297話 あれから
列車の汽笛がボエ〜と鳴るのを欠伸を噛み殺しながらガイは聞いていた。汽笛である。列車であるのに汽笛かよと。
「眠そうですね、ガイ」
正面に座る愛妻マーサがクスクスと笑ってくるので、恥ずかしそうに頭をガリガリとかく。
「旅行をするために仕事を一気に片付けやしたからね。ちっとばっかし眠いんでさ」
大量の書類やら用件を片付けてきたのだ。一ヶ月の夏休みを取るために。
神殿でのデミウルゴス、いや、トートとの戦いから1年半経過していた。ガイは月光商会の副当主にして、当主代行にして、陽光帝国の魔法爵として、魔道具作成者にして、アクセサリーなど彫金の製作者として……。
「あれぇ? あっしって仕事量多くないでやすかね? 多すぎじゃないですかね?」
自分の仕事量を思い出して、今更頭を捻り考える。なんでこんなに肩書きがあるんだろうと。
「仕方ありませんわ。旦那様は器用過ぎますもの。まぁ、商会の仕事は私もお手伝いしておりますし、そこまでの量ではないのでは?」
ガイの隣に座る年若い少女、シルがぺったりとくっついてくる。先月結婚したばかりの第二夫人の若奥様だ。若すぎて逮捕されないかしらんとガイはビビっているが。
ばりばりと商会の仕事をする才女でもある。
なんで成人までの3年を待たずにシルと結婚したかというと、ガイの価値が留まることのない連日ストップ高となったからである。
王族、皇族は当たり前、高位貴族から大手の商会当主まで、年頃の娘を妻にどうかとか、妾はいりませんかとか、嫌になるほど勧められたからである。
マーサが平民ということもあり、ガイが強面にもかかわらず、女からの押しに弱いとバレてからというものノイローゼになるほど話が舞い込んだ。
そのため、押しに負けそうなガイに見かねて、シルが泣きながら妻にして〜と言ってきたのだ。このままでは知らない間に妻を持ちそうだったので。
マーサもそうですねと賛成して、妻としたのである。形だけは。男女の関係は数年先の話だ。さすがに地球産まれなのでそこは譲れない。そこまでの勇気は勇者でもありません。
急いで妻になった理由は、第二夫人の座が欲しかったから。隠す気のない素直なシルであったりする。
「しばらくはお仕事のことは忘れて、ゆっくりしましょう、ガイ」
「ま、そうでやすね」
「第三夫人は魔道具作成の手伝いをしているのですよ。だから今日のお小遣いは使い放題にするのです」
モキュモキュとドーナツを齧りつつ、隣の座席にいるマユが話に加わる。第三夫人は予約済みということだ。
さすがに第三夫人まで埋まっていたら、王族たちは諦めた。面子の問題もあるので。あとは妾を勧めてくる商人ぐらいなので、あしらうのにそこまでの苦労はない。……気が早い皇族が産まれてくる子供同士で婚約をと言ってきたりはするが、それは無視である。
「産まれてくる子供まで婚約者にとか、つくづく人間ってのは業が深いよなぁ〜」
ちらりとマーサのお腹を見てガイは呟く。マーサは妊娠初期は終わり、ようやく外に出かけるようになったところだ。ガイとマーサの血を継いだ新しい生命が宿っているのだ。将来は魔物使いになったりはしないように祈るガイである。魔王にマーサが攫われないようにも気をつけないといけないかもしれない。
なんのゲームを想像しているかは知らないが、ガイは初めての血の繋がった子供に喜びもひとしおであり、用心深くもあったりした。もちろんララを蔑ろにはしないけど。
「列車の旅とはいえ、具合が悪くなったら言ってくれよ、マーサ」
「はい、貴方」
心配げなガイにニコリと微笑むマーサ。幸せそうな笑顔である。そしてラブラブすぎるので、ますます対抗するようにシルがひっつく。ハーレム野郎と成り果てた勇者なので、そろそろ呪いが降りかかってもおかしくないだろう。
