275話 最強とはNGワードだと黒幕幼女は慄く
謎モードの幼女は拳を胸の前へと持ち上げて、半身に身構えシンと対峙した。その極めて自然にゆらりと構える様子から、シンは相手の腕が相当なものだと推測し舌打ちをする。
「いつの間に次元結界の中に来たのでしょうか? この世界は断絶されており、侵入は不可能。もしかして最初からいたのですか?」
信じられないことだが、そうとしか思えない。万が一結界を破壊できたとしても、かなりの衝撃を伴うはずなのに、まったくそんな兆候はなかったからだ。
周辺も異常はない。コロンコロンと風で転がる段ボール箱があるくらいだ。おかしなところはどこもない。
「そこまで暇ではありません。落書きさんには申し訳ありませんが、常に上には上がいるとだけお答えします」
「……そうですか。それならば手早く貴女を倒さないといけませんね」
幼女の中でも小柄であろうアイへと、再び光速の拳を繰り出す。ハッタリだとは思うが、万が一結界が破られたとしたら時間はない。
「神技 白銀拳」
単純なる拳による正拳突きを、膨大な銀の粒子を纏わせて、アイを砕かんと繰り出す。その粒子に触れるだけでも即死を伴う威力を纏わせた光速の拳。一撃でアイの体を粉々にできる威力を伴わせて短期決戦をシンは求めた。
しかして、その攻撃はゆらりと体を横にずらしたアイにより、胴体を削るに留まる。鎧が簡単に砕け鮮血が舞い、顔や胴体が血だらけになるアイは、されど口元に微かに笑みを浮かべていた。
「はぁぁっ!」
神技は一撃ではない。一連のコンボにより、敵を倒す技。それがシンの神技であり、先程の巻き直しのように、左の拳を突き出す。しかし、先程の巻き直しとはならなかった。
アイは光速の世界で繰り出される拳撃に手首を返し、そっと拳に手のひらを合わせてきて、軌道をずらしてきた。
ギクリとその行動に動揺を見せるが、足を踏み込み身体を捻り、右の拳にてアイの頭を狙うが、今度は横合いからパシッと手のひらで払いのけられてしまい、あろうことか払いのけたその手のひらをシンの胴体へと添えるようにつけると、掌底を放ってきた。
「ぐうぅ?!」
小さい体のどこにそのような力があるのかと思うほど、強烈な威力にシンは身体をくの字にして痛みに苦しむ。それは数万年ぶりの痛みであり、信じられないことであった。
くの字の身体をそのままに、屈めてくるりと回転させ下段蹴りを放つ。
トンと軽やかにジャンプをして下段蹴りを躱すアイに、躱された足を支点に踏み込みをして、膝蹴りへと移行して空中に浮くアイへと迫る。
「シッ」
されど小さく息を吐き、アイは繰り出した膝蹴りにちょこんと足を乗せて踏み台にすると、カウンターで膝蹴りをシンの顎へと打ち付けてきた。
「カハッ」
顎へと砕かれんばかりの勢いで膝蹴りを受けるシンは身体をのけぞらせながら、サマーソルトキックへと攻撃を変える。
「ふっ!」
今度は躱せまいと確信していたシンであるが、一つ呼気をして、後ろへと回転し逆さまになると、両手をサマーソルトへと合わせて突き出し受け止めて、その反動でくるくると回転をしながらアイは間合いをとって着地した。
「素晴らしいです。最近は温い戦いばかりでしたが、貴女の力は本物です。そういえば、あのメイドと本気で戦ったことはありませんでした。帰ったら、組手の相手になってもらいましょう」
満足げに血のついた顔を指で拭いつつ謎モードのアイは嬉しげに言う。その目には良い相手を見つけたと、戦闘民族のような光を宿していた。
うげっと、白目を剥いたマコトが嫌そうに呻き声をあげて仰け反ったが、どうしてなのかさっぱりわからない。かんかんのうと、マコトはカクカクと人形のように動きながらガイたちを部屋の隅っこに移動をさせていたので、後で褒めるべきであろう。
