20話 商人少女は嵌められる
立派な内装の部屋。窓ガラスは透明に近く、外の様子がぼんやりと見える。大きめに作られた窓から陽光が差し込み、部屋を照らす。丸テーブルには真っ白なテーブルクロスに覆われて、キラリと銀の鈍い輝きを見せる銀の燭台が置いてある。
壁際には美しい木目のチェストが配置してあり、壁には大きな絵画が掲げられていた。この土地では画家など少なく、また絵の具も高い。床には絨毯が敷かれ、この部屋の持ち主が裕福な層だということを示していた。
「素敵ですわ、子爵婦人。とても似合っておいでです」
丁寧な物言いで、少女の声が称賛の声をあげる。部屋には少女らしく可愛らしくそれでいておとなしめな服を着込んだ少女と、背筋を伸ばし綺麗な立ち姿勢で侍女に毛皮をかけられている女性がいる。
少女はフロンテ商会のシルであった。貴族の屋敷に訪問し毛皮を売りに来たのだ。妖精の粉とやらで鞣した毛皮を。
顔立ちはシルの方が美しい。婦人の方は立ち姿勢は美しくその所作も綺麗なものだが、多少美しい程度で、その目に浮かぶ人を下に見る高慢な目つきが、顔立ちを台無しにしていた。
「そうかしら? 少し地味ではないかしら?」
緑の色が美しく映えて、その肌触りが心地よい毛皮を気に入りながらも子爵婦人と呼ばれた女性は素っ気ない声で返す。
平民相手に機嫌の良い姿など見せないと、強い貴族主義を持ったご婦人らしいと、シルは内心でしかめっ面となるが、もちろんニッコリと微笑みで、さらに称賛の言葉を連ねる。
自分が貴族の血が入っている者でなければ口も聞いてくれないだろう子爵婦人へと、その姿を軽く感心したように見つめながら。
「春も始まったばかり。今ならその毛皮を春物に仕立てることができます。ストールなどがよろしいかと。なにしろ風魔法を得意とする美しい緑の髪を持つ子爵婦人にその緑の色はピッタリですし」
緑の髪を褒めつつ、貴女の頭は香油でけばけばしい程に派手ですけどと、内心で付け加える。昨今は香油を頭につけるのは流行りではない。かなり廃れていると、誰かが教えてあげれば良いのに。
「そうねぇ、これだけの毛皮ですものね。それでは頂くわ」
値段を聞かずに決めてくるのは、なんだかんだ言ってこちらを信じているからだ。これまでの付き合いから、無理のない金額を提示してくると。
後で執事に毛皮の取引を伝えれば良い。
大店だからこその商売。一見の商人ではこうはいかない。値引きなど、貴族として卑しいと考える婦人たちはそのために一見の商人を相手にはしないのだ。
これが大店の看板を持つフロンテ商会の力。小さな商会では天地がひっくり返っても無理なのだから。
この毛皮は金貨20枚、5枚合わせて100枚。使い道はいくらでもあるだろう。小さな商売だが、地味に人脈を作るのも今の自分のやる仕事である。
「お買い上げありがとうございました。それでは今後ともフロンテ商会をよろしくお願いします」
相手の虚栄心を満たすように、深々と頭を下げてシルは館を去るのであった。
「ただいま。貴族の相手は本当に疲れるわ」
自分の商会に戻ったシルは手をうちわ代わりにパタパタとあおぎながら取引の終わった契約書を丸めて部下に渡す。季節締めの取引である。春の収穫が終わった後に支払われる。貴族との取引はだいたいこのようなものだ。即金払いはないに等しい。
これもこの王都に根を張った店ではないと無理な商売だ。この立場は余程のことがない限り、他の商会に対抗されることはない。
次の仕事はなんだったかしらと、机に置いてある羊皮紙を手に取り、読もうとした時に書類に影がかかる。
見上げると、落ち着きなく部下が立っていた。こちらへと挨拶もなく声をかけてくる。どうやらなにか予定外のことがあったみたいね。
小声で伝えてくるその内容はというと
「シル様。鉄のロウバフが殺られました」
その報告に私は思わず見ようとした羊皮紙を握りしめる。今、なんていったのかしら?
