするぞ!」
「…………!」
楽は【変容】で硬化した拳を明空に放つ。
だがその瞬間、楽の背筋が凍るほどの殺気が放たれた。
まただ。また身体が言うことを聞かない。
拳がこれ以上進まない。身体が震えて攻撃できない。
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明空王羅
能力:【ムードメーカー】
体表から特殊なフェロモンを分泌し、
周囲の人間の共感性を刺激し、意のままに雰囲気を操る。
場の雰囲気に呑まれやすい人ほど効き目が強く、
また彼自身も作り出した『雰囲気』の影響を強く受ける。
元々、この能力は幼少期の彼が
冷めきった両親の仲を取り持つために発現した。
今 彼が放っている『強者の雰囲気』は、
味方に対してこれ以上ないほどの信頼感と安堵を与え、
敵に対して身の毛がよだつ程の恐怖を植え付ける。
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本当に嫌になる。どうして俺はいつもこうなんだ。
肝心な時。動かなければならない時に限って動けない。
「(………畜生ッ!!)」
迫りくる拳を見つめながら、そう俺は心中で叫ぶ。
その時、頭の中である言葉が思い出された。
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汝は、我を打ち倒した以上、
地球上で最も勇敢な男で無くてはならない。
人一人殺した程度で狼狽えるような男に、
我は殺されるつもりはないのでな。
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そうだった。向田ミルに言われていたんだった。
ここで死んだらハンマーで百万回叩かれる。
『そもそも君は死なないだろう。』
「そうでした。」
「!」
蝶野楽が明空王羅の拳を受け止める。
「もう止まらねェ!!!」
借用した能力【神風】を身に纏い、
楽の蹴りが明空の胴体に当たる。
しかしそのあまりの硬度に傷1つつけられない。
「硬ェな!!!」
「鍛えてるからね!!!」
肉弾戦。だが力量差は月とスッポン。
一歩間違えたら致命傷。しばらく動けなくなる。
でも、それは諦める理由にはならない。
立ち止まる理由になどなりはしないのだ。
ここまで来た理由はただ1つ。
『奪われた大切なモノを取り戻す。』それだけだ。
「(何故だ。何故ここまで抗える。)」
だってそうだろう。ぼくの能力によって、
全世界に嫌われたのにも関わらず、諦めない。
人とは脆い生き物だから、
孤立無援の状況では失望して何もできないはずなのに。
簡単に、スケープゴートとして運用できるはずなのに。
なのに、どうしてこんなにも抗えるんだ。
こんなに追い詰めてもまだ希望を見出せるなんて、
並大抵の胆力ではない。常軌を逸している。
こんなんじゃ、まるで、
まるでぼくの能力が彼の意思に負けたみたいじゃないか。
「(……もういいや。変えよう。)」
爪弾並人は拳銃を懐から取り出し、楽に向けて構える。
「(殺して、変えよう。もっと、楽なやつに。)」
爪弾並人は明空王羅を一瞥し、せせら笑う。
「(別に誰がツマハジキモノにされたって構わない。
最終的にぼくが幸せだったら、何も問題は無い。)」
「す………すごいなあ……。」
私は、最早何もすることは出来なかった。
あの大男の蹴撃のせいで、せっかくの拳銃が破壊されてしまったからだ。
…しかも、まだ身体が痛くて起き上がれない。
楽だって辛いはずなのに、よく戦えるなあ。
……眩しいなあ。
私もあのくらい力が強かったらなあ。
その時、銃を構えた爪弾並人が瞳に映る。
私はすぐに状況を理解し、考えるよりも早く動き出した。
「(彼は恐らく、楽を殺すことによって
また別の人を犠牲にし、やり直すつもりなんだ。)」
恐らくコイツは、記憶に多少干渉できる。
楽に関する記憶が所々薄れているからだ。
1つ覚えているのは、私が彼によって救われたということ。
この事実だけは決して忘れはしなかった。
――その理由が、今 分かったような気がした。
「今日までありがとう、楽。安らかに眠れ。」
爪弾並人が引鉄を数度引く。
弾は空を切り、蝶野楽の元へ突き進む。
ところが、途中その弾道が大きく曲がる。
その道筋の果てで、繁芸獏が腹部を撃ち抜かれた。
ここまでの一連のプロセスを得て漸く発砲音が聞こえる。
そして、ここで蝶野楽と明空王羅は状況を認知する。
まるで、空気が凍りついたようだった。
脳が理解を拒んだ。だが、部屋中に広がる鉄の臭いが、
目の前で力無く横たわる繁芸獏の姿が、
激しく脈打つ心臓の鼓動が、表皮を流れる嫌な汗が、
そのすべてがそれが現実であると知らしめた。
蝶野楽は急いで繁芸獏の元へ向かった。
獏の手にはヒビの入ったネックレスが握られていた。
それは獏が楽を庇ったことを意味していた。
「どうして!?」
「さあねえ。知らないよう。身体が勝手に動いたんだ。」
俺はひどく動揺していた。冷静じゃなかったと思う。
