149話 ドワーフたちは使徒と出会う
バッカスたちは呆然と目の前に広がる白き世界を眺めていた。そこかしこに爆発によるクレーターができており、木々がなぎ倒されて、魔物たちは凍りついて氷像となっている。かと、思えば高熱で溶けて硝子状になっている地面もあり、岩が真っ赤に燃えていたりもした。
ハッキリ言って混沌な世界であった。精鋭部隊からさらに選抜した部下たちを引き連れて、かなりの速さで移動していたら、この世界が目に入ってきたのである。
「このようなことが……いったい全体儂の知っている世界はどこにいってしまったのじゃ?」
先程、突如として世界が夜の世界となり、巨大な月が輝いたかと思うと、再び昼へと戻り、そしてこの世界が生まれたのだ。
いや、生まれた訳ではない。作られたのだ。恐ろしい力を持つ竜と、神々しい光を放つ翼を生やした幼女によって。
高ステータスによる視力は、遠く離れた戦う者たちを視認することができたのだ。
「……どうやら戦いは終わったようですぞ、王よ」
かすれるような声で隣に立つロウ将軍が告げてくるので、頷きで返す。先程まで空を飛び交いながら、一撃一撃が神器の力を見るような攻撃を放っていた竜と幼女の姿はなく、周辺に轟いていた爆発音も消えていた。
最後に見たのが竜の身体が切り刻まれて墜落していく姿であったので、戦いは幼女の勝利で終わったのであろう。
本来なら喜ぶべき結果であるが、バッカスたちは畏怖の心を抱いていた。あれ程の力が存在するとは思えなかったのだ。
……あれは、神の力である。少なくともその一端だ。バッカスが加護を使う時、あれ程の力を発揮できただろうか? もしかしたら同等の威力を見せることができたかもしれないが、良くて数撃だ。加護を使い続けることはできない。瞬きの間にその力は使い果たすのだから。
それを長時間使い続けるのだから、あの幼女は少なくとも加護を上回る力を持つ。神とは言わないが、使徒ではないだろうか?
「ロウ将軍。使徒は神話の中の話だけじゃ。そなたは使徒を見たことがあるか?」
「神々の支配が終わった時に使徒は姿をお隠しになっています。バッカス神が降臨なさった時にも使徒は姿を見せませんでしたし」
「そうじゃな……その消えたはずの使徒が現れた……なにか、恐るべきことが世界には起き始めているのじゃろうて」
嘆息しながら考える。最近の魔物の変貌。侵略を始めた竜……。監視のスキルを跳ね返し魔王とも名乗っていたのだ。
そして突如として現れた陽光帝国と英雄たち。なにか自分のわからない人類滅亡の危機が迫っているのではないだろうか?
「取り敢えず、勝利をした幼女を出迎えに行くぞ。ついてこいっ」
兜を被り直し、バッカスは部下へと告げると、走り出すのであった。
何気にバッカスは妄想逞しかった。リンと混ぜるな危険でもあったりした。
激しさを物語る戦いの跡となった地形を見ながら、バッカスたちはジャンプをしながら移動する。短い足なので、そちらの方が急ぐ場合は都合が良い。エルフが大笑いをしてくるので、いつもは封印している移動方法だ。
手足の長いエルフとは絶対にわかり合えない壁を持つドワーフだった。種族的に仲が悪い理由の一つでもあったりした。ドワーフはドワーフでエルフはその細い身体から器用そうに見えるが、全然器用じゃないんだなと笑うので、お互い様かもしれないが。
しかし、そんなことはこの緊急事態では言ってられない。素早く移動が可能なこの方法しかないのだ。
しばらく死の世界と化した光景を横目に見ながら進むと、竜がクレーターの中に横たわり、使徒と英雄たちがその周りに立っていた。既に使徒の姿は先程の神々しいお姿ではなく、どこにでもいそうな身なりの良い幼女へと戻っている。