「鉄のロウバフは南東地区でも最大の武力組織だったんじゃないの? 奴らを簡単に追い払えるって言ったじゃない!」
月光と呼ばれる偽りの組織。いくら調べても、月光なんて組織はどこの情報屋からも知らないと言われた。なので、自分の身を守るためにあの幼女たちが知恵を絞って考えた偽りの組織だと思ったのだ。
ならば、幼女と妖精以外を殺すか、追い払うかして、親切な私が保護を提案する。私の屋敷に幼女たちは住むことになり、妖精の力でより高価な革を鞣して貰おうと考えていたのであるが……。
「ど、どうやら、幼女たちを守るガイと言う小悪党……。鉄のロウバフを一撃で倒すほどの凄腕だったようです」
「鉄のロウバフは騎士とも対等に戦える戦士だと言わなかった? だから倉庫に眠っていた安物の武器防具を提供したのよ?」
「み、見誤っていたようです。そ、それにもっとまずいことが……」
つばをゴクリと飲み込み、部下が蒼白な表情で話を続ける。その手が僅かに震えていることに気づく。もっと悪いニュースがあるの?
「き、騎士らしき者たちが多数合流したと。タイタン王国の騎士団ではない者たちが。今、南東のスラム街は蜂の巣をつついたように大騒ぎです。大きく勢力図が変わるかと……」
震える声での部下の報告に私も蒼白となり、椅子から勢いよく立ち上がり、バサバサと積まれた羊皮紙が零れ落ちる。
「月光なんて、偽りの組織だと言ってなかった? 情報屋は誰も知らないと報告を受けているわ!」
「そ、それがタイミングが悪いことに、聞いたことがあると報告してくる情報屋が現れました。どうも遠方にある悪竜を倒せる程の組織とか……どうします? 騎士団に報告しますか?」
思わず淑女にあるまじき金切り声をあげて、私は爪を噛みながら、考え込む。あの最強たる竜を倒せる? そんな組織が遠方から来た? まずい、私がロウバフに襲撃を頼んだことがバレると……騎士を相手に家の護衛は戦えるとは思えない。尻尾を巻いて逃げるのがオチだ。
「騎士団に報告……。なんて報告するの? スラム街に強者が現れて、支配者になろうとしていると? 下賤な者たちの集まりだと、あいつらは相手にしないに決まってるわ。報告した私たちが疎まれるだけよ。10年前のスラム街浄化作戦の結果を貴方も知っているでしょう?」
「た、たしかに。以前の浄化作戦は酷かったですからね。逃げ惑い隠れ住む貧民たちが平民地区に入り込み、盗みや殺し、そしてこともあろうか火付けまでして、王都は大混乱となり、慌てて再びスラム街に押し込みましたから」
スラム街浄化作戦。なんちゃらの法衣子爵が音頭をとり、スラム街を一掃しようと騎士団と共に行った作戦である。
正直、頭の悪い作戦であったとしか、言いようが無い。子爵はスラム街に住む連中を追い払い、抵抗する者は皆殺しにすれば良いと、それでスラム街はなくなると信じていたのだ。
当時は北西にしかなかったスラム街。騎士団に抵抗することなど考えもせずに、スラムの住人は逃げ出した。追い払われた住人たちは平民地区の路地に隠れ住み、盗みや殺しをした。
もっとも悪いのは火付けを各地区にて行い、その間に盗みを働いたことだ。消火に懸命になる人々を尻目に、火付けをした者たちは悠々と盗みを働いた。
さらに最悪なのは、それ見て他のスラム街の住人も火付け強盗を始めた。治安のあまり良くなかった地区において。
呆れたことに、スラム街の連中を追い払った子爵たちは作戦成功として、既に貴族地区へと戻っており、まったく逃げ出したスラム街の住人に対応はしなかった。
彼らは貧民たちごとき、なにもできないとタカを括っていたのである。
そうではないと気づいたのは平民地区の2割が炎に覆われたことを見てからだった。慌てて既に遅きに失していたが、平民地区を栄光ある騎士たちが、まるで平民の兵士のごとく汗まみれで走り回り、鎮圧と消火にあたり……。
見事にスラム街を増やしてしまった。焼け出され仕事を失くした大勢の平民が出たためである。
そのため、スラム街に入り込むことは騎士団にとってタブーとなっている。犯罪者を捕まえるために、入り込むことはあるが、軍隊としては作戦行動をしない。
