168話 実家に帰るメイド
ジロン商会。羊毛を扱う中堅の商会だ。今の当主になるまでは、地味に手堅い商売をしていた。貴族と一定の距離をとり、旨味もないが損もないという取引を繰り返して稼いでいた。
確実に稼げて、破産する可能性も少ない。だが、面白味のない商売ともいえよう。今代の当主はそれを嫌い、貴族へと必要以上の贈り物をして、夜会の紹介状を金を貢いで知り合いの貴族に貰って、人脈を作っていき、商売の伝手を広げていた。
ジロンは全てを賭けて、商会を大きくしてきた。娘を道具として貴族の召使いにして、妊娠したら関係を打ち消すために、家族の反対を聞かず勘当にもした。
その苛烈な行動のおかげで、商会は十数年で倍以上の規模となり、大商会と呼ばれるのにあと一歩まで迫っていた。
そうして焦りもあったのか、商会の右肩上がりの売上に気を良くして油断があったか、夜会で知り合いになった他の商会から聞かされた炎の羊を狩る大規模な傭兵団を作るといった提案にのってしまった。
話に聞くに、ほんのりと暖かさを感じさせ、それでいて夏の暑さも多少緩和させると言う噂の炎の羊から採れる毛糸。その肉も多少ピリッと辛さを感じて燻製でも旨いらしい。
捨てるところがないと言う炎の羊。その炎の羊を狩るために傭兵団を作り、継続的に稼ぐというのが提案であり、情報を集めるに、そのとおりでありおかしいところはない。
声をかけてきた商会も古くからある商会であり、連名で出資を出している他の商会も怪しいところはなかった。
それでも多大な金が必要になるために、キツグー伯爵にジロンが声をかけて出資を募った。評判の悪い貴族だが、金だけは持っている。そして平民からの出資の提案でも金に汚いために乗ってくるのであるからであった。
ジロンは名を覚えられており、違約金は出資した5倍というふざけた契約内容であったが問題はないと思っていた。手堅く稼げると信じていたのである。
傭兵団が全滅したと、生き残りの傭兵から聞かされるまでは。凶悪化していたファイアシープにより傭兵団はあっさりと全滅した。大勢の傭兵のために鋼で揃えた装備も、羊を運ぶための馬車群も全て焼かれてしまい、帰ってきたのは輸送隊の数人。
ただの一度も稼ぐことができずに、傭兵団はなくなり、後に残ったのは、解体をするための専用倉庫や毛糸を紡ぐために増員した人員。都市国家へのつけ届けも無駄になり、出資金を返却できずに、キツグー伯爵への違約金の支払いだけであった。
常ならばそれでも数年で返済できる金額であった。全ての資金を使い果たした訳でもない。堅実に商売をしていけば余裕を持ち返済できただろう。
しかし追い打ちをかけるように、綿布という布が現れた。大量に出回ってきた綿布は毛糸より暖かさはないが、反面軽く肌触りがよく涼しい。毛糸の売上は一気に減り、毛糸を供給してくれる牧場主に払う手持ちの資金も用意するのに苦しくなってしまった。借金返済に懸命に頑張らなければならない時に、予想外のことが起こり、ジロン商会は一気に傾き始めたのであった……。
ジロンの妻、サマンサは疲れて、深い吐息をついた。近年は疲れを感じることが多い。いや、精神的には娘がいなくなってから、ずっとだ。自分がもう少し強く意見を伝えていればなにか変わったのかと、常に思う。
それでも、この間良い話を聞いて多少マシになったのだが。めっきり白くなってきた髪に触れながら、食堂に向かう。昨今流行っている昼食というものだ。
平民たちの間で流行り始めて、昼に食事をとると疲れにくく仕事へのやる気も上がる。なにより食事ができるからと、急速に広がっていた。
「遅くなりました、貴方」
「あぁ、気にすることはない」
夫はイライラしながらも、鷹揚さを見せるために怒りはしない。息子のタロンとその妻子が気まずそうにサマンサへと会釈をしてくる。夫と違い気弱なところがあり、商会の当主になるには少し厳しいかもしれない。
召使いが白パンとウサギ肉のソテーを運んでくる。今の状況なら節約をしなければならないが、どこに耳目があるかわからない。黒パンと塩スープで食事を済ませれば、それだけ商会の経営は厳しいのかと言われて、取引先がまた減っていくに違いない。
召使いや店員たちもクビにする必要がそろそろあるだろう。じわじわと蛇に首を巻きつかれているように、我が家は潰れ始めていた。
「父さん……。また、取引先の店が今後の取引を断ってきたよ……。もう毛糸は時代遅れだと言われたよ」
息子が恐る恐る口にした内容に、ジロンは苛つきを耐えるのも限界だとテーブルを叩く。ガシャンと皿が音をたてて、周りの家族は身体をすくめる。
「ちっ! なにが時代遅れだ。去年の今頃は売れ行きは上々で、もっと取引をしたいと言っていたではないか!」
「仕方ないよ……。毛糸には毛糸の良いところがあるけど、冬以外は綿布の方がやっぱり良いよ。複雑な刺繍もできるし、圧倒的に毛糸は不利だ」
「わかっておる! だからこそ綿布を扱う必要があるのだ! だが店に行っても、職人街に行っても、誰も首を縦に振らん。話を聞かずに門前払いをしてくる奴らもいる……馬鹿にしおって、儂はジロン商会のジロンだぞ!」
怒りでテーブルを叩きながら夫は愚痴り、悔しがる。たしかに何代も続いたジロン商会が、去年に新商品が出現しただけで、あっという間に没落し始めるとは誰も思わなかった。これは他の毛糸を扱う商会も同じだ。
