第4話 世間知らず
「まさか……落とされるとはね……」
エデルヴィスの街が見渡せる高台で、遥か彼方の水平線を眺めていたオルタンシアは大きな溜め息をついて手すりに突っ伏した。
見たことのない幼なじみの酷い落ち込みっぷりに、ロゼがそれ以上に落ち込んでいられる雰囲気はない。
「俺も予想外だった。絶対落ちないって聞いた気がしたんだけどな……人生って甘くないんだな」
ロゼのボヤキを聞いてオルタンシアはまた溜め息をついた。
夕日に照らされてキラキラ輝く海はとても綺麗だ。その美しさと海の果てしない広さを見ているうちに、ロゼの落胆した気持ちは不思議と楽になっていった。自分の悩みなどこの大きな海の前では大した事はない。純粋な心を持つロゼは、大自然の偉大さにそう感じさせられた。
「オルタンシア。俺は別の街の冒険者ギルドに行って登録してこようと思う。お前も来るよな?」
前向きな発言をしてオルタンシアへも勇気を与えようとしたが、オルタンシアが突っ伏したまま顔を上げない事にロゼは首を傾げた。
「……お金は?」
「あ……」
オルタンシアの言葉にロゼはようやく事の重大さが分かった。
先程、ローズドゥノエルで登録料として支払った金貨10枚。不合格になり半額が戻って来ても、残額では2回目の冒険者登録はできない。ロゼもオルタンシアも、所持金は金貨5枚と銅貨が10数枚ほど。これでは冒険者登録ができないばかりか、食料の購入や宿に泊まる事を考慮すると数日で使い切る。冒険者登録さえできれば生活には困らないはずだった。だが、そのプランは呆気なく崩れ去った。
冒険者としての収入がなければ、孤児院を出たばかりの金のない2人にはそもそも生きていくのも困難なのである。
「お金……お金か……」
ロゼにそこまで考える頭はなかった。だがオルタンシアはそれを考えた上で落胆していたのだ。言われてようやく気付く。仕事もない。つまり稼げない、詰みの状態。
「女神様、どうかこの哀れな私たちをお救いください……」
手すりに突っ伏したままのオルタンシアが生気のない今にも消え入りそうな声で呟く。
「女神様が本当にいるなら、救って欲しいな。今がまさに俺たちの窮地だよ」
──今はその時ではありません──
「え?」
ロゼはオルタンシアの方を見て首を傾げる。
「オルタンシア、今なんか言った?」
「何にも」
「そうか」
女の声が聞こえた気がしたが、確かにオルタンシアの声ではなかった。周りには女性の通行人は何人かいるし、きっと通行人の声だろう。
「孤児院にいた頃は、お金になんか困らなかったのにな。孤児院から出た途端にその必要性を痛感することになるとは……」
「そうね」
「こうなりゃローズドゥノエルの職員として雇ってもらって金を貯めて、冒険者登録料が貯まったら別の街のギルドで新たに登録するってのはどうだ? もうメゾン=アデライドには戻れないんだし」
正確に言うと、「戻れない」のではなく、「戻りたくない」だ。
わざわざパーティーも開いてもらいお別れもして来た。テオにはしばらく会えないからと言って来てまだ1日も経っていない。ここで戻ればあまりにも情けないではないか。冒険者になろうとする者が、この程度の苦難に負けていては話にならない。だから、もう戻るという選択肢はないのだ。
「職員……私もロゼもキッパリ断ったじゃない。今更どんな顔して行くのよ? あの面接官に笑われるわよ。それに、あそこで職員をやったら、きっと一生働かされる気しかしないわ」
生気のないオルタンシアの冷静な言葉に、ロゼも同じく手すりに突っ伏した。
「それもそうだな……俺たちは職員じゃなくて、冒険者になりたいんだからな」
「そうだよ」
「クソっ! カネが欲しい! カネがないと何もできない!」
悔しそうに嘆きながら手すりをゴンゴンと殴るロゼ。
18歳の社会を知らない子供が、いきなり冒険者の世界へ飛び出すのはあまりにも早かったという事なのだろうか。
「キミ達、新米冒険者?」
不意に背後から掛けられた声に、ロゼとオルタンシアは驚いて振り返る。
そこには、黒髪、色黒のチャラそうな感じの男が立っていた。その男はかなりの長身で、腰に剣を挿し、それなりの装備を揃えているところを見ると、どうやら冒険者のようだ。
「いえ、まだ冒険者にもなっていない一般人です」
ロゼが悔しそうに答える。
一方のオルタンシアは口を真一文字に結んでダンマリを決め込んでいる。
「そっかそっか、実はさ、通りすがりで少し話が聞こえちゃったんだけど、キミ達お金がなくて困ってるんだって?」
「そうなんです。お金なくて冒険者登録できないんですよ。まさかローズドゥノエルで面接落とされるとは思いませんでしたよ」
「マジかよ、冒険者面接ってキミ達みたいな真面目そうな子でも落ちる事あるんだな。初めて聞いたよ」
「ですよね。初耳ですよね。はは」
ロゼは無理やり笑ってみせる。
「まあ、冒険者ギルドなんてこの世界にたくさんあるんだ。この街じゃなくてもいくらでも道はある。カネの問題だけなら俺が力になってやってもいいぞ?」
「力になるって……? どういう事ですか?」
「ここだけの話、俺のスキルは金属を増やす事ができるんだ。だから銅貨はもちろん、金貨や銀貨も増やす事ができる」
「え!? それ、本当ですか?」
「ああ、本当さ。見ててご覧」
そう言って男はポケットから取り出した金貨を手のひらに乗せると、もう片方の手で金貨に蓋をするように覆った。
そして再び男が手をどけると、そこにあった金貨が2枚に増えていた。
「すっげぇ! 本当に金貨が増えた! って事は、お兄さん超大金持ちじゃん!?」
「自己紹介がまだだったな。俺はクラウディオ。信じてもらえたなら、喜んで協力するよ? ……えっと」
「俺はロゼって言います。こっちは俺の連れのオルタンシア」
「そうか、ロゼ、オルタンシア。今2人の手持ちはどのくらい?」
「今お互い金貨5枚と銅貨が少しずつ……」
「なら2倍にすれば冒険者登録はできるな。良かったらちょっと袋ごと貸してくれない?」
親切にロゼとオルタンシアの所持金を増やしてくれると言うクラウディオ。迷う事なくロゼは自分の金の入った袋を差し出す。
──が、所持金の入った袋を持つ手を、オルタンシアが掴んだ。