正解の道(1)
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わたしが小学校の低学年だったころ、下校の途中で迷子になったことがある。正門を出てすぐの曲がり角を左に曲がるべきなのに、なにを思いついてしまったのか右に曲がった。心赴くままに知らない道を歩き続け、気が付いたときにはすっかり迷子になっていた。
いまとなっては、あのとき感じた恐怖を鮮明に思い出すことなんてできやしない。それでも、しばらく彷徨ったのちに見つけたファミリーマートで、いざお母さんに電話をしようとしたとき、迷子からの脱却に対する安堵よりも強い焦りを感じたことはよく覚えている。怒られたくない。その一点の感情が強硬突破して、口から零れ落ちた言い訳は「道を間違えた」だった。
スーパーのパートを抜け出してファミリーマートまで迎えにきてくれたお母さんは、あきれ顔でため息をついた。たぶん、幼稚な嘘は見抜かれていたと思う。
「こむぎ。もう道を、選択を間違えちゃダメだからね」
そう、あの日の過ちは正門を出て右に曲がったことだ。左に曲がる選択をしていれば、迷子になることなんてなかった。左ではなく右が正解の選択肢。ただ、それだけのことだった。
人生は選択の連続である。たくさんの分岐点に立ち、そのたびに選択を強いられ、自らの意思の有無にかかわらず、わたしたちは選択を繰り返す。もう心が赴いたほうに進むなんて馬鹿な真似はしない。正解の道だけを進み続ける。そうすれば迷子になんてならないし、危険な道にも辿り着かない。
はじめての大きな分岐点は中学受験だった。わたしは周囲の友だちと同じように公立の中学校に進学したかった。だけど、お母さんは塾で受験した模試の結果とパンフレットを前に言う。
「中高一貫の私立なら付属大学があるし、指定校推薦で良い大学も狙える。だからね、選択は間違えちゃダメよ」
あのころ、お母さんの言うことは絶対で、その言葉が出た時点で公立中学校への道は侵入禁止になった。強制的な選択で、わたしは中高一貫校に進学した。入学後は文芸部の活動に傾注し、それなりの成績を維持したまま高等部に進学する。友だちにも恵まれて、それなりに充実した学生生活だった。それに、大学受験では指定校推薦を利用した。
いま振り返ってみると、中学受験は正しい選択だったのだと思う。高校受験や大学受験で涙を流した友だちを見てきたから、なおさらに。
お母さんは道標で、道路交通法だ。進むべき道を教えてくれる。
そして、必ず守らなければならない――
それが迷子にならないための、唯一にして最善の選択だとわかっているから。