112話 魔眼少女は自分の今を考える
ドッチナー侯爵家にてララはお城って寒いんだなぁと思っていた。訪問した季節が悪いのだろう。石造りの建物は屋敷と違い、多くの人々が行き交うことができるように通路が広い。部屋もだいたいが広い。
建物全体も大きいので、寒いのだ。暖炉の炎が行き渡らないから、とにかく寒い。吐く息が建物内にいるにもかかわらず真っ白な程に。
魔法のメイド服でなければ凍えていたかもしれないと、アイちゃんに改造してもらったメイド服を見下ろす。メイド服は寒さ耐性1とかアイちゃんは言っていた。雪の中に手を入れようとでもしなければ、僅かに寒いとしか感じない凄い魔法の服だ。
アイちゃんは魔法の服ではないと言ってたけど、あからさまに魔法の効果があるから、相手を誤魔化せないよね……。なんで魔法の服ではないと言い張るのかな? たぶん何かしらの理由があるんだと思う。
「ふ〜ん。召使い……たしかメイドだったわね。メイドの服にも魔法を付与できるなんて、付与魔法が月光の国では物凄い発達しているのね」
予備のメイド服を手にして、珍しそうに侯爵家の娘のフローラ様が眺めていた。目を輝かせて、メイド服の手触りを楽しみながら、じっくりと見ている。
「ふふ、私たちの服にも付与して貰いたいわ。寒くて仕方ないものね」
ドテラを着込んで、さらに毛皮を上に被ったもこもこの侯爵夫人が羨ましそうに言ってくる。たしかにアイちゃんに頼めば1日で付与できそう。魔法付与って、そんなに簡単にできないのは、私でも知っているから、どれほど凄いのか魔法に詳しい侯爵家の方々は、より深く理解しているに違いない。
「う〜ん……でも次はなんの要求がされるか怖いわね。もういっそのことお金で取り引きした方が良さそう。でもお金での取り引きでも、なにか裏の意味を持たせそうで、ちょっと怖いのよねぇ」
苦笑して、どうしようかしらと頬に手をあてて悩む侯爵夫人。その姿は可愛らしくって、首を傾げてしまう。本当にフローラ様の母なのだろうか? 見た目が若すぎるよ。私より数歳年上にしか見えない若々しさだ。
「ほら、ララさん。余所見をしない。次は自分の主より格上の爵位が来たときの対応の仕方よ」
「あ、はい。すいません」
パンパンと手を叩き注意を促してくる中年の女性に頭を下げる。古着ではあるが、丈夫そうな毛糸の服に身を包んだ女性はこの侯爵家のメイド長だ。うちではメイド長と呼んでいるけど、他家では召使い長? ま、いっか。
「主に恥をかかせないためにも、この場合の対応は……」
つらつらと淀みなく言葉を紡ぐメイド長さんの言葉をふんふんと聞いて学ぶ。
今日は侯爵家のメイド長に仕事を教えてもらっているのだ。
私も遊んでばかりではないのである。ふふふ。
ちなみに角砂糖小袋一つで、二つ返事で引き受けてくれたんだ。角砂糖を使うことはアイちゃんから許可は貰っている。だいたいの人は角砂糖を渡すと、対応が柔らかくなるのだ。
母さんが言うには、フロンテ商会から来た人たちの知識では高位貴族の召使いに劣るらしいから、必要なことであった。
たしかに色々と違う。作法から話し方、様々な事柄が。う〜む、勉強になるなぁ。
アイちゃんに恥をかかせる訳にはいかないのだ。なにしろ恩人だからね。もちろん隣には母さんもいて、熱心に聞いていた。
数時間、母さんと一緒に色々なことを教えて貰い、ありがとうございましたと、メイド長さんに頭を下げて感謝を示す。
「助かりました。どうしても知識が足りなくて」
