205話 ある少女の休暇の一日、午前
ピリリと目覚まし時計の音が鳴って、少女はゆっくりと目を開く。
「ふわぁ、今日は休暇だっけ」
呟きながらベッドから起き上がる。さらりと絹のような美しい銀色の長髪が肩の上から流れていく。
ふかふかのベッドに、柔らかな掛け布団はまだ寝ていようぜと、少女を捕えて離さない。だが、その暖かさを少女は払いのけて立ち上がる。
「眠気よりも食い気なんだぜ」
呟きながら、勢いよくベッドから降りる。ぐ〜、とお腹が泣くので起きないといけないのだ。鳴くではなく泣くのだ。
広々とした寝室を歩き、壁に立て掛けてある姿見の前に立つ。
「うん、いつ見ても惚れ惚れする美少女だぜ」
うんうんと満足げに頷く。さらりとした艷やかな銀髪 白い肌に、細い手足。バランスのとれたスタイル。そして、なんと言っても美しい顔立ち。
美少女が鏡の中に立っていた。すれ違う誰もが振り返る美少女である。まるでアニメから飛び出てきたかのような美少女だ。
人気絶頂の女優がそこにはいた。次期オスカー賞間違いなしだ。もうオスカー賞ないけど。たぶん崩壊前ならノミネートされて、オスカー賞と女優賞は確実だろう。8連覇とかしたと思う。
女優は自身の姿を念入りに確認して、おかしいところがないか確認しないといけない。1時間はかけて、上から下までじっくりと確認するのだ。
今日は休みだから1分で良いだろう。名女優とはオンオフをしっかりと変えられるのだ。いつもは1時間はかけていると思う。たぶんかけている。
寝癖のついた髪の毛を手櫛で直し、クローゼットの前に移動する。
名女優は普段着にも気をつけなければならない。外に出ると、ファンの皆がいたりするので、おかしな格好はできない。
「あ〜、ジャージしかないか」
そういや、この間、全部クリーニングに出したんだっけとクローゼットの中を覗きながら思い出す。面倒くさいから、全部出したんだった。それから取りに行くの忘れてたや。
名女優はたまにはサプライズな格好で、ファンを喜ばせなければならない。
ジャージ姿を見て、庶民的な心もあるんだなと、親近感を皆は持って、さらなるファンが増えちゃうだろう。
計算ずくなのさと、少女はパジャマを脱いで、ピンクのジャージを着込む。
カーテンをシャッと開くと、眩しい日差しが入ってきて目を眇める。外は暑そうだ。夏真っ盛りであるから当たり前だが。
女優は食べ物にも気をつけなければならない。朝はコーヒーだけとか、そういう体に悪いことはしないのだ。
なので、専属料理人の作った料理を食べる。料理にお金をかけるのも女優の必要経費だから。
寝室から出て、リビングを通り抜け、玄関でスニーカーを履いて外に出る。
外に出ると、猛烈な暑さを感じる。うへぇと舌を出してしまう。暑すぎだ。世界は昔の自然を取り戻していて、四季がはっきりしているが、暑さはどうにかしてほしかった。
「あら、おはよう。今日はお休みなの?」
「おはようございま〜す。そうなんです。今日は久しぶりのオフでして」
ニコリと微笑んで、軽く会釈を返す。多少オフのところに力を入れた。
週休2日制なので5日ぶりのオフだ。久しぶりの休みだなぁ。人気女優は休みが少なくて大変だぜ。
「各地を周って劇をしているのでしょう? ドサ回りは大変ねぇ」
「ドサ回りではなくて、各地で劇をやっているんです。大変な地域こそ、娯楽は喜ばれますので」
おばさんのセリフに口元を引きつらせつつも、笑みを崩さずに答える。人気者の女優にドサ回りとは、言葉の使い方を知らないおばさんだぜ。各地を周るのは大変なんだぞ。この場合の各地とはあらゆる場所を示す。異世界とか。
「あら、ごめんなさい。映画とかでたまに脇役とかで見るから、売れない芸人なのかなって思ったの。おばさん間違えちゃったわ」
オホホと笑うおばさんの顔にドロップキックを叩き込んでやろうかと思ったが、我慢する。スキャンダルになったら、大変だ。名女優とは我慢することが多いのだ。
多少疲れを感じつつも、腕につけているバングルを触る。モニターが現れるので、軽く叩いて目的地をセットする。
パアッと銀の粒子がバングルから噴き出して、自分の身体を包むサークルとなり、神秘的な輝きが辺りを照らす。
その光景に、おばさんはギョッと驚きを見せるので、たおやかに、あくまでお淑やかに言う。ふひひ、驚いただろ。
「では、私は行きますので。それでは」
あ、はい、と驚くおばさんの姿に胸をスッとさせながら少女の姿はその場から消えた。
ポータルテレポートは国の幹部や必要と認められた者のみしか使えないのだ。そのために滅多に使う場面は一般人では見られない。あたしが各地を周る忙しい超人気者の名女優だと、あのおばさんは心底理解しただろう。またあたしのファンが増えたかな?
