236話 変わりし王都にて傲慢少女は驚く
ムスペル公爵家。タイタン王国の3つしかない公爵家の一つであり、王族の権力すらも上回る魔法の大家。数年前までは飛ぶ鳥を落とす勢いであり、ムスペル家でなければ貴族にあらず。と当主が宴の席で言った程、権勢を持っていた家だ。
………そう、持っていた、だ。既にその権勢は過去のものであり、今の公爵家は派閥も総崩れであり、その権力は全盛期と比べるのも恥ずかしいレベルに落ちていた。
王家の策略。今となっては間違いない王家の陰謀により次男が侯爵家の息子を殺めるといった事件から始まり、勢力を維持するため北部にて行った挙兵まで、その全てを誘導されて起こしたムスペル家はあっという間に権力を剥ぎ取られた。
ムスペル家を痛めつけて、権力を広げようとしたブレド家を巻き込んで。軍を率いて対陣したものの、このままいたずらに時間をかけても、ムスペル家、ブレド家の両家共に状況は悪化するばかりであるが、なぜかムスペル公爵は独立国家を作ろうと企み始めており、ブレド家がその企てに乗ろうと考え始めて、上手くいくところであった。
実際に建国したら大神の神器にて、あっさりとタイタン王国に滅ぼされる末路まで見えていたとはいえ。
しかし、その企ては中止された。王家が陽光帝国との同盟を結び、これまでの罪を恩赦にてなかったことにすると、通告があったためだ。
そう。南部に突如として建国された陽光帝国。タイタン王国と同様に最強の神器である地形変化系神器を持ち、一人にて一軍を打ち破る英雄級という御伽話にしかいないと思われた存在を配下に持つもの。
しかも、裏では遠き地より派遣された一部の軍隊でしかないとの噂。様々な優れた技術、文化、資源を持っており、他国とは比べ物にならないレベルの国家。
強大すぎる帝国と同盟を結んだことによる恩赦。その意味をムスペル家もブレド家も履き違えることなく、その意味を正確に読み取ったのだ。
意味するところは、王家だけでは帝国に抵抗するのは難しいために、両家に戻ってきて欲しいということであった。その意味を理解した両家は独立などということはせずに、再び覇権を目指し王都に戻ってきたのである。
ムスペル公爵家の長女デボラ・ムスペルは馬車に揺られて退屈そうに足を伸ばした。ポキポキとした音が足から聞こえて、苦笑する。公爵家の娘がやることではない。
長期間の旅路によりくたびれているし、小汚い感じがする。それになにより……臭い。香水で誤魔化そうにも、臭気が混じり合って、とんでもないことになる。
なので、早く自宅に帰りたいと、疲れを紛らわすためにも窓からようやく到着した王都を眺めた。
「まったく……。平民地区は相変わらず騒がしいですわね」
まだ平民地区に到着したばかりだ。相変わらずうるさい場所だと蔑むように眺め……眉を訝しげに顰めてしまう。
「ねえ、なんだか平民たちが綺麗だわ?」
同じ馬車に世話係として乗っている侍女へと尋ねると、彼女もその問いかけを聞いて、不思議そうに首を傾げる。
「そうですね、なぜ平民が新品の服を着ているのでしょうか?」
侍女も貴族だ。平民とは違い裕福の出である。だからこそ、貧乏な平民たちが新品の服を着ていることに驚きを示していた。
平民などは貴族や商人たちの使い古した古着を着るものだと家庭教師からも聞いているし、現に時々外に出る際に馬車から覗くと、たしかに教わったとおりに、古着を着込み、泥だらけでも汚い格好をして気にすることもなく過ごしていた。
それが王都を脱出して北部に逃げる際の最後に見た現状でもあった。