さしものどっかの変態銀髪メイドも、謎モードのアイを相手にするのは嫌なのだろうか。まさか延々と休むことなく、数週間ぶっ続けで組手をするなんてないと思うのだが。たぶん、きっと、めいびー。
「……私の攻撃を防ぐどころか、反撃までしてくるとは……。しかも光速の世界に入り込みましたね?」
「今のこの人の力でも、全力を出せば光速の動きを一瞬ではありますが行なえます。簡単でしたよ?」
コテンと首を傾げて、あっさりと言うアイへと信じられない思いで、凝視してしまう。そんな訳がない。どのような力を振り絞れば光速の動きをアイの力で行えるか見当もつかない。それだけ、アイの力は弱く、シンと隔絶した力の差があったのだ。そして、今もその力が増大している様子はないと、シンは見抜いていた。
即ち、彼女の十全に力を使うという言葉は、数万年鍛えた自分であっても想像のつかないレベルであることが理解できた。理解できてしまった。
……しかも信じられないことに、どんどんとその身体の動きのキレは上がっており、成長していっている。力ではなくその技術が。
アイの身体にアジャストし始めているのだ。敵はいったい何者なのだろうかと、僅かに恐れを持ってしまうが、その心を無視する。
「それでも負ける訳にはいかないのです。私の数万年鍛えた力を見せてあげます」
「貴女に感謝を。ストイックに鍛えた相手と戦うのは、私にとって旦那様の次に好きなことなので」
「一気に畳みかければっ!」
本当に感謝をしているのだろう、クスリと微笑む相手に遂に怒りを覚えて、シンは攻撃を再開するのであった。
玉座の間にて、シンと謎モードアイはダンスでも踊るように、激しい戦いを繰り広げていた。だが、以前にルシフェルと戦った時のように、ぶつかり合うことにより、衝撃波が起こることも、砂埃が舞い散り、石畳がその踏み込みで砕けることもない。
ワルツを踊るように、高速で身体が入れ代わり立ち代わり、静かな戦いを繰り広げている。お互いが相手の隙を狙い、受け流し、払いのける。無駄に力を使わない二人の戦いは周辺へとまったく力を漏らしていなかった。
延々と続くかと思われるダンスのような美しい舞のような戦いは、されどだんだんと拮抗が崩れていく。次々と繰り出される拳と蹴りに、シンが追いつけなくなり、その身体に攻撃が命中することが多くなってきたのだ。
「そのような馬鹿げた戦いをする者がいるとはっ!」
胴体へと繰り出された突きを腕でガードしようと翳したシンは、その腕を最初から狙っていたアイの掌底で上へと流される。その隙に滑り込むように反対の拳が胴体へとめり込むので、敢えて受けた反動にて後ろへと間合いをとるべく吹き飛ばされる。
壁を突き抜けて外まで吹き飛ぶシンへと、小首を傾げるアイ。
「そうでしょうか? 私のとった戦法は貴女に勝つ唯一の方法だと思うのですが」
てくてくと歩いて追いかけながら口にする。そのセリフを苦々しい表情を浮かべながら、吹き飛ばされたシンは宙で身体を回転させて着地した。
「たしかに一点に力を集めれば、私の力を超えることができるでしょう。ですが、集中させた箇所以外はまったく無防備になるのですよ? 光速の動きの中でそのようなことをしたら、簡単に身体は崩壊します!」
「それ、よく言われるんですが、大丈夫です。まだ身体は動きますし、魂には傷もない。この人の器は頑丈で、柔軟性がありますから」
平然と平静と言うアイに、頭がどうかしているんじゃないかと、かぶりを振りつつ口を開く。
