82話 つよくてかっこいい勇者の苦悩
つよくてかっこいい勇者とは誰か? 道行く子供たちに蜂蜜入りのクッキーを手渡せば、勇者ガイと答えるだろう。誰だっけとわざとらしく首を傾げる子供にはドライフルーツも追加で手渡せば、笑顔で勇者ガイと答えてくれるはず。
そんなつよくてかっこいい勇者ガイは、髭もじゃな顎を触りながら上品な内装の執務室で書類を片付けていた。
大学を卒業しているガイは、頑張って書類を片付けていた。文官がいても、結局はトップが決めなくてはいけないものが沢山あるのだ。
他の脳筋と違い、マルチタスクなガイである。文官としても役に立っていた。
「あぁ〜、親分早く帰ってきてくれないかなぁ。あっしはもう限界でさぁ」
ぐったりしながら、羽根ペンをインク瓶に入れて、椅子にもたれかかる。お疲れな勇者ガイ、戦っていた方が楽だと息を吐く。
「ふふ、お疲れ様ですガイ様」
カチャリと白いコーヒーカップをソーサーに乗せて、マーサさんがクスリと微笑んでテーブルに置いてくれる。砂糖壺と共に。
「すいやせん、マーサさん。有り難く頂きます」
砂糖壺に入っている角砂糖を一個スプーンで掬い、ポチャンとコーヒーに入れてクルクルとかき混ぜる。ブラックでも美味いなぁ、このコーヒー豆は良い豆だと思いながらコクリと飲む。
多少の甘さが脳の疲れを癒やし、身体が弛緩する。
「ガイ様、少し働きすぎでは? ハウゼン男爵たちもおりますし、もう少し頼ってもよろしいかと」
「う〜ん、マーサさんの仰ることはわかります。わかりますが、親分からは簡単な仕事から任せろって命じられているんでさ。少しずつ仕事ぶりを見ながらでないと、危なっかしくて使えやせんからね」
「信頼されているのですね、アイ様に。ですが、身体を壊してはいけませんしお気をつけてください」
信頼されているのは当たり前だとあっしは思う。というか、本当に信頼しているのは、きっとあっしらだけだ。命を懸けて長旅をしてきたのだから。この絆は壊すことはできない。
現地の奴らが信頼されるのはかなり先のことであろう。
「仕方ない、もうひと頑張りしますか。っと、マーサさん、そのメイド服似合ってますぜ」
ついでとばかりに、照れていることがバレないように顔を俯けて言っておく。直接言うのは恥ずかしいので。
「ありがとうございます、ガイ様。ふふ、似合っていますか、そうですか」
マーサは頬を赤くして、照れながら嬉しそうにする。アイがいれば、この空気を絶対に破壊する幼女になっていたのは確実である。
マーサの姿は白いプリムに、上品なメイド服。この世界では存在していなかった服。貴族の召使いもただの服であったのだが、アイにメイドはメイド服でしょうと訴えたら、ロングスカートの古風なメイド服を作ってくれたのだ。加工でチョチョイと。
どこかの勇者がアキバメイド服でとお願いしていたが、きっとたちの悪い噂だろう。まさか、勇者がそんなことを言う訳がない。
という訳で、月光屋敷にはメイドが大量にいます。そんな屋敷の執務室でガイがマーサといちゃいちゃして、天罰が落ちれば良いと、人々が思うだろう甘い空気の部屋に、コンコンとノックが響く。
「ねーねー。ガイさんにお客様だよ〜。ですよ〜。えっと、フロンテ商会の兄弟が来たよ。あ、お母さん、いたんだ! ガイ様、フロンテ商会の兄弟がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか?」
ララがノックと同時にドアを開けて、のほほんと伝えようとして、母親がいることに気づいて、慌てて居住まいを正す。もう遅いよ、ララちゃんとあっしが見る中で、マーサがニコニコと微笑みを作っていた。無論、目は笑っていない。あっしはしーらね。
「こんにちは、ガイ! 執務中に申し訳ない。良いワインが手に入ったものでね。一緒に飲もうかと来たんだよ」
