24話 貴族少女と貴族たち
ガラガラと馬車の車輪が石畳を通る音がして、ホーンラビットの毛皮で作った椅子にその衝撃を与えてくる。いかに毛皮の良い部分だけで作られた馬車の贅沢な椅子でも、その衝撃を消すことはできずに緩和してくるだけである。
年若い少女はその衝撃をお尻に感じて顔を顰める。いかに貴族といえど、痛いものは痛い。
「ねぇ、ベインお兄様。本当にこんなことをするなんて、馬鹿らしいわ」
反対側に座っていた青年が、少女の言葉に苦笑をして肩をすくめる。自分でもそう思っているのだが、仕方ないものは仕方ない。
「仕方ないだろう。フローラがあまりにも我儘だからだよ。その歳になって、婚約者を見つけられないのがいけない。だから、変わり者の公爵の次男息子に捕まるんだ」
フローラ・ドッチナー。御年は13歳。北部穀倉地帯の一部を支配するドッチナー侯爵家の一人娘は鮮やかな青髪のロングヘアーをたなびかせて、つまらなそうに貴族にあるまじき豊かな表情を見せて、外を眺める。
馬車に嵌め込まれている高価な透明なガラス窓の外の光景は平民地区に入っていることを示していた。
活気の溢れる貿易都市でもあるタイタンはあらゆる人種のるつぼだ。人々は屋台で声高に野菜を売り、肉屋が声をはりあげて、様々な人々が買い物に勤しみ、物珍しそうになにか見たこともないものを売っている。
「私は平民地区を歩く方が好きだわ。あの次男も魔法の実践よりも、こういった散歩などを趣味になされば良いのに」
「そんなことを言うから、婚約者が決まらないんだ。平民など我々の護りがなければ生きてゆけぬ哀れな存在。ただその辺の草木と一緒さ。我々が管理しなければならないんだよ」
「貴族主義ですね。それって、とってもつまらないと思いません? 平民も我々と暮らしは変わらないのに」
フローラはドッチナー侯爵の次男ベインをつまらなそうに睨む。昔からの風潮、貴族主義。平民はただ自分たちの庇護のもとに生きながらえる存在であり、王族と貴族のみが神に選ばれたものだという主張だ。そのため、平民と口を利くのも恥ずかしいという。高位の貴族にその考えは根強くある。低位はそんな余裕はあまりないので、広がっていない。
だが、頭の良い高位貴族は平民と付き合っている。なにしろ商人などは平民なのだから。無視するわけにはいかないし。それでも見下した態度は変わらないが。
長男のボイルも貴族主義に染まっているように見えるが、平民の商人と付き合っている。資金を投資して、金を稼いでいるのだから。
金勘定のできる長男と比べて、次男は金は使えばなくなるとは考えたこともないだろう。来年は16歳、子爵家に婿入り予定のなのにこれでは相手方も頭が痛いに違いない。恐らく侯爵家と同様の浪費をするだろうから。
侯爵家ではたいした金額ではないので、浪費とも言えないが小さな子爵家ならそれはそれは苦労することは間違いない。なにしろ法衣貴族だ。
魔法の力も身体能力も高いのだから、騎士としても魔法使いとしても身をたてることができるだろうに、貴族は働かない者と信じているベインは遊び呆けるだけだ。
侯爵家の次男なら部屋住みとして残り贅沢に暮らしていければ良かったが、歳の離れたボイルお兄様は既に結婚して2人の息子を持っている。次男の価値はもうない。まぁ、だからこそ当主であるお父様はベインお兄様を子爵家に放り投げたのだが。
やれやれと嘆息して、窓の外へと目を向けると平民たちが変なものを履いているのに気づいた。なにか紐のような物を履いている? なにかしら、あれ。
よくよく見れば、そこかしこの平民たちが履いており、その腰にもつけている。予備なのだろう。
「木靴でも、革靴でもないわ。あれはなにかしら」
好奇心を抑えられないフローラはガチャリと馬車の扉を開けて、軽やかにスカートを風で膨らませて着地する。この程度、貴族にとっては楽々だ。
「こら、フローラ! なぜいつもそうなんだ!」
「ねえ、そこの貴方? その靴はなにかしら? なにでできてるの?」