が、今は小綺麗な格好をしている者が多い。たしかに泥だらけの者たちもいるが、圧倒的に小綺麗な格好をしている者たちの方が多い。髪はぼさぼさではなく、その肌も比較的綺麗で、服はこざっぱりしている。しかも色とりどりに、デザインの違う服装をしている者たち。
特に女性がそうだ。彼女たちは貴族のようにドレスというわけではないが、それでも可愛らしい服や、美しさを際立たせるセンスの良い見たことのない服装をしている。
ワンポイントにアクセサリーをつけていたりもする。驚きの状況であった。
反対に自分たちのドレスが新鮮味もなく、恥ずかしく思うぐらいだ。
「わたくしたちのいない間にそれだけ景気が良くなったの?」
「そういえば、月光商会という急成長した商会が現れたおかげでだいぶ景気が良くなったとお聞きしています。陽光帝国との間で、かなりの儲けを出しているとも話を聞いています。砂糖もその商会が持ち込んだとか」
「その話は聞いているわ。でも所詮は平民の商会でしょう? 上手くタイタン王国と陽光帝国との間を行き来して儲けている程度の」
所詮は平民の商会だ。色々新商品を持ち込むようだが、それで王都の景気がそこまで良くならないし、平民たちの暮らしが変わるわけはない。平民とはそこまで力を持たないのだ。
「他に考えられることは王がそこまで辣腕を見せたと言うこと。わたくしたちの勢力をはぎ取れる程の方ですもの。これぐらいどうということはないのでしょう」
わたくしの予想に侍女も戸惑いながらも、そのとおりでしょうと頷く。平民にまで富を分け与えることができるとは、なんという政治力なのだ。
「シグムント王子との婚約がなくなり、ドッチナー侯爵家に権勢は盗られ、我が家は力を失いましたが、ここまでの辣腕ぶりならば、我が家が追い込まれたこともわかるというものです」
苛立ちを覚えて、爪を噛む。
「お嬢様、その癖は治しませんと」
すぐに侍女が注意してくるので、嘆息しながら口元から手を放す。たしかに淑女として悪い癖だ。ついつい出てしまうから気をつけないと。
「たしか、お父様は権勢を取り戻すのに、他国の者を夫にするように命じてきましたね。……誰だったかしら。カイ、タイ? 魔法爵なんか聞いたことのない爵位ですけど」
うろ覚えであったが、なんとか記憶から取り出そうとする。誰だったかしら?
「聞いたところによると、つい先日にこの王都で王族よりも派手で贅沢な結婚式を行った者らしいです。王都全体に食べ物や酒を惜しむことなく振る舞い、パレードを行ったとか。その結婚式は王の結婚式よりも上であったらしいですよ」
「それじゃ結婚してるじゃない。私は妾にでもなれと?」
この公爵家の長女たるデボラが妾? そんな屈辱的なことをせよと? 王の結婚式を上回る結婚式を行ったことから、陽光帝国との力関係がはっきりとわかるが、それとこれは別だ。不満を顔に出す私へと、よく出来た侍女は首を横に振る。
「ガイ・ブレイブという方でして、魔法、特に魔道具の作成にフラガン家を含む他の者の追随を許さない腕を持ち、その力は英雄級、複数の強力な神器を持ち、そして南部の複数の鉱山を領地に持つ資産家。タイタン王国で言う侯爵家と同格とは言われますが、陽光帝国は公爵家を持たないので、実際は公爵家と同様でしょう」
「素晴らしい方ね。妻がいなければ、わたくしの夫に相応しいわ。英雄級に複数の神器? 魔道具の腕前もフラガン家以上? 話半分でも王子と結婚するよりも良い相手でしたわね。結婚していなければ」
嫌味的に言う私へと再度侍女はまた首を横に振る。
「それが話に聞いたところ、平民の召使いとの恋愛結婚らしいのです。その召使いはどの貴族の養女になることもなく、平民として結婚したらしいですよ」
その説明にピンときた。ははぁ、なるほどね。
