161話 虚実を渡り歩く黒幕幼女
ルド・ドッチナー侯爵の妻、ビアーラ・ドッチナー夫人はこの状況を夫が抜け出すのは無理だと悟った。いくつもの謀略が絡み合いこの状況となったが、さて、誰が一番利益を得ることができるのだろうか。
私たちは絶望的立場にいるように見えるが、問題なく抜け出して、さらに利益を得ることができるだろうと考えを巡らす。
危機とはチャンスでもあるのだ。取り敢えずこの状況を抜け出してから考えよう。
「シグムント王子。欠損回復のポーションの作成方法が秘伝などと……既に失伝しており、私どもも知らない技術ですわ。月光商会が既に作成方法をご存知だったのでしょう」
たおやかに頬に手を添えて、ゆったりとした口調で反論すると、コクコクと夫も頷き同意を示す。真実は未だに秘伝とし作成方法は残っていた。領地の書物庫に眠っているが、どちらにしても使えないのだ。失伝していると言っても良い。
アイさんがこちらへと歩いて来るのが見えたが、教えてもらったとか嘘は言わないはず。これまでの経緯をみるに、言葉遊びを多用するが、嘘は言わないと思うのだ。これは優れた貴族ということでもある。
「ですので、今は欠損回復のポーションを確認できたことが幸運だと思います。優れた将軍や騎士の中で手足や目を失い引退した者も多いはず。王国の守護者であるブレド家の剣聖。片足を失い引退しましたよね?」
剣聖とまでうたわれる者が、タイタン王国にはいた。神器を扱える者の一人だ。国の守護者と称えられていたが、グリフォンとの戦いで足を失い、数年前に引退した。
手に入れて、ブレド家に渡せば、莫大になる返礼金を回収できる上に、恩を売ることにもなる。これほど良い提案もないのでないかしら。ムスペル家と違い、ブレド家は未だに王家派の立場を崩していない。ムスペル家を誅伐すると軍を挙げているのだから。
それに、そろそろ恩を売らないと、まずいとも思うわ。私の予想では、勢力を削がれたと気づいたブレド家とムスペル家は慌てて、何某かの理由をつけて戦いをやめて王都に戻ってくると思っていたのだが、まったく戻ってくる様子はない。
……なにか想定外のことがあったようね。恐らくは王族もそう考えているはず。
「ふむ……たしかにそうですね。ブレド家の剣聖が復活すれば、タイタン王国の武力も上がることですし。剣聖の力を持ってしても、ブレド家は勢力を戻すことは難しいでしょうからね」
顎に手をあてて、王子は考え込むようにちらりと近づくアイさんを見てから答える。
そうね。これだけの魔道具を揃えて、南部で活躍を歌われる騎士たちを抱え込む月光に対抗するためにも必要だろう。
ようやく危機感を持ち始めたらしいが……。危機感を持ったなら、私が王なら月光商会を追放しているわ。既に根を張った月光商会を追い出すことには多大な損害を伴うし、貴族からの批判の声も大きくなるだろうから、その決断は難しいでしょうけど。
でも、外国にいる商会と取引する方が良いと思うわ。国が滅びることと比較したら。だが、貴族との付き合いこそが国の平穏と考える今の王族には無理な話だとも理解している。
最低でも、賭けで巻き上げられた神の塔と聖なる湖の一年間の支配権はなしにすると宣言しないと。楽しい余興だったと笑い飛ばせば、ヌウマ伯爵もその流れに乗るはず。月光に神の塔みたいな物を一年間も渡したらどうなることやら……。ヌウマ伯爵を潰すことと、月光商会の力を見定めようと謀略を仕掛けたみたいだけど……。月光商会の方が比べ物にならないほど危険よ。
まぁ、忠告はしないけどね。既にドッチナー侯爵家は抜け出せない程に月光側に足を踏み入れているのだから。
「余興は楽しかったでつか? ヌウマ伯爵しゃんは、ど〜してあんな下級ポーションを出してきたのでしょうね? あたちにはまったくわかりません。たぶんあたちが幼いから手加減をしてくれたんでつね」
ウフフと、可愛らしく身体をクネクネさせて喜ぶアイさん。ギュンター卿が苦笑いをしているのだが、苦労をしているのだろう。
