第2話 冒険者ギルド『ローズドゥノエル第8支部』
エデルヴィスの市街地まで来るのは初めての事だった。普段は孤児院メゾンアデライドの敷地内で生活する事がほとんどで、外出したとしても、いつも向かう先は同じ、すぐそばの公園や数軒の小さな商店くらいだ。
メゾンアデライドを出て独り立ちしたロゼとオルタンシアにとって、少し離れた市街地に行くだけでも冒険と言っても過言ではないくらい新鮮な体験だった。
徐々に増えてくるオシャレな建物。街の外れから中心に来るだけでこんなにも世界が違うとは……と、2人は目を輝かせた。
メゾンアデライドを出発して途中休憩を挟みながらゆったり歩くこと約4時間。ようやくエデルヴィスの市街地に到着した。
少し高台になっている市街地からは、観光名所である白く輝く美しい砂浜が一望できる。風に運ばれる潮の香りが、瞳を爛々と輝かせる2人を益々昂らせた。
「見て見て! ロゼ! 海だよ海!」
綺麗な石畳の道の脇にある手すりに両手を置き、オルタンシアは綺麗な赤い髪を揺らしながら幼子のようにはしゃぐ。
メゾンアデライドは海の見えない木々に囲まれた場所にあったので、自分の住む街の観光名所である浜辺も海も2人が見るのは初めての事だったので感動は一入だ。
「オルタンシア、冒険者ギルドの登録が終わったら行ってみようぜ!」
オルタンシア同様にロゼもテンションが上がり興奮を抑えきれず、手すりから身を乗り出し眼下の海を眺めた。
そばを通り過ぎる人々は、2人の初々しい様子に皆微笑みを浮かべる。
「よーし! それじゃあ早くギルド行こ! ギルド!」
楽しそうにオルタンシアは拳を振り上げロゼを急かす。
「そうだな! ローズドゥノエルの場所は……向こうだ!」
近くの案内板を確認すると、ロゼはオルタンシアを引き連れて、冒険者ギルド『ローズドゥノエル』へと休憩も挟まずに意気揚々と歩いて行った。
若い冒険者志望の2人には4時間も歩いて来た疲れはまったく問題とはならないようだ。
♢
ローズドゥノエルはすぐに見付かった。
周りの建物に比べると比較的新しい外観の綺麗な白を基調とした立派な建物。時折、人が数人ほど出入りしているのが見えるくらいで忙しそうな様子はない。
世界には100以上の冒険者ギルドが存在する。さらにそのギルドは各地に支部を持っていて勢力圏を争っている。
ローズドゥノエルも本部を別の都市に置く巨大な冒険者ギルドで、エデルヴィスに最近新設されたこのギルドは第8支部となる。
「ロゼ、いよいよだね」
「ああ、ついに俺たちも念願の冒険者になれるんだ」
ロゼとオルタンシアの鼓動は高鳴った。
まだ冒険者の事も冒険者ギルドの事もよく分かっていない2人だったが、未知の世界へ足を踏み入れる不安感よりも、憧れの冒険者になれるという期待の方が断然大きく、少しも怖気付く事はない。
ロゼがギルドの重厚な両開きの扉を開けると、オルタンシアが後に続いた。
「うげ! めっちゃ混んでる!」
その予想外の光景にロゼは思わず声を出した。
外からは想像も出来ぬほどにギルドの中は大勢の人が列を作り受付待ちをしていたのだ。
受付のあるロビーは広いが、机や椅子が置かれた待合スペースや、隅にあるバーテンダーのいないバーのカウンター席に冒険者と思われる人々が苛立ちながら座ってほぼ満席状態だ。きっと座っている人々は受付の列に並べない人か、受付を済ませて何かの処理を待っているかのどちらかだろう。
何故ここまで混んでいるのかと受付の方を見ると、なるほど、受付嬢がたった1人で全ての客を捌いているからだ。
「やっぱ冒険者って人気なんだなー」
呑気に腕を組んでロビーを見回すロゼに対し、オルタンシアは首を傾げた。
「それよりさ、この冒険者の数に対して明らかに職員が足りてないよね。こんな立派な建物作ったって事は、ある程度の人が集まる事は想定してただろうし」
「確かに」
冷静で客観的なオルタンシアの見解にロゼは深く頷いた。
「まあ、とにかく並ばないと始まらないな。何時間かかるか知らないけど」
「そうね。でも、あの受付のお姉さん凄い速さで冒険者を捌いてるからそこまで時間掛からないかもよ」
