42話 商人少女は様子を見に行く
フロンテ商会の若き商人シルは、馬車に揺られて平民地区を移動していた。活気のある王都。多くの人々が行き交い、馬車が走り、店にはたくさんの野菜などが並んで、店主が声を張り上げている。
これだけの規模の市場がある街など、王都以外には滅多にないと他所から来る商人や家庭教師に教えて貰った。そんな王都で大きな商会を構えるフロンテ商会が誇らしい。
商会主になれればもっと誇らしい。そんなチャンスが訪れればだが。そのチャンスを作り出すことが可能かどうかはわからないが。
貧乏貴族では持てない金貨10枚はする高価な透明な窓ガラスの向こうに目をやると、平民たちが歩く中で足元に目がいく。
「すっかり普通になってしまったわね、あの靴……たしか草鞋だったかしら?」
反対側に座る最近お父様から譲られた老年の執事が頷き同意する。急にお父様に呼び出されたと思ったら、ベテランの執事セバスを渡されたのだ。お父様の有能な執事にして、格闘が得意な老人である。どんな悪漢も倒せる下級騎士並みの身体能力も持っており頼もしい……以前なら。
「僅か一ヶ月と少し、ですか。これ程行き渡るとは素晴らしいですが、安すぎます」
窓の外を歩く人々は草鞋を履いて、腰に予備を括り付けている。少しの間に当たり前となった風景。なってしまった風景だ。
「そうね、安すぎて、誰にも真似はできないわ。スラム街の連中を使わない限りにはね」
1つ銅貨5枚。馬鹿らしい程の安さ。エールを1杯我慢すれば買えてしまう。
「王都に行き渡る程の量です。これを考えた者が元締めならば、結構な量の金貨を稼いでいるでしょう」
柔らかな物腰だが、その目を鋭く光らせてセバスが言うのを、肩をすくめてみせる。
「私が作った人脈よ? お父様が首をツッコむのは酷いと思うのだけど」
目付け役として送られたセバス。私の失敗を聞いたのか、良い取引相手が新たにできたと考えたのか、どちらかはわからないが、抗議はしておく。
「お父上の好意ですよ、シル様。またぞろ、裏を相手にかかれて損をなさらないように」
「それが本当だったら良いのだけど。今は信じておきますわ」
「大丈夫ですぞ、金を稼いでいるとはいえ、恐らくは金貨1500枚程度、そこまでの相手ではありますまい。スラム街の人間ですので、お父上はお嬢様の身を案じているのですよ」
セバスの言葉に、無言で顔を背けて、また外を見る。セバスはスラム街の人間だと馬鹿にしているのが言動でわかる。スラム街の人間がちょっとしたアイデアで金を稼いでいると思っているのは間違いない。
「今頃は大金を手に入れて、我が世の春と酒と女に溺れているでしょう。急に大金を手に入れた人間などそんなものです」
言葉を連ねるセバスのセリフに考え込む。そういえばセバスは相手の素性がガイだと思っているのね。本当に大金を手に入れたと、有頂天になっていると良いのだけど。
「そんな簡単な相手ならば良いのだけど……」
あの幼女は金貨1500枚程度を大金だと思うかしら? そこらへんに転がる綺麗な石ころ程度にしか思わなさそう。
ガタンと馬車が大きく揺れて停止する。なにがあったのかと不思議に思う。まだスラム街に入ってはいないはずだ。
「なにが起こったのですか? 馬車の前に人が出てきましたか?」
セバスが御者台へ繋がる小さな小窓を開けて尋ねる。
「申し訳ありません。しかし、そのぅ……門がありまして」
御者がおずおずと答えるその言葉に首を傾げる。門? なんのことかしら? ここから先はスラム街のはずだけど。
不思議に思う私だが、コンコンと扉が叩かれて、聞き慣れた護衛の声が扉越しにかけられる。
「申し訳ありません、シル様。も、門衛がどのような用かと尋ねてきまして」
「門衛? 何を言っているのですか? 目的地を間違えています?」
「見て頂ければ問題はないかと。たぶんその方が早いと思います」
はぁ? と首を傾げて不思議に思いながら外へと出る。近くの商店と目的地を間違えたのかしらと。
そうして、外へと出てから護衛の言う言葉が理解できた。目の前に広がる光景が信じられなかった。
「か、壁? なぜ壁が?」
スラム街へと続く道は壁が築かれて、門が設置されていた。門衛が槍を持ち、守っていた。
一人の門衛が近づいてきて、頭をかきながら口を開く。
「すんません。ここは月光の屋敷でして。なにか御用があるのでしょうか?」
門衛の言葉に、ハッと気を取り直す。見ると壁は長々と作られているので、もしかして、いや、もしかしなくてもスラム街を囲んでいると想像できる。
土地の権利を買ったとはいえ、まさかスラム街をひとつの屋敷として考えるなんて! 画期的なアイデアであり、いないものと扱われているスラム街以外ではできない方法だ。他の地区ならば役人がすっ飛んできて、止めさせるのは間違いない。それにしても……信じられない!
