231話 根回しは面倒くさい黒幕幼女
ドッチナー侯爵家の食堂。歓待のためにドッチナー侯爵が用意した数々の彩り豊かな料理が並んでいる。お皿にのせられた料理は温かいものは温かく。冷たいものは冷たく。その全てが保存魔法の付与された魔道具の皿に乗せられて。
「これだけの魔道具を揃えているとは、ドッチナー侯爵も人が悪い」
ドッチナー侯爵の客人の一人、畏れ多くも、タイタン王国の頂点に立つタイタン王である。威厳のある目にて、王国の頂点は右腕たる宰相、即ちドッチナー侯爵へと笑いながら話しかけてきた。
「私たちは月光商会と懇意にしておりますので、優先的に譲って貰えた次第でして。王都の景気を左右する月光商会は義理堅くもあります。私もだいぶ助かっておりますよ」
遠回しに抽象的ながら、月光商会を褒めるように見せかけて牽制の言葉をドッチナー侯爵は告げた。その表情は柔和で裏がありそうには見えない。即ち、権謀術数に長ける高位貴族を表していた。
ドッチナー侯爵に動揺の姿は見えない。ある程度の月光商会の力を知ったからだ。そして、未知のものでなければ、夫は対応できないほど、頭は悪くない。どのような行動をとれば、自身に一番利益が入るか、権力が大きくなるか考えられる。
隣で妻であるビアーラはその様子を見て、覚悟を決めたようだと内心で苦笑する。まさしく飛ぶ鳥を落とす勢いの月光商会。南部地域が統一されたことにより、確たる地位を得た商会だ。
いや、実際は元を辿れば同じ国から現れた者たちだから、陽光帝国も月光商会も変わらないと思うが。
「宜しければ、陛下へと贈り物としたいところですな」
上座に座る陛下へと、ビアーラたちとは反対に座り、食事を楽しむ老人が静かな声音で言う。
その言葉に陛下は大袈裟とも言える笑顔になり答える。
「おぉ、それは喜ばしい限り。恥ずかしながら、我が王家はそこまで魔道具に力を入れていなかったのでな。助かるというものだ」
背筋をピシッと綺麗に伸ばし、歳を感じさせない老人。今や酒場でも、広場でも詩人たちが必ず謳う者。お伽噺が真実だと体現した者。
誰もが認める伝説と思われた英雄級の老人。ギュンター卿は陛下の言葉に柔和な笑みで応えた。
「では、後ほど献上したいと思います」
その表情は好々爺にしか見えず、教えられなければ英雄級だとはわからない。見る人が見ればわかるのだろうが。
だが、その好々爺な姿にタイタン王は騙されなかった。調べなくても、既にその名声は広がっている神聖騎士なので、騙されないのは当たり前だが。
「非公式ながら感謝を。このお礼は何を返礼とすれば良いかな?」
陛下がこの会食の目的を尋ねる。もちろんのこと、どのような話かは事前に通っている。これは形式的なものだ。
そして形式的なものなれど、極めて微妙な案件だからこそ、タイタン王はドッチナー侯爵家に訪れて、月光商会の当主との話し合いに臨んでいた。
その意味するところは、謁見の間にて会うのが危険なほどに、月光商会が力を持っていることを示していたが、陛下は王の権力を取り戻したときと同様に、プライドにこだわらずに月光商会に会うために足を伸ばしたのだ。
謁見の間で会わなかった理由は、かなりの貴族が月光商会に与しているからだ。立場上、平民を称している月光商会の当主に会って貴族が自分よりも月光商会の味方についた発言をしてきた場合、権威が大きく落とされるからである。
そう、月光商会の当主に会いに来ていた。そして、ギュンター卿は巷で噂の英雄ではあれど、月光商会の当主ではない。
「へ〜かにお願いがありまつ。んと〜、えと〜、あたちの部下が結婚するので、王都で結婚式をしたいのでつ。皆で美味しい物を食べるんでつよ」
にっこにっこと、無邪気なお花満開のような笑みを見せながら、コロコロと鈴を転がすような可愛らしい声音で言うのは幼女であった。
