84話 戦火の炎があがる
トアーズ都市国家。センジンの里の南にある都市国家の外交官兼武官ロップ・デップは嫌らしそうな笑みで獣王と自らを呼ぶ馬鹿な田舎者と対峙していた。
自らが任された仕事を全うするべく話し合いを始めて三日。そろそろ話に決着をつける頃合いだ。既に部下には準備させている。
「どうです、獣王殿? 職も用意して、食料も用意する! この困窮した里が助かるのですぞ? ルノス殿、決断をして頂きたい」
人が住む場所とは思えない、ましてや王が住む屋敷には相応しくないボロ屋敷を睥睨して、馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「荘園で働くとはいえ、農奴ではないと言っているしな。飢えることもなく、魔物に襲われることもない。ライトニング一発で倒れてしまう王などに守られることもない。おっと、これは失言でしたな、ウハハハ」
明らかに馬鹿にしているとわかるロップを前に、獣王と呼ばれる男は別段苛つくこともなく、こちらを冷静な表情で眺めていた。苛立たしいことに。
ロップの後ろにいるルノスの元部下がウハハハと笑っても、その表情をルノスは変えることもない。
ルノスの隣にいるベイスは殺気を纏わせて裏切った者たちを睨んでいたが。
ここまで馬鹿にされれば、噂に聞くセンジンのルノスならば必ずこの挑発にのったはずだが、どうやら王になって臆病者になったらしい。
屋敷の広間にはルノスとその副官、数人の里の者たちが床に毛皮を敷いて座っていた。対するはロップたち。揃いの鋼の鎧に身を包み、強者の空気を出している。しかもロップの後ろには、昨日までルノスの部下であった男たちが数人いる。ルノスを裏切った、いや、元からこちら側である者たちだ。
「俺様がライトニングで……そういえば、戦場で見るのはライトニングぐらいだったな」
ようやく口を開いたと思うと、ルノスは嘆息してライトニングでやられたことを恥ずかしがる。獅子人とはいえ、こんな弱そうな男を本当にディーア都市国家が欲しがるとは……。世も末だな、俺の方が何倍も活躍できる。
まぁ、良い。里の者たちを各都市国家で分配するのだ。ただで農奴が手に入るとなれば、この程度、苦労でもなんでもない。
それに妖精国と取引を開始したとも聞く。月光というタイタン王国の商会らしいが、追い出して俺たちが取引をするのだ。金のなる木を見つけた気分になり、嬉しさで笑みを隠せない。
妖精が倉庫らしきところにいたのが見えたが、不干渉を貫くのか、こちらを眺めているだけだったのも都合が良い。人間など誰でも良いのだろう。実に妖精らしく、安堵をした。
妖精が手を出してこなければ恐れるものは何も無いのだ。
「ぐふふ、さぁ、返答はいかに? 断った場合、残念ですが、都市連合の兵士がこの里に来るでしょう。ディーア国を筆頭に数カ国が同盟して出兵した軍にね。遂に都市連合が一つになる時が来たというわけですぞ」
答えは決まっているだろうと、もう一度問う。森林の出入り口には2500の兵士たちが待機している。ルノスがいかに強かろうと、こちらは鉄装備の騎士団。負けはないのだ。
「広大な穀倉地帯を支配するディーア都市国家か……豊作が続き、またぞろ金が余って、統一の夢物語を語り始めたか」
「今度は今までと違います。一方的な統一ではなく、統一して王国にしたあとは、同盟した都市国家は高位貴族の椅子を用意してくれるのですから」
装備も違うし、人材集めも容赦がない。今度のディーアの王は準備万端で戦いを始めるのだ。その財力と王の才により。
「ルノス殿、準備が整ったと連絡がありました」
唐突に扉が開き、共人の平凡そうな男が平坦な声音でなにかを告げてくる。こちらを気にする様子は全く見えない。
なんだ? こちらの脅迫に屈する準備か? こいつはたしか月光商会の騎士くずれだと思うが……。
「そうか……ご苦労だった、ダツ殿」
ルノスはすっくと立ち上がり、その巨体で見下ろしてくる。なんだ? なんなんだ? 様子が変わった?
