99話 情報通な貴族夫人
ビアーラはあくびを噛み殺す。退屈だわ、自分が頭が良いとこれみよがしにアピールする男と話すのは。内心でそう思いうんざりしながら。
タイタン王が得意気に、どうやって自分に忠実な貴族たちを集めたのかを聞きながら、ビアーラの心は退屈に占められていた。いつまで話が続くのかしら? 夜会でムスペル家に睨まれて燻っていた貴族と出会ったのが、余が王の権力を取り戻せる光明を見出した時であった? へー。
タイタン王は威厳のある見た目は整っている美男子だ。そのような男が語る自慢話を喜んで聞く婦女子は多いだろうが、自分は違う。
たしかに子供の頃に夜会で出会った際には傑出した男だと魅了されたが、それも昔の話。
……いえ、違うわね。最近までは退屈な日常生活を彩る出来事を起こす才ある男だと注目していたわ。半年前までは。
この王都に新しい風を吹かせる男だと思っていた。貴族たちの力関係を激変させ、新しいやり方をしてくれるだろうと。
でも新しい風は別のところから吹いてきたのだ。王が巻き起こす風がつむじ風だとすれば、竜巻のような強さの風を吹かせてきた。
「そういえばビアーラ。君の息子がムスペル家に殺されたのは哀れに思う。お悔やみを言おう。余はその話を聞いたときには、義憤を持ったものよ」
陛下がこちらを窺いながら話してくる。あら、いけない。つまらないと思う心が表情に出ていたかしら?
「いえ、我が息子が死んだのは極めて心を痛めましたが、もう過去の話です。ムスペル家が相応の報いを受けることで無聊を慰めたいと思います」
大丈夫よ。貴方の謀略で馬鹿息子が死んだとは思っていないから。ニコリと笑みを浮かべて返答すると、陛下は僅かに肩の力を抜いて、長椅子に凭れかかる。
「約束しよう。ムスペル家には相応の報いを与える。潰すわけにもいかんからな。領土の幾ばくかをドッチナー家に譲ることになるだろう」
「ムスペル家もブレド家も結局完全には潰せませんものね。力を削ぐには良いんじゃない?」
二家の固有スキルは強力だ。凶悪な魔物も現れている昨今、内乱に近いことを起こしても、領土の三割程を削る程度に終わるだろう。
「しかし、ドッチナー家の次男へと起こしたムスペル家の次男の魔法の暴走により、今の状況があります。ドッチナー家は結果的に王家に対して大変な功績となりましたよ、父上」
爽やかな声音でシグムント王子が話に加わってくる。隣に座るフローラは笑顔を崩さないが、早く帰りたいと思っているのは明らかだ。私も同意するわ。早く帰りたい。
「うむ。しかし本当のところ、どこの手の者に殺されたのか? ディーアが暗躍していたのは掴んでいたが……。本当のところ、どこの手の者か余でもわからなかった。ビアーラは掴んでいるのか?」
「いいえ。掴めなかったわ。私も陛下も掴めないとなると、本当に魔法の暴走があったのではなくて?」
「なるほど、二家を惑わすために仕込んでいた罠を使う絶好の機会であったから暗殺だと思いこんでいたが、たしかに本当のところは、そんなものかもしれん。次男は魔法だけは宮廷魔法使いの上位に匹敵するという噂であったが、甘やかされた心の弱い者だったらしいからな」
ふむと、顎髭を触りながら腕組みをする陛下。実際はそんなものだったのかと思い始めている。
「そのおかげで、俺らは普通の兄弟に戻れた訳だし、ムスペル家の次男様々だな。正直、演技をするのも疲れてきたしよぉ」
シグルド王子が悪ガキのような笑みで口を挟む。
シグルド王子は五年前からシグムント王子と仲が悪くなった。次の王を目指して王太子の座を露骨に争い始めたので、ブレド家が後ろ盾になったのだが、最近は急に仲直りしたらしい。不思議なことね。
それを聞いて、ニヤニヤと口元を曲げる陛下とシグムント王子。二家を嵌める謀略を息子たちがまだまだ幼かった子供の頃から行ったのが嬉しそうね。
