54話 ソムリエな勇者ガイ
薄暗い地下室。ズラリと並ぶワイン樽。かなりの高さまで積まれており、酒の卸業者のワインセラーだとわかる。夏の暑さでは、地上に置いておくとすぐにビネガーになってしまうので、地下室は必須なのである。
そのワインセラーには何人かの人間が椅子に座り丸テーブルを囲んでいた。
強くてかっこいい男が、銅のジョッキを手にして、まずは香りだとゴツい手で嗅ぐ。犬並みの嗅覚を、いや、ソムリエに相応しい嗅覚を持つかもしれない二枚目な男は髭もじゃの顔にフッとニヒルな笑みを浮かべる。髭もじゃだから、よくわからないが、たぶん二枚目なんだろう。
うむうむとわかったような顔つきで頷いて、口に一口ワインを含む。また、うむうむと頷いて、キリリと顔を真剣な表情へと変えて周りを見渡す。
ゴクリと対面にいる男がつばを飲み込む。緊張で汗が一筋たらりと流れる。
「ふっ、このガイ原雄山の舌は誤魔化せん! このワインは薄くて水っぽいぞ!」
微食クラブを経営して、破綻させたこともあるんだぜと、フンスと自分の過去を捏造するガイ原雄山である。
「ガイ様、このワインは水で薄めてあります」
「あ、そうなん? へー、いや、わかってたよ? ガイ原雄山だからね? あっしは食通だから。そっか、ここらへんでは、水で薄めるの?」
マーサのツッコミに慌てるガイである。わかってた、わかってたんだよと慌てて目を泳がせているので、すべてはお見通しだったに違いない。
アイがいれば、古代ローマ時代の飲み方だねと教えてくれるだろうが、今日は来ていなかった。幼女にお酒はまだ早いので。
「申し訳ありません。そのままお飲みになりますか?」
丁寧に頭を下げて相手が尋ねてくるので、頂きますと貰うことにする。今度は水で薄められることもなく、そのままで。
「はぁ、そこそこ美味いのかぁ? でも味に深みがないな。10年物とかない?」
ゴクリとワインを飲んで、あんまり美味しくないなと、さらなる美味しさを追求するガイ原雄山である。金に糸目はつけないつもりらしい。以前の金遣いの荒さがわかる発言である。
「じゅ、10年? ワインはその年に飲んじまいやすが?」
「……あそ。なるほどねぇ」
「ガイ様、今日は酒場に使うお酒を買いに来たのですよ? ワインは高いのであまり需要はないかと」
冷静なる忠告をしてくれる出来る召使いマーサである。ソムリエをやりたかったおっさんがワインの試飲を始めたのだ。ワインは少し高価だから、元スラム街ではあまり売れないのに。
「あぁ、そうだった。すいません、少しあっしのソムリエ力がワインを試飲しろと言っていたもんで」
「ソムリエって、なんですか?」
「あぁ、勇者の固有スキルですぜ。まぁ、気にせずに買い付けをしますか」
適当な言葉を羅列して誤魔化す山賊に、召使いは首を傾げるが、とりあえず頷いておく。
たまにガイ様はよくわからないことを言うので、慣れてしまったマーサである。そんなアホなことには慣れない方が良かったと思うが。
「まぁ、ワインは3樽ぐらいは買っておこう。稼いでいる奴もいやすしね。エールは、エールの試飲も必要ですかい? エールはまったく味がわからないんですが? あっしはラガー派で、不味く飲むやり方だと言われてもジョッキをカチカチに凍らせてラガーも冷え冷えじゃないと、飲まない派なんですが」
無茶振りをする男である。この異世界でも、自分の味の好みを追求する勇気ある者、ガイ原雄山がここにいた。
マーサはガイのヘタレた言葉にクスリと笑ってしまう。この人は物凄い舌が肥えていると。以前はどのような暮らしをしていたのだろうか?
