26話「 I choose you. 」
蝶野楽が進むのは、不潔としか言いようがない、
薄暗くてジメジメした不吉な路地裏。
あちらこちらから生物が蠢く音が聞こえ、
それらに由来する悪臭が漂っている。
「(ああ……一刻も早く立ち去りたい。)」
何もないことを確認したらとっとと帰ろう。
「なあ…進むのやめない?」
「グルルルルルル!!! ワンワン!!!」
「はいはい、そーですか…。」
説得虚しく、デストロイヤー鈴木は止まらない。
暗い足元をスマホのライトで照らしながら、
一歩一歩確実に進んでいく。
“見える”ことは一見安心を生むが、
逆に“見える”せいで不幸になることもあるわけで、
最中、何度か“見たくないもの”と遭遇した。
そして、俺はアイツと出会った。
「ワン! ワンワン!! グルルルルルル………」
「ひ、人……?」
はっきり言って、この時の俺はひどく動揺していた。
まさかこんな不潔な場所に人が居ると思わなかったからだ。
彼は、大きめの黒いコートを羽織っていた。
顔を見られたくないのか、フードを深く被っていた。
運動直後なのか、疲れた様子で、肩で息を吸っていた。
「あの、だ、大丈夫ですか?」
「………………ろ。」
「す、すみません。声が聞き取れなくて…」
「眩しいから光を弱めろと言っているんだ!!!」
「あっ!! す、すみません。」
声が幼い。俺より年下? どうしてこんな所に?
「あ、あの…」
「どうせ嗤っているんだろう?」
「……え?」
「もしくは、気持ち悪いと思っているんだろう?
ぼくには分かるんだ。それが真実だから。」
「いや…そんなこと…」
「善人ぶってんじゃねーよ偽善者が。
お前みたいに中途半端に人に優しいやつが、
ぼくは世界で1番嫌いなんだ!!!」
今にも泣き出しそうな声で、男は叫ぶ。
「ご、ごめん……。」
「……出てけよ。ここから。
もう二度とここに近づくんじゃねー。」
俺ははっきり言って怖かった。
彼から得体のしれない悍ましさを覚えていた。
だからここはすんなり引くことにした。
…もしもここで取る選択が違えば、
また違う未来があったかもしれないが、
この時の俺にはそれが精一杯だった。
路地裏を抜けた俺は、デストロイヤー鈴木に問う。
「お前、何がしたかったんだ?」
「クーン?」
「いや『クーン?』じゃなくて…。はぁぁぁ。」
「何なんだ……何なんだあいつは……。
何も悩みが無さそうで、幸せそうで、
そのくせ他人の心配をしやがって……!
てめーがどうにか出来るわけじゃねークセに!!!」
男は 枝豆のような黄緑色の髪の毛を掻き毟る。
「………そうだ。」
男はビルとビルの間から覗く青空を見上げる。
「丁度いい。彼に決まりだ。」
男はぴしゃりぴしゃりと光さす方へ歩きだす。
路地裏を出ると案の定、
研いだばかりの包丁のような視線に充てられた。
皮膚がかゆい。破り捨ててしまいたい。
だがこの苦しみも、あと少しで治まるのだ。今は我慢。
右手で輪を作り、あの男を探す。
犬を連れていたから、すぐに分かった。
ぼくはしっかりと狙いを定めて、
拳銃の引き金を引くような気持ちで指を差した。
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嫌われてしまえ。
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唐突の悪寒。
一種の殺気のようなものを、俺は感じ取った。
たった1つのちっぽけなそれが、
たちまち全世界に広がるような感覚を覚えた。
「俺……何をされた?」
俺はその日、勘が優れていた。
だからその違和感をいち早く感じとることができた。
皆が俺を見る目が今までとまるで違う。
無論『好意』ではない。だが『無関心』ではない。
それを一言で表すとするなら、――『敵意』。
『ドンッ!』「痛ッ……。」
「なぁーに立ち止まってんだボケッ!!!」
「す、すみません……。」
「……チッ。」
辺りからクスクスと笑い声が聞こえる。
最初は幻聴かとも思ったが、そうではないらしい。
そのベクトルは間違いなく俺に向けられていた。
「(何かがおかしい!!!)」
アズマシティに暮らす人々はそこまで性格は腐ってない。
俺は今、何かとんでもない影響を受けている。
「……あれ?」
握っていたはずのリードが無い。
デストロイヤー鈴木はある方向を目指して駆けていた。
「ま、待て!! デストロイヤー鈴木!!!」
デストロイヤー鈴木を見失ったらまずい。
そう思って俺はその後を追いかけた。
やがて、俺は男に再会した。
デストロイヤー鈴木は男に対し尻尾を振っていた。
「犬って、懐いてくれるとこんなに可愛いのか。
まったく知らなかったよ。いいこと知った。」
黒いコートを着た彼は犬ころを撫で回す。
「はぁ……はぁ……お、お前、俺に、何を……!?」
「……決めつけはよく無いんじゃない?」
楽の問いに男は見当違いな返答をする。
「でも、お前の判断は正しい。
今までのやつとはわけが違うらしいな。」
犬を抱きかかえ、笑みを浮かべながら男は言う。
「ぼくは…『爪弾並人』。そう名乗ることにしている。
ぼくは君に『とっても素敵な魔法』を掛けた。」
「どういう意味だ!?」
爪弾はやれやれと口ずさみ答える。
「ぼくが指を指す。
そしたらお前は、全世界から嫌われる。」
「な、なんてことしやがった!!!」
「まあまあ落ち着けよ。」
「は?」
「分かるよ。お前は偽善者だ。
人の役に立つことが さぞ好きなのだろう?