もっと掛けるべき言葉があったはずなのに、
頭ん中が真っ白になって、もう訳が分からなくて。
「なんでだろうねえ。
君が丈夫だって、分かっていたはずなんだけどねえ。」
「獏!」
俺の中に、どこか事態を冷酷に見ている自分が居た。
『何故悲しむ。そいつはお前を殺そうとした敵だ。』
残酷なほどに冷たい声でそいつは言った。
だが答えは自ずと見つかった。
獏の姿が、両親の亡骸に重なって見えた。
それはきっと、彼を知っていたからだ。
俺は彼の生涯をすべて見てきた訳では無い。
だが、何故彼が過ちを犯すことになったのか、
その発端を俺は知っていた。体験していた。
同情? 憐憫? そんなチャチなもんじゃない。
言葉ではとても形容できないどデカい感情が、
俺の中で渦巻いているのを感じた。
「……きっと、重ねていたんだろうねえ。」
「え?」
声が、熱が、鼓動が、刻一刻と失われていく。
「私は、自分で思っていたよりも、ずっと、
君のことを、大切に思っていた、らしい。
……多分、ハルと同じくらい。とっても、ねえ。」
獏の細い腕が、俺の髪に触れた。
そして、ゆっくりと下降し、頬を撫でた。
「君は、こんな、私のために、泣いてくれるんだねえ。」
途切れかけた息を必死に繋ぎ止めて、
最期にできるだけ息を吸って、口角を上げ、一言。
「ありがとう。」
「……! いや、こちらこそ――」
『こちらこそ、助けてくれてありがとう。』
そう言おうとした頃には、獏の目はもう虚ろになっていた。
獏の腕がぱたりと地面に転がった。
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――JEC本部 地上20階 無敵浩作の個室
『パキ』
「ああ!? 私の2番目のお気に入りの猫ちゃんマグカップが!!!」
鬼無瀬ロガの持っていたカップの取っ手が砕け散る。
「すまない。力が入りすぎた。」
「力が入りすぎるって何だ!?
力慣れしていない戦闘民族の生き残りか君は!?」
無敵がキレッキレのツッコミをしている様を、
3人の部下が見守っている。
「あー、あー、何やってんスかもう、ウチのボスは。」
御門移は呆れたように吐露する。
「まあ失敗は誰にでもあるもんじゃ。
わざわざ外からとやかく言うことではあるまい。」
井寺伴助は愛刀の手入れをしながら適当に返事する。
「うーん……」
「どうしたんじゃ桜紗、やけに眉を顰めて。」
世変桜紗は尻尾を垂らしてずっと唸っていた。
「やっぱりロガ、ちょっと無理してるよね。」
「そうか? いつも通りに見えるんじゃがのう…。」
「・・・・・。」
その時、ロガの近くのテーブルの上に、
手のひらサイズのプレゼントボックスが出現する。
それを見て、3人の部下の顔色が明確に曇る。
ロガは急いで包装を解く。
中には何の変哲もないただの石が入っている。
そしてそれを握りしめると、数秒沈黙する。
「作戦変更。今すぐに地下50階に向かうぞ。」
「はい!」「はいはい。」「承知。」
ロガは態度を切り替え、早急に行動を開始する。
「無敵浩作。話し合いは終わりだ。
“超次元エレベーター”を再起動してくれ。」
「先程言っていたコンテニューがこれか。難儀なものだ。
安心したまえ。君たちが使った後は誰にも使わせない。」
「感謝する。」
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――JEC本部 地下 審議の間
腹の奥から、どす黒い感情が湧き上がる。
炎のように熱く、身体の内側にねっとりと張り付くような、
耐えがたい「不快感」と「拒否感」の無限の往来。
視界がどんどん縮小し、周りは最早何も見えなくなる。
これは、あの時の感覚にひどく似ている。
円谷大に両親を惨殺された時の、
まるで怒りが大量の蛆となって皮膚を突き破りそうな、
あるいは全身の穴という穴から復讐の炎が吹き出しそうな、
思い出したくもない、だが忘れてはいけないあの感覚。
――大切な人を失う感覚。
「爪弾並人。」
蝶野楽は中身が抜け落ちたようにふらふらと、
燻ぶっている煙ようにゆっくりと立ち上がった。
「爪弾並人。」
足先がこちらに向く。
「爪弾並人。」
それは静かにこちらへ歩き始める。
「待て! ここから先へは――」
明空王羅が立ち塞がるが、いとも容易く転倒させられる。
「(なに、この力!? 身体が痺れて動かない。
まるでさっきとはまるで違う。別人になったみたい。)」
明空王羅は動けない。呼吸はどんどん荒くなる。
「並人。逃げ……!」
「爪弾並人ぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
蝶野楽が爪弾の元へ駆ける。
まるで野分の風のように、破竹の勢いで直走る。
楽の右手が爪弾の喉笛を搔き切らんとするところに、
またしても横槍が入る。
「貴様にはもう誰も殺させない。」
「天馬正和!!!!!」
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