301話 チェスをする天才少女
皇帝から奴隷の受け取り役を受けて1か月後。アウラは目の前の盤上を睨みながら、ううむと腕を組み唸る。チェス盤には置かれている駒の配置を見て、どうやって相手に勝てるか思考するが、負けそうだと薄々気づいていた。
アウラ・ハヤ侯爵。元南部地域中央に位置する大領の領主である。陽光帝国でも、王領を抜かせば1、2を争うだろう人口の都市を抱えている少女だ。
まだ10代半ばにもかかわらず、1流の槍の腕前と、各種の高位魔法を使いこなす。
肩まで伸びた金髪に、勝ち気そうな八重歯の見える美しいというより可愛らしい顔立ちの女の子であり、ホットパンツにタンクトップとかなり緩い服装をしている。
常に自信に満ちており、戦場での采配も見張るものがあり、家臣を労る名君でもあった。今は陽光帝国の家臣になったので、名領主とでも言おうか。
文武両方に長けた少女は、領地を回してきて、戦においても負けることを知らなかったために、天才少女と噂され、アウラ自身もその噂を気に入っていた。同年代には決して負けないと思っていた。
今はその自信がかなり揺らいでいるが。スノー皇帝陛下には勝てないと思ってしまったからである。それでも他の者には負けないと考えていたのだが、盤上を見る限り世界は広そうだ。
目の前の相手はアウラと同じような年頃の少女なので。
「チェスというのは奥深いなザーン?」
ポーンを手に取り、先を考えながら移動させると、相手は考えることもなく、簡単に自分の駒を動かす。
「まぁな、色々特殊ルールがあるしなぁ。アウラはよくルールを覚えているよ」
ナイトを使うのが肝だろうかと、再び長考に入ったアウラはその上からの目線に苦笑をする。半年ほど前から広まったチェスというゲームはたしかにルールが難解だ。動かすことも精一杯の人が多い中でアウラは完全にルールを網羅していた。腕前も高いと自負していたが、やはり長くこのゲームをしている相手には勝てないみたいだ。
それでも持ち前の負けん気さで、相手の攻撃をなんとかいなそうとして苦心する。長いことやっている人間にだって負けたくないのだ。
が、やはり経験の長さは超えることは難しいようで、次の一手でチェックメイトとなるのであった。
もう一戦と頼み込み、再びチェスを始める。隣のテーブルでもチェスをやっている二人がいる。なんかチェスをするのって他者から見るとかっこいいでつねと。
「ヘヘッ、チェックメイトだぜ」
フヨフヨと手のひらサイズの妖精が駒を動かして、ニヤリと笑う。だが、胸に「なぞに」と書いてある名札をつけた幼女は、そう言われて、むふふとほくそ笑み立ち上がる。
「トラップカード発動! そこに駒を相手がおいた瞬間、地雷が発動してその駒は爆発しまつ!」
なぜかチェス盤の横に伏せてあったカードを捲ると、駒は吹き飛んだ。物理的にドカンと。
「あーっ! 負けそうだからって変なことをするなよな!」
放物線を描いて飛んでいく駒を見て、妖精が怒鳴る。
「ふふん、自分ルールでつよ。さらに幼女のスロットマシーン! サイコロの目がゾロ目の場合、盤上に援軍が出現。あ、ゾロ目でちたので、ナイトが一個増えまつ」
コロンコロンと3つのサイコロを振ると全部1であった。ゾロ目が出たよと喜んで、幼女は腰のポッケにおててをつっこみ、てやっとナイトを取り出す。チェックメイトと言って、キングの横に置く自由っぷりだ。幼女はルールがよくわからないので自分ルールを作ったのだ。ちっちゃい子供はよくそうしてオリジナルルールで遊ぶのだ。
「今のサイコロ、全部1じゃなかったか?」
「薄暗いから見間違えたんでつよ。きっとそうでつ。ティーボーンステーキは少しだけガーリックパウダーをかけちゃいまちた。優勝は無理でつね」
