69話 貧乏男爵と黒幕幼女
床が軋む音がことさらに響き、何者かがやってくるのを老齢の男は察知した。鋭い目つきの老人は老いていても、その眼光の鋭さと強き者の空気を纏っている。
外は既に宵闇にあり、部屋は薄暗い。燭台に蝋燭が一本立てられており、夏の終わりの最中で怪談でも始めるかのような頼りない灯りであった。
ゆらゆらと蝋燭の炎が揺らめく中で、部屋の様子が見てとれるが、壁にヒビは入り調度品すらない。
ただ目の前にテーブルと座り心地の悪い長椅子があるだけだ。実際に自分も座っているが、ベンチのような硬さでありぺらぺらの万年床のような毛皮が申し訳程度に貼られているだけである。
有り体にいえば、質素ではなく貧乏なのだ。
足音が止まるとドアが開き、中年の男女とまだ年若い少女が中に入ってきた。少女の方はお盆を持ちその上には素焼きの壺といくつかの木の器が置いてある。
「遅れて申し訳ない、ギュンター卿。いやはや召使いがちょうど休みでね。なにがどこにあるのかわからなくて」
ハッハッハと笑いながら男性が謝ってくる。
その開口一番で言い訳をする男に苦笑を禁じ得ない。どう見ても召使いを雇える経済状況には見えない。が、老齢の騎士ギュンターは立ち上がり丁寧にお辞儀をしてから、優しい笑みを作り返答した。
「お気になさらず、ハウゼン男爵。儂は歳のせいか疲れておりましたので、ちょうど良い休憩となりました」
「そうですか、それは良かった。あぁ、ダツ殿たちもお座りになってください。」
朗らかに見せようとしながら、ハウゼン男爵とギュンターに呼ばれた男は長椅子の後ろで直立不動をしていたダツソードマンのケンイチ、ケンジとダツアーチャーのキュウイチ、キュウジへと声をかける。
ギュンターが頷くのを見て、ダツたちは椅子へと座り……ミシミシと長椅子は嫌な音をたてるのであった。
「ハハハ、良かった、長椅子が持って……ではなく、改めてお礼を。このハウゼン・ライズ、命を助けて頂き感謝の言葉もありません」
ハウゼンが深く頭を下げてくる。そこには誠意しか感じない。
「ありがとうございます、ギュンター卿。夫たちが亡くなったらと思うと……感謝の言葉もありませんわ」
「ちょ、長女ニュクスと申します。い、命を助けて頂けてありがとうございます!」
奥さんと長女も笑顔で頭を下げてきて、ハウゼン男爵はワインをギュンターへと勧めてきた。
「ささ、ワインをどうぞ。こんな礼しかできず、大変申し訳ない」
命を助けて貰ったのに、これしかできないことに引け目を感じているのだろう。三人揃って元は上質な服を着込んでいるが、元は上質な服ということは、現在は色も落ち見るからに古着だとわかるのだ。それに加えて痩せていて余裕がありそうにはまったく見えないので、みすぼらしく見えていた。
……時間がかかったのはワインを買う金を用意していたのではないかと邪推してしまうが、せっかくの好意である。
「ありがとうございます。では、まずは私が」
スッとギュンターに勧められたワイン壺へキュウイチが器を差し出す。ハウゼン男爵はその様子にピクリと眉を動かす。不躾とは思わなかった様子に、貴族としての最低限の教育はされているのだろう。
「大変申し訳ない。私は最近そういった物事に疎くて。まずは私がお飲みしましょう」
自分の器にワインを注ぎ、一口飲むハウゼン。毒見が終わっていないとキュウイチがアピールしたことに気づいたのだ。そして、その口元が怒るでもなく、さらに笑みに変わったことにギュンターは気づいた。
さぁ、どうぞと勧められるので、今度はギュンターも素直に器に注いで貰う。ふむ……なぜ笑みになったのだ? 違和感を持つギュンターはハウゼン男爵の家族を見る。
