52話 商人少女と家族たち
贅沢な内装の部屋。窓ガラスが煌き、毛足は短いが床の全面を絨毯で覆っている。アイアンツリーを使ったデスクと椅子。棚には羊皮紙が丸めて積み重ねられている。
仕事場であるのに、これだけ贅を尽くした部屋は穀物、肉、革を扱う大商会フロンテの執務室である。
そこには今、4人の人間が集まっていた。
王都で大店の地位を守る、寡黙で気難しい顔をした商会主フロンテ。
穀物部門を任されている15歳の痩身で神経質なロンデル。
肉部門を任されている14歳の小太りでおおらかなテルテ。
革部門を任されている12歳の美少女の私、シル。
家族でもある4人は椅子に座り、睨み合うようにして、和気あいあいとした様子を見せずに、ピリピリとした雰囲気を醸し出していた。
「シル! なぜ、俺から買い取った穀物を損をしながらもスラム街の連中に配った? テルテから買い取った肉も配ったらしいな?」
先程から続く追及に、つまらなそうに見つめ返す。
「配った訳ではありませんわ。ちゃんと代金は貰っておりますもの」
耳の早い兄たちだことと、舌打ちしつつとぼけて見せる。もちろん兄たちの返答は決まっていた。怒りを装ってくる、だ。
「配ったも同然だ! ほぼ原価で売ってるじゃないか。なんでそんなことをした? 理由があるんだろ!」
「そうだね、僕も理由を知りたいよ。僕たちからは店に卸すのと同じ金額で買い取っている。それをわざわざ安い金額で売るなんて正気じゃない。しかも少額じゃない。金額にして金貨4000枚は赤字じゃないのかなぁ?」
二人して商会の者として相応しくない行動だと責めてくる。たしかに自分も兄たちの誰かが同じことをしたら詰問するに違いない。
まさかなんの目的もなく、安く売るとは考えていない。なにか目的があるのだと予想して。
「俺たちが貴族へ頭を下げて苦労して手に入れた物を無駄遣いとは困るんだよ!」
「うんうん、いくら買い取ったからあとは関係ないと言われてもね〜。気分的に悪いんだ」
はぁ〜、と相手にわかるようにため息をつくと、二人共、少し怒気を纏ったように見える。本当に怒ったかしら? あからさまですし。
「彼らには借りがありますの。とんでもない情報の見返りですわ。スラム街の住人は意外な情報を持っていまして。彼らも役に立つのですね」
飄々と答えておく。本当の理由を言う訳にはいかない。
誤魔化した返答に、ロンデル兄さんはピンときた様子であった。まぁ、間抜けでもなければ、気づくことではあるが。
「陽光傭兵団が蜂蜜を隠し持ってたってやつか。……たしかに凄い内容だが……金貨4000枚もしたのか」
「いえ、毎月ですわ。自分たちの情報がどれだけ重要なのか彼らは知っていましたの。なので、陽光傭兵団と蜂蜜の取引を続ける期間は格安で穀物と肉を売らなければならないのです」
少し無理がある説明かしら? でも、これで押し通すとシルは決めている。アイからは慈善としてスラム街に売ったことにすれば良いと言われていたが、それならもう少し控え目な行動を彼女にはとって欲しかった。
「そんな馬鹿な話があるか! 契約書もないのだろ? 止めれば良いだろ!」
ロンデル兄さんは怒鳴り散らすが、それを聞いてテルテ兄さんは考え込む。どうやら情報網はテルテ兄さんの方が上らしい。知らなければ良かったのに。
内心で舌打ちをする私へと、テルテ兄さんはしっかりと見据えてきて、口を開く。
「そういえば、最近のスラム街は騒がしいらしいね。なにやら血なまぐさい。ボスが武闘派になってなにか弱みを握られた? 草鞋を流行らせる頭の良いボスだとか」
少し情報が古い。が、いい線をいっている。そうですと、少し怯えた表情で私が頷こうとした時
「月光」
「は?」
「ゲッ……なんですか?」
お父様がゆっくりと呟く言葉にギクリとしてしまう。
「スラム街を統一した組織だ。草鞋をスラム街の住人に作らせて、木靴屋を潰し自分たちの配下に取り入れた。そして今はリバーシを流行らせて、木のアクセサリーを手軽な金額で売りに出し、スラム街に自分たちで作った家具を売っている」
よく調べている。私がまだ掴んでいないことさえ。眼光鋭くお父様は私を見てきて、その口元を歪める。
「まさかセバスが本当になにも気づいていないとでも? 信じられんことだが、貴族に頼らずに急速に月光は支配地域を広げている。僅か数ヶ月で中規模の商会レベルだ。一年後はうちを超える規模になっていてもおかしくない」
セバスは監視役とは思っていたが、スラム街を見下す態度と、間抜けな様子に油断していた。あれは演技だったのだ。しっかりと裏では月光のことを調べていたに違いない。
「ボスは他国の騎士。老いてはいるが腕の良さそうな男だとか。他にも数人の騎士がおり、なによりウォードウルフをテイムできる固有スキル持ちらしいな」
あら、ボスの名前が違うわ、お父様。あそこのボスは幼女よ、幼女。
内心でツッコミを入れるシルだが、訂正はしなかった。そちらの方が都合が良さそうだし。
そんなシルの考えには気づかずに、お父様はニヒルな笑みで睥睨してくる。
「あとは、幼女が可愛らしい孫のようです、とか、引き取って養子にしたいです、とか。幼女と一緒に散歩に行きたいです、とか……。まぁ、ここらへんはいらない情報だな」
セバスの情報は物凄い偏っていた。あの老人は孫息子しかいなかったわね、そういえば。
「さて。私の情報に誤りがあるかな、シル?」
「……さすがはお父様。しっかりと調べてらしたのですね」