でも、娘も気づかないみたいたけど、当時の状況を聞けば犯人はわかりやすいわ。だって魔法を眺めていたお爺さんを殺そうとしたみたいだし。返り討ちにあったであろうことは間違いない。もしくはそこから相手の計略が始まったかは知らないが。
最初から平民を犯人に考えないのが、陛下たちの常識だから仕方ないけれども。
「まぁ、良い。これだけ探しても見つからない以上、犯人探しはこれ以上しても見つかるまい。それよりドッチナー侯爵には宰相の地位を用意しておくので、春になったら戻って来いと伝えておいてくれ」
陛下が意外なことを言うので、キョトンとしてしまう。
「あら? せっかくの権力を手放すの? 宰相なんか用意する必要はないんじゃない?」
王の力を高めるには宰相も大将軍もいらない。せっかく二家を追い出したのだから必要ないはず。
その考えをビアーラの表情から悟ったのだろう、陛下は苦々しい表情となる。
「当初はその予定であった。が、謁見の間でも話したが、そうはいかぬ状態となっている。この冬は冬期の作物は全滅だろう。各地からは魔物の被害が報告されている。対処するには余の力だけでは足りん。宰相も大将軍も必要な状況なのだ。このまま苦境が続けば貴族たちは反乱を本当に起こすかもしれない」
「ご英断、さすがですわね。ここで権力に固執しない方なればタイタン王国は大丈夫でしょう」
「世辞を言うとは珍しいな。が、今年はそれだけの状況なのだ。いったいなにが起こっているのやら……」
苦笑いをして、手を振る陛下。でも愚王ならば対応せずに放置しておいたかもしれない。たしかにタイミングが良すぎるが、さすがにこれは偶然だろう。
必要であれば権力に固執しないところを見ても、陛下は傑出した王だ。きっと貴族を纏めて、治世を善政で行い、賢王と名声を残したかもしれない。
ただ残念なことに、彼の目は貴族たちにしか向いていない。南部地域の手の者も多少注意を向けるだけだ。
たしかに今まではそれで良かったのだ。王都は難攻不落の要塞であり、その身を脅かすのは貴族たちの謀略のみ。南部地域はただの烏合の衆であり、領土を脅かす者はいなかったのだから。
「そういえば平民地区に今も出入りしているのだろう? なにか面白い物とかを最近は見つけたか?」
ワイングラスを持ち上げて、飲み始めながら陛下が世間話の一環として聞いてくる。興味がないのは丸わかりだが、それでもこちらに気を使ったのだろう。
「いえ、特にはありませんでしたわ」
なので私はなんともないような顔で答える。
哀れなる王に。
きっと賢王と呼ばれていたであろう男に。
しかして、自らが住む地が砂山のように崩れていっているのに気づかない彼に。
「そうか、まぁ、平民は結局余や貴族がいないと、なにもできんからな。そのような者たちを導くためにも、余は頑張らないといかんな」
「ふふ、そのとおりですわね。……ところで陛下、もしもこの冬に妖精花を採取できたら頂いてもよろしいですか? 傭兵を立ち向かわせて、妖精花を回収できるか試したいのですが」
「ぬ? 無理はするなよ? まぁ、傭兵ならば問題あるまい。ドッチナー侯爵家ならば端金だろうしな」
「もしかしたら、傭兵が精霊を倒すかもしれませんし。試すだけ試して見ますわ」
そうなれば良いなと、笑う王族たちを冷ややかに見つめながら、ビアーラは妖艶に微笑むのであった。
退室したビアーラたちは馬車に乗り、自宅へと帰っていた。
「あ〜、疲れましたわお母様。王子たちの得意気な表情と、ここまでくるのに苦労したとか言う自慢話を聞くのは」
う〜んと、背伸びをしながらフローラはどっと疲れていた。あの王子たち、誰にも今までは話せなかったのだろう。どんなに自分たちが演技を頑張ったのかドヤ顔で説明してきたのだから。
「ふふ、今までの鬱憤が溜まってたのでしょう。この策略が上手く行けば王の地位は安泰。しばらくは余裕ある暮らしになるでしょうし」