「いえ、たいしたことは教えていません。数時間では重要な部分だけになりますからね」
母さんがお礼を口にして、メイド長さんが謙遜している姿に少し不思議に思っちゃう。だってメイド長さんは子爵家の方らしいし。侯爵家の召使いは皆、下級貴族出身らしいから、爵位を継げずに平民へと落ちてもプライドが高いらしいのに、そんな素振りはまったく見えないからだ。
侯爵家ともなると、召使いの人たちも教育が行き届いているんだと感心していたら、ドアを開けてどやどやと何人かがやって来た。
「ありゃ、みなしゃんいたんでつか」
てこてこと入ってきて、無邪気な声音で言ってくるのは、幼女であった。どうやら今日の書物確認は終わりみたい。ギュンターさんたちも一緒にいる。
このお屋敷で、魔物に関する書物を見させて貰っているらしい。平民と自称しながら侯爵家の人と普通に取り引きできるなんて、アイちゃんは凄い。
「なにをしていたんでつか? ララおねーしゃん」
無邪気な笑顔でトテトテとこちらへとやって来て、舌足らずな口調で話しかけてくるアイちゃん。お外では幼女っぷりが凄い。あまりの幼女っぷりに驚いたけど、これが普通なんだと思う。いつもが頭が良すぎるのだ。
たぶん周りへと演技をしているんだろうなぁ。さすがの私でもわかっちゃうよ。
そして、周りは見事に騙されていた。
「アイ様。書庫はお寒かったでしょう? なにかお飲みになりますか?」
お母さんよりも早く侯爵家の召使い……メイドでいっか。メイドさんが恭しく近づいて尋ねると、ニコニコ笑顔でアイちゃんはメイドさんの望んだ答えをしてくれる。
「そろそろおやつタイムでつからね。パンケーキとココアをお願いしまつ。蜂蜜た〜っぷりで。メイドしゃんたちもひと休みして、パンケーキとココアを食べてください」
「畏まりました。すぐに料理長へと伝えてきます。私たちは後ほど頂きます。お気遣いありがとうございますアイ様」
ヨッシャーという心の叫びがメイドさんから見える。これがあるから、アイちゃんのお世話係は熾烈な争いになっているそうな。たしかに気持ちはわかる。しかも一週間しか滞在しない予定なのだ。これを逃せばココアもパンケーキも口に入ることはないだろう。
私も恵まれているのだ。本来なら角砂糖一つ、金貨一枚はするんじゃないかしらと、シルさんが言ってたし。
ガイさんに聞いたら、子供はそんなことを気にしなくて良いんですぜと、笑われて言われたけど。
私もぼんやりとはしていられない。アイちゃんに近づき、なぜかボサボサになっている髪を直してあげる。
「アイ様。椅子に座っていただけますか? 髪を直しますので」
他家がいるので、丁寧な物言いで言うと、は〜いと長椅子にポスンと座り、ガツンと衝撃が返ってきて痛そうに顔を顰めるアイちゃん。自宅のふわふわソファと同じ感覚で座っちゃ駄目だよ。
「書物はよくわかった? アイさん」
「ビアーラしゃん、あの書物凄いでつね。羊皮紙の巻物にたくさん魔物の絵が書いてありまちた」
綺麗に書かれてたんでつと、私にも言ってくる。へぇ〜、私も少し見てみたかったかも。
「でつが、特殊攻撃や特殊能力については言及されていませんでちた……。旧型のだいたいは特殊な力を持たない古風な……新型になって多彩な……」
よく聞こえなかったけど、苦笑しながらなにかを呟くアイちゃん。なんだろう? 独り言かな。
アイちゃんたちが、会話を続ける中で、櫛でボサボサになったアイちゃんのおさげをといて、髪の毛を梳く。綺麗な黒髪でいつも艷やかだ。どうやったらこんなに艷やかになるんだろう?