叱責するベインの声を気にせずに歩く平民を呼び止める。呼び止められた平民はギョッとしてフローラを見て、後ろの馬車を見て、慌てて蒼白になりながら跪いて説明をしてくれる。まさか、貴族が馬車から飛び降りて来るなんて思いもよらなかったに違いない。
「へい、その、そこのゴザを敷いているやつが売ってます。安くて使い潰せるので、木靴よりも使い勝手がいいんで」
「あそこね」
少し離れた場所にゴザを敷いて、靴らしき物を売る男へと歩み寄る。蜘蛛の子をちらしたように、周りの客がいなくなるが別に気にしない。平民のことなど眼中にないのは、フローラも同じであった。
「いい加減にしろ、フローラ! こんな平民地区ではしたない。行くぞ!」
あ。本気で怒っているとフローラはたじろぐが好奇心は消せない。店へと指さし抵抗を示す。気になるものは気になるのだ。
「でもお兄様。あの靴が気になるのです」
「ちっ、おい、この靴をもらうぞ!」
ベインが御者へと視線を向けると、御者は慌てて降りて店の主人と話し金を払う。靴を手に入れて慌てて手渡してくるのを受け取りながら馬車へと戻る。
しげしげと手に入れた靴を上から下まで、くるりとひっくり返りして観察をして、感心してしまう。
ベインお兄様の小言を受け流して観察した結果
「これ、草でできていますわ、お兄様。平民って、考えることが貴族と違うわ!」
これなら安く作れるに違いない。なるほど、平民らしい思いつきだ。
「そんな薄汚い物に感心するんじゃない! 早く捨てろ。レトーヤ様の前でそんな物を見せるんじゃないぞ?」
「それぐらいはもうわかってますわ。ふ〜ん、こんな物を作るなんてねぇ。これは平民の間で人気になると思いますわ」
「はっ、平民が流行らすものなど絶対に貴族は興味を持たないよ、必ずレトーヤ様に会う前に捨てておくんだよ?」
落ち着いたのか、優しい声音に戻るベインお兄様に素直に頷く。これ以上、反抗すれば父様まで話がいくかもしれないからだ。
まぁ、もう仕組みはわかったので、興味を失ったが。
しばらく馬車に揺られ、王都北門から外に出て、平原を退屈そうに眺めていると、10人ぐらいの馬に乗った騎士たちと、立派な意匠の馬車が小高い丘に停まっているのを発見した。
公爵次男のレトーヤだ。外では機能性のない金糸と銀糸で意匠されている豪華なローブを着込み、その手に1メートル程の杖を持って退屈そうにしていた。
こちらへと気づき目を輝かす。私は嫌々ながら侯爵家に泥を塗る訳にもいかず、淑女らしく挨拶をする。
「本日はレトーヤ様のご招待ありがとうございます」
「気にすることはない。私も侯爵家の宝石、フローラ姫に会えて光栄だ」
肥えていて、その声は大きい。まさか詠唱は大きい声の方が強力であるという説を信じているのだろうか。髪の色で得意な魔法が変わるという説と同じぐらいに信憑性がないのに。
「レトーヤ様の魔法の素晴らしさを見られるとあって、妹も昨日から楽しみにしていたのですよ」
「そうかそうか。たしかに私の魔法は他の魔法使いと格が違う。よく見ていてくれたまえ!」
水の魔法使いとして、公爵家の次男は有名だ。魔法を常に披露するのも。宮廷魔法使いになれば良いのに、常に魔法を使いたいレトーヤ様はのんびりと宮殿で暮らしていたくはないと、宮仕えをする気はない。
高位の貴族は皆そんなものだ。金があるため働かない。レトーヤ様も伯爵として法衣貴族になるのが決定しているし。
「さぁ、お前たち! そこの森林から魔物たちを呼んできたまえ! 我が魔法の冴えを見せよう!」
「はっ! 少々お待ちを!」
下位騎士が敬礼して、馬から降りて森へと走っていく。鉄製のプレートメイルを着込んでもその動きには淀みがなく走る速度はかなりのものだ。
「だから丘で待っていたのね」
はぁ、と嘆息して辺りを見渡す。丘が連なり右手には森林が。左手には平原が見える。しばらく北に進めば穀倉地帯になるだろう。
「あら? あんなところに人が?」
貴族ではないと、識別できない遠くにローブを着た人影が見えた。体格からいって男とその子供かしら?
