160話 ポーション勝負をする黒幕幼女
ガタガタと歯を鳴らし、身体が震えようとするのを、最近宰相となったルド・ドッチナー侯爵は鉄の意思で抑えようとしていた。隣に立つ自分の妻を盗み見るが、ビアーラは平然とした表情で、テーブルに並ぶ見たことがない料理の数々を味わっていた。
「あら、貴方? 食べないの? このサラダ凄いわよ。なんて言ったかしら、これ?」
細かくブロック状に切られた野菜が寄せられて白いドレッシングというもので和えられているサラダを食べながら、呑気に答える妻に、ルドは周りを見渡しつつ小声で言う。
「ポーション勝負だぞ、ポーション勝負! 月光がヌウマ如きに負けるわけがない! いかに浄化の水を使って品質の高い物を作っても、それを上回る物を作るに決まっている!」
月光の母国はこちらとは比べ物にならない高い技術を持っているのだ。既にこの会場がその技術の凄さを見せている。
「そうね……立ち会いに私たちを呼んだことから、絶対的自信を月光は持っているわ。勝負の内容を見たけど、体の傷を癒やすポーション。客観的にどちらが高品質なのかなんて、わかりにくいと思わない? それなのに自信を持っている……矛盾だわ」
「恐らくは奴隷か魔物かを傷つけて、どちらが、より癒やすことをできるのか試すのであろうが……。通常の癒やしのポーションはかすり傷を治す程度だ。浄化のポーションならば、剣に斬られた程度ならば癒やすことができるはずだ」
ルドは口元を引きつらせながらビアーラへと言葉を返す。その言葉を冷ややかな笑みにて、我が妻は嘆息する。
「わかっている癖に、わからないふりをしないで欲しいわ、貴方。勝負条件は身体を癒やすポーションよ?」
「しかし……そんなバカな……。もはや我が家で遥か昔に失伝したポーションだ! それが使われるとなれば……」
月光が招待してきた理由がわかる。いや、既に招待状と勝負の立ち会いをお願いされた時、勝負方法を見た時に理解した。理解してしまった。ヌウマ伯爵はもちろんのこと、ドッチナー侯爵家も損害を被る恐ろしい内容だと。
「何を話しているのかな、ルド宰相」
後ろから涼やかな声音で、男性から声をかけられて、知らず背を伸ばして振り返る。
「あぁ、シグムント王子。いえ、月光商会は本当に素晴らしいと妻と話していたのですよ」
朗らかそうな優しい笑みを浮かべるシグムント王子に顔を引きつらせて、周りの光景に感心したという態度をとる。
今、ルド・ドッチナー侯爵がいる場所は月光屋敷、その広間だ。高位貴族を招待するには多少狭いかもしれないが、閉塞感は感じさせない。それどころか、他の貴族の夜会よりも遥かに快適である。
天井に美しい金銀をあしらえたシャンデリアがぶら下がっているが、蠟燭が灯されているわけではない。シャンデリア自体が輝いており、魔法の光を放っているのだ。王族すらもこのようなシャンデリアは持っていない。このような代物を作る余裕があれば、戦闘用魔道具を作るに決まっているからだ。
真っ白なテーブルクロスをかけられているテーブルの上には銀の大皿が並び、いくつもの見た目も美しい料理が並んでいる。見た目が美しい料理に加えて、馬鹿げた事に料理が乗っている銀の大皿は温かったり、冷たかったりする。
料理を乗せる程度の皿を魔道具にしているのだ。料理人がやはり魔道具のコンロを使い、その場で様々な肉料理を作っていたりもする。
貴族の間を歩くメイドたちは、緊張気味なのでそこまで質は良くないとわかるが、持ってくる飲み物は別物だ。飲み慣れたワインですら、深い味わいがしてきて、品質の良さを知らしめてきた。
魔道具、魔道具、魔道具、そして優れた料理に酒。演奏も見たことがない代物だ……あの美しく奏でるテーブルよりも大きな黒い物はなんだろう?
