71話 貧乏男爵を歓迎する黒幕幼女
ガタガタと建付けの悪い古い車輌の音が石畳を通るたびに響く。時折、硬い木の椅子から浮き上がり、尻に衝撃がくるのが地味に痛い。
オンボロの馬車。格安で借りた古い馬車に御者を雇い、ハウゼン男爵は平民区を移動していた。
「お父様……その……大丈夫でしょうか?」
娘のニュクスが不安げな表情で尋ねてくるが、大丈夫だよとはハウゼン・ライズ男爵自身も言い切れなかった。
貧乏男爵。3000家を超える男爵家は、領土持ちを抜かすと名誉爵位としての側面が強い。ライズ家は昔々に王へと素晴らしい詩を贈った詩人が始まりらしい。
その詩に甚く感動した当時の王が、屋敷と男爵の爵位を下賜したのが始まりだとか。当時は売れっ子の詩人であり、うまく立ち回ったために財産も職も手に入れることができたとか。
今は貧乏法衣男爵だ。借金で首が回らなくなっている法衣男爵は多い。領土持ちの男爵すらも借金塗れの人が知り合いにいる。
特に贅沢をしたとか、良い思いをした引き替えではない。貴族社会は多少の茶会や、夜会へと出席したり、領土持ちなら一回の凶作であっという間に借金塗れとなる。
それでも役職があれば、未来はともかく利息程度は支払えていけるのだが……。自分は失敗してしまい先祖来の役職、役職と言っても穀物倉庫の管理役だが、それを失い今はこの状況であった。
早晩に爵位没収に加えて、奴隷落ちになるだろうとニュクスを知り合いの騎士に嫁がせようと、無理をして遠出したのだが、けんもほろろに断られた。こちらの困窮ぶりを相手は知っていたのだ。
借金を背負わされては堪らぬと、騎士に断られて無理をして用意した馬車で帰る途中、オークの群れに出会い、もはやこれまでかと思った時にギュンター卿に出会った。
あっという間にオークを斬り伏せ、お供の下級騎士たちも連携が上手く訓練されていた。
なによりも、着ている鎧が深い蒼色で素晴らしかった。下級騎士もよく見ると鋼の装備をお揃いでしていた。
なので、これこそ天の助けと、無理を承知でギュンター卿に、礼と言いつつお供の騎士へのニュクスの嫁入りを求めたのだ。まぁ、金持ちの方らしいのであっさりと断わられるだろうとも予測していたのだが……。
「スラム街に住んでいるとギュンター卿は言っていた。いや、元スラム街と言っていたが……。窮状をなんとかしたければ、主に会いに来なさいと金貨すら置いていってくれたのだ。大丈夫だと信じたい」
金貨を数枚ギュンター卿は置いていってくれた。是非、馬車にて訪問をと言われた際は羞恥で顔が熱かった。気を遣って頂けたのだ。当家には既に新たに馬車を借りることも難しかったので。
「ツケを回収しにきた商人にほとんど使ってしまって、馬車はこんなものしか借りれなかったのですが……大丈夫でしょうか?」
「うむ……それは大丈夫ではないかもしれん。恥知らずにも程があるからな。誠心誠意謝るとしようじゃないか」
残りのお金では格安の馬車しか借りれなかったのだ。もはや食料をツケでは売れないと商人が言った際に、今回は金を払うと金貨を見せたのが失敗であった。あっという間にツケを返せと持っていかれてしまったのだ。
「旦那〜。月光の正門につきましたぜ。なんと言えば良いんですかい?」
御者席に繋がる小窓が空いて、身なりのみすぼらしい御者がガラガラ声で聞いてくる。場末の御者などこんなものだが、恥ずかしい。いや、スラム街ならばこれでもマシか……うん?