幼女用の高い椅子に座って、フォークとナイフをんしょんしょと扱って料理を食べていた幼女である。
艷やかな黒髪をおさげにまとめて、ヤンチャそうなぱちくりおメメは楽しそうにくるくると光彩を変えて、可愛らしい顔立ちの小動物のような、思わず頭を撫でたくなる幼女だ。
その名はアイ・月読。タイタン王国と南部地域を席巻する大商会の当主だ。その後ろ盾は妖精の隠れ道の先にある帝国であり、実は皇女ではないかと、ビアーラは推測していた。
「ほう。アイ姫は部下にお優しい。どのような方なのかな?」
知っているが、知らないふりをして、白々しく陛下が尋ねると、ニパッと微笑むアイ。
「あたちの一番の部下でつね。ナンバー2なんでつ。最近は魔法爵とかいうのも、スノーしゃんから貰ってまちた。キラキラした勲章を貰ってまちたよ!」
あたちの部下は凄いでしょーと、鼻息荒く答えて、ムフンと平坦なる胸を張っちゃう。その姿は自慢のお友だちを紹介する良い子に見える。
陛下はスノー皇帝を敬意を持たずに、友だちのような扱いで語るアイの言葉を聞いて、ギュンター卿へと視線を不敬ではないかと尋ねるように向ける。
が、ギュンター卿は平然としていた。
「姫は皇帝陛下の友だちですからな。権限も同様の物を与えられておりますゆえ、問題はありませぬ」
その返答に一瞬驚きで目を見開く陛下。私も夫もその言葉に驚いてしまった。夫などはフォークを取り落としてしまった。
しかし、海千山千の陛下はすぐに顔を破顔させて喜びを示す。
「左様か。さすがはアイ姫であるな」
一体誰に権限を与えられたのかなどとは尋ねない。だが、月光商会がそれほどの権力を持っていることに陛下はなぜか喜びを見せた。………いえ、なぜかではないわね。なにを考えているかは、だいたい予想できるし。
「信頼している家臣の結婚式ならば祝うのは当然であろう。……で、どの程度の規模であろうか?」
月光街内だけでの祝いならば、こちらに話を持ちかけてくる訳はない。その意味するところは、当然………。
「もちろん、王都全体でつ! えへへ、金貨たっくさん使いまつよ」
ニコニコととっておきのお小遣いを使うように言う幼女。その言葉に重ねるようにギュンター卿も言葉を連ねる。
「金貨にして50万枚を予算として使いたいと姫は仰せです。皆に祝って貰いたいので、飲食などに補助金を出す予定です。他にも色々と雑費のための予算も用意しますが」
「50万枚………それは豪気なことですな。王都民もそのような催し物となれば、魔法爵とアイ姫に感謝を示すであろう」
「それでは許可を頂けたと考えてよろしいかな?」
陛下に確かめるように、鋭い視線を向けるギュンター卿へと、怯まずに頷く。
「もちろん、このような祝い事に許可を出さない程、余は暗愚ではないつもりなのでな」
「それはありがたい。では、詳細は後程部下同士でということで」
「うむ。楽しみであるな」
お互いの視線が絡みあい、緊張気味の空気を纏わせつつ話し合いは終了したのであった。
月光商会の面々が帰ったあとに、応接間にて自室のように寛ぎながら、陛下はワイングラスの中を覗き込むようにくゆらせながら、私たちへと自嘲するように口元を歪めて見せてきた。
「月光商会は巧みだ。その深慮遠謀は恐ろしいものだな。余に選択肢はなかった」
「でしょうね。断れば、王都民は陛下へと祝い事の一つも許さぬ心の狭い暗愚だと噂するでしょうし、もちろん貴族たちも、それをネタにするわ」
陛下の言葉に冷ややかに答えながら、テーブルに置かれているツマミのチーズを口にする。
「かの商会は蜘蛛の糸のようにこちらを絡め取ってきます。気づいたときには逃げられません」
だから、月光商会と懇意にしているのは仕方ないのだと、大袈裟に演技をして顔を覆ってみせる夫。
「許可をだすのは確定事項だ。金貨50万枚……。王都の景気の良さはしばらく変わらないであろうな。そして、彼らは王の結婚式のような派手な祝祭をして、誰が王都を牛耳っているかを示すわけだ」