実際は、ここで頷く、とか、あのタイミングで薄ら笑いとか、脚本家アイが爺さんに演技指導をつけていたのだが、それはビアーラたちにはわからない。報酬である日本酒の種類がどんどん増えていくので、幼女の苦労が偲ばれたりもするのだが。
「月光の技術の粋を見せてもらい感謝しますよ。ところであのポーションの効果期間はどれぐらいですか?」
どのようなポーションも効果期間がある。だいたいは一ヶ月程度で効力を失ってしまうので、シグムント王子は礼を言いながらも、手に入れるために尋ねるが
ん? とコテンと首を傾げて不思議そうな表情をアイさんは浮かべる。まさか……。
「もちろん、保存の魔道具に仕舞ってあるので、効果期間なんてないでつよ? 高価な欠損回復のポーションなら、瓶に永続保存の魔法付与をするのは当たり前でつよね?」
ちっこいおててに、先程のポーションを持って、当たり前のように答えてきた。月光の母国では当たり前のことなのね……。
言葉を失うとはこのことだ。何度驚かせてくれたら気がすむのかしら。シグムント王子も夫も驚愕の表情を隠せていない。
「あ」
フリフリとポーションを振っていたアイさんの手からポーションがすべり落ちていく。
「ふんっ!」
夫が落ちるポーションへとスライディングで床を擦らせて向かい、その手に納める。ズササッと痛そうな音がしたが、ナイスよ、貴方。
「あわわわ、大丈夫でつか、ルド侯爵しゃん。血が出てまつ? そ〜だ、ちょうどこのポーションを使えば治りまつね」
「ハッハッハッ! 大丈夫ですぞ、この程度! 私も貴族の端くれ。この程度では傷など負いませぬ」
欠損回復のポーションをあっさりとかすり傷で使おうとする幼女へと、夫は慌てたように立ち上がり平然とした様子を見せる。少しおでこに血が滲んでいるけど。
「ヒール!」
なら回復魔法をと、無詠唱でアイさんがヒールを使い、あっという間に夫の傷は消えてなくなった。ホッとしたけど……わざとかしら? う〜ん、難しいわね。
「あ、アイ嬢。貴重なポーションが喪われなく、何よりです。よ、よろしかったら、後ほどそちらのポーションを譲って頂けたらと思いますがどうでしょう?」
シグムント王子は余程動揺したのか、安易に欲しいと言葉にしてしまう。王子としては、後程応接間とかで取引の話をするつもりだったろうけど
ほへ? と可愛らしく小首を傾げて宙を見つめるアイさん。いきなりの話なので、戸惑っている。すぐにギュンター卿がアイさんの耳元に顔を近づけて、なにかを伝える。
その指示を受けて、ニパッと幼女は微笑んで、王子にキラキラと目を輝かせて答えてきた。
「王子とお知り合いになった記念に差し上げまつ! テヘヘ、貰ってください!」
はい、ど〜ぞとポーションを気軽に手渡す幼女。王子と知り合いになれますぞと、ギュンター卿が囁いたのは簡単に予想できた。相変わらず、知恵が回る方ね。
どうするのかと、興味を持ってシグムント王子を見つめる。隣に立つ夫も知らずにゴクリと喉を鳴らしている。
この場で渡されるとは思ってもいなかったのだろう。多少戸惑ったが、すぐに笑顔へと変えて、アイさんの手を包み込み、ポーションを受け取る。
「ありがとう。僕も月光商会のアイ嬢と知り合いになれて嬉しいです」
キャァと周囲の貴婦人がその様子に黄色い声をあげるが、単純にポーションをタダで王子が貰ったわけではないのよ。
王子は受け取る事と、受け取らない事のメリットとデメリットを考えたのだ。デメリットは剣聖が手に入らないこと。そして受け取らないことにより、なぜ受け取らないのかと、非情な男だと思われること。ブレド家を叩いているのだから、信憑性があることになる。
次代の王として、第2王子がいる中で、今はその評判はまずいと考えたのだ。昨今の魔物の変化に対応するためにも剣聖は必要となるのだから。メリットはこれ以上、月光商会の勢力を伸ばさせないこと。ここで断われば、他の貴族はその意味を悟り、月光商会と直接的な接触は行わない。
反対にメリットはどうか? 剣聖が手に入り、タイタン王国は国力を増す。強くなった魔物たちに対抗することも可能だろう。月光商会との取引を認めたも同然の、貴族たちの前でポーションをタダで受け取る王子の行動。これから、遠慮なく月光商会と様々な取引もできる。
