303話 奴隷たちの反乱
わあッと、誰かが叫ぶ声が聞こえた。ジュリはその声を耳に入れ反乱が起きたのだと理解する。計画通りだ。空飛ぶ船なんて半信半疑であったが、頭上を飛ぶ船を見て本当だったんだなとぼんやりと見上げていたら、すぐに声があがったのだ。
「うぉーっ! 今がチャンスだっ、かかれ〜っ!」
「武器庫を襲え〜」
「自由を手に入れろ〜っ」
大勢の人々の怒号に身体がすくむ。だが、躊躇はしていられない。女奴隷頭として、この戦いに加わらなければならない。
今日は陽光帝国の人たちが奴隷を引き取りに来る日なので、皆は初めてとも言える休みを貰って小屋で休んでいたが、足早に外に出ると、人々が向かう先へと視線を向ける。
奴隷地区は鉱山の麓にあり、それを壁が囲み、いくつかの鉱石搬出用の扉がある。その扉の先には看守の兵舎が砦のように建てられており、さらにその横を通り過ぎると2つ目の扉があり、そこを潜ると街へと出るという仕組みになっている。そうして街から出るには最後の街門を潜り抜けてようやく外に出られるのだ。
1つ目の扉は開けられており、既に兵舎の看守たちと奴隷仲間は戦っている。まずは武器を手に入れなくては話にならない。つるはしも兵舎に仕舞われているので、兵舎を落とさないと話にならないのであるからして。
大勢の奴隷たちが、看守たちを襲い、金属鎧に身を包んでいた看守はその人数に恐れをなして早々に逃げていく。その光景を見て、人々はますますヒートアップして兵舎になだれ込む。
最初に入った奴隷仲間がすぐに武器が入った箱を手に戻ってくると、皆の前にドスンと置く。
「武器を手に入れたぜ! 今から配るぞ!」
はいよと、軽薄そうな男が武器を手渡していく。つるはしではない。違う武器だった。
「つるはしはどこに?」
「すまねえな、つるはしや槍とかは鍵のついた部屋にあるらしい。これが限界だったが問題ないだろ? 棍棒として」
「棍棒として使えばいよいのか?」
手渡された物は固くて細長い茶色の棍棒であった。ジュリも配られたその棍棒を見てゴクリとつばを呑む。
「隠していたナイフに油だ。使ってくれ!」
子供でも持てそうな小さなナイフがジャラリと出されて、その横にドスンと樽が置かれる。
遂に戦うのだと手の中にある棍棒を見る。パリパリとした皮に、焼き立ての小麦の香り。その香りが暴力的なほどジュリの鼻をくすぐる。ジュリはゴクリと喉を鳴らし叫ぶ。
「パンだよぉ、これ! 見たことないけど、たぶんパン!」
誰かそのパンを知っている人間が見たらフランスパンだねと教えてくれるだろう。棍棒、これ?