皮肉そうにいうが、たしかにそのとおりかもしれないが一つ間違っていることがある。
「きっと月光商会は王の結婚式よりも遥かに派手な結婚式をするつもりよ。残念ながら。神器でも使って防ぐ?」
「こんな状況を防ぐ神器などないことは知っているはずだ。我が王家の神器は敵を撃退できても、金を生み出すことはできないからな」
ワイン瓶を手に取り、疲れたように空となっていたワイングラスに陛下はワインを注ぐ。皮肉にもそのワインは月光商会の取り扱うワインだ。今までとは味がまったく違う美味しさのワインである。
「こんな日が来ようとは………。力ではなく、金で負ける。技術で負ける。人望で負ける。根回しで負ける。まさしく貴族との権力争いを得意とする余の盤上にて負けた。余の盤上にあがっていたはずなのに、気づかなかったしな」
責めるように私を睨みつつ、愚痴を言う陛下。素知らぬふりを夫はして、平然としている。
「教えなかったことを責めているのかしら? それならばお門違いよ。私たちもにっちもさっちもいかなくなってから、月光商会の影響力に気づいたのだし」
「そなたがそういうとはな……。仕方ない、か。負けを認めよう。幸いなことに王権を奪う様子もなさそうだしな。ならばこそ、これからのことを考えねばならぬ」
心が折れたのかと思いきや、ニヤリと陛下は笑って見せた、なかなかの意志の強さ。本来は賢王と呼ばれるはずだった人ね。
私が感心する中で、これからのことを考えた布石を告げてくる。
「北部で怪しい動きをしているムスペルには恩赦を与える。理由は陽光帝国との同盟成立だ。月光商会の祝祭と共に合わせて発表をする。独立のための悪巧みをしている者たちのはしごを外す」
「あら、知っていたの?」
ムスペル家とブレド家が睨み合って動かなくなり、しばらく経っている。北部からの小麦の流入も減っていることから、戦争の準備を少しずつ整えようとしているのは明らかだった。
力をなくしたムスペル家、ブレド家が手を組んで。
しかし、恩赦を与えれば、またぞろ両家が力を取り戻す可能性があるのだが良いのだろうか。
「敵は外にあり、だ。そして、両家が力を取り戻す、いや、それ以上の権勢を手に入れる方法があるだろう? たしかアイ姫はまだ婚約者はいないそうだしな」
「彼らの向ける矛先を変えることで宮廷争いに釘を刺す。そして帰参した彼らの力は王家にとって助かる。なるほどよく考えましたな、陛下」
ホホウと、夫は陛下の言葉に考えつつ、良い作戦だと納得したようだった。たしかに良い作戦かもしれないが……。
「そなたの娘は陽光帝国首都サンライトに留学するのだろう。かの国に大勢の錬金術師、魔道具作りの者たちが移住してきたらしいが、その者たちに教えを求むとか」
「耳が早いのね。ようやく外に目を向けることにしたのね」
フローラはアイとの話し合いで留学が決まった。恐らくは基本知識から違うと思われるから、大きなチャンスとなるはずだ。
「ふん、今は全てにおいて、我が国は負けている。属国扱いされる可能性もある。だがな、技術は吸収し、手法は学べば良い。貴族たちに牛耳られていた時代と同じだ。今は雌伏のときである」
「おお、さすがは陛下ですな」
ワイングラスを掲げて、決意の表情となる陛下。そうね……そうなると良いのだろうけど。
きっと無理だろう。最近気づいたことがある。
あの可愛らしい幼女が黒幕なのではと。
始まりは全てあの幼女だ。そして、常に話し合いにはあの幼女が関わっていた。無邪気な笑顔で。舌足らずな声で。いつも話に加わってきていた。とすると……。
笑顔で話し合う男たちを眺めながら、本当の黒幕が私の予想通りなら、彼の治世では無理であろうと私は思いながら、空になったワインの追加を頼むのであった。