30話 新たなる主に侍女は仕える
マーサは朝の光が閉めた木窓の隙間から漏れてきたことに気づき目を覚ます。古くて薄い掛け布団をとり、ゆっくりとベッドから降りた。シーツの合間から身体についた干し草の破片をパッパとはたき落とし、背伸びをする。
今年で24歳のマーサはまだまだ美しい肢体を伸ばしながら、眠りこけるララを見て優しく微笑む。元気に育ったものだ。スラム街において子供を産み、育てられるのはかなりの奇跡的なことであった。
自分はスラム街に堕ちてきて、今までの暮らしが夢であったかのように、酷い生活となった。不幸な人生をこれからは歩むと考えて、娘もすぐに育てられずに死んでしまうのではと恐れたが、幸運なことにこの歳まで育ってくれた。
今度はもう少ししたら、顔立ちの良い娘なので、人攫いや地域のボスから目をつけられないようにと、気をつけなくてはならないと思っていたが
「う〜ん、まだお肉食べれるよぉ〜。ムニャムニャ」
楽しそうな笑顔の娘の様子に笑みが零れる。その寝顔を見て、どうやら幸運がやってきたと。今までの不幸の分がいっぺんに幸運となって返ってきたのではと思う。なにしろ娘は血色は良くだんだんと身体に肉がついてきたのだから。自分も同じであろう。
眠りこける娘をおいて、ツボを手に取り、のんびりと家を出る。水道へと向かうと、他の住民たちがボロ屋から出てくるのがちらほらと見える。
「マーサさん、おはよう。早いわねぇ」
隣の柔和な表情をした中年の女性が声をかけてくる。まだ眠いようで、欠伸まじりだ。
「おはようございます、ソハテモさん。今日も良い天気ですね」
「あぁ、良い天気だよ。これなら草も良く乾いていて、良い草鞋の元になるよ」
ニコニコと言うソハテモさんは、優しい女性に見えるが、1か月前は痩せていて、眼だけはギョロギョロと光り、なにか食べ物がないか、薄汚れたボロボロの服を着たスラム街によくいる住民だった。
こんな風に挨拶を返すことなど考えられなかった。余裕がありそうなうちを睨むように見つめてきたものだが、変われば変わるものだ。
「私も水くみに行こうかね。ちょっと待っておくれ」
小さなツボを家から持ち出してきて、水道まで世間話をしながら歩く。
「でね。隣の主人は数を覚えて草鞋売りに出世したらしいのよ。うちの助六は壁の修復? に日雇いで雇われたんだけど、給料っていうの? 月末払いらしいけど、前金として銀貨を10枚、銀貨よ! 銀貨! 同じぐらいの大金をアイ様から貰っているから、負けてないわよって言い返してやったのよ」
「給料日は一緒にアイ様のところに行った方が良いですよ。この間ガイ様が男は給料日に金を手渡しされたら、すぐに半分以上その日に使ってしまうと言ってましたから」
「あらヤダ! たしかにマーサさんの言う通りだわ。あの甲斐性なしはきっと使っちゃうわね! 私も給料日にはついていくことにしましょ」
手を振って、ソハテモさんは笑う。きっと次の給料日には必ずついていくだろうと、私は苦笑を浮かべてしまう。
この一言が妻帯者に広がり、給料日にはアイ様の前に家族総出で受け取りに皆は来るようになるのだが、この時の私はまさかこの一言が原因になるとは思ってもいなかった。
水道へと到着する。人ほどの高さがある白い汚れがつかなく常に清涼な水をいくつもの取水口から流す柱だ。タイタン神の作りし都市の神器。
その一つにツボを置き、満タンになるまで待つ。
ソハテモさん以外にも、様々な人が水を汲みに来ているのが見える。以前は隙を見せないように、懐に短剣を握りしめて周りを警戒しながら水を汲みにきたものだが、今はそんな警戒をすることもない。強盗などがあったら月光の兵士となった者たちがすっ飛んで来るからだ。
アイ様は自らの支配地域の治安を物凄い気にするお人なのだ。この間、治安度は100になりまちたか? もっとけーさつを増やす? やっぱりブロック毎にけーさつ署を作りたいでつ。とか言っていた。その後でお金が……ともボヤいていたが。
