81話 二枚目男爵の苦悩
バーン・カールマン男爵。東に存在する小さな男爵領を支配する男爵だ。僅か3000人程度の小さな街。麦などの収穫量もたいしたことはなく、年収を金貨に換算すると、王国に支払う税金を抜くと金貨3000枚程度。一見金持ちに見えるが、部下の騎士たちや文官たちへ払う俸給、種籾などを買い取り、古い施設を直したり、傷んだ武具の修復などエトセトラエトセトラ。
手元には500枚も金貨は残らない。召使いを2人雇い暮らしていくと、もはや貴族としての体面を作りながらの生活はカツカツである。
そんなところに現れたアラクネの群れ。森林内で、狩人がアラクネに殺されたり、薪を取りに行く者が襲われたりと、被害が続出した。これはアラクネの巣ができたのだろうと、騎士団に救援要請に向かうが失敗。
運の良いことに、王都で有名な陽光傭兵団を雇うことができ、これでアラクネの巣を倒すことができると思っていた。
その時はアラクネは数十程度、100はいまいと考えて、契約履行に陽光傭兵団が苦労して、その分契約金を割引できるかもと考えていた。
「実際にアラクネの巣は撃破できたから運が良かったんだけど……」
頭を抱えたい気持ちを我慢して、嘆息して呟くように言う。バーンは部下たちを集めて、会議をしていた。婚約者のトリスに、部下の騎士たち5名、文官3名だけしかいないが。
「良かったじゃない。契約金は200枚。支払い済みなんでしょ? 格安よ、格安」
トリスが言葉を受け取り、感想を口にすると文官たちも頷く。
「そのとおりです、男爵。まさか数千のアラクネが巣を作っていたとは……」
「アラクネクイーンもいたのでしょう? 彼らが来なければ我らは死んでおりましたぞ」
そうだな、そのとおりと、皆は顔を見合わせて嬉しそうに語り合う。たしかにそのとおりだった。予想は大きく外れて、数千のアラクネたちの住む巣があった。あのままでいけば、バーン男爵領は滅び、周辺の地域も大変なことになっていたのは確実だった。
「だけれども、巣から狼を追い出して、虎を呼び込んだと思うんだが? あのアラクネたちをたったの100人やそこらで退治してしまった者たちだ。危険ではないだろうか? 彼らはこの数週間何もしないで、この街でのんびりとしているのだ」
「そうね。乗っ取りを仕掛けて来ているのかしら? それにしては、なにも要求してこないけど」
トリスが首を傾げて不思議がる。そうなのだ、あれから月光を含む陽光傭兵団はだらりと街に滞在するだけだ。なにかを要求することもない。
恐らくは徴税の代行をするとでも要求が来るだろうと、戦々恐々していたのだが、何もなかった。それがまた不気味でもある。
「金のある傭兵団ですからな。たんに休暇とばかりに楽しんでいるのでしょう」
「そのとおり。なんとも羨ましい傭兵団だ」
「あやかりたいものですな」
「裏がないのに裏があると考えるのは相手に悪いですぞ」
あっはっはと、皆は朗らかに話し合い、特に月光を気にする様子もない。
「……暇な連中が狩りに行って手に入れた肉を領民に配りまくってるし人気も高いわ。たんに休暇なのよ、きっと。遊んでいるんだわ」
自分の婚約者さえも、特に気にする様子は見せない。彼ら月光が現れた時はあれほど警戒していたというのに。
はぁ〜、と疲れたように深く息を吐いてしまう。理由は歴然としているからである。
「トリス、そのドレス似合ってるね。皆も良い服を着ているようだし」
ジト目で自分の部下たちを見つめる。バーンの言葉通り、以前は古着であった部下たちは新しい布、綿糸という物でできた新品の服を着込んでいた。トリスなんか美しい意匠のドレスを着てご機嫌である。