だから役目を与えてやったんだ。
ぼくの代わりに全世界から嫌われるという役割を。
良かったね。これでぼくの役に立てるよ。」
「俺は、そんなこと望んでねえ!!!」
「…お前が言ったんだよ。『大丈夫ですか』って。」
「・・・!」
爪弾が苛立ちを露わにする。
「お前はぼくを助けるつもりで声を掛けたのだろう?
それともお前は、ぼくを心配するだけして、
みすみす何もせずに立ち去るつもりだったのかい?
それは、『可哀想可哀想』とか言って
自分では何もしない傍観者と何が違う?同じだろ?
なら、反省して少しはぼくの役に立つといい。」
「そんな勝手な……!」
男が回れ右して歩き始める。
「さようなら。
死に際には会いに来てあげるよ。」
「おい!!!」
まずい……!ここで見失ったら!もう…!
『楽! 上!!!』
「!」
上から降ってきたのは、大剣を構えた白髪の戦士。
「う、嘘だろ……、なあ……!」
『蝶野楽、落ち着け、深呼吸だ!』
「ああ、言い忘れていたけれど。」
男が振り向いて言う。
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これからは、世界の全てがぼくに味方する。
それとともに、全世界がお前に対して牙を向く。
こんな風にね。
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「天馬さん!! なんで!!」
「……馴れ馴れしく呼ぶな。大罪人が。」
「えっ………。」
「中にはお前を嫌いになれない変わり者もいるだろう。
だからそういうやつらは多少記憶が改竄されている。
説得は無駄だ、とぼくから優しいアドバイスだ。」
「くそったれッッッ!!!」
戦いたくない。俺は知っている。
天馬さんの人となりを、俺は知っている。
もしこの人が正気に戻った時、どう思うのか。
だから、絶対に今は傷つけられちゃいけない。
『おい! ナメたこと言ってると死ぬぞ!!!』
「うるさい!!! カシ! お前に俺の何が分かる!!!」
『・・・・・。』
クソ。こんなケンカしてる場合じゃないのに。
どうしたらいい?
爪弾を倒す……最悪、殺せばこれは解除されるだろうか?
だとすると、ここでチャンスを逃せば、
俺は一生 皆から嫌われたまんまになっちまう。
でも、アイツに近づくには天馬さんをどうにかしないと…!
「【ラックアンラック】!」
「!?」
爪弾並人の能力の借用。
これで能力を分析して、あわよくば解除を……。
『それは悪手だ……楽……。』
「なんだ……これ……。」
嫌だ。嘘だろ? 信じない。きっと嘘だ。勘違いだ。
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能力【爪弾】。
指を差した対象に、自身に集まっているヘイトを転嫁する。
この効果は、たとえ能力者本人であっても解除できず、
ヘイトの対象者の命尽きるまで、効果は永続する。
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俺は半ば錯乱しながら、
遠くに見える爪弾並人を指差す。
その姿は、それはもう滑稽に、彼の目に映ったことだろう。
「嫌われろ!嫌われろ!嫌われろ!
戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ!戻れよ!戻ってくれよ!
お願いだから…一生のお願いだから……。
代わりにどんな罰を受けても構わないから。
このままずっと嫌われて生きていくなんて、
俺は、クソ……! 耐えられないよ……!」
不運な少年の叫びを、道行く人は誰も気に留めない。
「直伝・【箱…」
「(これを食らったら確実に詰む!)」
恐らくこれは、かつて薄衣衒との戦いで
天馬さんが使っていたものだ。
そして効果は、箱根遷太郎と似ている…というかほぼ同じ。
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彼の能力は【箱詰】。
至近距離にいる対象を【箱】に閉じ込める。
中からは開けられず、外からは壊せない。
制限時間は約2時間しかないがな。
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恐らく天馬さんはコピー能力が使える。
『直伝』……直接教わることに意味があるのか?