「裸の王様。仕立て屋は馬鹿には見えぬ素晴らしい服だと言いました。子供だけはなにも着ていないと言いましたが本当にそうなのでしょうか? 子供とは無知で愚かな者。本当は服はあったのでは? 外を練り歩いても寒さも感じず、暑さで汗もかくことのなかった王様の服は本当はあったのでは?」
いかなる攻撃をも防ぐ不可視の障壁を自身に纏わせて、アイの攻撃を防ごうと創造の言葉を紡ぐ。
「あったとしても、着ていたとしても、私にとっては関係ありません。あるのならばその服を貫き、なくても貴女の身体を貫きます」
決然とした口調にて、アイは神速の踏み込みから間合いを詰めてくる。引き絞られた拳が打ち出されるのを感じとり、腕を持ち上げガードしようとするが、鳩尾に拳は入り込んでいた。
不可視の障壁。絶対の自信を持って、創造した防御壁はシャボン玉の如く貫かれて、泡のように消えていってしまった。
自然な拳であった。殺気もなく気配もなく、ただそよ風が凪ぐように、ガードをすり抜けた一撃。逃れることできず、完璧にシンの肉体にダメージは入り、吹き飛ばされることも許さぬ拳。
グラリと身体が折れて、膝をつく。
瞬間、シンはこの幼女には勝てぬと本能で理解してしまった。神と人、その地力に差があるにもかかわらず、その差をものともせずに、技術のみでシンを上回る相手。
遥か遠き過去から鍛えてきた自分を寄せ付けぬその腕の冴えは、神の残滓であるシンを驚愕させた。
この者には敵わない。きっと今のまま戦闘を継続してもジリ貧になるだけだろう。
反撃に拳を繰り出すが、螺旋の動きで巻き込むように拳は弾かれて、再度胴体に拳撃を食らう、ローキックを放てば、小さな脚をちょこんと合わせて踏み台とされ、横回転からの蹴りを食らう。
戦えば戦うほど、拳を合わせれば合わしていくほど、太刀打ちできなくなっていく。
もはや対峙できる残り時間は少ない。じきに拳を合わせることもできなくなると悟り、最後の賭けに出ることにする。
「ギャンブラーシンとして、賭けに出ます。どちらかの最後になるだろう技を受けなさい。神技 白銀剣の光舞」
光速の世界へと入り、びしっと手の指を揃えて手刀の形へと変える。そうして手刀に銀の粒子を集めて拳から剣へとその手を変化させ、自身の力を超えた光速の技を繰り出す。
シンが放った最強の奥義。光速故に腕を振る姿も見えず、ただ周囲をマス目状に銀線で分割した。空を切り裂き、地を割り、音を後に残し、アイもその軌跡に巻き込もうとする。
だが、アイは微動だにせず、眠そうな目をしながら立っていた。微かに口元を動かして。
「超技 黄金剣一閃」
そうして、既に腕を振り切った態勢のアイの呟きが、聞こえると同時に、黄金の軌跡に上書きされて、全ての銀の軌跡は断ち切られていく。
目を見張り、身体を震えさせたシンは、口から血を吐き、ゆらりと力を失くし倒れてしまう。と、同時に肩から鮮血が流れる。必殺の神技は簡単に打ち破られて、袈裟斬りに身体を斬られたことを攻撃を受けてからシンは気づいた。
「……見事です。人の身を使い、私を打ち破る者がまさかいるとは思いませんでした」
倒れ伏したシンはゆっくりと震える声音で相手を褒め称える。まさかこれほどまで腕がたつ神がいるとは想像もできなかった。
「さようなら、シン。どうやら貴女も最強とは程遠かったようですね。ですが、貴女の力は素晴らしかったです。またいつの日か闘いましょう」
ふわりと満足げな穏やかな笑みにて、謎モードのアイは倒れたシンへと手向けの言葉を告げる。
そうして、倒れたシンから力が抜け始めて、神殿は、世界はその支えを失くしたために、大地震が発生したかのように震え始めて、消失し始めるのであった。