妖精と何やら話していたが、こちらに気づき手を振ってくださった。
「バッカスしゃん、お疲れ様でつ。速かったでつね。思ったより全然速かったでつ」
「ハハッ! 使徒様の戦いに加われず遅れて申し訳ありません」
跪いて頭を下げ赦しを乞う。本来ならば儂らが倒すべき悪竜であったのだ。それを戦いにも加われず、遅参するとはあり得ない。
儂らが跪いて頭を下げるのを見て、使徒様は戸惑う表情となり、肩の上で浮く妖精へと尋ねる。
「使徒って、なんでつか?」
「あたしみたいな存在のやつだな。これでも女神の使徒なんだぜ」
「なるほど、アホな娘を使徒と言うんでつね」
「そろそろ社長にはあたしの偉さを教えないといけないんだぜ」
コンニャローと、使徒様の髪の毛を引っ張る妖精であったが、やはり使徒であったのだ。たぶん幼女なので、アイ様は未だに自覚がないのじゃろうて。
御者が隣の大魔法使いの少女に、あっしはいくつめの使徒なんですかねと尋ねて、僕は初号機に乗れば良いの?とよくわからない会話をしていたが、あの者たちは使徒ではなさそうだ。たぶんお付きの英雄たちであろう。
「あ〜……。もしかして、もしかしなくても、あたちの戦いを見まちた? 見ちゃいまちた?」
「ハッ! 使徒様の勇敢なる戦いを我らははっきりと見させて頂きました」
「幻覚でつね」
「は?」
素晴らしい戦いでしたと、褒め称えようとして、使徒様の答えに口籠る。幻覚?
「この地域は暑くて脱水症状になりやすいでつ。脱水症状というのは、喉が渇くとなっちゃうビョーキなんでつよ。皆、脱水症状になっちゃったみたいでつね。おみじゅいりまつ?」
「いや、そこに証拠の悪竜が倒れていますが……」
指差すまでもなく、見逃しようがない巨体である。横たわる竜をせっせと魔法使いや魔法剣士が凍らせて、解体を御者が始めていた。
「あの竜は脱水症状で死にまちた。脱水症状ってこわいこわいでつね〜。おみじゅいりまつ?」
いつの間にか持っているコップに使徒様は水を注いでいた。ぷ〜んと香り高い匂いがこちらへと漂ってくる。
はい、ど〜ぞとコップを差し出してくるので、ゴクリと一口飲む。切れ味の良い芳醇な味わいが口に広がり、身体に衝撃が走った。
「たしかに脱水症状というのは怖いものですな。幻覚が見えていたようです」
儂は喉が渇いて幻覚を見ていたらしい。使徒様が何もない空間から、追加の見たことのない形の酒樽を取り出してきたのだから間違いない。いや、水樽だった。
俺も俺もと他の面々も酒を、いや、水を飲み乾きを癒やす。
「そうでしょ〜。喉が渇いていたんでつよ。それと使徒呼ばわりも禁止でお願いしまつね。あ、追加のおみじゅいりまつ? きっと使徒なんてろくなもんじゃないでつし」
味がまた違うんでつがと、酒樽を新たに取り出す使徒様。ふむふむ、この水は香り高くフルーティーであり飲みやすい。様々な水があるのだな。とはいえ……。
「冗談はそこまでにしましょう。アイ様は御身の名を広げるつもりはないと? 神の使徒であること、悪竜を退治せしこと。全てを隠すと?」
コップを置き、真面目な表情となりバッカスは幼女へと問いかける。さすがに水を貰ったからと誤魔化される訳にはいかない。これでも一国の王なのだから。
「そうでつね……酒樽を他のドワーフに盗られないようにガードをしながら問いかけるその姿はさすがはドワーフの王。そのとおりでつ。使徒なんかいなかった。それが一番良いのでつ。あたちはまだまだ弱いでつし」
「悪竜を退治したことはどうしますか?」
バッカスは悪の手から水樽を守る為に、ガードをしながら答える。この新酒は儂の物なのだ。