「安心してください。エールは私が試飲しますので」
頼りになる美女マーサ。さすがはマーサ、連れてきた甲斐があったとガイは安堵するが、ガイが頼りにならなすぎるという現実には目を逸らしていた。
勇者ガイは都合の悪いことはスキップ出来る記憶力があるのだ。なので、いつも幼女に怒られているような気がするが気のせいに違いない。
次にエールをマーサが飲み、ガイは素敵っマーサさん、あっしは生温いエールを夏に飲めないわと、どちらかというと反対の立場なんじゃと思わせる山賊おっさんチックな姿を見せていた。
マーサは飲み終えて、ふむと頷き感想を言う。
「悪くないですね。品質に問題はありません」
「でしょう、マーサさん。うちは真っ当な酒造りをしてますんでね。それではご購入ということで?」
酒問屋の男は揉み手をしながら、愛想よく答えてきた。他の男たちも、うちのエールを飲んでみてくださいとアピールして一気に騒がしくなる。
皆、必死にアピールをしている。なぜならばスラム街、いや、もはや元スラム街となった場所に出来た新築ピカピカの酒場に酒を卸せるかどうかの瀬戸際だ。
スラム街の住人の多さはだいたいわかっている。それらの人々は24000人、最近は大工もぼちぼち移り住み始めたので、もっと増えている。その人たちが飲みに行く、または家に持ち帰りするために行く酒場。
その酒場の数はなんと16軒! 足りなければまだ建てるらしいが、それだけの数の酒場に卸す酒の量はとんでもない事になる。買い付けの人間へと媚びへつらうのは当たり前であった。
幼女はゲームのカリブ海の島の独裁者のように、植民地時代はこの政策だよねと、酒場を大量に作り、住居を後回しにしていた。
生水を飲むならエールをというドイツ並みの飲酒量を誇るのがこの世界の特徴というか、不衛生な中世前期並みの文明の常識なのだ。金貨にして月にザッと500枚は動くかもしれないし、景気が良いスラム街の人間はワインも飲む者も出てくる。一括して酒を買い上げる上客にアピールアピールである。
「わりぃが、一つの酒問屋から一括して買い上げるわけにはいかねぇぜ。最低三つの酒問屋から買うように言われてるんでね」
問屋の人間は、その言葉に顔を見合わせる。なるほど、月光のボスは頭が良い。一括して一つの所で買い上げると、あとで値段や品質を変えられても気づかないと考えているのだろう。
ならば談合かとも思うが、酒の品質を同等に落とすことや金額を上げるのは難しい。どうしても裏切りがでるだろうから。他の商会を蹴落とすことに躊躇いはもつまい。
油断ならない相手が後ろにいるのだと、目の前の使い走りのような小悪党へと金額を提示する。
「エール樽を金貨1枚でどうでしょうか? 9樽で金貨10枚といったところで」
「あん? そりゃ高くなってるじゃねぇか? あっしはこれでも大学を卒業しているんだぞ」
「いえ、金貨1枚はガイ様へとお返しするということで。ふへへ」
そういうことかよと、ガイは呆れた視線で椅子へと凭れ掛かる。ふざけるなと清廉潔白な男として怒鳴っても良いが……。
「親分、賄賂付きの提案をされましたぜ」
ガイは判断をぶん投げた。清廉潔白なキャラはギュンター爺さんに任せれば良いし、この世界ではこのような話は当たり前だろうがどうしようかと。
親分にはすぐに念話が届き、これこれですと伝えると、すぐに判断を下してくる。
「なめてんの、そいつら? 賄賂に見せかけて全然賄賂じゃねーでつ。あたちの財布の中身を賄賂にしてるじゃねーでつか。エール樽は10樽で金貨10枚。そしてガイに金貨1枚のキャッシュバックで取り引きでつ」