ポータルテレポートをして、視界が変わる。大勢の人が立ち並ぶ食堂へと少女は移動していた。
「あ〜っ! また朝食のためにポータルテレポートを無駄に使ってる〜! い〜けないんだ、いけないんだ。おとーさんに言ってやろ」
名女優を見つけて興奮した少女があたしを指差しながら、喜びの笑みを見せる。さすがはあたし。どこに行っても騒がれちまうな。
「叶かよ。うっさいな〜。使用料は後で払うよ。月末払いで」
そこには友達の娘がいた。髪を短めにしている強気そうな目つきの少女だ。美少女と言っても良い顔立ちだ。
「もぉ〜、また誰かに見せつけるために使ったんでしょっ? マコトさんは見栄っ張りだなぁ」
「ファンに囲まれて仕方なく使ったんだぜ。人気者は辛いんだよ」
フリフリと手を振って答えると、ジト目で相手はあたしを見て言う。
「嘘でしょ。どうせドサ回りの芸人とか言われて、頭にきたからポータルテレポートを使って見せびらかしたんでしょ。お金もったいないな〜」
「ぐっ、お前テレパシー持っていたっけ?」
あっさりと見抜かれて、呻き声をあげるが、腰に手をあてて呆れた口調に叶はなる。
「もう何度目なのよっ! そんなんじゃいつまで経ってもお金貯まらないよ? おと〜さんが、お姉ちゃんから受け取ったマコトさんの決算書を見ていて呆れていたし。良い仕事を紹介して貰ったんでしょ?」
母親に似てキツめの目つきでこちらを睨んでくる叶。
「ググッ、アイツめっ。上に持っていかなくても良いじゃん。そういうところしっかりとしているよな。誤魔化して粉飾決算してくれても良いのに。父親なんだから、粉飾決算をしても見逃してくれると思わないか?」
「だめ〜。身内こそ厳しくしないといけないって、私も自立のためにここにいるんだし。おと〜さんは厳しいのっ」
ば〜つと、腕をクロスする叶を見て、チェッと舌打ちする。まぁ、見かけからして、こいつの父親が優しいとは思っていないけど。
「とりあえず飯にしよ。飯に」
券売機の前に立ち、朝食セットCを選ぶ。バングルを翳して、精算をしようとするが……あれえ?
「ん? どしたの?」
「いや、な、残高不足って出てるや」
女優は常に忙しいので銀行口座に振り込みをするのをちょいちょい忘れてしまうのだ。忙しいから仕方ない。
「まったく……お金を稼いでいるのに、なんでいつもすっからかんなのよっ! 仕方ないなぁ、もう」
叶がひょいと自分のバングルを掲げて、精算を代わりにしてくれて、券がことりと出てきた。さすがはあたしのファンだぜ。救世主はここにいた。今は女神をやってる姉のあいつとは違うぜ。あいつなら、むふふと笑いながら代わりに仕事を持ち出すはず。バンジージャンプ系の仕事を。
「ありがとうだぜ。叶、サインいる?」
「もう何枚目になるかわからないから、いりませーん」
自分の分を買いながら答えてくる。確かに有名女優のサインは希少価値がないとな。わかってる娘だぜ。
「まったく……全然進歩ないんだからっ。私の子供の頃から」
「その頃からあたしは伝説の名女優で殿堂入りしてたからな。最高の女優という名称がつくと、もうそれ以上の言葉ってないよな」
「そのポジティブなところは女優の中で最高だよね」
めげないなぁと疲れたように呟く叶だが、女優はメンタルが強くないとやっていけないのだ。その点、叶は女優にはなれないな。
券をカウンターに置くと、食堂の専属料理人がサッと取って、朝食を作ってくれる。
「しー、いっちょー。あんたまた学食を食いに来たのかい。教師に見つかったら、またうるさく言われるよ」
専属料理人のおばちゃんが苦笑しながら、素早く慣れた手つきでご飯を大盛りでよそってくれる。