「そうだね。本日はフローラ嬢のエスコート役で来ましたが、月光商会の技術には本当に感心します。砂糖などの商品だけでなく、このような魔道具を大量に持てるその財力も。最近はまったく月光商会の話を聞くことができなかったですし、実際に目の当たりにできて良かったです。……本当に良かった」
その瞳に剣呑な光を漂わせてシグムント王子が言うのを、カラ笑いで受け流す。フローラのエスコート役なぞ探してもいなかったし、王子に話をしたこともないのに、突然執務中に現れて、立候補すると言ってきたのだ。婚約者にするのだと、周りは噂していたが、実際は月光商会の事を気にしているのだろう。
そろそろ見逃すのは難しい規模になってきたとは思っていたが、まさか魔道具をここまで持ち込んでいるとは。
それと、エスコートされた馬鹿娘は既にフラフラと歩き回って料理を食べている。王子を完全に放置しているので、後で怒らなければなるまい。……自身にその余裕があればだが。
「ドッチナー侯爵しゃん! ビアーラしゃん、来ていただいてありあと〜ございまつ!」
可愛らしい声で幼女がぽてぽてと笑顔で歩いてきた。可愛らしい幼女はため息しかつけない見事なドレスにアクセサリーを身に着けてやってきた。どこの王族だろうかと思ってしまう。
後ろにギュンター卿を連れてやってきた幼女は、カーテシーをして挨拶をしてくるので、その愛くるしさに緊張をほぐされて、ルドも会釈を返す。幼女は飾りで、注意すべきは老騎士だ。幼女に罪はないので問題はない。思わず頭を撫でたくなる程の可愛らしさだ。
「本日はお招き頂きありがとうございます。この見事な夜会の素晴らしさに感心のため息しか出ませんよ」
高位貴族が平民に対する所作ではないが問題はない。この幼女は明らかに同格かそれ以上の存在だと推測しているのだから。
「お招きありがとうございます、アイさん。こんなに素敵な夜会なんてビックリだわ。フローラにはもう会った?」
「もう会いまちた! たくさんの料理を全部制覇するって、張り切ってまちたよ」
馬鹿娘め。気持ちはわかるが、放蕩すぎるとルドは苦々しく思う。私たちの立場の微妙さを理解しているのだろうか。
「アイ嬢、こちらフローラのエスコート役で来てくださったシグムント第一王子」
「よろしくアイ嬢。貴女の噂はいくつも聞いています。その歳で立派なものですね」
「よろしくお願いしまつ。あたちは月光商会の当主、アイ・月読でつ。王子様にお会いできるなんて、あたちは幸運でつね」
にこやかな優しい笑顔をして挨拶をするシグムント王子。婦女子はだいたいその笑顔にやられて、頬を染めるのだが、アイ嬢は普通にカーテシーを返すのみであった。幸運と言いつつ、まったく照れる様子はない。まだ幼女だからだろう。
「ルド侯爵。本日はポーション勝負の立ち会いに来て下さり、大変感謝致す。すぐに終わりますので、多少の余興と思って貰えればと思う」
「多少の余興ですか……。だいぶポーション勝負に自信がおありで」
ギュンター卿の言葉に皮肉を交えて返す、賭けてある物は多少の余興では済まないはずなのに……やはり予想している物なのだろう。せめてシグムント王子にはこの場にいてほしくなかった……。
では、とギュンター卿が平然とした表情で、掛け声をあげる。
「これより、ポーション勝負を始めたいと思う。両者は前に!」
小さなテーブルが置かれて、対面に立つようにアイ嬢とヌウマ伯爵が立つ。ヌウマ伯爵は傍目に見てもわかるぐらい青褪めて、こちらを、いや、シグムント王子をチラチラと見てきていた。
先程から取り巻きと共に青褪めた表情で広間のあれこれを眺めていたことを知っている。なぜ、こんな馬鹿げた勝負を受けたのか、その神経がわからないな。
「これで月光商会の技術力がわかりますね。まぁ、ここまで大事になるとは思いませんでしたが」
クックッと笑うシグムント王子。どうやらなにかを仕掛けた様子。ヌウマ・キツグー伯爵を潰す手立てでも使ったのだろうか。
両者が机を挟み、それぞれが持ってきたポーションを置く。ヌウマ伯爵は素焼きの壺に。アイ嬢はクリスタルでできたような小瓶にポーションを入れて。
既に見た目で負けているヌウマ伯爵を哀れに思ってしまう。横領を十八番とする腐った貴族だが……。これで勝負に負けたら社交界ではもはや顔を出せないに違いない。
品物鑑定の魔法を使う魔法使いが、歩み出てくる。ヌウマ伯爵と私が用意した者、それに月光商会が用意した者たちだ。
周囲が月光商会が用意した魔法使いを見て驚きでざわめく。ざわめくのも当たり前だ……。なにしろ妖精なのだから。
「マグ・メルの第一王女セフィが名誉にかけて、真実を伝えましょう。どどーん!」
「どどーんは声にしちゃ駄目なんだぜ」
胸を張って、アホっぽい行動をとる妖精にもう一人の妖精が近づいてきて、ツッコミを入れていた。なんとなく肩の力が抜けるやり取りだが、その肩書は見過ごせない。第一王女だって?