「賄賂は貰うんですね?」
「当たり前でつ。清廉潔白な店主相手の取り引きも良いでつが、たぶん貴族へのつけ届けとか、当たり前の世界でつ。田沼時代は川は多少汚れていて住みやすかったというやつでつね。そういう奴らは頭がまわり有能なのが多いはず」
ははぁ、とガイは感心する。さすがは親分、色々と考えている、たしかに貴族へのつけ届けが当たり前の世界なら、あくどいとは言えないだろうし、断ったら目立つことは間違いない。
「情報漏洩とかの賄賂は許さないでつけど、こういうのは許しまつ。ガイは適当にそういう奴らを集めれば良いでつ。情報部部長でしょ」
「ヘイ、それならお任せくだせえ。この勇者ガイに。特技 小悪党に見える!」
念話を終えて、特技を使う勇者ガイ。特技を使わないと強くてかっこいいあっしは小悪党に見えないからと考えていたが、パッシブで小悪党に見られるのには気づいていなかった。
バンとテーブルを叩いて威嚇するように怒鳴る。
「なめてんの、お前ら? 賄賂に見せかけて全然賄賂じゃねーじゃねーか。月光の財布の中身を賄賂にしてるじゃねーか。エール樽は10樽で金貨10枚。そしてガイに金貨1枚のキャッシュバックで取り引きだ。あ、間違えた、あっしにね、あっしに」
アイの言葉をパクっていた。さすがは勇者、幼女のセリフをパクる勇気ある者である。
周りの男たちはガイの言葉に怯み、コクコクと青褪めて頷き要求どおりにするのであった。
酒蔵を出て、ガイはう〜んと背伸びをする。夏の陽射しが目に入り眩しい。
「良かったですね、ガイ様。こちらの想定どおりの要求がとおりまして」
「ありがとうございやす。これで親分に良い報告をできますぜ」
酒問屋の男たちが頭を下げて見送りする中で、ガイたちは歩き始める。
「ですがよろしかったのですか? その金貨1枚の件ですが」
おずおずとした表情で聞いてくる美女の召使いへとあっさりと答える。心配は無用だ。
「これは親分の指示どおりですんで大丈夫です。あっしの懐が温かくなるかは不明でやすが」
財布には金貨50枚ある。500樽のエールを取り敢えず買い付けたのだ。賄賂として金貨50枚。ジャラジャラと財布の中でうるさく鳴っていた。しかし、ガイの予知能力で未来が見える。幼女がキンと冷えたビールにポテチはいかがとワゴンにぶら下がっている姿が見えるのだ。たぶん気のせいではない。
「アイ様は既にこの状況を読んでいたのですか? 金額まで?」
マーサが目を見開き驚くので、肩をすくめるに留める。念話ができるのは重要機密だ。ばらす訳にはいかない。
さすがはアイ様と感心するマーサを見て、苦笑いをしつつ思い出す。
「そういや、マーサさんにも報酬がないといけませんな。これどうぞ」
懐からチャラリと銀の輝きを見せる髪飾りを見せる。
「せっかく鍛冶スキルを、いや、鍛冶をあっしはできるんでね。この間、銀のインゴットを買ったんで作って見たんでさ。試作で悪いんですが」
髪飾りは可愛らしい鳩の形をして、デフォルメされて可愛らしかった。若い女性に受けるアクセサリーを作るのです、ガイは手先が器用でしょと言われて作ったのだ。何十個か良い出来のができればスミスにパターン化させて量産させるらしい。
「まぁ、ありがとうございます、ガイ様」
自分には多少可愛らしいすぎるとは思うが、立派な髪飾りだ。この人は相変わらず見た目と違い優しい方ですねと、マーサは嬉しく思い、そっと髪飾りを受け取る。このような品をプレゼントで貰ったのは初めてですねと思いながら。
まぁ、試作品なんでと苦笑をしつつ、ガイは雑踏の中へとあるき、隣でマーサが微笑みながらついていくのであった。