魔物が現れてもおかしくない街道に子供連れ? 不思議に思っていると、騎士が森から飛び出してくるのが見えた。悠々とした走りでこちらへと向かってきて、後ろに魔物を連れている。
「ホブゴブリンか。なかなか良い獲物ではないか。あとで、褒美を与えねばな」
バサリとローブを翻して杖を掲げるレトーヤ様。朗々と詠唱をはじめると、杖が輝き先端につけられている宝石が光り輝く。ミスリルで制作された魔法の杖だ。威力を増幅させるために、宝石と杖に魔法が込められている。公爵も随分次男に甘いものですね。あれは金板1000枚はするはず。もしかしたらそれ以上かも。
複雑な印を杖で描き、レトーヤ様は押し寄せるホブゴブリンの群れへと魔法を発動させる。
「フリーズストーム!」
杖から氷の粒子が生まれたかと思うと、見る間に竜巻へと姿を変えて、ホブゴブリンへと襲いかかる。氷の嵐はあっという間にホブゴブリンを凍らせて、その竜巻の威力にて砕き、血の色をする氷が散らばっていくのであった。
「ハハハ! やはり魔法は最高だ! 敵を倒すこの感触。宮廷魔法使いが常に魔物退治をするのであれば、宮仕えをしたのにな!」
「お見事ですわ、レトーヤ様。氷の魔法は使い手が少のうございますのに、あれだけの威力。初めて見ましたわ」
おざなりに世辞を伝える。たしかに強力で素晴らしいが……その魔法で雑魚の魔物を倒してもね。空の王者グリフォンやヒポグリフとかと戦うのならば、本当に称賛するのだが、殺される可能性のある魔物とは戦わないだろう。
……そういえば、ホブゴブリンだけの群れって変じゃないかしら? 家庭教師にはゴブリンを使役するのがホブゴブリンと聞いていたのだけど。
「えぇ、私も土魔法を使いますので、レトーヤ様の魔法の威力がどれぐらいかわかります。実に素晴らしい」
「おぉ、それではベイン殿の魔法も使ってみてくだされ」
ベインお兄様もかなりの使い手である。レトーヤ様と競うように騎士たちが森林から引っ張ってくる魔物を楽しそうに倒すのであった。
あくびを噛み殺しながらしばらくその様子を見て、いつまで続くのかしらと、ふと、さっきいた2人はどうしているのかしらと気になり、顔を向けると、なんと座ってこちらがまるで見えるように子供の方が拍手をしていた。もしかして見えている?
「フローラ嬢、なにか気になることでも?」
レトーヤ様が私の視線があらぬ方向に向いているのを訝しく思い、2人組の方へと視線を向けて気づく。
「なんだあの平民は? 私の魔法を見ているのか? 不愉快な! 私の魔法は平民への見世物ではないぞ」
「そのとおりですな。お前たち! あいつ等を引きずってこい!」
ベインお兄様もその光景を見て、不愉快そうに騎士へと命令する。騎士たちが頷き2人へと馬に乗り走って行く。
あの距離で見えるなら貴族ではないかしらと私は疑問に思ったが、貴族なら問題はないので様子を見ていると騎士が男の方を引きずってきた。
体格は良いが老人で薄汚い服を羽織っている。
「申し訳ありません。子供の方は逃してしまいました。この平原で隠れるところはないはずなのですが」
騎士が頭を下げるが特に気にしていないようで、レトーヤ様のその口元は歪んでいた。
「むぅ、まあ良い。爺だけでも良いだろう。おい、貴様! 私の魔法を盗み見ていたな!」
「いえ、たんにひとやすみしてただけだぁ、おらはなにも」
「黙れっ! 公爵家の秘術を見たそなたは万死に値する!」
秘術もなにもない。普通の高位魔法だと言いたかったが、口を閉じる。このお爺さんがどうなるかはわかっていたし。
「レトーヤ様。申し訳ありません。立ち続けていたせいでしょう。わたくし気分が悪くなりまして。さがってもよろしいですか?」
「あぁ、女性への労りを忘れていました。もちろんです、どうぞお気をつけて。ベイン殿はどうしますか? 帰りの馬車で魔法談義に花を咲かせたいのですが」
貴族がこれだけで疲れる訳がないが、レトーヤ様は了承してくれる。
震えて蹲るお爺さんはいない者のように扱い、レトーヤ様はベインお兄様へと尋ねると笑顔でベインお兄様は頷く。
「騎士の半分でフローラを守らせれば良いでしょう。良いな、フローラ?」
「はい、お兄様。それではお暇を。次のご招待を心待ちにしていますわ」
カーテシーにて挨拶をして、私は馬車にて帰ることにした。
「……まったく、あんな趣味の悪い人がわたくしの夫だなんて……うんざりね」
椅子に凭れ掛かり、離れていくレトーヤ様とベインお兄様をみる。平民をいたぶる大義ができたと、2人は顔を醜悪にして嗤っていたので、ため息を吐く。
丘から降りて、街道へと戻る途中で、空へ立ち昇る氷の竜巻が巻き起こり、巨大な砂礫の竜巻がその後に生まれたのを見て、随分派手にやっていると、ますますレトーヤ様とベインお兄様に失望をして、ふと思う。
「あのお爺さん……純粋共通言語を使ってなかったかしら?」
気のせいであろうと思い、窓から目を外す。また氷の竜巻が巻き起こったのが見えたので、死体すらも辱めているのだろうと帰りは目を瞑り眠りながら帰るのであった。