事務も大変だが軍の訓練もしなければならぬとマーサに言い残して、森林にて訓練をしていた時に助けた相手を見ながら。
オークたちに襲われていたボロ馬車。まさか貴族だとは思っていなかったが。
助けて見たら貴族であったのだ。貸馬車で安っぽく御者も王都で雇った臨時の人。
姫がいつも口にするテンプレと言うやつ。助けたら王女だったり、高位の貴族なんでつと笑顔で語っていたが、口癖のハードな異世界でつと、いつも言っているように、そう上手くはいかなかった。
まぁ、この世界の王族や高位の貴族なら護衛が腐るほどいるだろうし、通り道にどのような危険があるかも、先行する騎士が調査しているのだろう。
それができないのは、貧乏貴族。己が腕に多少の自信はあるが、オーク十数体には敵わないレベルの貴族となるわけだ。
それがこのハウゼン・ライズ男爵。異世界テンプレで出会った貴族であった。
さぁ、どうぞどうぞと勧められるが、ワイン1壺ではあっという間に無くなるので、遠慮をしながらギュンターはちびちびと飲む。酒好きなギュンターとしては、この世界のワインはいまいちだが、それを表情には出さないぐらいの礼儀はある。どこかのすぐに不味いと口に出す正直者の勇者とは違うのだ。
しばらく命を助けて頂けてと、何度となく礼を言われて、手を振りそれ程のことでもありませんと、ギュンターが答える中でハウゼン男爵はウンウンと嬉しそうに頷き、婦人も長女のニュクスも笑顔を絶やさない。
警戒をするべきかとギュンターが思い始めた頃に、ハウゼン男爵はコホンと咳をして、躊躇いがちに口を開いてきた。
「ギュンター卿は他国の騎士でいらっしゃるのか? いや、オークを一撃で倒すその腕前と見事な武具を身に着け、その仕草も礼儀正しく高位の方だとは簡単に予想できるのだが」
「ふむ……。儂は今はある方に仕えているが、他国の騎士ではない。言うなれば傭兵と言ったところか」
一応相手は貴族。念の為に月光の名前は出さずにしておくと、ハウゼン男爵はその答えに笑って返してきた。
「ハッハッハ、傭兵などとご冗談を。それだけのお力を持ちながら」
「そうであったな。たしかに傭兵とは言葉が違ったか。だが貴族に仕えている訳ではない」
肩をすくめて儂は訂正するが、ハウゼン男爵の目的がわからない。こちらの素性を怪しく思い探っているのだろうか? それにしては様子が変だ。緊張しているのはわかるが、なにがと首を捻ると、ハウゼン男爵は身を乗り出して
「ギュンター卿! 命を助けて頂いたお礼に、貴方にお仕えしているダツ家の騎士の方にニュクスを嫁にと思っておりますがどうか?」
勢い込んで、必死な様子で告げてきた。
「はぁ?」
思わず素に返ってしまう。嫁? ダツ家に? あぁ、ダツが家名だと勘違いしたのか。そりゃそうか、儂は家名を持たないが、ダツたちは必然的にそうなるな。
さすがのダツたちもキョトンと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。これは少し予想外だ。
「ハウゼン男爵。ニュクス嬢ならば婚約者がいるのでは? なぜ斯様なことを? 礼にしては反対に礼を失していると儂は思うが」
ちらりとニュクス嬢へと視線を向ける。くすんだ金髪のソバカスが僅かに残る少女だ。16歳ぐらいであろうか? 古ぼけた服装や痩せている身体付きから純朴な田舎娘と表現した方が、貴族というより似合ってはいるが可愛らしい少女だ。
カチンコチンに身体を強張らせており、こちらの反応を夫人共々待っている。
「……これもなにかの縁でございます! どうかニュクスをダツ家に嫁がせてください! 礼でございます、お礼!」
掴みかからん勢いで、ハウゼン男爵は言ってくるが困ってしまった。なんなんだ? テンプレというのか、これが?
