172話 キツグー伯爵領に入る黒幕幼女
モルガナは普通の漁師の娘である。今年10歳になり、そろそろ親父のあとを継ぐか、同じぐらいの歳の息子と結婚をするか、世間話に出てくるぐらいになった。とはいえ、まだまだ先の話だし、気楽に釣りを楽しんでいた。
なぜか、他の人たちより釣りが上手く、釣果がゼロということがなかったので、セクアナ神の加護を受けていると、近所からは言われていた。
自分自身としては、釣りのやり方に工夫をしているのは私だし、神様のおかげと言われると努力を否定された感じがして微妙な感じがするけれども。
税金は高くて、皆はいつも苦しい生活をしていたが、この生活を捨てることはできない。なんとなれば、漁師で食っていけるのは、この地ぐらいだと噂に聞くからだ。他の湖は魔物が現れて釣りなどできないらしい。
だから、こっそりと釣った魚を焼いて食べるのが10年を生きていて、一番の楽しみだった。未来は親父やお袋みたいに愚痴を口にしながら生きていくのだろうと、この歳で諦念の想いを持ちながら暮らしていたのだが……。
「なによこれっ! こんなの見たことないよね、親父?」
漁師の娘らしく、口汚い口調で隣で腕を組み苦々しい表情で立つ親父を見る。
「なにか馬鹿貴族がしたんだ。あいつらが小島の塔に行ってからおかしくなった。あいつらが、小島から戻ってきたか見たやつはいるか?」
周りで佇む漁師連中に親父は声をかけるが、皆は揃って首を横に振る。
「見張っていたわけじゃあねえが、帰ってきた奴を見た連中はいねえな。夜に帰って来ない限り、見張ってなくとも目に入るしな」
そうだそうだと、周囲の人たちも同意する。1週間ほど前に貴族の連中が慌ただしくやってきたかと思っていたら、神の塔が聳え立つ小島へと向かったのだ。
そうして暫くしてから、遠目に見てもわかる神の塔の天辺から常に虹をつくって、輝いて滝のように流れていた浄化の水が赤錆のような色となった。
浅い場所なら底まで見える透明度の高い水は濁って血のような色となり、腐った臭いをするようになった。大人しい魚たちは、牙を生やし、空を駆けて人を襲うようになった。
幾人もの怪我人が出て、ヌシと思われる化け物に食べられそうになる事態となったのだ。
漁業で暮らしている漁師たちは収入がなくなり危機に陥っていた。このままの状態が続けば蓄えもなくなり、路頭に迷う。
既に何日も収入がないモルガナたちは、腹が減って腹が減って仕方がない。
平民の自分たちは、何もすることができない。自らの無力を噛み締めて、ただ湖が元に戻るのを待つだけである。
どうすれば良いのかと、モルガナたちが恨めし気に湖を見ていると、知り合いの漁師が息を切らしながら駆けてきたので、何事かと皆は見つめる。
「ま、また貴族の馬車が来た! この間の馬車よりも立派な見たこともない程の馬車だ。隠れた方が良い!」
キツグー伯爵家は平民に厳しい。何を見ているのかと怒鳴られるのはマシな方。酷ければ鞭打ち、最悪だと斬られて殺されるのだ。
「ちっ、今度のお貴族様はこの事態を解決してくれると良いけどねっ!」
舌打ちしながら、近場の舟の影に隠れる。どんな貴族様か見てやろうと、敵愾心を露わにして。
待っていると、車輪の音が地面を擦るようなへんてこな音をたてて、馬車がやってきたが
「なんだよあれ? あれが馬車?」
銀色の大型の馬車であったが、なんというか……凄い頑丈そうというイメージを与えてきた。牽引するのも馬ではなく大型の狼。しかも服を着ている狼だ。馬車は分厚い装甲に守られており、窓を閉めれるように鉄窓があるが、窓ガラスも嵌っている。車輪はなんだろう? 黒い柔軟性のある物だ。どれもこれも、たまに見る貴族の馬車とはまったく違う代物だった。
周囲はやはり馬代わりに狼に乗った騎士たちが護衛についているが、装備が揃っており、これもまた奇妙に感じた。いつもはバラバラの装備なのに。
不思議に思い、舟の影から覗いていると、馬車が停止して、ドアが重々しい金属音をたてて開き、ぴょこんと可愛らしい幼女が飛び出てきたのでさらに驚く。
「あ〜。結晶魔鉄に身軽を付与して限界まで軽さを追求してもエンジンがないとイマイチ鈍重でつね」
「装甲車はまだまだ実用できないんだぜ。というか、こんなもんよく作る気になったな」
「マロンでつよ、マロン。でも狼しゃんがやられると、ただの置物になるから失敗でちた」
なにやら肩の上に浮くのと話をしているが、たどたどしくしか聞こえないな。でもあれって……妖精だ! 御伽話でしか聞いたことのない存在だ! すげえっ!