「あの〜?」
門衛の問いに、なんとか笑顔で答える。顔が引き攣っているのは勘弁して貰いたい。
「申し訳ありません。先触れを送らなかったこと、深く陳謝致します。私はフロンテ商会の革部門の長。フロンテの娘シルと申します」
丁寧な物腰で門衛へと告げると、フロンテ商会の名前は知っているのだろう。慌てて敬礼で返してきて返答してくる。
「失礼しました。すぐに問い合わせをします。お〜い、ダツ様たちの誰かを呼んできてくれ」
門衛が慌てたように槍を担いで奥へと進んでいく。その姿は王都の門番にそっくりであった。
「あの門衛、まったく鍛えられておりません。ふ、スラム街の連中が見かけだけでも似せて満足しているのでしょう」
馬鹿にして、門衛を見るセバスだが、口元が引き攣っているわよ。たしかにこんなことをする人がいるとは思わなかったから、無理もない。
門衛が再びやって来て、中へと通される。門が開いた先はどうなっているかと警戒していたが、中はいつもどおりのスラム街であった。ボロ屋に廃墟、人間が住むに値しない家々。
「なんだ、壁だけ作ったのですな。ここのスラム街のボスは馬鹿な金の使い方をしたものです。自分の支配した場所だとアピールでもしたかったのでしょうよ」
セバスが安堵したように口を開いて、この風景を馬鹿にするが……。おかしくない? なぜ、まず壁を作ったのかしら? 中に入られたら困るということなのだろうけど、この悲惨な街並みを見れば、徴税官も放置すると思うのだけれども。
その答えはひとつだ。ゾッとしてしまう。スラム街を開発しようとしているのでは? まさかとは思うけど……。
だが、道路をスラム街なのに無防備に笑顔で歩く女性たちを見かけて、そうなのかもしれないと考える。
これはお金の匂いがするわね……。関わってみたい、お金のことだけではなく、それはとても楽しそうだ。なにしろなにもないところから始めるに等しいのだから。
アイと話をして、この先のことを聞きたいと思っていたら、外がざわめく。護衛たちが警戒の声をあげているのだ。見ると、いつの間にか、アイの屋敷前へと到着していた。
なにに驚いているかわからないが、どうせ非常識なことなのだろう。ため息を吐きつつ外へと出る。
「お嬢様、危険です! ウォードウルフがいます!」
護衛たちが慌てて私を囲む。ウォードウルフといえば、森の殺し屋と恐れられる狼だ。大きな商隊でも被害を受けて、小さな商隊なら全滅する、常に群れを作って動く強力な魔物だ。
私は護衛たちが慌てる理由が、屋敷の庭を見たことによって氷解した。そしてため息を吐き、護衛の囲みを出る。
「危険な魔物ね……」
庭へと入り、遊んでいた子供たちへと微笑みを向ける。
「こんにちは、そのワンちゃんは危なくないの?」
子供たちは狼に纏わりついて遊んでいた。ウォードウルフと呼ばれる殺し屋と。
「怖くないよ〜! ノルベエは優しい子だし!」
キャッキャッと寝そべる狼のお腹を撫でたり、尻尾を引っ張る子供たち。怒ることをせずにウォードウルフは疲れたようにため息を吐くだけだ。
よく見ると他にも狼がいて、他の子供たちに纏わりつかれていた。背中に子供を乗せて移動しているのもいる。
「森の殺し屋が飼い犬みたいにおとなしいわね」
アイたちの誰かがテイマーの固有スキルを持っているのだろう。どこまで月光には引き出しがあるのだろうか。