「ふ、ふん! いくら妖精を連れてきて、ハッタリをかけようとも無駄だ! 神の水を使いし、この癒やしのポーションの力を見ろっ! どこに傷を負ったものがいるんだ?」
ヌウマ伯爵は気丈にも声をあげて勝負を挑むが……道化だな。
「傷を負った者でつか? そんないたいいたいな人は用意してましぇん。可哀相でつし、必要ありましぇん」
「な、なに? それはどういう」
戸惑うヌウマ伯爵を無視して、幼女は無邪気な笑顔で、セフィ王女へと視線を向ける。セフィ王女は簡単に詠唱を済ますと、結果をあっさりと口にした。
「アイが用意した物は肉体欠損を癒やすポーション。そこの豚はかすり傷を癒やすポーションですね。なぜに、癒やしのポーション勝負でこのような下級ポーションを豚は用意したんですか?」
辛辣な言葉にヌウマ伯爵は怒鳴ろうとするが、その内容に青褪めてしまう。慌てるように他の魔法使いへと顔を向けるが、他の魔法使いも同様に顔を青褪めさせながら
「け、欠損回復の癒やしのポーションです……」
「伝説のポーションだ……。まさかこの目で見れるとは!」
驚愕の表情でセフィ王女と同じ答えを出すのであった。
「ブウタ伯爵、あたちは癒やしのポーションとたしかに言ったはずなのに、手抜きしまちた? まぁ、たった一年間の権利の譲渡でつものね。太っ腹なところを見せてくれまちたか」
クスクスと無邪気な笑いにて、いたずらが成功したようにヌウマ伯爵をからかうアイ嬢。その後ろで、ニヤリと満足そうにギュンター卿が笑ってるのが見えた。
シグムント王子も立ち会っており、3人の魔法使いの答えが一致したのだ。試すまでもないし、抗議することもできない。他にも領地があるとはいえ、今年一年の柱となる収入を断たれたヌウマ伯爵は肩を落として崩れ落ちる。
予想通りとはいえ……やはり欠損回復のポーションだったか……。恐れていたことが現実となってしまった……。
「凄いね、月光商会は。もう作成することはできないと言われていた伝説のポーションを持ち出すなんて!」
パチパチとシグムント王子が勝利を祝う拍手をすると、周りの貴族たちも顔を見合わせたあとに拍手をしていく。万雷の拍手となり、幼女は得意気にムフンと胸を張っていた。
これで月光商会の力を貴族たちは理解したに違いない。恐らくは陽光帝国という基盤を手にしたから、そろそろ力を見せつけることに決めたのだと推測する。
「ところで……欠損回復の癒やしのポーションの作成方法はドッチナー侯爵家の秘伝だったと覚えているんだけど? そのことについてどう思う?」
危険な光をその眼差しに湛えて、シグムント王子が尋ねてくるので、こうなることを恐れていたんだと、ビアーラの助言を必要とするなと思いながら、ルド・ドッチナー侯爵はこの窮地を逃れるべく考えを巡らすのであった。