興奮する私が見ている中で、幼女は無警戒にてくてくと湖のそばへ歩いていく。そして、浅瀬を足の先でつんつんとつつくけど、まずいっ!
「おい! 離れろっ。そこには魔物がいるんだ!」
あまり近づくと、水から飛び出てきて、空を駆けながら魔物が噛み付いて来るのだ。噛みつかれたら大人でも酷い怪我を負う。一度噛みついたら肉が抉れるまで離さない魚の魔物だ。
舟の影から飛び出て忠告するが、時すでに遅しだった。グロテスクな魚の魔物がギザギザの牙を見せながら水中から飛び出てきたのだ。
幼女の悲鳴があがり大怪我を負うだろうと、悲痛の思いで見ていたが
「アロワナがピラニアになっちゃった!」
ププッと可愛らしい声をあげて、顔に迫る魚を見て冷静に幼女は首を傾ける。そしてあっさりと躱して、目の前を通り過ぎていく魚の尻尾を素早い動きで掴み取り、ブランとぶら下げてしまう。
「ふぃっしゅ?」
コテンと小首を傾けて、愛らしい声音で呟く幼女。
「釣りでゲットしたわけじゃないから、フィッシュとは言わないんだぜ」
ケラケラと笑う妖精と、ため息をつく周囲の騎士たち。
「お遊びはそこまでにしておいてください姫。ところで、そこの少女。勇気ある言葉であったな」
老齢の騎士がこちらへと渋い声音で言ってくるので、ハハと乾いた笑いでモルガナは頷く。
貴族に話しかけられると言うのは、罰を受けると言うことと同じである。舟影に隠れていたこともあり、なにか罰を受けるのかとモルガナが青褪めたその時であった。
「ギャー! ピラニアがアロワナになりまちた!」
幼女が手に持つ魚がこの靄が出る前の元の魚へと戻っていたのだ。驚いて幼女は魚を放り投げていた。
地面に落ちてピチピチと元気よく跳ねるその姿はいつもどおりのモルガナたちが釣っていた魚だ。なぜ戻ったのだろうと驚く。
「これは……ダークマ、ケホンケホン。瘴気だぜ! 抵抗力の弱い生物なら変異させる程の瘴気だ!」
妖精が魚を見ながら、真剣味の混じる声音で言う。その様子に幼女たちも真剣な表情となる。瘴気って、なんだろうか?
「瘴気……。なぜ瘴気に汚染された魚が元に戻ったのでつか? 普通の魚に見えまつけど」
銀色の魚を見ながら幼女が尋ねる。
「変異はさせるが、まだ汚染レベルは低いんだぜ。社長たちは触れたダークマ、瘴気を浄化できるように、女神の祝福をデフォルトで持っているから、弱い瘴気で汚染された魚程度なら触ることによって浄化して元に戻すことができたんだぜ!」
「ほうほう。なるほど……浄化の祝福でつか。なんとなくその話から推測できちゃうこともありまつが……。こういうことでつね」
幼女がそっとおててを湖の水に浸けると、触った箇所から水が綺麗になり透明度が増していく。なにこいつ、凄い……。
だが、綺麗になっていく水を見て、幼女は唇を噛んでなぜか悔しがった。
「鉄の檻に詰めて、湖に入れれば水は浄化されるんでつね……。ガイを連れてくれば良かったでつ!」
「最適な人間を置いてきちゃったよね〜」
馬車から新たに金髪の狐人の美少女が杖を持って降りてきて言う。後ろから銀髪の狐人の美少女も続く。
あからさまに魔法使いという感じがする、三角帽子を弄りながらの少女の発言に皆はウンウンと頷くがガイって誰だろ?