「月光の正門とはなんだい? どこに着いたって?」
「冗談はよしてくだせえよ、男爵様。男爵が月光屋敷に行くように指示をなさったんじゃねぇか。ほら、門番に睨まれちまう」
御者の慌てる様子に、ドアを開けて外へと出ると
「壁? 門がある? ここはスラム街では?」
3メートル程度の長大な壁に、木の大扉。そして数人の槍を持った門番が立っていた。一人が御者へと何用かと尋ねていた。焦るように御者が私へと振り向いて
「男爵〜。いつの話をしているんですかい。とっくにスラム街なんぞないですよ。ほら、用件を門番に言ってくだせえよ」
「そ、そうか。スラム街はもうないのか。あ、うん、失礼した。門番殿、私はハウゼン・ライズ男爵。此度はギュンター卿の計らいで、ギュンター卿の主へと挨拶をしにきた」
久しぶりに貴族らしく胸を張りハウゼンが言うと、私よりも明らかに高そうな揃いの青色の制服を着て、上に革鎧をつけている門番たちが顔を見合わせて話し合う。
すぐに門番の一人が頷き、中へと走っていく。大扉は開けっ放しなので、歩きなら簡単に入れそうだが、というか、実際に人々の出入りは激しいが、馬車は別らしい。なんだ、いつの間にスラム街はなくなっていたんだ?
「ハウゼン・ライズ男爵様、お話は聞いております。中へとどうぞ。屋敷前の門にてダツ様がお迎えします」
「あぁ、ここは正門であったか。失礼した。御者よ、それではお屋敷に進んでくれ」
馬車へと入り直して、門をくぐる様子を見ながら安堵の息を吐く。
「なんだ、スラム街は既に無かったのか。恥をかいてしまったよ」
「そうですね、お父様。私も安心しました。よくよく考えれば、ギュンター卿がスラム街に住むはずはないですものね」
「そのとおりだね。やれやれ緊張していたのが馬鹿みたいだ。屋敷の中だと言うのだが、家々を大工たちが直しているのが奇妙に感じるが……。普通に平民は住んでいるようだが?」
通りに建ち並ぶ家々はひび割れを塗り直し、新たに家を建設したり、その反対で解体して瓦礫を運び出す人たちが目に入った。皆は活気があり、この夏の終わりの暑さでも懸命に働いている。景気が極めて良さそうだった。
ただ屋敷内と言っていたのに、なぜ人々が住んでいるのかは首を傾げてしまうが。
そうして、周りの活気ある様子を見ながら進むこと暫し。広い庭を持つ立派な屋敷が目に入ってきた。門前には既にマントを羽織り、青い制服に剣を履いた人が待っていた。
この間の方とは違うが、騎士だとその立ち居振る舞いで悟る。こちらに気づき門が開けられるので、軽く頭を窓腰に下げて、屋敷前に庭を抜けて進む。
「まぁ、可愛らしいワンちゃん」
刈り込まれた庭には犬が暑そうに寝そべっているのが見えて、ニュクスがその愛らしさに顔を綻ばす。子供が何人か犬に纏わりついて遊んでいるのが微笑ましいが……微笑ましいが……。
「あれはウォードウルフでは? いや、まさかな、庭に数匹いるようだが、ただの犬だな、ただの」
良く似ているが、子供たちが尻尾を引っ張っても無視しているのだ。よく躾けられた犬に違いない。犬に。
勘違いだと思う中で、屋敷からギュンター卿が出てきた。さすがに鎧は着ておらず、剣を下げているだけだ。
「ようこそ、ハウゼン男爵。儂の主がお待ちです」
「招待ありがとうございます、ギュンター卿。その、ですな、馬車なのですが」
使い込んだために、ボロい馬車になってしまったことを謝罪しようとするが、ギュンター卿は特に気にせずに案内として先行し始める。
「お気になさらずに。あれは差し上げたものですし、ハウゼン男爵の立場もわかりますからな」
なんという出来た方だと感動してしまう。同じ騎士でも、この間の騎士のように、声に出して貧乏男爵がと馬鹿にしてくるどころか、気遣いをしてくれる。これぞ立派な騎士というものなのだ。ニュクスも感動して目をキラキラとさせている。
案内されていく中で、窓は全て透明なガラス窓であることに気づく。調度品の類いが見えないが新築のようなので、まだ揃えているところなのだろう。主とは他国の貴族なのだろうか?