デメリットは当然、貴族たちも月光商会への直接的な接触を躊躇わなくなる。月光商会はこれからどんどん貴族内に勢力を伸ばすに違いない。
難しい選択であったのは明らかだ。私が同じ立場なら受け取らずに、後ほど接触を計るけど。
だが、ドッチナー家としては都合が良い。大変良い。ドッチナー家の秘伝を月光商会に漏らしたという疑惑を有耶無耶にできるし。
「ふふっ。さすがはシグムント王子。月光商会の品々はとっても面白い物が多いのです。アイさんも王子とお知り合いになれて良かったわね」
受け取った。受け取ってしまった王子は、王族として月光商会を認めたことになる。なにしろ、その対価は伝説の欠損回復のポーションと永続保存のガラス瓶なのだから、もはや認めないとは言えない。
なので、ドッチナー家として、まるで私たちが王子と引き合わせたようにアイさんに見せかけるだけだ。少しでも借りと思ってくれれば良いけど。
「王子様とお知り合いになれるなんて、とっても嬉しいでつ。ルド侯爵しゃん、ビアーラ夫人ありがとうごさいまつ!」
エヘへと頬に手をあてて、くねくねと身体を揺らしながら、嬉しがるアイさん。本当にそう思っているのでしょうね。
「あたちの周りには王子って、いなかったのでつ。皇族ばかりで、御伽話に出てくる王子様は」
「あ〜、コホン。姫の仰るとおり。ドッチナー侯爵家に感謝を。よろしかったら、後ほどお礼を差し上げたい。ですな、姫?」
なにやらとんでもないことをアイさんが口にしたが、それをギュンター卿が遮り、こちらへと誤魔化すように話を向ける。
「これまでの月光商会から受けた恩のお礼ですぞ。あまりお気になされずに」
これ以上、月光商会と付き合うといくら神経が図太くても耐えられないと、逃げようとするヘタレな夫。そうはいかないわよ。このチャンスを逃したら駄目。
「そうですわね。我が家の古代植物園はご存知でしょう? 今は昔の技術も失伝してしまって、マノクト草とタノクト草、一般的な薬草を錬金術でポーションにしているぐらいなの。よろしかったら、使い道のわからない他の植物を見てくれない? 使い道がわかったら、月光商会とも取引したいし」
今の錬金術の技術で作成できるポーションは実のところ少ない。蜂蜜よりも甘い魔力ポーションを作る材料マノクト草、癒やしのポーションに使うタノクト草、毒、病を癒やす他数種類の珍しくもない薬草。それだけを使いポーションを作成している。
しかし、本来ならば古代植物園は宝の山であるはずなのだ。錬金術の知識を分けてくれれば、使い道の判明した薬草を使うことができて、また宝の山に戻るはず。
「それじゃあ、保存の大箱をドッチナー家に差し上げまつ。たくさん草を入れて、月光屋敷に送ってくだしゃい。良い素材があったら教えまつので」
ギュンター卿がまたもやアイさんの耳元で囁くと、すぐに教わったことを言わないとと、アイさんはぎゅっとおててを握って答えてくれた。
まぁ、貴重な錬金術士を簡単には送り込んではくれない、か。我が家のほうが錬金術の大家だったはずなのだけど。
「そうね、それぐらいが妥協点かしら。それじゃあ、後で細かいお話を決めましょう」
「りょ〜かいでつ!」
ニコリとアイさんが微笑み、あっという間に取引は終わる。その後に競うように貴族たちがアイさんを囲み、おべっかを言う。なにか儲け話がないか、我が家とも取引をと。
気がつけば、ヌウマ伯爵と取り巻きたちは姿を消していた。本日のメインイベントだったはずなのに、どうでも良い余興へとすり替えられて、恥を晒し財産を失っただけの愚か者として去って行った。
シグムント王子はポーションをためすがつ眺めながら、本当に自分の決断が正しかったのかと、柔和な笑みは影を潜めて、厳しい表情を浮かべている。
そしてこの私、ビアーラ・ドッチナーは考える。フローラを月光商会に出向させることはできないかと。多大な恩恵があるはずだと、考え込むのであった。