1話 おっさんの目覚め
高い所から墜ちる夢を見て、おっさんはガクッと身体を震わせた。歳を取ると、ガクッとなってしまうことが多くなり、そして物凄い恥ずかしい。
慌てて、なんでもないように大きめな声量で、うっうん〜と、誤魔化すために咳をするが、その誤魔化し方がまた目立つことを気づいてはいなかった。
私は意図的にガクッと身体を震わしたんだよ? 本当だよ? ちょっと寒かったんだよと、薄目を開いてさり気なく周りを見渡そうとして疑問に思う。
「あれ、俺はどこにいるんだっけ?」
なんとなく頭に靄がかかっている感じがする。ふかふかのソファに座り覚えのない上品な内装の部屋にいたのだ。
目の前には黒目黒髪の幼気な少女がテーブルを挟んで、ニコニコと可愛らしい笑顔をこちらに向けていた。
目の前の少女は女神様だ。なぜ女神様と断言できるかと言うと、肩にめがみと書いたタスキをかけているからである。それに何度も遠目に見たこともあるし。非常にフランクな女神様なので、なぜかホッと安心してしまう。
「目が醒めましたか? あ、カフェオレどうぞ」
どうぞどうぞと、ちっこいおててでカフェオレを勧めてくる。いつの間にか自分の前に湯気立つカフェオレがコーヒカップに淹れられて置いてあったので、どうもと頭をかきながら飲む。
女神様と話せたなんて、こりゃ仲間に自慢の話のネタができたなと、おっさんがカフェオレを飲みながら、あれ? と首を傾げる。俺はなんでここにいるんだ?
「ここに来る前になにをしていたか覚えていますか?」
優しい微笑みで尋ねてくる女神様を見ながら、どうしていたか思い出そうとする。
たしか……俺はウォーカーと呼ばれる行商人だ。未だに危険な地域の街や村へと物資を売りに行く30人程の小さな隊商のボスだ。最後に覚えているのは……。
「たしかドイツ地区に行く途中で、なぜか斥候に気づかれなかったゾンビの群れが現れたから、……しんがりをして仲間を逃したんだった!」
ソファから勢いよく立ち上がって叫んだので、ガタンとテーブルが揺れてカフェオレが零れそうになる。おっとっとと、女神様がコーヒーカップを持ち上げて溢れるのを防いでくれた。
隊商はオタクだった自分が死にそうな目に何度も遭いながらも苦労して作った家族のようなもの。死人を出す訳にはいかないとしんがりを努めて、銃弾が尽きるまで戦い、もはやこれまでかと腹を括ったのだが、そこからの記憶はない。
と、すると答えは一つ。救世主たる目の前の女神様へと、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! 助けてくださったんですね。是非帰ったらお礼を」
「あぁ、お礼は結構です。それに帰るかどうかは、今からの話を聞いてからにしてください」
慌てるように手を顔の前でぶんぶんと振る女神様に、照れてるのかなと、おっさんは思ったがどうも様子が違う。帰るかどうか決めるだって? どういうことだろう。
疑問に思う中で、女神様は優しい目でこちらを見つめながら語り始めてきた。なぜおっさんがここにいるのかを。
「実はですね。貴方は嵌められました。ゾンビの群れは意図的にある者から姿を隠されて潜伏していたんです」
「え? 俺は誰かに嵌められた?」
誰だ? 隊商の仲間は信じられる。過酷なウォーカーなんかやっているのだ。裏切りは死であることはわかっているはず。仲間割れをした結果は化け物の腹の中と相場は決まっているのだ。だとすると、誰が?
