293話 もっとも古き神殿
その神殿は森深き中に存在した。過去には魔物が溢れていた森林だが、デミウルゴスが神殿の遺物を回収する際に、道を整備しているので、辿り着くのに時間がかかるだけの神殿であった。
今は再び木々が生えて、整備されていた道は雑草に覆い隠されて、過去にも見たことがない強力な魔物が徘徊する危険な場所となっているが。
苔生した壁と泥などで汚れており、一見すると使われている様子はない。内部は迷宮のように複雑な通路となっており、致死の罠が各所に設置されている。
侵入者を拒むように神殿内も魔物が徘徊しており、危険な迷宮と化していた。
その神殿の最奥にある広間、その壁も天井も希少なオリハルコンとアダマンタイトで作られており、人の手によるものではないと思わせる。
それだけならば、神々しさすら感じたのだろうが、床に敷き詰められるように存在する人骨がこの場所が邪悪な目的に使われたことを指し示している。
そして部屋の中心には複雑な魔術文字にて、魔法陣が描かれており、皺だらけの老人が異形の者たちに囲まれて立っていた。
苛立ちながら、魔法陣を眺める老人は耳が共人よりは長く、エルフよりは短い。ハーフエルフとわかる容姿であった。
ミスリルの鎧よりも硬い強力な魔法のローブを着込んでおり、ゴテゴテと宝石を埋め込んだ杖を手に持っている。
魔帝国の始皇帝デミウルゴスである。
「想定外だ……予想外だ。我の計算外だっ!」
頭をかきむしり、地団駄を踏みながらデミウルゴスは怒りに満ちた声を出す。
「途中までは想定と違ったこともあったが、問題なく修正して計画を進めることができた。できていた! なのに、なぜ神が侵入してきているんだ? しかもあんなに強力な神が! この世界には神は降臨しないはずだったのに! ウキー」
周囲の異形の者たちへと愚痴を口にする。ダンダンと足音荒く怒鳴るデミウルゴスは、その身体がドロドロと崩れていく。
「馬鹿な親父が死んで、他の兄弟姉妹も全部死んだっ。あとは我がこの世界の神となるだけだったのに! 愚かな異世界の神の使徒を利用して我が神となるだけだったのに!」
ウキーと獣のような叫び声をあげているデミウルゴスはついに溶け落ちて、そこには1メートル程の身長の羊のような毛皮をもつ猿のような顔の獣が二本足で立っていた。
「トート様。やり方が迂遠だったのではないでしょうか? もう少しご自身で動けば、現状は変わっていたはずです」
魔物、いや魔王の一人がデミウルゴスへとトート様と呼びかける。その言葉にトートと呼ばれた獣は苦々しく返す。
「仕方ないだろっ! 親父が戦った神は強かった。我も見つかったら確実に殺されただろうからな。侵入できないように準備を整える時間が必要だったんだ。我の計画は完璧で、もうあと一歩だったんだ!」
トート。魔術の神と呼ばれる獣。デミウルゴスと名乗って化けていた神は再び猿のようにウキーウキーと足を踏み鳴らし地団駄する。
トートは神々の中で、叡智を司る者であり、自らが一番賢いと自負していた。
「馬鹿な親父は清浄なる世界を、清浄なる世界をと、瘴気を浄化させることに血眼になっていた見栄っ張りだった。その親父が異世界の魂をまた浄化の道具に使おうと召喚をしようとして、異世界の神に殺されたのはチャンスだった。そうだな?」
確かめるように魔王の一人へと問いかけるように顔を向ける。魔王は同意して頷く。
「トート様こそが、この世界の主神に相応しいと思います。聖と魔、両方を司る魔術の神こそが主神としてこの世界の頂点に立つべきでしょう。我ら魔王はその眷属神として仕えますゆえ」