脚を組み、笑うお母様をフローラはジト目で見る。あの王子たちは子供っぽい。子供っぽすぎるわ、自分で言うのもなんだけど。
「あの王子たち、自分たちに絶対の自信が見えますわ。俺たちのやることに間違いはないって感じで」
「仕方ないわ。彼らは神器を扱える血統。即ち選ばれた者たちなの。そんな彼らはこの数年で画策して強大な勢力を持つ二家を追い落とすことに成功したのだから」
「調子に乗って当たり前という訳ですか」
なんかつまらないいけ好かない男たちだった。王族というからには、なにか凄い方たちだと緊張していたのに。実際はがっかりする方たちだったわ。
それにしても……。
「なぜ月光の話をなさらなかったのですか? 平民地区には面白い物が今はたくさんあるではないですか」
「王族も高位貴族も、流行も新しい物も全ては川が山から平原へと流れるように、上から下へ広まっていく物だと考えているわ。月光の話なんか一笑に付されるわよ」
「平民ではあり得ないとお母様は言ってたじゃない」
フローラが頬をプクッと膨らませて抗議の声をあげると、クスクスと笑ってきた。楽しそうなその笑いに、隠したのねと呆れてしまう。
「他国の貴族だと多少は興味を持つかもね。魔帝国とかの貴族なら。でも金稼ぎに来たのかと思われてオシマイ。タイタン王国の貴族たちはね、他国の者たちを気にしないの。脅威を感じないのよ。神器の都市に頼った弊害ね。常に上から目線。どうぞチョロチョロと鼠のように活動してください、私たちは気にも止めませんってね」
「あぁ、貴族主義って、そんな根が深いものだったんですね、納得しましたわ」
でもアイが鼠だとすると、可愛らしい鼠だわ。カリカリとクッキーを齧るアイ。……可愛らしくて良いわね。うん、ペットにしたい鼠ね。
「そう、根が腐るほどに。それよりも冬支度をしておきなさい。アイちゃんたちは、きっとドッチナーの領土へと、いいえ、きっと妖精樹に向かうわ」
確信めいた表情のお母様だが、本当に? あそこは今や精霊たちの支配する危険極まりない場所なのに。
だが、お母様には自信があるみたい。あんなに危険な場所にアイが行くなら止めないとね。
「それに、なにかしら面白い物が見れる筈よ。月光の力の一部が。楽しみだわ」
子供のように目をキラキラと輝かせるお母様に、苦笑を禁じ得ないが同意である。妖精の隠れ道からやってきた人たちだ。見たことのない物を見せてくれるかも!
「あ、でも妖精樹の精霊退治は止めないと。高位精霊は危険ですし」
高位精霊は神器を使わなければ倒せない。さすがに神器は持っていないだろうし。そうなると、アイが死んじゃう。
「どうなのかしら? 月光は頭の良い組織よ。勝ち目がないのに動きはしない。精霊を倒す方法があるとしたら? 南部地域でご活躍しているようですし」
悪戯そうに微笑むお母様だが、さすがにそれはないだろう。きっと観光に来るつもりなのよ。南部地域とは、商売のことだろうか? なにか隠しているわね?
もしも神器なく高位精霊を倒せる存在がいるとしたら……。
「それこそ、お伽噺の英雄級となりますわ。英雄級が現れたら大騒ぎですわよ」
「英雄級、竜とも互角に渡り合う身体能力。一軍を相手にできるその力は人間ではないと言われているわね。神が遣わせた使徒であるとも」
「えぇ、そんな存在がいたら是非会ってみたいですわ」
「ふふ、そうね……。会えたら良いわね。きっと退屈なんか綺麗さっぱり無くなるでしょうから」
妖しく微笑むお母様の表情はなんらかの期待をしているようだった。
……でも、まさか、ね。英雄級なんかいるはずがないわ。
それよりもアイがこの冬の最中で、うちの領土に来るなんて大変だわ。ファングホースは平民には出回らないのよ。きっと道ですぐに立ち往生してしまうはず。
確認しに行かないとと、フローラは顔を俯けて、ウンウンと考え込み始めた。
その様子をビアーラは楽しそうに見ながら微笑むのであった。