「ロップ殿、俺様たちを馬鹿にする発言、耐えることは難しかった。里の者たちを馬鹿にして、俺様たちの命を道具かなにかだと思う態度、その態度に答えを返そう」
雰囲気が変わり、憤怒の表情になるルノスに殺気を感じ、ロップは素早く立ち上がり、地を蹴り大きく間合いをとる。
それと同時に、ルノスが背中に担いでいた斧を暴風を巻き起こして振り下ろす。木の床が砕けて、破片が飛び散り地面が見える。
「里の者たちを道具扱いする者に屈すると思うか! 腐っても獣王ルノスとは俺のことよ!」
怒気を纏い咆哮するルノスの気迫に、思わず後退ってしまう。部下たちも青褪めていたが、すぐに気を取り直し、剣を抜く。
「馬鹿な男だ。これで里は攻め落とされて、戦争奴隷となるのが決まったな!」
やはり馬鹿な男だったのだ。こちらの挑発にのってきた。これならば農奴にするのに、面倒なことはない。この男も捕らえて戦士奴隷行きだ。
「そもそも貴様は名前ばかりの男。俺の相手ではない! このロップ様の力は名声だけの貴様と違うぞ」
大剣を背中から抜き、嘲笑いながら身構える。命が残っていれば良いだろう。所詮はこの程度だとディーア王に告げれば良い。その後に自分のアピールをして将軍として雇われれば、なお良い。
斧使いのルノス、大剣使いのロップが対峙して、周りの部下も戦いを始めようと身構えて、誰が戦端を開くのかと、緊張に包まれる中で、
唐突に爆発が起きて轟音が響き渡った。
人々が驚く中で、屋根が吹き飛び何者かが天から飛び込んでくる。軽やかな身のこなしで、足音ひとつたてずに。
「こいつらをまずは倒せば良い。……あってる?」
埃が舞い、陽光がさす中で、何者かが静かな声音で、のんびりした口調で言いながら立っていた。
それは小柄な少女であった。ハッとするほど美しいきらびやかな糸のような流れる銀髪を腰あたりでちょこんとリボンで結び、眠そうではあるが涼やかな瞳、スッキリとした鼻に穏やかに笑みを浮かべる口。子供のような小柄な体躯。誰もが絶世の美少女だと見てわかる。しかも頭には狐耳、尻尾が……。
「尻尾が9本あるだと?! い、いや、8本は作り物か」
その少女を見て尻尾が9本あったので驚くが、よくよく見ると腰につけられていた。ロップの声を聞いて、その眠そうな目を少女は向けてくる。
「……そう。リンの心の師は言った。ふぉぉぉぉ〜、異世界に行くなんてかっこいい! 狐人なら尻尾を9本にすべき! きっとかっこいいと」
見たこともないヒラヒラした服を着た少女はフンスと胸を張る。意味がわからない? イセカイ? 9本にするのがかっこよいから?
「な、何者だ! 貴様は何者だ!」
バラバラと部下が半円になって警戒する。明らかに敵だとは思うが、なぜ突如として現れたのか?