「ゴッドフレームの力で信仰心は集まった。あとは神の使徒の魂を器にすれば、我は主神へと位階を上げられるはずだったのに! 神が現れるのは、ずりーだろっ」
トートの計算では神は降臨しないはずであった。なにしろ信仰心がない。降臨しても碌に奇跡の力を使うことができないのであれば、異世界の神もこの世界には来ることはないはずであった。
そのために使徒を使い信仰心を集めているのだろうと予測して、その計画を利用することとした。自分自身でも信仰心を集めて神の器を作り、使徒が器を作ったらその器を奪取して融合させて、自分自身に使う。
そうすれば、トートは神の位階を上げてこの世界の主神となる。ルシファーのアホのように力づくで支配する方法よりも簡単で、そして安全だ。
トートは自身を弱いとは考えていない。あらゆる魔術を扱うトートは強者であると考えていた。主神の親父には敵わなかったが、それは信仰心を親父が独占していたからだ。トートが信仰心を使うことができれば、異世界の神にも勝てるはず。
それまでは姿を隠して、様々な計画を裏で練っていけば良い。トートはそう考えていた。
即ち、トートはなんだかんだと理由をつけて戦闘をしない小心者であった。神の使徒をもう少し早く自身で倒しに行けば状況は変わっていたはずであるが、そうは決してしなかった。
「オーカスを倒した神はその存在を消しました。恐らくはこの世界から去ったのでは? 未だに完全に降臨することは無理だったのでしょう」
牛の顔を持つ魔王が口を挟むので、トートは猿のような手を口に含みしゃぶりながら、貧乏ゆすりをする。
たしかにオーカスを倒した時、その神力をトートは感じた。いつの間にこの世界に現れたのだと驚いたが、すぐにその気配は消え去ったので、元の世界に帰ったと思われる。
だが、自分ですら一撃では倒せないオーカスを倒した神にトートは心底恐怖した。準備は万端であり、あとは魔王を率いて使徒を倒すのみと余裕綽々であったこともあった。
自分のゲーム盤がひっくり返されたようなものだ。あともう一手で詰みとなるはずであったのだから。
「像を使い、デミウルゴスを装っていたから、我の正体はばれていないはずだな?」
「はい。異世界の神には神へと至ろうとする身の程知らずの人間にしか見えていないはず。この神殿は主神が創り上げた監視を完全に防ぐ建物。トート様の存在はバレておりません」
断言する虎の頭の魔王の言葉に、ようやく落ち着いたのかトートは貧乏ゆすりをやめる。
ならば大丈夫だろう。神は基本的に人には関わらない。ゲームの駒のように扱って楽しむだけだ。こちらを人と考えている限りは介入はしてこないだろう。オーカスを倒した神は、オーカスの強さから神だとでも考えて降臨したのではなかろうか?
「だとすると、帝都から逃れたのは気が早かったか。……まぁ、仕込みはできているからな、問題ないだろう」
余裕を取り戻したトートはその猿のような顔をくしゃりと歪めて嗤う。やはり計算どおりだったのだ。たまにイレギュラーがあっても問題なく挽回できる。
さすがは我だなと、自画自賛をして魔王たちを見る。数多くの生贄を利用して召喚した魔王たち。一体一体では使徒も倒せぬかもしれないが、群れをなして攻めれば、対抗するのは不可能なはず。
「よし、準備は万端だ。また気まぐれに神が降臨しないように儀式魔法を使う。皆の者、配置につけ」
これ以上、神に邪魔をされては困ると、ニヤリと嗤う。
魔王たちは頷き、魔法陣の縁へと移動して魔力を放出し始める。禍々しい闇の魔力が魔王たちの身体から垂れ流さられるようにして、魔法陣へと吸収されていく。
その魔力に呼応して魔法陣が漆黒の光を持ち輝き始める。その様子を見てとったトートは充分なる魔力が溜まったようだと判断して、猿のような右手を掲げて、左手に辞書のような分厚い魔導書を持つ。