当時の子爵と騎士団長は爵位没収のうえ、死刑となっており、下賤の者と蔑むスラム街の連中にしてやられたことに慄然となってしまい、栄誉も貴族としての誇りも地に落としてしまった。
そんなことがあったために、騎士団は私の話を聞かないだろう。それどころか、フロンテ商会が目をつけられてしまうかもしれない。
そんなことになったら、大失態というレベルではない。きっと父親は私を勘当するに違いない。
しかし、少し調べれば私が指図したと、簡単にわかるはず。鉄のロウバフが必ず襲撃を成功させると思っていたから、口止めもしていない。幼女と世間知らずの妖精なら、保護すれば後はそんな裏の動きも調べることはできないと信じていたから。
「報復はあるのかしら? どう思う?」
「わかりません……。ですが、報復の可能性は高いかと」
その言葉に焦りを覚えて、汗が知らずに額を伝わる。どうしようか。
「シル様。マーサというスラム街の女性が会いたいと来ておりますがどうしますか?」
そんな時に、部屋に入ってきた新たな部下が嫌な報告をしてくるのであった。
「お待たせしましたわ。本日はどのようなご用件でしょうか。また革を売って頂けるのかしら?」
シルはマーサたちの待つ部屋に入りこむやいなや、早口で尋ねた。この間と違い、最上級の応接室に案内をしている。
「シルさん、本日はご挨拶に伺いまして。それと少し頼みごとも」
マーサはこの間と違い強気の様子であった。こちらの弱みを握っているとわかっている表情だ。隣には虎人ではなく、山賊のような強面の男が目を光らせている。
この間会ったときは小物だと思ったが、その眼光は鋭く背筋が恐怖で震える。騙された、この姿が本当の姿であったのだ。紛れもなく強者のオーラを漂わせていた。
「た、頼みごととはなんでしょうか? 私にできることですか?」
喉がカラカラとなる。たしかガイと言う名前の男の威圧感に身体が竦む。今までこのような雰囲気の男には会ったことがなかった。夜会でも騎士たちは朗らかでいたからだ。
「はい、南東のスラム街の土地権利を欲しいと思いまして。形だけですが、持っていると言うアピールを我が主はしたいと考えております」
「それは……少し難しいかと。金額が大きいですし」
「調べたところ、スラム街は捨て値でした。誰も買う者がいないのですね。驚きの価格は金貨500枚。平民地区の数十分の1。税金を入れて金貨550枚です」
マーサがシルの言葉に被せて話をしてくる。この間とはまったく違うその様子は、なにかあったのかと思わせる程の別人っぷりだ。
「シル殿。手数料として、貴女に金板を渡そう。ほらよ」
床に置いてあるズタ袋から金板7枚をガイは取り出して、テーブルに放る。ガラガラと音がして、金板がテーブルに無造作に置かれる。
なぜこんな大金を? どうして? ウォードウルフの毛皮を売りに来るほど貧乏だったのでは?
ま、まさか……私が革部門に配置された途端にこの男たちは取引を求めてきた。偶然とは思えないタイミングの良さ。
私を嵌めた? 私は……嵌められた? そうだ、そうに違いない。私がどう動くのかもわかっていたのだろう。商会主になるための取っ掛かりを私は探していたから。
「役人に話を通すのは、貴方が早いと思ってな。受けてくれるよな? シル殿。駄目ならもう1つの礼を渡すつもりだが?」
ガイの言うもう1つの礼がなんなのか予想できる。断ったらその瞬間に首を刎ねられるとも。
「もちろんお金があれば問題ありません。これ程の手数料も貰えますし」
「さすがはシルさんです。私たちも支部長に良い報告ができて嬉しいですわ」
マーサが皮肉気な笑みを浮かべて、ガイも腕を組み満足そうにする。
「これからも、なにかご用件があれば、是非私にご依頼を」
歯噛みしながらシルは頷くしかなかった。
そして思う。私を嵌めるとはと。
……悔しく思うが気を取り直す。私はこれが大きなチャンスだとも思った。どうせ首根っこを摑まれてしまったのだ。ならばこちらも利用できるだけ利用しようと。
月光という組織。見定めせてもらうわと商人少女は笑みを浮かべるのであった。