「始原の……。う〜ん、他の世界の神様です。情報弱者って怖いですよね? 崩壊前の平和な文明の進んだ世界のままだと、管理者がいない世界だと思った他の神様が貴方を殺す寸前にして、肉体を与えるから異世界に来ない? と、肉体を変化させたのに、いかにも新たな肉体を与えた偶然を装う善神として接触するつもりだったみたいですね。ゾンビで溢れかえる世界のどこらへんが平和だと考えたのか……」
まぁ、細かいことを気にしないのが神様ですからねと、女神様は肩をすくめて呆れたように言う。
同意である。平和な世界なんて残っちゃいない。だが生き甲斐を感じさせる世界になったとも、俺は強く考えている。ニートだった俺……。それが今の俺を見たらいきいきとしていて驚くに違いない。
「どうやら停滞してまったく進まない文明を進めるために呼ぼうとしていたみたいですが、そんな神様はお仕置きとして、パンチで消滅させておきましたので安心してください。で、ここからが提案です」
ていていっ、と可愛らしい仕草で赤ん坊も倒せないような弱々しいパンチを宙で振るいつつ女神は悪戯そうにこちらを見る。
……なんか、さり気なく怖いことを言うな……。たしかに身内に甘く敵は容赦しない女神様だが、パンチで消滅ね……なるほど。
しかし異世界転移とは懐かしい。まだ世界が平和だった俺が若いときに流行った小説のテンプレだ。
大人しく話を聞こうと、おっさんはソファへと座り直す。それを見た女神様は指をこちらへとさしてきた。
「実は間に合わなくて、貴方の肉体は変化させられてしまいました」
ん? 変化? と首を傾げる俺にいつの間にか手鏡を持った女神様が手渡してくれる。自分を見ろというのか?
恐る恐る手鏡を覗くと……そこには金髪碧眼の二枚目の若い男の顔が写っていた。
「なんじゃこりゃ? 俺は日本生まれの黒髪黒目のおっさんだぞ?」
再びソファから立ち上がって、テーブルをまたも揺らしてしまう。おっとっとと、女神様がコーヒーカップを持ち上げて溢れるのを防ぐ。
「そうなんです。私が気づいた時には肉体を変化させられていました。でも元に戻せるんです」
「なんだ、脅かさないでくださいよ。それじゃ、すぐに戻して」
「そこで提案です。仲間を命懸けで助けた貴方。懸命に生きてきた貴方。もう歳のいったおっさんの貴方。人生を異世界でやり直しませんか? お詫びとご褒美みたいなものです。どうやら貴方は身内に甘く、敵には容赦しない狡猾な人間。私に似てもいますしね」
「人生をやり直し……? う〜ん……」
腕を組んで考え込む。ニートだった頃は一もニもなく頷いていたが、今の俺は危険な旅を仲間と共に生きるのを楽しんでいる。……が、もう歳だしなぁ。
若返ることと、新たな未知の場所へ行けることも、魅力的だ。
「仲間とのお別れはちゃんとできます。ただし、異世界に行くなら転移の際に仲間の名前は記憶から消させて貰います。ホームシックは親しい人の名前から始まるものなので」
「至れり尽くせりですね。う〜ん……」
「異世界ではもっと大きなことをしても良いですし、スローライフの名のもとに、やれやれ俺はまたなにかやっちゃった? と叫んでも良いですよ?」
どうします? と可愛らしい顔で見つめてくる女神様はどちらでも良さそうだ。そうだな……こんなチャンスはもう無いだろうし、そろそろ隊商は後継に任せても良い。危険な職業なので結婚はできなかったが、後継はしっかりと育ててきた。
「あっと……俺がやることは悪いことも含まれるかもですよ? 人死にがでると思いますし」
少しばかり、だいそれた夢が俺にはあった。子供っぽい厨二病と昔に言われていた夢。
一応女神様へと確認しておく。その夢を叶えようとすれば、大勢の敵ができるし、戦いは必ずあるからだ。
だが、女神様はまったく気にしなかった。カフェオレをクピリと飲んでニッコリと笑う。