スイスイと髪の毛を梳かしてあげながら、こんな凄い仕事をやることになるなんてと、ふと考えてしまった。
去年の冬は雪なんか降らなかったけど、寒さに凍えてお腹もいつもペコペコだった。服も古着のぼろ布で、お母さんと二人で身を寄せ合って寝ていたものだ。薪代もかかるしスラム街の人間にはそんな余裕はなかったし。
今は雪が降ったよと、近所の子供たちと遊び、寒くなったねと、公民館というところで笑顔で七輪の上で燻製肉を焼いて、おやつとして角砂糖を口に放り込み、甘いやと笑い合う。
寝るときも暖炉に火は入れっぱなしだし、ベッドも干し草ではない綿の暖かいお布団。起きるときに苦労をするのが難点だ。ぬくぬくいつまでもしていたいので。
そして、以前は銅貨を数枚手に入れただけでも嬉しくて、明日のご飯も食べれると考えていたのに、今は金貨のお給料が貯まったので、仕舞う場所に困るという贅沢な状態になっている。
アイちゃんにそれを伝えたら、自分たちの金庫へ一緒に半分預かっておきまつよと、預かってくれた。アイちゃんが誤魔化したり、横取りをする人間ではないのは知っているから、喜んで預けたものだ。
銀行がないと不便でつので、魔力認証の銀行カードが作りたいなぁ、ライトな異世界のチート技術が欲しいでつよと言ってたけど。銀行ってなんだろ?
そして王都から出ることは生涯ないと思っていたのに、侯爵家の領都に来ちゃっているし。他人から見たら、羨ましがる環境だね。嬉しいのは私たちだけでなく、知り合いの人たちも余裕ができて暮らしていること。
こんなことになるなんて、去年の私は想像もできなかった。もしも去年のまま、今年の冬を迎えていたら……。死んでいたかもしれないとゾッとする。王都もそうだったけど、雪に圧し潰された家屋を結構見るし。
薪代に食料代、雪で潰れない家屋……。うん、確実に命の危機であったろうことは間違いない。
今の暮らしがあるのは全部アイちゃんのおかげだ。もしも王都門で声をかけなかったとしても、きっとアイちゃんに助けられた人々の中に私たちはいたはずだ。
でも、あの時に声をかけたから、今はもっと幸せである。なにしろアイちゃんと友だちになれたし。
もう少し一緒に遊びたいんだけどなぁ。幼女なのに、アイちゃんはいつも忙しそうにしている。土遊びを定期的にしているけど、絶対にあれは土遊びじゃないから、一緒には遊べないし。
「アイ様、終わりました」
髪を綺麗に梳きおわり、おさげを編み終えて言う。可愛らしい幼女復活である。
「ありがとーございまつ、ララ。書庫でちょっとはしゃぎすぎまちた」
テヘへ、と頭をかきながら笑うアイちゃんは凄い可愛らしい。そして、癒やされる微笑みだ。
「アイさん、今日は晩餐会をするらしいけど、ドレスって持ってきた?」
「ドレスは持ってきまちたよ。しかしこの大変な時期に晩餐会をしなくても良いのに。きょーしゅくしちゃいまつ」
「あらあら、晩餐会を開催して、大歓迎をしていますとアピールしなくてはならなくなったのは、誰のせいかしら」
「なにかあたちやりまちたっけ?」
あたち、わかんな〜いと小首をコテンと傾げて不思議そうにするアイちゃんに、幼女ではわからないでしょうねと、侯爵夫人が苦笑をするが……。
私はアイちゃんはすべてを理解しているのではと疑っている。……というか、たぶん理解している。だって、他者がいない時は、幼女らしからぬ頭の良さっぷりを見せて、ガイさんたちに指示を出しているし。
警戒されないためなんだろうなぁ。まぁ、幼女がそれほど頭が良いなんてわからないか。
だが、だからこそわかるのだ。アイちゃんの指示によりスラム街は助かったのだと。私たちは飢えることも凍死することもなく暮らせていけるのだと。
私はそっと髪の毛を直すフリをして、アイちゃんの頭を撫でる。滑らかな感触が返ってきて気持ち良い。
「助けてくれてありがとうね。アイちゃん」
感謝の気持ちを込めて、大事な恩人へと、そっと呟くように伝えるのであった。
きっとこれからも人々を助けていくのだろう優しい幼女へと。