月光商会は辣腕すぎる。しかも正々堂々と商品を売っているのだ。これが貴族の後ろ盾がある強引な手法ならば、こちらも他の商会と手を組んで、貴族の助けを求められる。
悪辣な妨害を仕掛けてきて、こちらの商売を邪魔するなら、こちらも対抗案を捻り出す。
しかし、普通に綿布を売っているだけだ。しかも今までのオーダーオンリーの服とは違う。どうやら型紙という一定の大きさの服の元みたいなのを作り、それに従って布地を切り分けて縫製しているらしい。簡単にできるので、今までのオーダー品とは違い格安だ。
毛糸ではできない話だ。素材、価格、加工のしやすさ、美しい服を作りやすい、など、差がありすぎて対抗できずに毛糸業者や洋裁店は悲鳴をあげていた。
「父さん……普通に頭を下げて月光商会に綿布を取り扱わせてもらおうよ。もう毛糸だけでやっていける程甘くはないんだ。扱う毛糸の量を減らしてさ」
「タロンっ! 月光商会にはマーサがいるんだ。この間会った後に調べたら、商会主の側付きになっているらしい。召使いの中で一番重用されていると聞いている。勘当した娘が儂らが月光商会に行ったら邪魔をしないと思うか? それとなくうちの状況を知らせたが、顔を出すこともせんっ」
「貴方、それは当然でしょう? 私たちは妊娠しているあの娘を追い出したのよ? 帰ってくるわけはないし、恨まれて当たり前よ」
あの時、マーサが帰ってきた時に、勘当すると夫が自分の娘に伝えた時にもっと強く反対をするべきだった。ハレットの古着屋に仕事を貰いに来たと聞いたときに、こっそりと雇って貰えるようにお願いするのが精一杯であり、親失格であったのだがら。
最近はいつも気まずい空気での食事となり、6歳と4歳となる孫も暗い顔だ。幼いながらに不穏な空気を感じているのだろう。可哀想だと思うが、どうしようもできない。
空気が重い中で、スープを飲もうとすると、執事が足早に食堂に入ってきた。夫へと慌てたように近づき頭を下げる。なんのようかしら? キツグー伯爵家からの借金の取り立てだろうか? こまめに取り立てにくるので、手持ちの当座の資金がなくなってしまうのも、最近取引先が手を引く一因となっている。
だが、まったく予想だにしなかったことを、執事は汗をかきながら、早口で言ってきた。
「マーサお嬢様がお帰りになりました。その……月光商会の方と共に」
「それは本当なの? マーサが帰ってきたの?」
驚き、夫が口を開くよりも早く尋ねる私へと、執事は頷き肯定する。まさか、あの娘が帰ってくるなんて。なにかあったのだろうか?
「おぉ! マーサが帰ってきたか! なに、やはり実家が恋しくなったのだろう。おい、すぐに出迎えに行くぞ!」
以前に貴族の家から帰ってきた時は、出迎えもしなかった夫は口元を曲げて椅子から立ち上がり食堂を出ていく。
息子たちも戸惑いながら食事をやめて立ち上がる。孫にも食事を中断させて、出迎えるように促す。
慌ただしくなり、私も食堂を出て、出迎えに向かうが、どのような顔をして親失格の私が娘に会えばよいかわからない。
「お婆ちゃん、マーサさんって、だあれ?」
純粋に疑問に思った孫が不思議そうな顔で尋ねてくるので、言葉に詰まる。この家ではマーサの話をするのはタブーとなっていたので、孫は知らないのだ。
ゴクリとつばを飲み込みながら、硬い口調になりながらも笑みを浮かべて答える。
「お婆ちゃんの娘よ。貴方たちの叔母になるわね」
勘当をしておきながら、やはりマーサは娘なのだ。許してくれはしないだろうが、謝ろうと決心する。
「叔母さんなんだ!」
「優しい人?」
「娘でつか。まぁ、良いんじゃないでつかね」
孫たちが顔を見合わせて、話し合う。マーサは優しい娘よと答えようとして……。今なにか知らない声が聞こえたような?
周りを見ても今の声の持ち主はどこにもいない。気のせいであったのだろうか。
玄関には執事や興味深げな召使いたちが集まっており、外を覗いて驚いている。なにをそんなに驚いているのかと不思議に思い外に出て、私も同様に驚いた。
そこには、白塗りで立派な意匠の大きな馬車が停車していたのだ。馬ではなく綿布の青い服を着ている大きな狼が馬車のそばに座っている。
高位貴族でも乗っているのだろうか? そう思うほどの見事な馬車であった。孫たちがきゃあきゃあと馬車を見て騒いでいる。
そしてそのそばには、綿布の美しいドレスを着込み、顔を真っ赤にした娘が立っていた。隣には小さな少女も同様にドレスを着込んで、立っている。たぶん孫娘だ。アクセサリーもこじんまりとしているが、綺麗な物をつけており、非常に似合っていた。
「わぁ、お姫様みたい!」
「叔母さんはお姫様〜?」
「コーディネート次第で、簡単に美しく安く着飾れるというコンセプトで揃えまちた。話題性もあり、宣伝にばっちりでつね」
孫たちが騒ぐ中で、夫たちは佇み、マーサのそばに行くことはない。お金のかかったドレスを着込み、王族が使うのかと思う程の馬車があり……。
「小悪党がいるわ……。マーサは大丈夫なのかしら」
マーサの後ろに腕組みをする大柄な体格の髭もじゃを見て呟く。小悪党、小悪党だわ。マーサの夫かしら? 変な人に捕まったのであろうか?
それならば、今度こそ助けねばと決心しながら、サマンサはマーサを出迎えるべく歩み寄るのであった。
後ろから、可愛らしい女の子の笑う声が聞こえたような感じがした。