「……これはまだ治るレベル。だから魔物ではないと。マジでつか。この状態でも軽度とか……。魔物になると倒さないといけないのでつね」
「ああ、そのとおりだぜ。……ん? もしかしてこれボーナスじゃね? 微々たるものだけど、手に入ったぞ。もしかしなくても、塵も積もれば山となるか! これ、凄いぞ! 社長、この瘴気を全部浄化するんだぜ!」
「ねえ、マコト? なにが手に入ったんでつか? 中間マージン取りすぎじゃないでつかね? あたちにも分配するべきだと思うんでつけど」
キャッホーと妖精はへんてこな踊りをして、その妖精を幼女がツンツンと指でつつく。先程までの悲壮感を持っていた私はなんとなくその光景に肩の力が抜けてしまう。
なんか……貴族にしてはアホっぽくて、あまり怖そうには見えねえな。
「そなたたちは、この周辺の漁師であるな。何故この状況になったのか、知っていたら教えて欲しいのだが」
騎士の爺さんが威厳のある表情で尋ねてくるのであるが、威圧感を与えてこない優しい物言いだった。
なんとなくこの連中はいつもの威張ってばかりの貴族たちとは違うと思う。そう考えていたら、舟影から親父たちがこちらを窺いながら恐る恐る顔を出す。
「あんたらはこの異変を解決しに来てくれたのか?」
親父の問いかけに、顎に手をあてて騎士の爺さんは考え込む。
「なにがあったかはわからないが、だいたい想像はつく。できうる限り解決のために尽力すると誓おう」
おぉっ、とその答えに皆は驚く。まともな騎士っぽい。この領地ではそんな奴は見たことなかったし、立派な装備を着込むその姿は御伽話に出てくる騎士様のようだ。爺さんだけど。
「少し前に貴族たちが現れて、小島に向かったんだ。そうしたらあんな状況になっちまったんだよ。本当になんとかできるのかっ?」
勢いこんで、尋ねちまうが貴族相手にこの言葉使いはまずいかと思う。
「そうか。まぁ、問題なかろう。簡単なクエストであろうよ」
だが、私の言葉を聞いても、まったく気にせずに相手はのほほんと答えてくれる。
「なんというかテンプレだよね〜」
「ん、たぶんなにか悪いことをしたんだと思う。神の塔は悪魔の塔になった。きっとマトックとかが必要になる塔になってるはず。リンは宝箱を全て取る」
「リンちゃんって、本当にレトロなゲームに詳しいよね?」
気軽そうに話し合う狐人の少女たち。他の面々は塔を見て、話し合っていた。
幼女たちはなにをしているかというと、なにかうんせうんせと、白いヒラヒラした服に着替えており、妖精は魔法使いっぽい服へと着替えていた。
「異変解決は巫女の出番でつ! 最強巫女が活躍しちゃいまつよ」
「それじゃ、あたしは魔法使いの役だな。マスターマコトスパークを放つんだぜ」
キャイキャイと楽しそうに話し合う2人。やはりアホっぽい感じを与えてくる。なんなの、こいつら?
ヒラヒラの服の着心地を確認しながら、なんか棒を呼び出してぶんぶん振り始めた幼女は私へと視線を移す。
「街中で宿をとるか迷っていたのでつが、漁村があるのならそこで休みまつ。やっぱり装甲馬車の方が快適でしょうし」
「アイちゃん、もう馬車から出て良い〜? 危なくない?」
馬車からぴょこんと白と黒の服を着た私よりも年下っぽい少女が顔を出してくる。
「大丈夫でつよ。湖はどうやら危険なようなので、近づかないでくださいね」
真っ先にそんな危険な湖に近づいた幼女がそんなことを言う。呆れた私に悪戯そうな笑みで言葉をかけてくる。
「では、クエストを開始するとしまつか。あたちの名前はアイでつ。貴女のお名前はなんでしょー」
クスクスと笑いながら、どことなく不思議な感じを魅せながら。この貴族たちはこの状況を解決してくれるのだろうかと、漁師少女は自己紹介をするのであった。