けーさつとはなんだろう。アイ様たちは遠方から来たらしいので、わからないことが多い。たぶん自警団のようなものだろうとは想像できるが。
水汲みを終えて、またソハテモさんと一緒に家に帰る。今日の炊き出しはなんなのかと、皆に収入ができたら、炊き出しは止めるとアイ様はおっしゃっていたけど、それはいつになるかしらとか。
そうして、家に帰るとララが起きているので、二人して黒パンと昨日の残りのシチューを食べるのであった。
朝食を終えてから、二人してアイ様のお屋敷に行く。側付きとしてお仕えするために。私は金貨3枚、ララは金貨1枚。正直、ララには高い給料だと訴えたのだが、アイ様はその小さな手をふりふりと振って、その訴えを退けた。彼女にはその価値があると。
「子供だけど、聡明であり教養もありまつ。魔眼持ちであることを抜いても、破格な程安い給料で雇えてるとあたちは感謝してまつ。若いので、将来性もありまつし。今はあたちと遊んでくれる程度で良いんでつよ」
その目は未来を見据え、現在のララの能力を高く評価していた。まさにこの方は支配者としての器をもつ方なのだと、マーサは感心して尊敬をした。僅か5歳程度の幼女であるのに、その能力は高すぎる。貴族でもここまでの考えを持つ者は大人でもなかなかいないのではないか。
これぞ、私が仕える主君だと思う。ララにも忠誠を尽くすのですよとは伝えているが……未だに友達感覚であり困る。アイ様はそんなララをニコニコと怒りもしないで放置しているし、ギュンター様も苦言を呈さないので、あれで良いのかもしれないが。アイ様は幼女なのに子供っぽく遊んだりはしないので、ララがその隙間を埋めているのだろう。
アイとしては、ララを孫娘を可愛がるようにしているだけだ。まだ若いし。そして最近の悩みはララに付き合って遊ぶと、幼女化が進行しているのではないかということだが、もちろんマーサにはわからない。おっさんが幼女に負けるのは世界の理なので、良いと思うのだけど。
少し歩いて行くと、広大な庭を持つ屋敷につく。神々の存在した時代、都市がまだ豊かである時代は、貴族区などと人々は別れて暮らすことはなく、人々はあちこちに屋敷を建てていた。その名残がこの屋敷だ。とはいえ、神の力はその土台と柱のみ。あとは普通の石材の屋敷だ。
見た目は廃屋なようにしか見えない。屋根は破れて、壁はヒビだらけ、スラム街に相応しい屋敷であろう。庭だけは雑草が刈られており、ノンビリと日向ぼっこをする狼たちがいた。ひっくり返ってお腹を見せて寝ており、その見た目は可愛らしいが、あれはウォードウルフだ。平民なら3人はいないと倒せない森の殺し屋。だいたい群れで行動するので、出会ったら大規模商隊でもなければ殺される恐ろしい魔物だ。
「ノルベエおはよ〜」
ララが狼に駆け寄って笑顔でそのお腹をワシャワシャと撫でる。狼はちらりとララを見たが気にせずにまた寝てしまう。馴れており、まったく狼らしくない。アイ様はテイマーの力も持っているに違いない。末恐ろしい方だ。月光とはそれだけの力をもつ者を遠方に惜しくもなく送り込めるのだ……。
「いつの間に名前をつけたの?」
「この間! だってアイちゃんは名前をつける気はないって言うんだもん。情が湧くからって」
自分をひと噛みで食べるような相手にララは怖がることもなく、今度は頭を撫でて嬉しそうに言う。情が湧くからとは、子供っぽくないと苦笑いする。彼女は支配者として、冷酷なところがあると、子供らしくないと嘆息してしまう。
もう少し子供っぽくしても良いと思うのだが、アイ様の側に文官がいない。遠方に送るのだから、武を重視したのはわかるが、それが彼女の肩に重責を与えているのだ。
文官の能力を持つ者がいればと思いながら、屋敷へと入る。ダツソードマンと呼ばれている方が扉の隅で壁に凭れて暇そうにしていた。
「おはようございます、ケンイチ様」
「ん? マーサかおはよう」