まあそれは置いておいて、
あの時 湊から受けた説明が正しければ、
この能力の対象外となるには…………。
――全力で天馬さんから離れればいい!
(尚、ここまで0.01秒。)
蝶野楽は空気を【変容】させて上空に逃れる。
「無詠唱は初めてだから賭けだったが、
割となんとかなるもんだな……。」
『(こいつ……戦いの中で急成長している……!)』
「・・・・・。」
天馬正和は爪先をトントンして飛行する。
「そういえば、こいつ空が飛べるんだった!!!」
『どうする気だ楽!』
「直伝・【箱詰】。」
『………何故無事なんだ?』
「(こうなること、もちろん予想してたさ。)」
これは【変容】による光の屈折を利用して、
天馬さんに俺の所在を誤認させるという戦略。
今 天馬さんが俺だと思って【箱詰】したものは、
ただの空気のかたまりだ。
『(こいつ、戦闘の時だけ妙に頭が良いな。)』
「今、すげー失礼なこと考えてない?」
『いや、まったく。』
だが、ここで痛恨のミス。
「あっ……。」
『なんだ?』
「着地のこと考えてなかった。」
『……馬鹿野郎!!』
『ゴキッ』
蝶野楽の肉体は落下のエネルギーに耐えきれず、
割れたくす玉みたいに中身をぶち撒けてしまった。
『治すの誰だと思っているんだ?』
「大変申し訳ありません。」
幸い、突然できた血溜まりに、
天馬さんは気づいていなかった。
「セーーーーフッ!!!」
『アウトだろ。』
耳!
「ひとまず、脅威は去ったな…。」
何はともあれ、最悪の事態は避けられたわけだ。
爪弾並人には逃げられたが、
まだ【偶然を必然に変える力】によるワンチャンが狙える。
ワンチャン……ワンちゃん……。
「あ、デストロイヤー鈴木。どうしよう。」
『大丈夫だろう。動物には帰巣本能がある。』
「そういう問題じゃ……いや、今は目先の問題だよな。」
『うん。』
当面の目標はこの呪いを解く方法を見つけること…。
「カシの力でどうにかできないかな?」
『無理だ。、楽のヘイトというのは、
他者から向いてるものだから、
一人一人触れて治す必要があるし、
そんなことをしていたら蝶野楽が先にくたばる。
しかも、あの爪弾並人の発言が正しければ、
ヘイトを【変容】で解いても記憶は改竄されたまま。
そもそも【爪弾】の原理自体、難解で不可解だし、
集合的無意識の領域に干渉している可能性すらある。
よって使うことはオススメできない。』
「言葉が難しくてよく分かんないけど、
要するにカシの力不足で無理ってことだな?」
『なッ! う………うーん……あぁ………、うん、そうだ。』
「分かった。」
ならば、今 俺にできる最善の行動は……。
✆) ) )
『はい、もしもし…』
「俺だ!蝶野楽だっ!!!」
『……どなたでしょ…う?』
「蝶野楽だ!!! お前の友達!!!」
『すみま…せんが、そ…んな名前は…存じ上げません。
いたずら電話は……やめて…いただきたいのですが…』
駄目か? …いや、様子がおかしい。
電話から聞こえてくる声は途切れ途切れで、
今にも消えてしまいそうなほど脆く感じる。
――まるで、泣いているみたいだ。
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―― 一元湊の事務所
「うッ…………ぐッ………あ゛あ…………!!!」
一元湊は滝のように汗を流し、
声を震わし、目を泳がせ、頭を抱えていた。
一元湊の【情報掌握】は、
記憶の収集と記憶がセットになっている。
なので、余程のことがなければ忘れることはない。
勿論、記憶が改竄されている場合は例外だが。
…だがその例外を打ち破るのは、人の思い。
人格を構成した強い記憶。忘れたくない記憶。
そういった記憶は忘れにくいか、思い出しやすい。
そのせいで今の一元湊は、
2つの矛盾する記憶に板挟みになり、
絶賛 大混乱を引き起こしていた。
電話は湊から背後の人物へと渡った。
「もしもし。聞こえているかな?」
『えっ……誰?』
「忘れてしまったかな? 数週間ぶりだね。」
『……ま、まさか。』
「そう、私は鬼無瀬ロガ。助け舟を出そうか? 楽。」
⇐ to be continued