お嬢様の来訪
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー」
嘉純さんが手配してくれ、20年間手つかずだった自宅キッチンにリフォームが入り、発売間近の最新冷蔵庫をはじめ様々なキッチン家電が設置された。
ひとり暮らしだというのに大きく立派なダイニングテーブルセットも置かれ、椅子も4脚もある。
嘉純さんの家から帰ったらもう業者がそろっていて驚いた。さすが、白鷺嘉純からの発注とあらば最優先されるらしい。
嘉純さんが送ってくれた大量の食材も業者が丁寧に適材適所に配置してくれたおかげで、俺はまだまだ無知なまま超高級ソファに転がりお料理動画なるものを見ている。
――めんどくさい。
なんだ、料理なんて全く興味が湧かない。俺はこんなことがしたい訳ではない。ただ食いたいだけなんだ。
せっかく嘉純さんがアドバイスしてくれたのに、なんてヤツだ!
作らなきゃ食えねえんだよ! 文句があるなら食いもん買ってくりゃいいけどさ! 金かかるぞ、自炊よりも!
ピーンポーンとロビーへの来客を知らせる音が響く。インターホンのモニターを見ると、見覚えのある顔が見える。
――あ、あの娘だ。
ほう、たしかにそのようだ。あの誘拐されかけていた「お嬢様」、我が天外探偵事務所初の依頼人のひとり娘が映っている。
「はい」
「あの、こちらは天外探偵事務所でよろしいでしょうか」
「よろしい」
「ああ、良かった! 私は先日助けていただいた嶌田綾と申します。あの時天外淀臣、探偵さ、とおっしゃっていたのでもしかして、と思いまして。ろくにお礼もできていませんでしたので、改めてお礼にとやって来ました。ご開錠願えますか?」
「礼か。もらおう」
律儀な娘だ。父親はなかなかに傲慢だったが、あの娘は腰が低いようだ。
わざわざ礼にやって来るとは、感心だな。
玄関チャイムの音が響く。ドアを開けると、今日もレトロなワンピースに身を包んだアヤが立っていた。ハイブランドのバッグとは別に、何やら紙袋を持っている。
おじぎをして玄関に入って来た。
「おあがりください」
「失礼いたします」
ヒールの低いサンダルを脱いで、アヤがスリッパに履き替える。だだっ広い1LDKの廊下をアヤを案内しながら歩く。
「礼とは、その袋か?」
「いえ、この袋の中にあるこちらの水ようかんでございます」
「水ようかん?」
「はい。冷やしてありますので、すぐにでも召し上がれますよ」
――食いもん!
「食う! 今すぐ食う! そちらではない、こちらのメシを食う場所に来い!」
応接セットへと向かおうとしたアヤに鋭い声を投げる。
食うことになると豹変しやがるな。
「うまい!」
あっという間に上品なサイズ感の水ようかんをぺろりと平らげてしまう。
しかし、たしかにうまい。この8月の暑さを忘れさせるようなさわやかな口当たりが高級品だと主張している。
「お気に召していただけてうれしゅうございます。昨日は、まことにありがとうございました」
婚約が決まったからだろうか、昨日よりもよりまばゆい笑顔だ。
「あの時もしもあなたに助けていただけていなければ、その後の出会いもなかったのだと思うと、どうしても改めてお礼がしたくなりました」
照れたようにアヤがはにかむ。
……ん?昨日あの後に出会いがあったと?
「出会い?」
「はい。私は昨夜、運命のホスト様と出会い婚約いたしました。あなたからも熱いお言葉をいただいていたのに、申し訳ございません……ですが、私はケイ様と幸せになります!」
ああ、俺はひとことも熱いお言葉なぞいっとらんが、この恋愛脳のお嬢様はおびただしい勘ちがいを繰り広げていたな。
ケイ様というのがアヤが婚約したホストの名か。
「昨夜出会って婚約?」
――俺の知っている婚約とは別物だろうか。たびたび婚約者が殺されて復讐する犯人が現れるものだが。
たしかにそうだ。表の思考にしては珍しく的を得た疑問だ。
「はい。運命ですから」
顔を赤らめて頬に手を付け幸せそうに笑う。
うん、この恋愛脳に理由なんてないんだな。
――そうだ。この娘にドローンを付けておくか。ホストにドローンを付けに行くのはめんどくさい。
近くそのホストと会うだろうから、この娘に付けておけばホストを監視できるようになるだろう。
ひざから一円玉程度体をむしり取り、ミニミニサイズの俺をアヤに気付かれないようにそっと服にくっ付ける。
アウストラレレント星人はヒト型だろうが原材料はゲルであるから、分身の術など朝飯前だ。
自分はドローンだと理解した分身がその形をまさにドローンに変え、アヤの周りをコバエのように飛ぶ。叩き潰されないように気を付けろよ。
いや、だからさあ。そうやって体むしれちゃうのとかなんで疑問に思わねえの? お前が見たアニメでひとりでも体むしってドローン作ってるやついた?