「ま、この学食で大盛りを食べるのはあんまりいないからね。あんたの食いっぷりは見ていて気持ちいいよ」
焼き鮭に玉子焼き、納豆にわかめと豆腐の味噌汁をトレイに置いて渡してくれるので、ニカリと笑って返す。
「ここの学長とは親友だから大丈夫だぜ。やばかったら泣きつくから。それに一応非常勤講師として名を連ねているんだぜ」
1年に1回講義を行うのだ。講義内容は世界の現状について。伊達に世界を巡っていないのだ。今は異世界限定になったけど。
何度泣きつくのあんたはと、ケラケラ笑うおばちゃんを横目に、トレイを持って空いているテーブルを探す。
結構人が多く騒がしい。朝から元気なことだ。女子高なので、女子ばっかでやかましい。
「あ、マコトさんだ〜、こっちこっち〜」
のんびりとした声が聞こえてきたので、そちらを見ると知り合いが小さく手を振ってきていた。
「うい〜。おはよ〜」
人気者は辛いなぁと、後ろからついてきた叶と一緒に手を振ってきた女の子のテーブルに向かう。銀髪の少女が半分ぐらいを占めている。
「元気でしたか〜? 最近は見なかったですけど」
「あぁ、仕事が忙しくてな。人気女優は辛いんだぜ」
フッとクールに笑みを浮かべて、テーブルにトレイを置く。人気女優はスケジュールがびっしりなのだ。だから、滅多にここには来れない。オフの時ぐらいしか顔を見せることはできないのだ。
「お姉ちゃんに仕事を紹介して貰ったんでしょ? 稼ぎが良い仕事って聞いてるけど」
「あぁ、そういう触れ込みだったんだけど……おかしいな。全然貯金がないんだぜ。俺のマネジメントで物凄い成功を幼女社長はしているんだけどな。やっぱり俺の人が良すぎる性格が金稼ぎという仕事には合わないのか」
幼女社長って、なに? と叶たちは首を傾げて不思議そうにするが守秘義務ってやつだ。悪いがこれ以上は言えないぜ。叶は別に良いか。
「というか、あんなことをしておいて、弁済できるぐらいの報酬がある仕事を紹介してもらえるのが凄いと思うけどねっ!」
「あぁ、あれは不幸な事故だったな……」
悲しげな表情で口元を微かに曲げる。その様子に周りは同情の視線を向けてくれる。
「鮭の骨でも食べた?」
叶が心配の言葉をかけてくるが、仕方ないのさ。回避不能な不幸な事故だった。
あたしは今の仕事になった経緯を思い出す。長い話となるが……。
端的に言うと、聖女対火竜シリーズ22、空の支配者という映画を撮影するために、空中揚陸艇を操縦したら、軍の基地に駐機していた戦闘機をボーリングのピンのように吹き飛ばした……。そんな不幸な事故だ。
あの司令官、ちょっと黙って操縦しただけなのに、烈火のごとく怒りやがって。コックピットの椅子に座るだけの約束? そんなんじゃ映画にならないだろ。操縦してこそリアリティのあるシーンが撮れるんだ。大受けだった証拠に新聞の一面を飾ったぜ。名女優は辛いな。
コメディタッチで、失敗失敗、テヘ。ちゃんちゃん、で終わりで良いのに数千億の弁償をするように請求してくるとは絶対にあの基地の司令官は鬼だ。
はぁ、とため息をつくが今の仕事は面白いから問題ない。全部終わったら映画にするつもりだし。それに色々と企画、運営しているし。運営の資金が無くて、あまり目立ったことはできていないけど。
だが、一つの世界の運営だ。私に相応しい仕事である。飛び上がって喜んだぜ。名女優は仕事のランクも高すぎて怖いな。……まぁ、内情を聞かされたときはやばい世界だと思ったが、社長がなんとかしてくれそうだし。
どこでも名女優というのは輝くものだと、玉子焼きが美味しかったので、叶の玉子焼きを食べようとしてペチリと手を叩かれた。
ケチ。