確かにオルタンシアの言う通り、列の人は着実に減っていっている。それでも、遅いだの早くしろだの言う連中は後を絶たないが。
とにかもかくにも、ロゼとオルタンシアは受付の行列の最後尾に並び、自分たちの順番が来るのを待つ事にした。
♢
30分ほど経過した頃、ようやくロゼとオルタンシアの番が回って来た。
遠くから眺めていた受付嬢が今2人の目の前で笑顔を見せている。
「ボンジュール! ムッシュ、マドモアゼル。大変お待たせいたしました。お2人はもしかして初めてのご利用ですか?」
元気よく100点満点の笑顔で挨拶をする受付嬢。
クリーム色っぽいウェーブの掛かったショートヘアの美人で、制服の胸ポケットのところには「アン=マリー」と書かれた名札が付けられていた。
「は、初めてです、冒険者の登録をお願いします」
綺麗な大人の女性を初めて間近で見たロゼは、緊張からか、頬を染め動揺しながらもここに来た目的を伝える。
「はい、かしこまりました。失礼ですがお2人はおいくつですか? 冒険者登録は規則で18歳以上の方のみ可能となりますので、念の為……」
「あ、俺は昨日18歳の誕生日を迎えました。連れも同い歳なので18です」
言いながらロゼは自分のIDカードを提示した。この世界では孤児でも政府に申請さえすれば身分の証明になるカードが貰える。
孤児院にいた頃にメール=アデライドに作ってもらったそのカードをロゼが得意気に差し出したのを見てオルタンシアも自分のIDカードを受付に出した。
「あら、昨日がお誕生日? おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます」
ロゼはアン=マリーに誕生日を祝われた事で完全に心を奪われた。それを察したのか、オルタンシアは不機嫌そうにロゼを睨む。
「それでは年齢が確認出来ましたので、冒険者登録の説明をさせて……いただく前に、お2人さん、冒険者ギルドで働いてみませんか??」
「はい??」
満面の笑みと共にアン=マリーの口から出た言葉は2人にとって予想外過ぎるものだった。
困惑する若き少年少女を見たアン=マリーはコホンと1つ咳払いをした。
「突然ごめんなさいね。見て分かると思うけど、このギルド、人手不足なの。受付は私1人で朝から晩まで毎日回してる状況でね、このギルドもそうだけど、私の身体もヤバいのよ」
「は、はぁ……」
ロゼとオルタンシアが苦笑していると、アン=マリーは小声でヒソヒソと話し始める。
「ここだけの話、上司から冒険者になろうとする人には必ずギルドで働かないか聞けって言われてるのよね。じゃないと休み取れないぞ〜って」
「なるほど、それは大変ですね……」
「すみませんがお断りします。私たちは冒険者になる為に来たんです。早く冒険者登録の手続きをお願いします。後ろの冒険者さん達にも悪いですし」
受付嬢への思いやりの気持ちを覗かせようとしたロゼに対し、オルタンシアはキッパリと勧誘を断ってみせた。笑顔もなく、真顔で少し怖い。
「残念。貴女なら素敵な受付嬢になれると思ったんですけどね〜。ま、いいや。それじゃあまず登録料を頂戴します。お一人様金貨10枚です。一度受け付けますと返金は致しかねますのでご了承ください。ただし、こちらが冒険者不適正と判断し、登録をお断りする場合は登録料の半額のみご返金となります」
アン=マリーの丁寧な説明を聞き終わると、ロゼとオルタンシアはリュックから革の袋に入った金貨を10枚ずつ取り出すし受付のカウンターに置いた。カウンターには20枚の金貨が並んだ。
この金貨はメール=アデライドが孤児院の運営費から捻出してくれたもので、冒険者登録に必要らしいと2人に与えてくれた。何から何までメールの世話になっている事にうしろめたさを感じつつも、ロゼは冒険者になって大金を稼いだら必ずメールと孤児院に恩返しをするのだと決めていた。それはオルタンシアも同様の気持ちだろう。
ロゼとオルタンシアの出した金貨を見て、アン=マリーは一瞬で数を数えると、全ての金貨を回収し、代わりに今度は脱脂綿と細い針、そしてスポイトのようなものを2つずつ取り出した。