今いる部屋は煌々と明かりが照らし薄暗くないが、飄々という幼女に、妖精がきしゃーと怒り、あたしもキングを生贄にして召喚するぜ、こいっ、ブルーノーズドラゴン召喚とか言って手乗りサイズのドラゴンを喚び出したりしてカオスな様子となっていた。それでも幼女たちはキャッキャッと笑顔で楽しそうだ、いかにも小さな子供たちが遊ぶ風景といったところだろう。使う魔法などが子供っぽくはないが。
「あっちはチェスじゃないから無視した方が良いぞ」
「ああ、楽しそうではあるがね」
ザーンの言葉に肩をすくめて苦笑する。たしかにルールはめちゃくちゃだが楽しそうではあるのだからして。
「それよりも奴隷の監査なんざ面倒くさいよな〜。そもそも受け取りに行くんだから、監査って言わないんじゃないか?」
「最初の引き渡しだから、あたしらが上手くやらないと後続が厄介なことになるね。それに面倒くさいが美味しい仕事だ。ザーンみたいな母国からやってきた生え抜きにはわからないだろうが、あたしは能力の高さを見せつけないと、周りに足を引っ張られるのさ」
外様は周りが黙るほどの功績を見せないといけないのだ。その感覚は生え抜きのエリートであるザーンには理解できないだろう。戦いの趨勢が決まるときに裏切って陽光帝国の味方をして、侯爵の地位を貰った自分を厳しい視線で見てくる奴らがいるのだ。僅か数カ月の違いで傘下に入った癖に古参ぶる奴らが。
そういった奴らに強さを、有能さを見せなくてはならないので苦労をしているのだ。
「ギュンター卿はそういった経験はないのかい?」
少し離れた卓で酒をのんびりと飲んでいる老齢の騎士に話を向けると、ふむ、と顎に手を当てて答えてくれる。
「若い頃は儂も色々あったな。功績を妬む無能はまだ良い。相手にせねば良い。よく劇などで無能な奴が有能な人間を妬み陥れようとして、反対に酷い目にあうことが多いが、実際には有能な奴が妬み陥れようとする。その場合はひどく対応が大変であったな」
体験からくるだろう話をしながら、お猪口に徳利から日本酒を注ぐ。とくとくと透明な酒が注がれるのを見ながら語るその姿は老人の苦労をなんとなく偲ばせた。
「今は姫の護衛をしつつのんびりと暮らしているからな。不満はないがの」
酒ばっかり飲んでいて、肝臓が悪いと医者から注意されて禁酒をせずとも良い。素晴らしい世界だとお爺さんは思っています。お爺さんは渋いダンディな顔をしていれば、周囲はなぜか感心してくれるので。
中身はどこかの幼女レベルで酷い爺さんだが、アウラは若い頃は大変だったんだねと頷く。ギュンターはそれだけ苦労人に見えるのである。ザーンはギュンターの本当の姿を知っているので、ふわぁとあくびをした。
「今回の奴隷の引き取りは必ずなにかが起こるからね。それを込みで解決すれば、あたしの名前も少しは噂になるだろうよ」
トラブルが起こることは前提にしている。何も起こらないように行動をして完璧な仕事など今回は絶対にできない。それだけ今回は大規模な仕事であり、波乱を含んでいるのだから。
アウラはだからこそ、今回の仕事は美味しいと考えているのだ。自分自身に自信があるからこその考えである。
「偉くなるのは良いことばかりじゃねぇんだな」
「地位が高くなるほど、厄介ごとは増えると言うものだ」
もっともらしく頷くギュンターであるが、爺さんは地位が高いはずだが酒ばかり飲んでおり、もっと高い地位の幼女は遊んでばかりいるような気がするが気のせいだろうか。
小柄な身体をコロンコロンと転がして、妖精とキャッキャッと頬の引っ張りあい大会をしているが。これだとアウラだけ苦労をしている感じがします。勇者は苦労している? 勇者だから問題ないよね。大魔王を倒すまで試練は続くのだ。問題は大魔王がいないことだけど。
何はともあれ、今回の仕事を頑張るかという空気となる。その中で、再びのほほんとした声が聞こえてきた。
「おにぎりはいかがですかだし? おかかに焼きたらこ、鮭に梅干しと揃っているんだし」
ホカホカのおにぎりをトレイに乗せて、トモがやってくる。なぜトモがと言うと、ここは飛空艇サケトバなのだ。