「やぁ、ガイさん。僕は良い燻製肉を手に入れてね。ウォードバッファローの燻製肉さ。珍しいだろ?」
ララは既に執務室前まで二人を連れてきたみたいで、笑顔と共に少年たちが入ってくる。
誰かと言われれば、ロンデルとテルテである。なにかと理由をつけてやってくるのだ。
「ガイ様。こちらお片付けしますね」
ララが真面目なメイドのように、テクテクと机に近寄り砂糖壺を片付けようとする。ララの片付け方は独特で、なぜか中身が空っぽになってしまうのだ。片付けすぎだろ。
「おっと、私にもひとつ貰えるかな」
「あ、僕も」
ロンデルとテルテは砂糖壺からサッと角砂糖をひとつずつ取って口に放り込む。あ〜、私の〜とララが抗議するが、少女の物ではない筈だ。
「月光割引でも高いんだぞ、まったく」
それでも子供たちが美味しそうに食べるのを見るのは、なんとなく癒やされるので本気では怒らない。マーサにもどうぞおひとつと勧めながら、コーヒーをすする。今日は仕事は終わりかな。
ガイが資料を片付け始めるのを見て、マーサがなにか作ってきますねと一礼して、ララの耳を引っ張りながら部屋を出ていった。
それを横目で見ながら、備え付けの応接セットのソファに兄弟はドスンと座る。緊張する様子もなく寛ぐその姿は子供そのものだ。なぜだか懐かれたのだ。金の話もあるのだが、それでも寛ぎすぎな二人である。
「なぁ、ガイ。この驚異的な砂糖という蜂蜜も相手にならない甘味。いったいアイ様はいつになったら売りに出すんだ? 私に任せてくれれば貴族たちへとガッツリ高く売り払うのに」
「コーヒー豆というのも任せて欲しいなぁ。ガイさん、月光の商隊はいつ来るの? あと、紙というのも。人手足りないでしょ? ドライフルーツも個人的にも売って欲しいかな」
「妖精国の産出品だからなぁ。全然出回らないんじゃないか?」
対面に座り、取りあえずとぼける。
全部妖精国の産出品にする勇者ガイ。アイが誤魔化す方法と同じ答えを返す。だが、アイならば質問をしてこない兄弟だが、ガイにはジト目で見てきていた。
「妖精国にはこんなものが沢山ある……そんな話はお伽噺でも聞いたことがない。そういうことにしておけば安全だものな。それに実際に妖精国から持ってくるみたいだし……お伽噺かと思ってたが、遥かな遠方に繋がる妖精の道を通って来ているんだろ?」
「月光は聞いたこともない組織だと言うのも納得したよ。そりゃあそうだよね。妖精の道は見たこともない土地に繋がっていると聞いてるけど、そこを通って来たなら、そりゃあ聞いたことはないよ」
妖精の道。地球の伝説でもあったなぁ、見知らぬ土地に辿り着く旅人の話。なるほど、月光の組織が妖精国と繫がっていると考えて、その推測に至った訳か。辻褄は合うな。妖精国って、名前だけでも凄い使えるわ。
苦笑しながら、沈黙で答える。ガイはつよくてかっこいい勇者なのだ。叡智に優れ才能溢れる男はキリリとした表情で二人へと言う。
「親分には内緒だからな。これらは俺が一人で楽しむように買い付けたんだ。まだお前たちは存在すら知らないということにしてくれ」
両手を合わせて、拝むように言う勇者。このスタイルは勇者モードなのだ。必殺技を使う前のスタイルなのだ。親分にバレたら怒られてしまう。
迂闊にも一人でコーヒーを飲んでいたら、マーサが淹れ方を教えてくださいとお願いしてきたので、照れながら台所で教えてたら、なぜか広まってしまったのだ。いつもは親分が加工してくれるのだがいなかったので仕方ない。
そして豆から挽くと美味しいでつよと、豆挽きからコーヒーミルまで高額で売りつけてきた幼女にも責任はあると思います。
つよくてかっこいい勇者、一生の不覚。ガイの一生に何回不覚があるかは不明である。
そうして、ちょくちょく訪れる二人は食いついてきたのだ。当たり前の話であるけど。
