121話 大商人は嘆息する
月光商会。商会とは言えぬと思うが、それでも商会と名乗るのだからそう呼ぶしかないなと苦笑をしつつ、王都の大商会の当主フロンテは幼女たちの帰宅を見送った。
楽しかったでつと、無邪気な笑顔で手をぶんぶん振る幼女たち一行が帰ると、応接間に戻り、綿が詰まったふかふかのソファに沈み込むように座り、疲れたように息を吐く。
「疲れたな……。しかし私の想定通りとなった」
凝った肩をほぐすように回しながら、メイドへとワインを持ってくるように命じる。少しして、美しいカットの入ったクリスタルガラスのワイングラスが目の前に置かれ、ワインが注がれるのを眺める。
真っ赤な液体がはっきりと見える透明度。考えられた切られ方によりまるでクリスタルのように美しく輝くような芸術の逸品。
「このような物を作り出せる……。月光、か」
フロンテは感心するように吐息しながら、ワインをグイと煽る。アルコールが回ってきて、ようやく人心地をつく。
面には出さなかったが、あの老齢の騎士と話すのは精神的に厳しかったのだ。一太刀でこちらを斬り伏せることができる騎士の威圧に身体が震えそうなのを何度堪えたことか。魔物を前に商売をするようなものだ。あの老騎士がいなく、幼女だけなら、どれほど取り引きが楽だろうなと口を歪めて想像してしまう。
実際にそんなことになったら、枷の外れた幼女のえげつない取り引きに涙していただろうが、もちろんフロンテはそんなことは想像もできない。
「一度、かの国に行ってみたいものだ。驚くものがたくさんあるだろうな」
商人としての好奇心と商売魂がうずく。きっとタイタン王国に持って帰れば巨万の富を得られることだろうと、手に持つクリスタルガラスを見ながら思う。
クリスタルガラスのワイングラスは器用すぎるおっさんが、超常の高性能ステータスを駆使して作り上げた変態の逸品である。なぜ変態かというと、ガラス用の炉でもないのに作り上げたからである。
フロンテはこのような物がたくさん月光の母国にはあるのだろうと想像していたが、暇になると趣味に走る陶芸家ガイ山ガイ人の適当な逸品であった。適当でもオタクは凝るので、ステータスも相まって美しく芸術品になっていたりした。
そしてその全部を適当に配ってしまった勇者でもある。一番受けたのが子供たちに配ったビー玉であったりもした悲しい勇者だった。他の人たちは一部を除いて家宝として飾っているとか、いないとか。
手に持つクリスタルガラスのワイングラスはメイドの一人が持ってきたのをフロンテが手に入れたのだ。
適当に配れる程、あちらの国では価値が低いのだとフロンテはもちろん勘違いした。ここで勘違いしない方がおかしいので、フロンテを責めることはできないだろう。全てはオタクなおっさんがいけないということにしておきたい。
「父さん、取り引きが終わってから言うのもなんだけど、本当に良かったのですか? 南部地域の作物を扱うんだよ?」
息子のロンデルが不安げに尋ねてきて、テルテもシルもコクリと頷く。
「そうだね。南部地域の作物を扱うなんて、僕も危険に思うよ。タイタン王国の貴族たちが色々と言ってきそうだよ?」
「そうよ、お父様。儲けるつもりなら、月光の商品を扱わせて貰うだけで良かったのに」
口を揃えて非難めいたことを言ってくる子供たちを見て、目を細める。こちらが怒っているのかと黙ってしまうので、嘆息してしまう。
「止めるのならば、ギュンター卿へと私が取り引きを持ちかけた際に制止するべきだったな。なぜしなかった?」
「そ、それは……その……」
「少し、ね。本当に少しなんだけど……」
「怖かったからです、お父様。ギュンター卿の威圧に動けませんでした」
口ごもる息子二人と違い、娘はあっけらかんと答える。その言葉に苦笑してしまうが、たしかにギュンター卿の威圧は恐ろしかった。年若い子供たちでは動けないのは当たり前だ。
「シルよ。正直者が良いことだとは限らないのだぞ。まぁ、私から見たら全員まだまだだな。跡継ぎを決めるのは未だ早いということだな」
シルがその言葉にショックを受けて、息子たちはチャンスはまだまだあったかと、微かに口元を曲げる。単純に金を稼げれば当主の座につけると三人共考えていたのだろう。未熟者ばかりだ。