「貴方もね、バーン」
しかしながら、バーンも新品の服を着ていたりした。お互い様である仲の良い二人だった。
「……あぁ、すこぶる快適だ。だから謎なんだ! うちの収穫された麦も相場の二倍で買ってくれた! しかも買ったそばから、うちの御用商人に相場の値段で買い取った麦を売り払う気の使いよう。商人として縁を作りたいと言っていたが、やりすぎだ! うちは貧乏領地だぞ!」
思わず椅子から立ち上がり怒鳴ってしまう。動いた金は大金だ。金貨にして6000枚程の臨時収入が手に入った。そのうち半分は領民へ分配したので、手元には3000枚程増えた計算になる。
しかも、たびたび月光の商会の者が街に訪れてきて、もやしという作物の種、これが簡単に育てられ、しかも炒めても、シチューに入れても美味い上に食べ応えがある。これを一袋銅貨一枚という格安で領民に売ってくれた。
そして、トドメはアクセサリーや綿糸の服をこれまた格安で売りに来てくれたのだ。新品の服が金貨3枚など聞いたことがない。懐が暖かくなっている領民たちは、こんなチャンスは二度とないと、ここぞとばかりに買っていった。
しかもバーンたちには、お近づきの印にと、タダで。……いや、なぜか布着には金貨が数枚紛れ込んでいたので、タダどころではない。
常に幼女が無邪気な笑みで手渡してくるのだ。
街ではもう大人気者な幼女。怪我や病気を笑顔で治してくれて、見返りは領民が収穫した野菜や野苺。子供たちには蜂蜜入りのクッキーを配りまくってるし、その愛くるしい姿も相まって、人気にならないわけがなかった。
わかりやすすぎる買収であった。しかも、こちらはさして特産品もない貧乏領地。
「なにか要求してくれれば、なんでも手伝うのに! なんでなにも言ってくれないんだ! これだけ恩を売っておいて!」
くっ、と呻くバーン。しっかりバーンも買収されていた。最初は不気味でも、これだけ金を落として貰えば警戒心などは消し飛んでしまったバーン男爵であった。
元々優しい性格をしていたバーン男爵。領地を救われて、領民が潤い、自身も大金を貰ったのだ。役に立たない寄り親より、月光に好意が湧くのは当たり前であったりする。
「ならば月光という組織に参加すると手をあげましょう。いや、失礼ながらバーン様の今の状況では、相手はメリットを感じませぬ。ここは、忠臣である騎士を数人、役に立てて欲しいと送り込むのがよろしいかと」
ダランがフンスと息を吐き、強い口調で言ってくる。なるほど一理あるかもしれない。だが、ダランの考えは手に取るようにわかるんだけど。仕方ない、か?
「わかった、ならばダランが行くと?」
「はっ、私とレミー・マンサなら若いですし、アイ様のお役に立てるかと」
「お、お任せ下さい、バーン様!」
胸に手を当てて、我が意を得たりとダランが頷き、ダランの恋人でもあるレミー嬢も手をあげて気弱そうに答える。
他の騎士3人は歳をとり、ベテランでもあるので、領地を離れてもらっては困る。が、ダランのギラギラした目つきに苦笑を禁じ得ない。
常々、彼は貧乏領地を出て、立身出世を求めていた。だが、ぽっと出の田舎騎士が王都に出ても、立身出世は望めないと考える頭はあり、鬱屈した生活を送っていたのは知っていた。ベテランの騎士たちは若い時に必ずかかる病気のようなものですなと笑っていたが、チャンスが巡ってきたわけだ。
「よろしい。それではアイ様に提案をしてみよう、ん?」
コンコンとドアが叩かれるので、部下に開けさせると召使いが焦った様子で入ってきた。なんだろう?