「あ〜、アイちゃんはどこに行ったのかなぁ。せっかく世界初の大陸横断鉄道列車なのに」
口を尖らせて、隣の座席でマユたちと一緒に座っていたララがつまらなそうにする。一緒に旅行に行きたかったのだが……。アイの姿はない。杳としてどこにいるか不明なのだ。
ガイも、そうだなと呟いて、車窓から外を眺めて、少し寂しそうな表情になる。駅のホームが目に入るが、そこには大勢の人々が見送りに来ていた。
大陸横断鉄道列車を一目見ようと集まってきているのだ。
オーカスの持っていた陸上強襲揚陸艦のプラズマエンジンを搭載した列車。列車というより豪華客船に近いフォルムの全長380メートル、全高57メートルの巨大列車である。
通常2ヶ月はタイタン王都から魔帝国改めトート帝国までかかるところを途中のサンシティなどを経由して1週間で移動する高速列車である。列車の定義とはなんぞやという感じがするが。
なにせ列車の雰囲気を出すために壁際に椅子が設置されてはいるが、普通に宿泊客用の部屋もあるので。ガイたちはウルトラスイートなので、豪華で広々とした部屋が用意されていた。
本日はタイタン王都から初めて出発する。もう既にサンシティからタイタン王都まで列車は走ったりはしていたけど、そこは開発国が陽光帝国なので世界初の走行の称号が陽光帝国にあるのは当然であった。
アイがいなくなってから、当主代行をしていたガイはこの列車にて夏休みを取り旅行を計画したのである。そんなイベントであるのに、アイの姿はなかった。
「まったく……親分はどこに行っちまったんだか……」
かつての仲間たちの今を思い、寂しそうな笑みを浮かべる。
ギュンターの爺さんは騎士団を連れて各地の魔物を退治して周り、英雄の地位を確立している。詩人がギュンターの歌を歌わない日はない。
ランカはサンシティに建てられた魔法学校の学園長として、魔法や勉学に励む生徒たちを優しく見守っている。
リンは地球へと戻り、自分の得た経験を活かして、さらなる剣術の高みを目指しているだろう。
マコトは寂しそうな笑みと共に女神様の元へと戻っていった。今も使徒として人々を幸せに導くべく働いているはずだ。
少し前までは騒がしく楽しかった。だが、今は皆はそれぞれの道を歩み、忙しくしている。
「これは熊本産か。良い味をしておる」
きっと忙しくしているはずだ。
「僕には松阪牛の焼き肉弁当をひとつ〜」
多忙なはずである
「むふーっ、冷凍みかんは旅行の醍醐味と聞いた」
あっしのように忙しくて仕方ないだろう。
「なーなー、あたしが編集した映画の発表会をするんだぜ、皆見ろよな!」
………。
「うおーい! あっしが懸命に現実逃避しているのに、なんでいるの? 暇なんでやすか? 暇なの? あっしはこの旅行のために1週間徹夜だったんですが」
騒がしくしている少し離れた席の客に遂にガイは立ち上がり怒った。おかしくない?
「うむ、忙しいぞガイよ。儂は1週間の内、3日も魔物退治と騎士たちの訓練にあてている」
「それって週休4日という意味じゃね?」
ほろ酔い加減で、コップに日本酒を注ぎながら答えてくる老人へと問い返す。
「僕は学園長として、生徒たちを見守っているよ〜、散歩がてら月に1回は」
「ねぇ、名前貸しだけで給料貰っているよな? なに、その天下りの非常勤のような楽な仕事?」
のほほんと焼き肉にかぶりつく金髪狐娘にツッコミを入れる。
「むふーっ、久しぶりの実家は上げ膳据え膳で楽だった」
「お前はこの世界で自炊したことねーだろっ! いつも上げ膳据え膳だっただろ!」
銀髪狐娘が胸を張っていうが、里帰りしなくてもメイドに全部やってもらって楽してるだろ! 一人暮らしの学生みたいなことを言うんじゃない!