「むむっ! この船には最高の羽釜を乗せまちたが、おいしく炊けてまつね! ホロリと口の中で崩れるご飯。ぴりりと辛いがあとを引かないたらこ!」
「この船は最高のご飯を炊ける羽釜を備え付けたんだし! 姪におにぎりの握り方も教わったんだし!」
オリハルコン製の羽釜に、太陽の石を使った高火力竃。無駄に金をかけたのがサケトバ1号艦なのだ。
「この船の名前は羽釜にしまつか」
おにぎりと聞いて、わ〜いと真っ先に笑顔でトモにてこてこと駆け寄る幼女は艦名をあっさりと変えて、片手に一つずつおにぎりを持ってパクつく。美味しい物なので取られないようにと、幼女らしい考えをしながら一つずつ持っており、満面の笑みでパクパクと美味しそうにおにぎりを食べるので、トモはその可愛らしさに頭をナデナデしちゃう。
テヘヘとナデナデされて嬉しそうに微笑むので、癒やされ空間発生かと思いきや
「アウラ様。鉱山都市キルンが見えてきました!」
ブリッジへとアウラ配下の騎士が入ってきて報告をしてくるのであった。
それを聞いてなぞにな幼女は、きゃーと叫び、どこからか取り出したお布団をかぶっちゃう。
「もうあたちは仕事をしばらくはしないと決めたんでつ。強敵との戦いで精神がボロボロなので戦うこともできましぇんので、アウラしゃん頑張ってくだしゃいね?」
コロリンとくるまって、ぴょこんと顔だけ出して、アウラに告げる。もう黒幕は表には出ないのだ。賑やかしの脇役かエキストラとなるのでつ。
「あぁ、任せなよ。反対に手伝われたら困るところだしね。このアウラ様にお任せあれってもんさ」
アウラはボインと風船みたいな胸を叩きニヤリと笑う。ここで自身の力を見せるのだから当然なぞに幼女に手伝ってもらわれると困るのであるからして。「なぞに」は幼女のあだ名です。
「それじゃ甲板に出て、キルンを見まつか」
「トート帝国最大の鉱山都市だからな。きっと見応えあるんだぜ」
都市情報をアイコンタップで見れるように改修したマコトが説明してくる。女神OSはようやく進化したようなのでマコトでも操作できる優しい作りになったのだ。
そうして、ぞろぞろと皆は甲板に出る。アウラも空から見る都市の光景を少しばかり期待していた。
だが。目に入ってきた光景に口を噤み眉を顰める。
「最大数の奴隷を抱え込む都市……か。これは酷いね」
自分の都市でも農奴を持っていた。なので、キルンの光景も同じだと想像していたつもりであったが、甘かったと痛感した。
トート帝国最大の鉱山。その鉱山は川が流れており、上流の綺麗な川の周辺に都市は建設されており、その下流に鉱山に連なるように小屋がずらりと並んでいた。どれも上空から見れば汚らしい小屋だ。しかも汚れた泥川がその中心を流れていて、人が住むような場所ではない。
飛空艇からの眺めでもなければわからなかったかもしれない。家畜小屋よりも酷い環境であった。
「これは河川の汚染もありまつから、その対応もしないとでつ。取り引き内容にメモっておくことをお勧めしまつよ、くくはちじゅういち」
オリジナリティを出そうとして、よくわからんキャラになっているアホそうな幼女の言葉を記憶しておく。
「奴隷……農奴もこんなふうだったのかね」
高空からではないと、この悲惨な光景は見れないだろう。自らの行いを悔やみ、忌々しそうに呟く。アウラの家臣たちも睨むように奴隷たちの家屋を悲しげに眺めていた。
年若い少女は奴隷を見て、悲しく思う感受性を持っていた。もっと年若い幼女はケロリとしていたが。幼女的には先の未来、解放する未来を見据えているので、いまさら悲しくなどならないのだった。それか、おっさんが幼女心に悪影響を与えていると思います。おっさんはなぜ浄化されないのか世界の七不思議にしても良いだろう。
「とりあえずは奴隷をあたしたちは解放しにきたんだしね」
幼女の平然としているのを見て、自分も頑張るかと到着してからのスケジュールを考える天才少女であった。