「こちらです。どうぞハウゼン男爵」
「失礼致します……?」
「え? これは?」
ギュンター卿に案内されたのは応接間であった。絨毯が敷かれテーブルに長椅子。上品な内装に調度品がチェストの上に並んでいた。
部屋でギュンター卿の主が待っているのだろうと中に入ったが、長椅子には幼女が横たわり、スヨスヨとお昼寝をしていた。それはもう気持ち良さそうに。見ているこちらが癒やされる黒髪ロングのお下げに結っている可愛らしい幼女だ。
部屋の隅には氷柱がいくつか並んでタライの上に置いてあり、夏の暑さでも涼しい。きっとこの家の子供が涼しいこの部屋をお昼寝部屋として忍び込んでしまったのだろう。
親に怒られるぞと、苦笑を浮かべる私とニュクス。ギュンター卿が幼女を怒るだろうと、その様子を見ていたが
「姫、ハウゼン男爵がいらっしゃいました。起きてください、姫」
恭しく声をかけるその様子を仰天する。この幼女が主? いや、本来の主は別にいてお守り役としてつけられたのだ。老齢の騎士がしばしば主にお願いされて、教育係兼護衛になるのはよくあることだ。
「もう朝でつか? ソファサイコー。綿を用意した甲斐がありまちた。ふわぁ〜、おはようでーつ」
欠伸をしながら、う〜んと背伸びをしたあとに可愛らしく挨拶をしてくる幼女。どうやら箱入り娘だ。勉強のために王都へ来た他国の高位貴族だろうか?
「お昼寝しちゃいました。ハウゼン・ライズ男爵様でつね。あたちは月光のアイともーします。平民です!」
元気よく両手をバンザイさせて、純粋共通言語で挨拶をしながらも、平民だと名乗る幼女。100人が100人、全員が信じないだろう名乗りだ。
わかりやすい嘘だと苦笑しながらも、その話に乗ることにする。他国の貴族と名乗るのは不味いと考えているのだろうから。実際はこの王都には他国の貴族は少なからず住んでいるのだが。まぁ、相手にも色々と事情があるのだろう。
「ハウゼン・ライズ男爵と申します。本日はお招きに預かりありがとうございます」
「ハウゼンが長女ニュクスと申します。アイ様にはご機嫌麗しゅう」
礼を失してはならない。なにせギュンター卿もいるのだから。見るからに幼女は世間知らずで優しそうだ。ダツ家の方に娘を嫁がせたいと申し出れば許可を出してくれそうだ。
これならばニュクスは助かると、悲哀を込めて話をしようとしてギクリとする。眠そうであった目をこちらへと見てくる幼女。その脅威でもなんでもない目に、知らずに汗をかく。
「スキップで。貴方のお話はギュンターから聞いてまつのでスキップで」
「スキップ? スキップとは一体?」
「貴方の話を聞く必要はない、ということでつ」
幼女にそぐわない静かなる声音に戸惑う。ならばなぜ自分を呼んだのかと、疑問を浮かべると、幼女はムフンと笑顔になった。
「ハウゼン男爵。お金に困り奴隷落ちが近いハウゼン男爵。そんな貴方に提案でつ」
「提案? 提案と申しますと」
「あたちは今2万4000人の配下を持つ身でつが、文官が圧倒的に足りないのでつよ。なので、貴方から始めたいと思いまつ」
文官? なにを言っているのだろうか? 他国の貴族がタイタン王国の貴族を雇う? いや、平民と名乗っていたな。
警戒心と共になにを提案してくるのか興味を持つ私へとアイと名乗る幼女はニパッと輝くような花咲く笑顔を浮かべて告げてきた。
「あたちと契約して、文官になってよ!」
その言葉に、さてどういうことなのかと、戸惑う貧乏男爵であった。