アイが聞いたら、貧乏貴族との婚約なんてテンプレはねーでつ。侯爵家とか、伯爵家が不自然に主人公を取り込もうと言ってくるんでつと怒るに違いない。
そして妙齢の美少女が婚約者が偶然いないなんてあるわけないから、絶対に陰で婚約破棄を喰らった男性がいるはずとも言うに違いない。常に裏を考える疑り深い幼女なのだ。
おっさんが疑り深いともいうが。ウォーカーをしているとそんなもんだと、言い訳するだろう。おっさんが疑り深いだけだと思うのだが。
「ハウゼン男爵! いったいなぜ? 理由がお有りであろう? 教えて頂きたい!」
強めな口調で答えてハウゼン男爵に落ち着くようにと、手を突き出して制止する。
そしてその理由を姫にぶん投げよう。儂は戦い以外はさっぱりなのだ。戦いの機微はわかるが、このような頭を使いそうなことは判断できないのだ。
ギュンターは真面目で自覚ある脳筋であった。
強めに言う儂へと、ハウゼン男爵はゴクリとツバを飲み込み、言いづらそうに口を開く。緊張しているので、汗が流れているのが、見てとれた。
「我が家は早晩取り潰しに合う可能性が高いのです、ギュンター卿」
「取り潰しに? なにかヘマをなされたか?」
その内容を聞いて目を細めるが、ハウゼン男爵は苦々しい表情でかぶりを振って、ぽつりぽつりと自身の内情を語ってきた。
「ヘマといえばヘマでしょう。私は男爵の地位を代々受け継ぐ家系ですが、領地も無く法衣貴族です。職を得なければ貴族給金として年金貨30枚を国から貰えるだけの」
テステス、こちらギュンター。姫になにやら困った事態を経由してお伝えします。
早くも老人はアイへと話をぶん投げた。姫からりょーかいと楽しそうな声が帰ってきたので、あとは安心して重々しくわかったように頷いていればいいだけである。
昔から取引先から話を持ちかけられたら、速攻団長に頼る爺さんであった。
「家の維持にも金は掛かります。当然貴族給金だけでは足りません。なので若い頃は王宮で穀物倉庫の一部穀物を数える役目をしておりましたが……その、ヘマをしてしまいましてな。職を失ったのです」
ウムウムと重々しく頷いてギュンターは思う。今日はよく働いたし、日本酒を飲もうと。
傍目には真面目に相手の話を聞いているように見える老人である。アイがいない間も判断を求められたら、ぶん投げていたのだ。念話がなければ、アイは出かけられなかっただろう。
頭は悪くない。戦場での勘や判断力も極めて高い。ようはゲームで言う統率力、武力、知力が高く、政治力が低い爺さんであった。
「それ以来、なんとか職を探そうとしておりましたが、先日ようやく職が見つかりそうになりまして……」
「良かったではないか。……そうはいかなかったのだな」
「はい、慣例として、ようは賄賂ですがつけ届けを高位貴族に払いました。金貨300枚」
悲しげな表情でハウゼン男爵は項垂れるが詐欺にあったのかと疑問に思う。高位貴族ならば、端金であるのだから、醜聞になるようなことはするまいと。
「ムスペル家。筆頭公爵にして、最大派閥の家に頼っていたのですが、次男が魔法による自爆……謀略であろうとは思いますが、自爆ということで他家の侯爵家次男を巻き込んで死んでから逆風が吹きまして。現在は自分たちの身を守るのに精一杯となり、私のような木っ端の職を用意する余裕はなくなってしまったのです」
はぁ〜、と深く息を吐くハウゼン男爵。夫人たちも悲しそうに表情を変えていた。
「そ、そうか。それは気の毒に」
もちろんギュンターもその話は知っていた。現在貴族たちは勢力争いが激しくなっていることも。
そして不思議なことに、公爵家の次男が死んだ理由も覚えがある。ちょっと額に汗がたらりと垂れてしまう。
「これまでの借金も合わせて金貨500枚。お恥ずかしい話ですが、もはや当家には返す宛もなく、借金が返されないと商人に訴えられて家を取られ取り潰しに合うのを待つばかりなのです」
益々落ち込んで、暗い雰囲気となりハウゼン男爵は泣きそうな顔で言葉を紡ぐ。
「ニュクスだけでも逃がせればと、知り合いの騎士へとお願いに行き、断られて帰ってきたのが、ギュンター卿に助けられた時だったのです。娘は助けたい。私たちは貴族の恥と陛下から奴隷落ちを命じられるでしょうが、娘だけは助けたいのです。どうかお願いを聞き届けて頂けないでしょうか」
どうかどうかと頭を下げてくるハウゼン男爵とその家族。さすがに気まずいが……。
「ギュンター。この可能性はあるとわかってまちた。魑魅魍魎の政治の世界。貴族の地位にいるとはそ~いうことですし、影響が各所に出るのはこれからもありまつ。ですが、あたちは茨の道を歩むと決めているのでつ。ギュンターも気にするなとは言いませんが、殊更に悩まないで下さい」
念話にて届けられる姫の優しく気遣う言葉に苦笑してしまう。相変わらず優しい方だ。そして冷酷でもある。どこの世界も同じものだ。サラリーマンだって、昇進すれば割を食う人間はいるし、商売だって売上を上げれば、陰で売上が下がり泣く人間もいる。政治の世界も同じだけだ。
「お気遣い無用ですぞ姫。戦いの相手を気遣う程、儂も優しくはありませぬ」
「……そうでちたね、失礼しまちた。では、頼りになるあたちの騎士よ、これを奇貨としましょー」
気を取り直した姫が言う指示に頷き、ハウゼン男爵へと優しく告げる。
「ハウゼン男爵の窮状、分かり申した。ならばどうでしょう、我が主に会ってみませんかな?」
新たなる戦略を立て始めた主の指示に従い、聖騎士は老齢に似合う渋い笑顔で提案を語るのであった。