「お、お嬢様……危険ですぞ」
セバスが恐る恐るこちらへと近づいてきて声をかけるが冷淡な目でその姿を笑う。
「子供たちより度胸がないと、私は思われたくないわね」
そう答えながらも、内心では恐怖をもちつつ、ウォードウルフのお腹をこわごわ撫でる。ウォードウルフはチラリとこちらを見たが、また目を瞑り眠ってしまう。よく躾けられている。
そして凄いモフモフだわ、この子。感触にうっとりしながら、子供たちの一人に見覚えがあるのに気づく。たしかマーサの娘ララだ。このスラム街の土地の権利書を渡しに行った時に出会った。
「ねぇ、アイ様は今日はなにをしているのかしら?」
なにか面白いことをしているのかしらと、ちょっとした問いであったのだが
「今日はいないよ〜。今は蜂蜜取りに行ってるの!」
アイの悪い所。アイは理解していると考えて、皆というか、ララに口止めしなかった。意味を説明しなかったのだ。なので、ララはあっさりと答えてしまった。おっさんが全面的に悪いだろう。そうに決まりました。少女は無罪確定、控訴棄却なので、おっさんが悪人なんです。
シルは予想外の答えが返ってきて、面食らう。蜂蜜?
「蜂蜜って、巨人の谷の? たった数人で?」
巨人の谷にはもう行けないはず。三年前ぐらいにしくじった傭兵が門の前に強力なアンデッドを連れてきてしまったのだ。そのアンデッドは門から動かなくなり、誰も谷に入れなくなった。知る人ぞ知る情報だ。
いくら腕がたっても、無謀すぎる挑戦だ。死んでしまうだろう。
「ううん、仲間の人と合流するんだって! それから行くって言ってた! 死の都市は危ないから、アイちゃんはお留守番してたらって言ったのに、アイちゃんが行かないと駄目なんだって。危ないことをするんだから、もぉ〜」
頬を膨らませるララの言葉に、新しい仲間が来る? と考え込む。アイは頭が良い。と、だとすればなぜ蜂蜜が手に入らなくなったかも聞いているはず。
たしか噂に聞くに、見つめられるだけでその呪いで殺されるアンデッドナイト、聖水を使っていても感知してくる強大な魔法を使うダークビショップ。到底人間に倒せるものではなく、それらの魔物の討伐を成せば英雄と言われるだろう。
倒せるのか、それとも出し抜ける方法があるのはわからないが、勝算があるとすれば?
甘味など、薄い甘味の果物程度で、貴族たちは魔力ポーションを渋々甘味にしている。それも1月に10本出れば良い方だ。とてもでは無いが、高位貴族以外には出回らない。
それが蜂蜜が持ち帰られたら? 1壺でも2壺でも持ち帰れば高値が高値を呼んで、数万枚の金貨に変わるだろう。
自分がその際に仲介に入れれば、とんでもない利益になる。一気に商会主となる道が広がることになる。
「お待たせした。ん? どうかしましたか?」
ダツがこちらへとやってくるが、なんでもありませんとかぶりをふる。セバスは周辺のウォードウルフを恐れて警戒しており、こちらの話は聞いていない。今の話は私とララだけの間の話だ。
「ララさん、お話楽しかったわ。でも、今の話は誰に言って良いか、お母様に聞いた方が良いわよ。それじゃね」
軽く手を振り、ダツの後をついていく。今日は他のスラム街地域の土地の権利書を持ってきたから良いが、次はどのような理由で訪問するかと、激しく頭を回転させる商人少女だった。