誤りがあるとも、問題ないとも答えない。言質を取られることは避けたいですし。でも月光をよく調べてあるわ、さすがは商会主ね、お父様。
「高い武力を備えているということですか、父さん。……契約を破ったら報復行動があるのか、しくじったな、妹よ」
ロンデルが薄笑いを浮かべて、こちらの瑕疵をついてくるが、肩をすくめるに留める。
「私の儲けは知っているでしょう、兄さん? 今月の利益は2万に近いわ。この利益を毎月出せれば、穀物部門に匹敵するかもね」
「蜂蜜の利益が主じゃないか。そんなのはマトモな儲け方じゃない。いつまで供給されるかもわからないし、貴族が飽きるかもしれない。他の者も蜂蜜を取りに向かってるんだ、いずれは大量に出回って、値崩れするかもな」
嫌なところをついてくるがそのとおりだ。だからこそ、その前に決着をつけたい。今月のみの儲けでは大きな顔はできないが、一年この状況が続いて欲しい。
「その利益の中で月光へ食料を融通してるのです。文句はないですよね、ロンデル兄さん」
「……父さんはどう思ってるの? 穀物や肉は原価で売ればたしかに損はないように見えるけど、確保するための貴族へのつけ届けや、様々な無茶な要求をこなしてきたからこそ、大量に確保できていると思うんだけど。原価で売ってたら、実際は大損だよ」
「そ、そうだ! テルテの言うとおりだ! うちの信用問題にもなるぞ! シル、これからスラム街に行って来月からは融通できないと、はっきり断ってくるんだ!」
スラム街に行って、そんなことをアイに言ったら、次の蜂蜜は貰えない。そんな裏も知らないで言われても困るし、今の話なら私は断りをいれに行ったら、殺されてしまうだろう。ロンデル兄さんはちょっと酷いわ。
……にしても、テルテ兄さんはおおらかな性格に見えて、本当にこちらが嫌がることをやってくれるわ。テルテ兄さんの方がロンデル兄さんより才覚は上ね。
「……月光は他国の組織らしい。悪竜を倒せる程の組織とか。眉唾ものではあるが、資金と人材の両方を持っているかもしれぬ」
「テイマーの固有スキルとなると、どこの国かは想像が簡単にできますが、あそこはタイタン王国から遠すぎませんか、父さん」
「テルテの言うとおりだ。それにテイマーは貴重なスキルのはず。かの国ではないのかもしれない。とするとだ、これからなにかが起きるやもしれんからな。落ちぶれた他国の貴族にしては少し様子がおかしい」
あら、テイマーの固有スキルを持つ国から、相手が何者か考えるのね。たしかに確実ですけど、あの幼女は共人だわ。それに、なんとなく違う感じがする。なんというか纏う空気が、月光の者たちは違うのだ。
「であれば、だ。利益も出ているし、ここは貴族へのつけ届けと同じだ。月光との縁を繋ぐのも良いだろう。今のところはな」
「ありがとうございます、お父様。それでは来月からも同様の取り引きを致します」
フロンテお父様はさすがは大商会の主だ。短絡的ではなく、長期的な目で行動する。月光はこれから蜂蜜以外に大金が動く物は出さないと思うけど、あった場合は自分から取り上げるかもしれない。アイとは仲良くしなければならないわね。ちょくちょく顔を出しましょう。
ロンデル兄さんがこちらを酷く睨みつけながら去っていき、私も頭を下げて退出する。
正直、セバスを見くびっていたので、どうにか情報が流れないようにしたいのだが……。無理だと気づき諦める。精々私の功績をお父様にせっせと送り届けてもらおう。
「待ってくれ、妹よ」
後ろから声がかけられて、床がドスドスと音をたてる。振り向くと、テルテ兄さんが笑みを浮かべて声をかけてきていた。
「どうしました、テルテ兄さん?」
まだなにかいちゃもんをつけるのかしらと、警戒気味に尋ねる私へとテルテ兄さんは面白そうな目で見てくる。……何かしら、少し嫌な感じだわ。
「いや、月光という組織。そのボスに僕も御目通りしたくてね。どうだろう、紹介してくれないかな?」
「……テルテ兄さん、月光はスラム街の主よ? 危険極まりない相手だからやめておいた方が良いわ。私もいつもこわごわ行っているのだから」
怖がるフリをして、自分の身体を抱きしめる。少し震えてみせた方が良いかしら?
だがテルテ兄さんは、その言葉に笑いで返してきた。
「ハハハ! 随分と面白いジョークだね。最近聞いた中では一番だよ」
「むっ、私が嘘を言ってると?」
気分を害した演技で睨むと、テルテ兄さんは笑いながら目は真剣な様子で顔を近づけて、耳元で囁く。
「今や、あそこはスラム街なんかじゃない。大工がこぞって仕事を貰いに日参している開発地域さ。月光の資金で大規模な開発をしている。お店もできるだろうし、これからの金の生る木かもしれない」
「……知っていたのですね。それならばさっきはなぜ言わなかったのですか?」
「ん? もちろん可愛らしい妹を蹴落として、取り引き相手として自分が名乗り出るつもりだったからさ。父さんだって、ロンデル兄さんだって、とっくに調べている。知らないフリをして間抜けぶりを演技していたロンデル兄さんには拍手喝采ものだ。兄さんは役者になれるね」
……私は随分惚けていたみたい。どうやら兄たちを見くびりすぎていたらしい。出し抜かれないように気をつけないと。
「で、僕はこれだけ手札を晒したんだ。可愛い妹よ、答えは?」
歯噛みをしそうになるが耐えておく。テルテ兄さんを完全に敵にするわけにはいかない。
口元を引き攣らせて、商人少女は兄へと返答をするのであった。