ちょっと端っこだけ、端っこだけだからと心の中で言い訳をしながらパンに齧りつく。パリッとした感触。中はふんわりとしていて、小麦と何か甘い味が口の中に広がる。その美味しさにこれが本当のパンだったのかと放心してしまう。
「お姉ちゃん、私も、私も!」
イリーナが裾を引っ張ってくるので、パキッと小気味よい音を立ててパンを割って手渡す。イリーナもかぶりついてあまりの美味しさに目を丸くして猛然と食べ始めた。
「その油、ブドウの味がしてうめえっ!」
「こっちにはチーズとベーコンもあるぞ!」
「焼け焼けっ! パンに挟んで食べるんだ!」
気づくと周りの人たちは座り込んでパンを食べて、油というか酒を飲んでいた。焚き火が用意されて、チーズやベーコンというものを串に指して焼いている人もいる。頭の良い人はナイフでパンに切れ目を入れてベーコンを挟んで食べていた。
私もそうしたいと、次々と兵舎から運ばれてくる箱からベーコンを手にして、焚き火で炙る。肉なんて何年ぶりだろうかと、隣に座った妹とワクワクしながら焼けるのを待つ。
既に人々は先程の勢いはどこにもなく、宴会と化していた。
「こらっ! 貴様ら、戦うんだっ! このままでは死ぬぞ? 立て、立って戦うんだ!」
焦ったように何人かの男が周りの人へと怒鳴り散らすが、常に腹ペコで肉も酒もほとんど飲んだことのない人たちは、話を聞かなかった。やけにこのパンが良い匂いをしており、逆らい難い魅力を持っていると言うこともある。
「おいおい、せっかく皆はいい気分で宴を楽しんでいるんだ。無粋な真似はよせよ」
からかうように扇動しようとする男たちへと声をかけたのは最初にパンを持ってきた男である。ヘラヘラと笑いながらいつの間にか持っていた剣を杖にしていた。
「だ、黙れっ! ここで戦いに勝てなければ、奴隷たちは陽光帝国に連れられて死ぬんだぞっ! お前ら、戦うんだっ!」
額に青筋をたてて怒り狂う男たちだが、一度座り込んだ仲間は食べるのに夢中で話を聞いていない。ジュリだってようやく焼けたベーコンを食べるのに懸命だ。目の前のパンの魅力に勝てない。まるで魔法のパンのようだ。
「おいおい、まるで自分は奴隷じゃないような口ぶりだよなぁ? それにやけに良い剣をお前らだけ持っているよな?」
その言葉にさすがにパンを食べながら見ると、たしかにピカピカに磨かれた剣を手にしていた。看守から奪ったにしては上等な剣ではなかろうか? そしてなぜ鉄の胸当てまで着ているのかと疑問に思う。
だが、からかうようなそのセリフに男たちも、目の前の男が変なことに気づいた。
「やけに血色の良い肌に、その剣は……ミスリルかっ! 貴様、奴隷ではないな!」
気色ばむ男たちへと、ヘラヘラと笑う男は肩をすくめて返す。
「お互いに変なところがあるな。これは相殺ってことで水に流そうぜ」
「舐めるなぁっ! ウルゴスの手の者かっ!」
怒り狂い、腰を沈めると地を蹴り男たちは軽薄そうな男との間合いを詰める。その様子は訓練されていると素人目にもわかる姿であった。
「わりいが、魔帝国のもんじゃねぇんだわ。剣技 軽重剣」
笑いを引っ込めると、剣を身構えて迎え撃つ軽薄そうな男。
「馬鹿めっ! そんなしょぼい剣技で我らに敵うか! 剣技 疾風突き」
「剣技 曲剣撃」
「剣技 ハードスラッシュ」
軽重剣は付与系統の武技である。その効果は剣の重さを半分から2倍まで自由に変えられ、数分はその効果を残す武技だ。が、攻撃系統の武技の方が敵を一撃で倒せることもあり人気は高かったために、めったに覚える人間はいないマイナーな武技であった。
霞むような速さで先頭の男が突きを繰り出す。次の男が蛇のように直剣をしならせてながら、曲がりくねった軌道で、最後の男が地面を踏み込みでへこませて力強い振りで攻撃をしてくる。
「やだねぇ、攻撃武技だけしか覚えていない野郎はこれだから」
迫る疾風の速さの突きを、男は軽く自分の剣を当ててその軌道をずらし、曲がった角度で迫る剣を首を傾げて躱す。最後の強撃には、素早くその間合いに入り込み、振り下ろす前に剣で受け止めてしまう。
そうして3人が武技の反動で身体が揺らぎ隙だらけとなると、左足を支点に、滑るように身体を動かして軽やかに剣を振るう。
「ギャッ」
「グハッ」