「バーン様。アイ様がお目通りを願っています。そろそろこの地を去るので、ご挨拶をと」
「な、アイ様が? それは唐突だな。わかった、こちらも話したいことがある。すぐに通してくれ」
20日近くも滞在していたのだから当たり前ではあるが、それでも出立するとなると、驚いてしまう。
「バーン、月光との繋がりを持たないと駄目だからね!」
トリスが鋭い声音で言ってくるので、もちろんだと頷く。可笑しいなとも思う。皆は金に踊らされているのだろうか? あのトリスが、あれほどまでに警戒していたトリスまでもが。
……いや、恐らくは違う。もちろん金もあるがそれ以上に幼女には善意が見えたのだ。裏はあるかもしれない。いや、あるに決まっているだろうが、それは自分たちを苦しめるためのものではないと思える笑顔が幼女にはあった、
幼女だから当たり前だと言わればそれまでだが……彼女には叡智が垣間見えたのだ。底知れぬ叡智ときらびやかな才能が。
「あの、アイ様は皆が集まる広場にて挨拶をしたいと言っておりますが」
「ん? そうなのか? アイ様らしいな。それでは自分が行こう」
召使いの言葉に頷き、外へと皆で移動する。本来であれば男爵たる自分が平民のもとへ呼ばれて行くなどあり得ないが今更だ。明らかに彼女は平民ではないし。
広場まで移動すると、街の住民が大勢いた。老若男女勢揃いで、街の住民全員かもしれない。アイ様が帰ると聞いて集まっているのだろう。
その幼女はなぜか妖精と共に、地面に置いてある卵の前にいた。なにをしているんだ?
バーンたちが来たことに、ニパッと笑顔になり幼女は口を開く。
「皆さん! お集まりくださりありがとーございまつ。今日は出発前に皆さんへの挨拶と〜、ん〜と、うちの妖精が聖獣を召喚して、森林の護り手にしたいと言ってまつ」
聖獣? 聖なる獣? そんな獣は聞いたことがないが……。
「あたしの召喚術で、強くてかっこいい聖獣を召喚するぜ! それじゃ、レッツスタート!」
数々の英雄伝説で英雄を導くことで有名な妖精が得意げな表情で叫ぶ、そうして……。
「でんがらでんがらどかべがふんだ。でんがらでんがらどかべがふんだ。しょーかーんっ!」
幼女と二人で手を掲げて、卵の周囲を踊りながら歩き始めて、へんてこな掛け声をあげる。
ノリノリで楽しそうな二人になんだろうと見ていたら、空中に魔法陣が描かれた。
見たこともない何層もの魔法陣が重なり描かれ、どのような内容かは魔法使いではない自分にはわからない。トリスも息を呑んで、その魔法陣を見ていると数体のなにかが姿を現す。
「アラクネ? いや、これは違うのか?」
それはアラクネであり、アラクネでなかった。アラクネよりもスラリとした蜘蛛の赤い皮膚の下半身、上半身は若く美しい女性であった。アラクネは必ず上半身は老婆だ。しかも邪悪な空気を醸し出しており、一目見れば危険だとわかるが、目の前の存在は違った。
「綺麗だ……いてっ」
「服を着ていて良かったわ。あれは男の目に毒よね」
脇腹をトリスが抓ってきながら、頬をぷくっと膨らませる。たしかに良かった。綿布の上に革鎧をつけており、細いが強靭そうな槍を持っている。金属ではなさそうだ。
街の者たちは戸惑っていた。なにしろこの間まで自分たちを襲ってきたアラクネに似ているのだ。だが、美女の穏やかな表情のアラクネモドキを見て、どう反応すればよいか迷っていた。
「この娘はラング一族のモカ。あと何体かのラング一族を森林に呼び出しておきまつので、魔物の間引きをさせまつね。ちなみに草食性でつ」
「悪なる魂のアラクネと対する聖なる魂のラングだぜ! 基本は穏やかだけども、身を守る術は知っているから、殺そうとしたりしないでくれよな」
ニコニコ笑顔で幼女が言って、妖精があとを引き取る。聖なる対する存在……本当だろうか? だが、ひとつだけ理解してことはある。
「森林の採取権を求めたのは、あれを使う予定だったんだな……」
ため息を吐く。なるほど、俺たちになにも要求しないはずだ。彼女らの目的は最初から森林であったのだから。
「でも、これだけ手厚く援助してくれるのだもの。私たちを害するつもりはないってことよね?」
「そうだねトリス。だが、これで後には引けなくなった。実験場が必要なら、俺たちがアラクネに滅ぼされてからでも良かったのに、わざわざ助けてもくれたし」
危険はないでつよ、ほら、君と握手! と幼女が街の人たちへとラングと握手させているのを見ながら決意する。
月光の配下に入れてくださいとお願いしても、彼女たちは断らないだろうと思いながら、二枚目男爵は幼女へと決意した内容を伝えに歩み寄るのであった。