「ん、自己紹介をする」
少女は腰にさげたシミターらしきものをスラリと抜き、その瞳に冷酷な冷徹な相手をその視線だけで凍らせる瞳へと変えて口を開いた。
「リンは剣の道を進む者。忠義を尽くす侍なり。技の師は剣聖。心の師は姉神、適刀流のリン。これよりは皇帝を目指す。むふー」
「皇帝? 隣国の魔帝国のようなものを? 馬鹿馬鹿しい、狂人だ、こやつも斬れっ!」
どちらにしても獣人だ。ルノスの部下に違いない。美しい少女だが、危険な匂いがする。もったいないが殺しておいた方が良い。
歴戦の剣士であるロップは、警戒を顕にしてきた。本能がルノス以上の強者だと理解しての指示ではあるが本人は気づかなかった。いや、気づいていて無視をした。
「うぉー!」
「死ねっ!」
二人の騎士が剣を構えて、リンへと迫る。その速さはさすがは騎士であった。素早く剣の間合いに入り、一人は右から袈裟斬りを、一人は左から横薙ぎにて剣を振るう。
「ん、だんちょー、リンのちからを見てて。まだゲームをしちゃ駄目」
リンはぽそりと呟くと、刀をスイッと抜き、まるで羽毛が舞うような動きで、二人の剣撃を躱す。ついっと僅かに斜め横に一歩後ろに下がり、袈裟斬りをしてくる剣をその刀で軌道をずらし、そのまま態勢を崩した男を斬り払う。
横薙ぎに振った男は自分の攻撃が空を斬るのみであったため、剣を握り直し追撃をしようとするが、まるで地を滑るように少女が間合いに入ってきたと感じたときには、右からの横薙ぎを受けて、胴体を真っ二つにされるのであった。
「けぇぇぇい! 大剣技 ハードスラッシュ!」
しかし、少女の注意が二人に向けられたと、ロップは隙を狙うように大上段から強靭な筋肉から成る一撃を振り下ろす。
リンはその攻撃をトンと後ろに下がることで回避し、ロップの渾身の一撃は床を抉るに留まるが
「かかったな! 大剣技 クロスブレイド!」
その行動をロップは予想していた。ハードスラッシュは威力はあるが隙がでかい。だいたいの敵は後ろに下がるのだ。しかし、それはロップにとって、敵を倒すためのフェイントに過ぎない。
下段から素早く十字斬りにて敵を斬り払う。武技ならではの高速剣技。魔力が剣を後押しして、大剣であるのに、瞬きの間に敵を斬るロップの必殺技。
自らの身のこなしに自信がある者ほど、この技に引っ掛かり、斬られて死んでいくのだ。
多くの敵を屠ってきた必殺技であり、勝利を確信するロップであったが、手応えがまったくないことに気付く。たしかに斬り裂いたと思った目の前にいた少女はいつの間にかいなかった。
「リンを相手にするには未熟。大きな棒切れを振り回すだけじゃ当たらない」
自分の後ろから聞こえてきた声にギクリと身体を強張らす。すぐに振り返り、剣を構えなおそうとして、視界がずれていくことに不思議に思う。
「適刀流 縮地斬り。貴方はもう終わっている」
後ろにいつの間にか移動していた少女がスタスタと歩き去っていき、なにが終わりなのかと、ロップは疑問に思うがすぐに納得してしまった。自らの視界に首の無い己の身体が見えてきて、化物と戦ってしまったかと、後悔をしながらようやく自分の危機感が正しかったことに思い至るが、その理解は既に遅く、ロップの首は床に落ち死ぬのであった。
ルノスたちはその戦いの様子に畏怖を持って見ていた。残りの敵は武器を落とし戦意をなくしている。それはそうだろう、剣の振りも、その身体の移動も目に入らなかったのだから。ベテランであればあるほど、戦って勝てないと本能が理解してしまったのだ。
銀髪の少女はルノスへと近づき、コテンと頭を傾げて言う。まるで先程までの戦いなどなかったかのように。己が踏み潰す蟻を気にしないかのように。
「貴方がルノス。うん、ルノス、私はだんちょーの命により南部地域のいくつかを支配する皇帝リン。これからはリンが仕切るのでよろしくね。ルノスは獣将軍に命じる」
「戦いを始めると? 南部地域の統一をすると?」
知らず知らず息を呑み込み、額に汗をかき、自分では決して勝てないだろう少女へとルノスは問いかける。
「とーいつはしない。だんちょー曰く、それだけの軍はまだ呼べないって。だから目指せ三割の支配! らしいよ?」
「そうですか……。可能であると、アイ様はお考えで?」
「もちろん。だんちょーが自信を持ってできると言ったらできる。できないときはあっさりと諦める人だけど」
ふふっと、その口元に可憐なる笑みをリンは浮かべて、手を掲げ
「だから、皆で頑張っていこー! えいえいおー」
可愛らしい雄叫びをあげて、戦いの火蓋を切るのであった。