「綿糸関係は妹が持って手放さないんだよ。このままじゃ商会主はあいつになるけど、それは月光ありきだから、私たちにもまだまだ目があるんだ」
マーサが部屋に戻ってきて、硝子のワイングラスを置いてくれたので、ロンデルはあっしのグラスにワインを注ぎながら、目をギラリとさせて言う。
「そうなんだよ。一年経たずに月光はうちの商会よりもでかくなっただろ? 父さんもそんな月光に頼った商売で儲けたシルの評価をどうすれば良いか迷ってる。ところで、さっきの器はなにかな? この硝子のコップも凄い美しいね」
クリスタルガラスのワイングラスを持ちながらテルテがこれも売れるんだけどと遠回しに言ってくるが
「ガイ原雄山は陶芸もやるんでさ。でも、これは少数しかない。だってあっしたちが使う用だからな」
やっぱり硝子や陶磁器の器でないと、飲み物や飯の味もいまいちだとガイ原雄山は考えて、親分たちのも合わせて作ったのだ。サマルな勇者であった。
「砂糖やコーヒー、紙はまだ量が確保できないなら諦めるけど、その代わりになにかないかなぁ?」
テルテが半分懇願気味に言ってくるので、腕を組んで考えるが……。
う〜ん、今のところはない。親分は段階的に物事を進めているからな。たぶん、砂糖などを広めるタイミングを考えているのだ。
「諦めろよ。それにシル嬢はまだまだ商会主になるには若いんだろ? いずれはチャンスが訪れるさ」
「そのチャンスは私にも欲しいのですが、ガイ様?」
ドアがバタンと開き、フンスと鼻息荒くシル嬢が綿布のドレスを着込んで入ってきた。後ろからマーサさんが止めようとしていたが、無理だったのだろう。
なんでこいつらはアポイントメントをとらないわけ? あっしは舐められているのかなぁ。
「酷いではないですか、ガイ様! 婚約者の私に内緒でロンデル兄さんやテルテ兄さんと密談なさるなんて! 私にも一枚噛ませてください!」
ズイと幼い身体を乗り出して迫ってくるシルに、あっしはタジタジとなる。なにしろ12歳だぞ。おっさんは確実に通報されちゃう。……んん? 今なにか変なことを口にしなかったか?
「シル様、婚約者とは? ガイ様にそんな縁談話はなかったと記憶していますが」
「大丈夫よ、マーサさん。貴女も第二夫人で。お父様がガイ様なら婚約者に相応しいと許可を出して頂けたの。私の愛が通じたんですね。近いうちにお父様がお会いしたいと申してましたわ」
飄々とそんなことを言うシル嬢の言葉にマーサさんの口元が引き攣る。あっしの口元も引き攣る。マジかよ。あっしからみたら犯罪なんだけど。
「政略結婚ここに極まれりだな。でも良い話かもな、ガイの家に嫁げば私たちの誰かが商会主になれるし」
「ロンデル兄さん、なにを言ってるの? 私は商会主もやるわ。子供は二人以上産んで、一人は商会を継がせるわ」
「それは欲張りすぎるよ、妹よ。商会は僕に任せて、ガイさんの家を守ってよ」
キョトンとした表情でシル嬢が言ってくるのを、テルテが苦笑をして嗜める。まぁ、普通に考えてそうだよな。問題はあっしの意思がどこらへんに介在しているかだな。小石かな? こいつらにとっては路傍の石かな?
「ガイ様。この案件はアイ様に任せましょう。まさかガイ様はあんな子供に欲情しませんよね?」
どんな刃物よりも鋭そうな目つきで睨んでくるマーサさんに、コクコクと頷く。おかしいな? あっしの方がステータスは上なんだが、身体の震えが止まらないぞ?
それと、この話が親分に届くと、楽しそうに悪戯げに笑う姿しか見えないのは気のせいだろうか。そして碌な展開にならない予感もするんだが。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ兄妹たちを見ながら、山賊勇者は嘆息をしながらワインを一口飲むのであった。