「構いませんよ。貴方が転移するのは先程伝えた神様の世界。一応最低限の維持はしておきますが、めちゃくちゃになっても、それは消滅した神様のせいなので。好きにやっちゃってください」
そのまったく異世界のことを気にしない無邪気な微笑みに、少しこえーなと冷や汗をかきながらも、その言葉で決心がつく。
女神様は悪戯好きだが、身内に甘い。俺は身内だ、嘘は絶対につかないだろう。
「わかりました。お受けします。いえ、是非行かせてください。お願いします」
膝に両手を乗せて、深々と頭を下げる。もう歳だ。若返るのならば、もうひと花咲かせたい。今度は結婚もできると……いや、女遊びは散々やってきたし、結婚したら夢を諦めてしまうだろうから、いらないか。
「わかりました。わかっちゃいました。貴方の願いを聞き届けましょう! えっと、猿の手を使います?」
フンスと鼻息荒く平坦な胸を張りながら、嫌な提案をしてくる幼気な女神様に、彼女の欠点を俺は思い出した。
この女神様は優しいが、悪戯好きで……そしてアホなのだ。その二つが合わさって、とんでもない目にあったと言っていた人間の話を聞いたことがあるので、慌ててしまう。
「猿の手ではなく、えっと女神様に叶えて欲しいんですが……」
「ええっ、その方が良いですか? 猿の手がないので狐の手にしようと思ったんですが。お手」
またもやいつの間にか女神様は膝の上に子狐をのせて、お手をさせて嬉しそうに肉球をプニプニと触りながらこちらを見てきた。いや、狐の手は聞いたことがないよ? なんで狐の手?
ツッコミどころ満載だが、可愛らしい少女が嬉しそうにしていると、どうにもやりにくい。これが爺さんとかなら、すぐに叩くのだが。
お願いしますとの俺の言葉に、なるほど私を頼るんですねと、滅多に頼られない人が頼られた時のように、輝く笑顔を女神様は浮かべてくる。
なので、おっさんはどんよりと不安を感じて暗い後悔した顔を浮かべる。間違いだったかも。猿の手の方がマシだったか?
「では異世界転移は確定で。姿は元に戻しておくのでお別れ会を仲間の人たちはしてくれると思うので一週間後にまた会いましょう」
またね〜と手を振りながら、笑顔で気を使ってくれる女神様に、本当に至れり尽くせりだなぁと、その厚遇ぶりに少し申し訳なく思うのであった。
そして、あっさりと一週間が経過して、財産分与や親しい人たちとの別れを終えて、おっさんは帰ってきた。目を赤くして泣いたのがわかる。
親しい人たちは女神様の言葉ならと信じてくれて、涙ながらに見送ってくれたのだ。しんがりを努めて死んだと思った団長が戻ってきたと驚きつつも喜び、その団長が異世界転移をすると聞いて、二度驚いていた。
「どうやらお別れはすんだみたいですね」
一週間が過ぎて、またおっさんはいつの間にかこの間の家へとテレポートしていた。既に女神様は待っていてくれたので、赤い目に気づかれないよう嘯く。
「あいつらは俺がいなくてもやっていけます。別れの時間を頂いてありがとうございました!」
「いえいえ、お気にさらずに。私も貴方にあげるチートスキルはなんのスキルが良いか、暇で暇で仕方ないときに、少しだけ考えていましたので」
暇な時? ……ま、まぁ、女神様はお忙しい。仕方ないな、うん、仕方ない。常に危機に瀕した時の直感が警報を頭の中で鳴らすが、もうまな板の上のおっさんだからと、不安を押し隠す。
「では、貴方に差し上げるスキルは〜。ダララララ」
擬音を口ずさみながら、女神様は立ち上がって手を掲げてヒラヒラとアホっぽい踊りを始める。
勿体つけるその様子におっさんが喉をゴクリと鳴らし、解答を待つ。
「パンパカパーン! 古代、現代の共通語読解能力です。おめでとうございま〜す」
満面の笑顔でチートスキルを発表する女神を見て思う。
ヤバイ、ハードモードの異世界だ、これ、と。