「お金は受け取りましたので、続いて簡単な採血をしますね。2人とも中指を出してください。チクッとしますが、一瞬で終わりますからね〜」
言われるがままに2人は利き腕ではない左手をカウンターに置く。すると、またもや神業のような速さで2人の指先をアルコールを含ませた脱脂綿で軽く消毒すると間髪入れずに針で刺し、指で揉んで血を滲ませ、スポイトで滲んだ僅かな血を吸い取った。そして軽く傷口を脱脂綿で拭い絆創膏を貼ってくれた。
「はい、終わり〜」
僅かに痛みがあったが、ロゼはアン=マリーに手を触られた事で鼻の下を伸ばし痛みなどすぐに忘れた。一方のオルタンシアは胸の前で左手を庇うように押さえながら、だらしない顔のロゼを睨む。
「では最後に待合スペースでこちらの書類に必要事項を記入しておいてください。書き終わりましたら私に書類をお戻しください。その際は列に並ばずに横からいただければ大丈夫です。書類を確認しましたら次は面接となります」
アン=マリーは2人分の書類とペンを取り出し2人に渡すと、ロビーにある待合用の椅子を手で示したので素直に従った。
2人を捌いたアン=マリーはすぐに次の冒険者の対応を始める。休む暇は皆無だ。
「ロゼ、受付の人にデレデレし過ぎ。キモイよ」
「え?? き、キモイ!?」
突然の辛辣なオルタンシアの言葉に、ロゼは目を瞬かせて動揺する。「キモイ」などという言葉を今までオルタンシアから言われた事はなかったのでオルタンシアがかなり機嫌が悪いのだと悟った。
「別にデレデレなんかしてないし。それより、この紙書いちゃおうぜ。それが終わればいよいよ面接。相当問題のある奴じゃなきゃ落ちないって話だし、緊張しなくて大丈夫だからな」
「緊張なんかしてないし」
話題を変えたロゼだったが、やはりオルタンシアは機嫌が悪い。ムスッとして、テーブルに置いた書類の記入を進めている。
ロゼも書類に必要事項を記入しながら次の話題を考える。
「そ、そうだ、採血の結果って今日分かるのかな? 冒険者たる者、自分がどんなスキルを持ってるのかめちゃくちゃ大事だしな! きっとお前はすっげースキル持ってるよ! うん」
「そ、そうかなぁ? 実は私もちょー楽しみにしてたんだよね。戦闘系のスキルがいいなぁ」
二度目の話題変更が功を奏し、オルタンシアに笑顔が戻りロゼはホッと胸を撫で下ろした。
この世界で人は必ず1つ『スキル』という特殊能力を持っている。スキルは発現していないと自分がどんなスキルを持っている人間なのか知る事はできない。スキルを知る為には血液検査が必要で、ほんの1滴の血液でその人がどんなスキルを保持しているのかが分かる。受付で行われた採血はまさにスキルを調べる為のものだったのだ。
通常、スキル検査は専門の鑑定士に依頼するようなもので、専門性が高い為その費用は金貨50枚と法外な金額だ。だが、冒険者ギルドは、冒険者に登録する事を条件にその検査を無料で実施している。登録料に金貨10枚は取られるのだが、普通に依頼するよりは金貨40枚分も得である。
その為、冒険者にならず、金貨を払う余裕もない人々は死ぬまで自分のスキルを知らずにいる事も珍しくない。
また、スキルは役に立つものもあればまるで役に立たないものも存在する。役に立たないスキル保持者は自らのスキルを秘匿するので、社会でのスキルの話題はタブーなのが一般的だ。
スキル情報は極めてデリケートな話題なのである。
「スキル分かったら教えてくれよ、オルタンシア」
「ロゼ、私以外の女の子にそんなデリカシーのない事言っちゃ駄目だからね!」
「言うわけないだろ。お前だから言ってるんだよ。俺も教えるからさ」
「分かった分かった。教えてあげるよ」
「さすがオルタンシア! 俺たちの仲に秘密はなしだからな!」
まるで遠慮のないロゼに、はいはい、と応えオルタンシアは息を吐く。
「私からも1つお願いしていい?」
「おう!」
「綺麗なお姉さん見てもデレデレしないで」
目を逸らし唇を尖らせてオルタンシアは言う。
「え、何で?」
「あんまり気分が良くない」
「わ、分かった。努力する」
頭を掻きながら苦笑いを浮かべロゼは応えると、オルタンシアは満足そうに頷いた。