「力ある男だから、そんな無理が通りましたのね。でも貴族の養女になっていないということは、どの貴族も正妻の座をガイという方に押し付けるつもり。所詮は平民、きっと貴族社会ではやっていけないでしょうから、しばらくしたら正妻の座から降りたいと自ら言うに決まってますし」
貴族の謀略と言うやつだ。力ある男の我儘は聞くが、すぐに現実を教えてやり、正妻は貴族でなければならないと理解したかと、自分たちの娘なりを勧めるに違いない。
わかりやすい政略結婚と言うやつだ。貴族なれば恋愛結婚など望む訳もなく、愛人を寵愛しても、正妻であれば問題ないとの計算が働く。
特に説明を聞くに、信じられない程有能な男らしいし。その正妻争いに私も加われと言うことね。……面白そうね。
「わかりましたわ。難しいとは思いますが、ガイという方の正妻を目指すことにしますわ」
ふわさと自慢の髪をかきあげて、優しげな微笑みを浮かべる。かきあげられた白金の髪の毛がキラキラと輝く。
そして、デボラの微笑みは慈愛の溢れた優しげな弱々しい儚げな笑みであった。
「お嬢様なら大丈夫かと。普段は猫かぶりで病弱なふりをしていますし、性格とは正反対に、可愛らしい保護欲を持たせる儚げな愛らしい顔立ちですので。すぐに魅了できるかと」
「フフ、ありがとう。ホーホッホッホッ」
高らかに笑うその声も柔らかい声音で侍女は詐欺だと苦笑する。高笑いでも甲高い声音でなく、少し小さな聞き惚れる声音であったので。しかも愛らしい顔立ちから、背伸びをしている少女にしか見えなかった。
「ですが、お嬢様のこととは別に、当主様から命じられていることもあります。月光商会の当主を見極めるようにと。とりあえずは挨拶を交わしておくようにとのことです」
「あぁ、私の美貌ならすぐに魅了できますわ。どんな殿方なの?」
「それが………。当主はよ」
侍女が話を続けようとした時、ガタンと大きく馬車が揺れ、慌てて椅子から落ちないようにしがみつく。贅沢に毛皮を重ねた椅子であるが、それでもお尻にかなりの痛さを伝えてきた。
「な、なんですのいったい?」
怒気を込めてデボラが言うと、侍女は窓から外を覗く。馬に乗った護衛の騎士が慌てて近づいてくる。
「申し訳ありません。どうやらこの先でどこかの商会の馬車が転倒しているようで、道を塞がれております」
「そんなことで、この痛みをわたくしは負いましたの? 平民の商会の馬車なんかで? 魔法の大家であるムスペル家の長女に怪我を負わせるとどうなるか教えてあげなさい。その馬車は吹き飛ばしてね」
「ははっ! 了解致しました」
敬礼をして騎士は前方へと駆けて行った。その様子を見てため息をつきながら、荒々しく椅子に座る。
「馬車を吹き飛ばされるぐらいで幸運だと思ってほしいわね。本当ならその商人も切り捨て、て」
ドガラッシャンと派手な音をたてて、先程の騎士が窓の横を吹き飛んでいくのを見て言葉を失う。
はぁ?
何が起こったのかと戸惑うが
「おのれっ、これがムスペ、ザクッ」
「このようなこぐふっ」
「ただではどむっ」
「馬鹿な、やげるぐぐっ」
次々と護衛騎士たちの悲鳴が聞こえてきて、地面に倒れ落ちる音が響き渡ってきた。
ゴクリと息を飲み込む。侍女も身体を震わせて何が起きたのかと顔を蒼白にしていた。
「酷いことをしまつね! ちょっと最新試作型装甲馬車が石畳にめり込んだだけじゃないでつか。魔法で吹き飛ばそうなんて許しましぇん」
「あんな馬鹿な重量のを作るからだぜ」
「閣下に手を出そうなどと、万死に値します」
外から幼女たちが話す声が聞こえてきて、馬車の扉がノックされる。それを聞いて、わたくしは侍女へと扉を開けるように指示を出す。いったいなにがあったのかと恐怖の面持ちで。