ふわぁと欠伸をしながらやる気のなさそうな様子を見せるが、その目は鋭くこちらを眺めていた。私たちのように召使いにも油断をしていない。1か月2か月では信用されないのは当たり前だが、一見油断しているようにしているのが、凄腕の戦士らしい。
「あ〜、まだなにか残っているのかも! なにか匂いがする!」
なにか香りが奥から漂ってくるのをララは嗅ぎ取って駆け出す。これもいつもの光景だ。どうやらアイ様たちは自分たちの食べ物だけは特別な物を食べている。
舌の肥えた方々であるから、美味しい物を食べているのだ。それを月光の直属以外には与えないのは、身分からいって当たり前だが、アイ様は食べている姿が見られるのが後ろめたいみたいで、料理は自分でなされている。その為、朝と夜は屋敷には入れない。
幼女が薪を竈に入れて、料理をするのはどうかと思うし、気にすることはないと思うのだが。そこらへんが召使いを数に入れない貴族らしくない。
「あ〜! なにそれ、ガイさん?」
「ん? ララの嬢ちゃんか。これは人足をしているあっしへの親分からの弁当だ。って、おい! 中身を見るんじゃない!」
「この葉っぱなぁに? この白いつぶつぶの集まりがお弁当? お弁当って、どういう意味? んぐんぐ」
ぎょえーと、ガイ様の悲鳴が聞こえるので、またなにかあったのだろうと部屋へと入ると、ガイ様が踊っていた。いや、踊っていたわけではなく、ララを止めようとしているが、触ると壊れると思っているのか、見た目と違い優しい心のガイ様はララの周りをウロウロしているだけであった。
その様子にクスリと笑みを浮かべて、なにが起こったのか見ると、ララが何やら葉っぱらしきものに包まれている白い物を食べていた。
「これ、変な匂いがするけど美味しいね! 塩が効いていて柔らかくって、お腹にどっしりと溜まる感じで!」
「コメの炊いた匂いを変な匂いとは、外国人はそんなもんなのか? というか、おまぇぇぇっ! なんで次のオニギリに手を伸ばすの? そこに躊躇いがなんでないの?」
3個あるオニギリ? という物のうち1個を食べ終えたララがもう1つに手を伸ばすので、慌てるガイ様だが
「良いではないか、子供は常にお腹を空かせているものだ」
「この弁当があっしのだから気にしないんだろぉ、こら、なぜ片手にもう1つをキープするの? あっしの弁当だよ? あっしのお昼ご飯だよ?」
ギュンター様が僅かに笑いながらその様子をみて、ガイ様がワタワタと踊って悲鳴をあげ続ける。
「お昼ご飯って、貴族が食べるんだよね? 私のとっておきの黒パンを後であげるね。オニギリと交換で」
「とっておきじゃなくて、余ってる黒パンだろ! というか、そこであげるんじゃなくて、交換? 嬢ちゃんは鬼? 悪魔? 親分?」
しっかり者すぎるとガイ様がツッコむ。ララはスラム街生まれだ。しっかりちゃっかりしているのだ。そして何気にアイ様を悪魔と同列にしているのに笑ってしまう。
「うるさいでつ! なにをぎゃあぎゃあと叫んでいるんでつか! オニギリなんかそこらへんのコンビニで買ってきなちゃい!」
黒いゴスロリ? という服を着た幼女が呆れながら、マコト様を連れて部屋に入ってくる。
コンビニなんかないですぜと、ガイ様が言うのを聞き流しながら、アイ様は椅子に座る。ギュンター様が真面目な様子になり椅子に座り、ガイ様も肩を落としながら椅子に座る。マコト様がテーブルにフヨフヨと浮く。
今のところ、幹部はこの3人だけの月光だが、なぜだか暖かい家族のような雰囲気をアイ様たちは醸し出す。私たちもこの中にいつか入れればと思いながらララと共に椅子に座る。
「さて、今回の議題はこの都市の野菜の種類を調査することで、売れる野菜を探しまつ」
小さな体躯の幼女らしからぬ支配者としての雰囲気を出して、今日も月光支部を大きくするための議題をアイ様は始めた。
きっと今までの波瀾万丈な人生はこの方に仕えるためにあったのだとマーサは思いながら、会議の内容を聞くのであった。