「貴族の中にはギュンター卿のように威圧をしてくる者がいる。精神を鍛えなければ当主にはなれん」
きっぱりと言いながらもフト思い出す。そういえば、幼女はまったく気にしていなかったな……。配下とは言え、ギュンター卿の威圧は幼女も感じなかったのであろうか? いや、感じたに違いない。それでも気にもしなかったところを見ると、やはり高位貴族の者だということなのだろう。
アイの評価を上げるフロンテ。もちろんアイは威圧を受けなかった。受けなかったというか、酒の種類を増やしましょうとアホなことを念話で言ってくる爺さんに呆れてもいた。
そんなことは露知らず、フロンテが感心していると、ロンデルがさらに尋ねてくる。
「その貴族のことなんだけど、危なくないかな? 南部地域と取り引きするうちと貴族たちは取り引きを止めないかな?」
ロンデルの言うとおり、懸念はある。が、問題はないとも予測していた。
「ふん……。そんなことはあり得ないな。月光の凄さに貴族たちは逃れられない。祭りが終われば、うちの伝手を使おうと貴族たちは殺到するだろうよ」
鼻で笑うフロンテの自信有り気な言葉に子供たちは戸惑い、お互いに顔を見合わせる。なぜそんなに自信があるのか不思議な様子である。
「砂糖……砂糖がそんなに凄いのですの、お父様?」
砂糖はたしかに甘く魅惑的である。貴族もが我慢できない程なのだろうかとのシルの言葉に答えずに、フロンテはセバスを呼ぶ。
「例の物を持ってこい。子供たちに食べさせるのでな」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」
例の物と言われても戸惑うことはなくセバスは部屋を出ていく。子供たちが例の物とはなんだろうと考えていると、再びトレイに例の物をのせて戻ってきた。
コトリと各自の前に例の物を置いていく。子供たちはなんだろうとそれを見て首を傾げる。
「なんですか、これ? パン?」
「色々とありますね?」
「三日月型、細長い物、四角い物。なんですかこれ?」
テーブルの上に置かれたのはパンであった。見た目から推測はできる。だが、今までと違うパンだ。その見かけも変わっており、味が想像できない。
「これは試食品として焼かれたパンだ。食べてみよ。まずはそれからだ」
自分は既に味見をしているフロンテは子供たちへ勧める。シルが真っ先に動き、三日月型のパンを手に持つ。
「随分軽いし……。中がスカスカ?」
通常パンは主食だ。パンを食べ薄いスープを飲むのが平民の食事であった。パンでお腹をいっぱいにするのが当たり前なのだ。その為、パンは押し固めた固く平べったく作り上げた大きな物が主流派であり、手のひらサイズのものなどなかったのに、三日月型のたしかクロワッサンと呼ばれる小さなパンは新鮮で興味深かった。
シルは口へとクロワッサンを運び、目を見開く。サクリと軽い食感。ほろほろと口の中で解けて、バターの濃厚な味が口いっぱいに小麦の味と合わさり広がっていく。
「お、美味しい。これ、美味しいです、お父様! 甘くないのに……いえ、仄かだけど甘さもあるし、今までのパンと歯触りも全く違います!」
「これも凄いぞ、妹よ! 一見カチカチの細長いいつものパンに見えるのに、中はふわふわで、外側のザックリとした硬い皮が良いアクセントになっている!」
「僕の食べる四角いパンも美味しいよ。もっちりとしていて、柔らかい。これならいくらでも食べれちゃうよ」
三人共、目を輝かし夢中になって食べる。今までは白パンを食べていたが、白パンなど相手にならない。なにせ、信じられない程の柔らかさなのだ。焼き立ての白パンでもこのパンらには負ける。恐らくは一日は経過しているだろうパンなのに。
「このパンらに共通しているのは柔らかさだね。焼き締めてあるように見えるのに、すべてが柔らかい。どうやって焼いたのかな? パンの革命だよこれ」
テルテが目を光らせて、口元についたパンくずをとりつつ、フロンテへと問う。どんなに良いパンでもここまで柔らかくはならないと気づいたのだ。
「これは焼き方の問題ではない。ベーキングパウダーという物を使っているのだ。パンケーキという特別なパンは知っていたが、秘密の一つはこれらしい」