「万物を司る魔力よ! 我の神力と合わさり、何者をも防ぐ障壁を作り出せ! あらゆるものが、あるゆるものが、この世界に入り込めない障壁を作り出せ! 次元魔法、次元結界!」
長年研究をして編み出した最強の魔法。世界を包み込み、異界からの侵入を防ぐ絶対障壁。
トートでなければ、編みだすことも、発動することも不可能であろう超魔法。
神殿が大きく揺れて、魔法陣から黒き光が天へと放たれる。膨大な黒き光の柱は天井を砕き、天へと昇っていき、空を広がっていった。
昼の青空は、漆黒に塗られていき、闇夜が世界を覆う。
その様子をトートは確認して、高笑いをあげた。
「成功だ! 魂を源にして、魔力を燃料にした超魔法次元結界。これで外からの侵入は不可能となった! あとは我が主神となり、この世を支配するのみ! さすがは我、魔術を司る者、我以外にこの魔法は使うことは叶わず!」
「さすがはトート様。素晴らしい魔法でした」
「これにより、この世界は閉鎖されました」
「あとは主神となるのみ」
魔王たちは喝采をあげてトートを褒めちぎる。中には悪辣な表情をこっそりと浮べて下剋上を企む者もいたが。
次元結界。発動者が中に存在する限り、他世界の者は侵入することはできない。この魔法を切り札としてトートは用意していた。この魔法が発動した以上、外の神を恐れることはない。
魔術の神と言われるトートしか発動は不可能であったろう精緻な魔法。
トートはそう信じて高笑いをしていた。まさか、裏ボスがもう張ったことがあって、どこかの幼気な女神に障子のようだよねと、プスプス指で開けられたとは想像もしていなかった。
「ゴッドフレームの発動をこのまま行う! 使徒を殺してすぐに器とするから準備せよっ。お前らは神の使徒を殺して魂を持ってく……なんだ?」
素早く指示を出して、自身の計画の大詰めだと張り切るトートであったが神殿が再び揺れ始めるので戸惑う。なにが起こったのだろうと戸惑うトートであったが、なにかが穴の空いた天井を覆い隠し、落ちてきた。
「うきっ? なんだ?」
巨大な質量がオリハルコンで作られた天井を押しつぶし、慌ててトートたちは逃げ出す。瓦礫が落ちてくるが、手をひと振りして弾くと、天井の隙間から外へと飛び出る。
そして、なにが落ちてきたのかをトートは理解した。
「巨大な船? ルシファーの時のやつか!」
神殿を押しつぶたのは、ルシファーと神の使徒との戦いで確認された巨大艦であった。
「こんにちは〜でつ。月光商会の者でつが、御用聞きにきまちた! なにか欲しいものはありまつか? お代は命ということでいいでつよ」
甲板から、幼女の声音が響いてきて、大勢の人間たちが降りてくる。
「ぬぬっ! 神殿をこのような力押しで攻略しようとは罰当たりなやつ!」
「大丈夫でつ。あたちが罰を与える方なので。幼罰を与えたいと思うのでつが……羊猿さんのお名前はなんでつが? もしかしてトート神?」
地に着地する中にいた幼女がひと目見ただけでトートだと看破をしてきてギクリと身体を強張せる。が、すぐに余裕の表情へと変えて教えてやる。
「そのとおり、我こそは魔術の神にして、これからはこの世界の主神となるトートなり。遅かったようだな、神の使徒よ。既に貴様の信仰する神は介入は不可能だぞ」
次元結界があるからなと哄笑し、その様子をジト目で黒幕幼女らは見つめる。
「さっきのまほーでつね。闇の世界にして支配をするのだと思っていまちたが……。そんな理由だったんでつね。まぁ、ここで羊猿さんを倒せば良いことでつね」
怯まずに手に持つ短剣を構える幼女。お互いが不敵に笑い合い、対峙するのであった。