「あたしは借金の返済計画に忙しかったぜ……ヘヘッ」
「ごめんなさい」
悲しげに鼻をこする妖精には頭を下げて謝っておく。掛ける言葉が見つからねぇ。
「借金はあたしが編集したベストセラー間違い無しのミリオン確定映画で一括で返済できると思うけどなっ」
「あ、はい、そうですね」
まったく懲りてもいない模様。
約1名は忙しかったみたいだが、他の連中は違う。まったく忙しくないみたいだと気づく。気づくというか、見て見ぬふりをしていたのだが。酷くない? ねぇ、酷くない?
「おせんにキャラメル〜、おせんにキャラメルはいらないでつか〜。冷凍みかんもありまつよ〜」
「ショートケーキにチョコレートケーキもありゅの。飴細工に凝ったりゅ」
ワゴンががらがらと音をたててやってきた。聞き覚えのある幼女の声もしてくる。幻聴かな?
「あ〜、アイちゃん、列車に乗ってすぐにいなくなったと思ったらそんなことしてる〜。何してるの? 探したんだよ!」
ララがワゴンを小さい身体でうんせうんせと押している人に声をかける。小さい身体なので、ワゴンに身体が隠されており、見ることはできない。
「列車旅行と言ったらワゴンに駅弁、冷凍みかんなんでつよ。バカ売れしてウハウハでつ」
ぴょいんと幼女がワゴンの横に顔を出して、その横にはポーラもいた。ムフンと鼻息荒く楽しそうに駅弁を見せてくる。ケーキの飴細工も精妙で美しすぎてポーラの腕前の上達が怖い。
「いやいや、働いてくだせえよ。あっしだけだと限界なんですが?」
「ガイには苦労をかけまつね。でも名前が売れすぎたので、地下に隠れるしかないんでつよ。お仕事もだからできないでつ。忙しかったらギュンター爺さんたちに助けを求めていいんでつよ?」
幼女の言葉にちらりと離れた席を見る。ワハハと楽しそうに酒を飲む爺さんに、アイたんの売り子姿激写と言って写真を撮りまくる狐娘。お昼寝しようかなと座席に寝っ転がり寝そうな侍少女。
ウムと強く頷くと、クワッと目を見開く。
「まったく頼りになりやせん! ニートを抱え込むようなもんですぜ! そろそろ仕事に戻ってくだせえよ〜」
「無理でつね。あたちはトート帝国に到着したら、ララたちと遊んだあとに、小国に行商に行くんでつから。行商の商品もたっぷりと用意しまちたし」
幼女の脚に縋り付き泣き言を言う、半年後には赤ん坊が産まれる予定の勇者だが、幼女の返してきた言葉に驚く。
「えええええぇ! あっしは聞いてませんぜ?」
「儂は護衛としてついていくぞ」
「僕もアイたんを撮影しないとだしね〜」
「ん、妻は夫についていく」
「もうシーズン2か。売れっ子は辛いな」
驚いたのはガイだけであり、他の面々は平然としていた。どうやら知っていたんだなとガイは気づいた。
「だって、ガイは赤ん坊産まれまつし、ハーレム野郎だし、条例違反でつし、通報しても良いでつか?」
「まだまだ先の話でやすから。今は清い交際です! テレポート、テレポートでついていきやす。日帰りで良いですよね?」
「……仕方ないでつね〜。テレポート代は高いでつよ?」
そう言って、楽しげにクフフと紅葉のようなおててで口を押さえちゃう幼女。
「それじゃあ、仕事も手伝いまつよ。そうじゃないと行商できましぇんからね」
皆で再び行商をしますかと、アイは手を掲げる。
きっとこの先もあたちは商売をしながら異世界生活を楽しむんだと、幼女はぴょんぴょん飛び跳ねるのであった。
幼女は世界を支配する黒幕を演じながら生きてゆくのだ。
これにて黒幕幼女のメインストーリーは最終回となります。次回から番外編。詳細は活動報告にて。