「グッ」
鮮血が飛び散り、男たちの腕が切られる。卓越した技術により武技を弾き返したのである。付与系統の方が効果時間が長いために、武技さえ防げれば圧倒的に有利となるのであった。
されど呻き声をあげるものの男たちは後ろへとバックステップをして、先頭の男が手を相手に翳す。
「ファイアアロー」
その手から炎の矢が解き放たれて、目の前の敵に飛んでいく。
「げ、魔法かよっ、たんまたんま!」
「ウォーターアロー」
決まったなと決め顔をしていた男は迫る炎の矢を見て慌てる。まともに受けて火だるまとなるかと思われたが、兵舎の中から水の矢が迎え撃ち、ジュッと言う音を立てて相殺される。
「ビビったぁ、ありがとうよ」
血や汗を拭いながら感謝の言葉を口にすると、鉄のよろいを着込む男二人が出てくる。
「魔帝国の騎士は魔法を駆使しながら戦うんだ」
「騎士時代のマニュアル通りにやっていたら生きていけないぞ?」
「今のは油断しただけだ。っと、名乗りをあげるとするか」
警戒する男たちへと向き直り、親指を立てて自分を指しながら男はニヤリと笑う。
「俺様は冒険者ギルドのシルバーランク。頼れるエースのスー・ジューサー。これから先々も耳に入れるだろうから覚えておくんだなっ」
「冒険者ギルド? なんだそれは? どこかの傭兵かっ?」
冒険者ギルドなどと聞いたことがないと言う男たちの言葉にスーは苦笑を浮かべる。
「まだまだ魔帝国には広まってねぇか。ま、嫌でもこれからは各地で聞くようになるから覚えておいて損はないぜ?」
「戯言をっ! 斬れっ! こいつらを殺せぇっ!」
激昂する男たちとスーたちとの3対3となり、しばらくの間剣撃の音が響き周りの人々がその戦闘を見守る。
結果は男たちが腕や足を斬られて蹲り、スーたちが立っていた。男たちの腕も高かったが、スーたちはそれを上回っていた。手加減できるほどに差があったのである。
「皆、聞くんだ! 陽光帝国はお前らを引き取りに来た。だが、それは解放するためなんだ。すぐにそれがわかるぞ!」
スーの言葉に奴隷たちは顔を見合わせて戸惑う。そんな話があるのだろうか?
「この食いもんはその前祝いとして陽光帝国が用意したもんだ。たんと食ってくれ!」
続く言葉に、手元にあるパンを見る。こんなに美味いパンは初めてであり、本当なのだろうかと思い始める。たしかに奴隷への扱いではない。
「行き着く先は仕事が用意されているが、給金は普通に払われる。これからはこんな暮らしをしなくてもすむんだっ!」
「本当か?」
「話と違うぞ?」
「まさか?」
じわじわと広まっていく希望の言葉に人々は顔を輝かせて、再びパンを食い始めた。真実かどうかはわからないが、とりあえずは宴だと。奴隷なので刹那的なところがあるのである。
とりあえずは反乱は保留だねと、皆はどんちゃん騒ぎを繰り広げて怒号は楽しげな笑いへと変わっていくのであった。
それを見ながらスーは眩しいものを見るような顔つきになる。
「へっ。落ちるところまで落ちたと思ったけど……それでこんな気持ちになるのなら悪くはないな」
「前の身分なら奴隷などと言って目に入れもしなかっただろうからな」
「たしかに今の方がよほど生き甲斐を感じることができるからな」
楽しげに笑い、スーたちは青い信号弾をあげる。反乱を抑えることに成功したと。
ジュリは、イリーナを連れてその場を急ぎ足で離れていた。剣による戦いと、戦士の言葉に不穏なものを感じたからである。
隠れていたほうが良いかもしれないと、妹を連れて街へと入れる扉が開いていることに気づき、こっそりと出る。もしも見つかったら、戦いが怖くて気がついたらここにいたと言い訳しようと考えていた。
「お姉ちゃん、さっきのお船だよ!」
しばらく隠れながら歩くと、地上に停泊している船があった。妹が空飛ぶお船だと喜んでいる。
だが、ジュリは他のことに気づいた。
「扉が開きっぱなしだ……」
騎士たちは慌ただしく走り回っており、船の荷物運搬用なのだろう大型の扉が開きっぱなしであった。
キョロキョロと周りを見渡すが、注意している人間はいない。
ゴクリとつばを飲み込むと、妹の手をギュッと握る。
「イリーナ……ここに隠れよう」
そう言ってこっそりとジュリたちは船へと入っていくのであった。