やはりメイドがくすねきてきた魔法のような効果を生み出す粉が入った小瓶をフロンテは見せる。中身はサラサラな粉であり一見小麦と変わらないように見えるが、これをパン生地に少量入れると数倍の大きさにパンが膨れ上がるのだ。
「どんな者でも、必ずパンは口にする。貴族たちはこのパンの味に取り憑かれるだろう。そしてこれを持ち込んだ月光を妨害もできない。なぜならば妨害をすれば手に入らなくなるからだ。妖精の隠れ道を使い月光の母国へ行くことができないからだ」
食パン、フランスパン、クロワッサンを見ながら強い口調でフロンテは語る。昔の熱かった頃の自分を思い出すように、手を握りしめ、興奮気味に。若き頃の力が身体に戻ってきた感覚があると思いながら。
「砂糖はもちろんのこと、パンがこれ程変わるのだ。食べ物は当たり前だが食べれば無くなる。芸術品ならば、希少価値が生まれると考えて、交易ルートを潰そうと考える者がいるかもしれないが、これは食べ物なのだ。常時供給が必要な物。人間の根源的欲求の一つ食欲に結びつくものなのだ」
「これは安いのでしょうか? どうやって作っているのか……?」
ロンデルが腕を組み、パンを膨らます粉を眺めて考え込む。即ち、砂糖と同じぐらいの価値なのだろうかと。
「わからん……。恐らくはパンを膨らます麦のような物があるのだろう。だが、砂糖のように高くはないと予測している。なぜならば、大量のベーキングパウダーをパン焼き職人にタダで配っているらしいからな。祭りに備えて」
アイが聞いたらほくそ笑んでいただろう想像をするフロンテ。たしかに粉なのでそう思うのは当たり前だった。狡猾な幼女は天然酵母だと真似されると思い、ベーキングパウダーを作ったのだ。そろそろ小悪魔の尻尾が生えても良さそうな幼女であった。
「大量のベーキングパウダーを扱うことができれば、巨万の富ですわね。取り扱いを任されるようにアイにお願いしにいかないと」
シルが状況を把握して、目をギラつかせる。美しい少女であるのに、その様子を見たら、引かれること請け合いの欲望に満ちた商人の顔を見せていた。
が、その呟きはロンデルとテルテにも聞こえていた。
「シル! お前は綿布を扱わせて貰っているじゃないか! 品質の良い物が少しずつできてきたので、貴族へと売りに行けることは知ってるぞ! ベーキングパウダーは穀物を扱う俺と相性が良い! すぐにアイ様にお願いをしにいく!」
「あら。最初に縁を持ったのは私ですわ、お兄様。私が任されても良いかと」
ソファから立ち上がり、怒気を纏わせてロンデルが怒鳴るが、シルは飄々とした表情で肩をすくめる。もうロンデルの怒ったフリの演技は通じないらしい。
お互いに顔を突き合わせて、言い合いを始めて、部屋は一気に騒がしくなる中、テルテも口を挟む。
「まぁまぁ、二人共落ち着いて。こちらのお願いをするにあたり、代価は必要だよ? しかもとんでもない代価だ。僕たちにそれができる?」
テルテの冷静な物言いに、言い争っていた二人は困った表情になってしまう。冷静な見方はテルテが優れていると、フロンテは内心でテルテの評価をあげる。
そのとおりだ。こちらは相手へと出せる物がないのだ。金がないのに商品を売ってくれと言うようなものだ。それほど月光の品々は素晴らしすぎる。
「聞け。先程の取り引きは私の実績作りでもある。月光へと有能さを示し、商品の取り扱いを少しでも任されるようにするためのな。だが、それが月光のメリットではない。最大のメリットはフロンテ商会が月光の傘下になったと噂されれば、他の商会も月光に足繁く通うようになるだろう点だ」
先程の取り引きはそういう取り引きだ。月光に多大なメリットがあり、フロンテ商会が出せる最大の物なのだ。フロンテ商会の名前は王都に広がっているからこそ使える取り引きであったのだ。名声を通貨にフロンテはしたのであった。
「お父様…。フロンテ商会は月光の傘下につきますの?」
気遣わし気な表情になるシル。息子たちも戸惑っていた。フロンテ商会が消えてしまうかもしれない可能性に気づいたのだ。
「さて、な。月光が商会ではないことは明らかだ。御用商人になれると思えば傘下につくことにはならないだろう」
このチャンスを逃す訳にはいかぬのだ。一世一代の賭けになろうとも、ここで時流に乗らねば反対に潰されてしまうと直感的に感じる大商人はワインを口にするのであった。