「悪竜を退治したのはバッカスしゃん。凄い立派な装備で身を固めるドワーフの王にしたいのでつが良いでつか? あたちは目立ちたくないでのでつよ」
水を寄越せと手を伸ばしてくる有象無象を叩きながらも考える。アイ様の仰る意味を。
あの力を持ってしても、まだまだ弱い……。幼女だからまだまだ強くなるのだろう。そして、使徒の存在を許さぬ者がいるのではないだろうか? 弱いうちに倒そうと考える者が。
名前が広がれば、確実にそのような魔の手がアイ様に及ぼうとするのかもしれない。
「しかし、悪竜を倒した名誉を儂が貰うわけにはいきませぬ。これはドワーフの戦士としての矜持ですので」
その通りだと、さすがに部下たちも真面目な表情となり頷く。それ程、ドラゴンスレイヤーの名前は大きいのだ。ドラゴンスレイヤーとなれば、各国にその武勇と名声が広がることは確実なのだから。
「あたちが有名になると、もうおみじゅを作ることはできましぇんね」
「わかり申した。このバッカスと戦士団が偽りの栄誉をお受けしましょう」
その通りだと、さすがに部下たちも真面目な表情となり頷く。それ程、この水は美味いのだ。脱水症状とやらにかかっているから仕方ないのだ。ドワーフは美味い酒を飲む人生を何よりも大切にしているのだから。
「とはいえ、一つだけ質問をよろしいでしょうか。……バッカス神はもはや地上に関与することはないのですか?」
都市でも聞いたが、改めて再確認をする。
神々と大魔王との戦い……。いったいなにが起こったかはわからない。しかし世界に凶悪な魔物が現れたことは、神々が負けたともとれる。
「……これはナイショでつ。最高機密でつが、バッカス神は二度と地上に干渉はできないでしょー。もはや地上は神に頼らない暮らしを余儀なくされたのでつ。これはここにいる者たちだけのナイショでつよ」
真剣な表情となり、アイ様が指を口にあてて、シーッと言ってくる。その姿は普通の共人の可愛らしい幼女でしかなかったが、内容は最悪の話であった。
「神官たちは薄々気づいております。稀に細々な仕事を振ってくるバッカス神であるのに、まったくそのようなことが無くなったと言っていたので」
「神聖魔法はないのに、そんなことを神はしていたんでつか……。まぁ、バレたらバレたでつ。あたちは取り敢えずナイショにしまつ」
「畏まりました。いつかアイ様の奉じる神のお名前を聞けたらと思いますが、まずは竜を退治して頂いたお礼と、我らをお守りくださる国への帰属を致します。我らは陽光帝国に帰属致しましょう」
片膝をついて、斧を前に置き、決めていたことを告げる。このままでは、いつ大魔王の手の者に国が襲われるかわからない。考えてみたが、恐らくはバッカス国の鍛冶の技と鉱山を潰そうと悪竜を寄越したのだと気づいたのだ。
「バッカス神の残せし鍛冶場。我らドワーフの技術と戦士としての力。きっとこれからの戦いのお役に立ちましょうぞ」
世界は滅びを迎えようとしているのだろう。それらを防ぐのにドワーフとして助力は惜しまない。英雄譚でも、ドワーフの鍛えし剣を持ち強力な魔物を倒した話が山程あるのだ。
「わかりまちた。月光に採掘権の一部譲渡と鍛冶場の使用を許可をすることも忘れないでくださいね」
「ハハッ。全てアイ様の仰るとおりに!」
ニコリと微笑むアイ様に、バッカスたち一同は平伏をして、バッカス国は陽光帝国へと帰属した。
バッカス王が物凄い妄想をして、既に想像から創造へと話を作り、ここだけの話だがと英雄譚が大好きな仲間に酒を飲みながら話を広げるのは、少し経ってからであった。幼女がそれを知るのはかなり後になってしまい、その時は頭を抱えて困ったのだが、それは未来の話となる。