『殻』に入った小さな罅(加筆版)
(1)
「ねぇ、このブラウスなんてどうかしら??」
細長いスタンドミラーの前に立たされた私は、胸の前でシフォン地のフリルブラウスをメアリさんに宛がわれています。メアリさんは私の数少ないお友達で、艶やかなブルネットの髪、モデルと見紛う程の長身を誇る美人さん。どうしてこんな綺麗なお姉さんが、私みたいなチビで垢抜けない人間と仲良くしてくれるのか、未だに不思議です。
それはともかくとして、今日はそのメアリさんに「知り合いが働くアパレル会社のファミリーセールに行ってみない??」と誘われたのです。折角のお誘いなのに、どうして無下になどできましょうか。
ところが、お誘いに浮かれていた私は、自分がオシャレとは無縁の人間だということをすっかり忘れていたのです。
セール会場は寂れたオフィス街の一角に建つ、鉄筋コンクリートの古いビルで、入り口の自動扉を潜ると受付係の女性が来場客を迎え入れていました。
高そうなスーツを着た女性の上品な笑顔、言葉遣い、洗練された物腰につい肩に力が入ってしまいます。メアリさんの背中に隠れるようにして受付を済ませると、共に階段を上がってセール会場へ足を踏み入れました。
ワンフロアを貸し切った会場のコンクリート壁は淡いピンク色のパーテーションで覆い隠されていました。ハンガーに掛けられたトップス、アウター、ワンピース、ボトムス等々がラックごとに分かれ、靴、鞄、アクセサリーが各陳列棚に並んでいます。場内BGMは落ち着いたジャズが流れ、受付同様販売員の女性達も来場客も――、私以外の、ですけども――、皆、服装も髪型もメイクもばっちり決めたオシャレな人ばかり。
猿っぽいベリーショート、ゆったりと大きな黒無地パーカーに黒無地ロングスカート、履き古した黒いスニーカーという、セールじゃなくてサバトにでも行くのかと突っ込まれそうな格好、私一人だけですよね……。何も考えず、適当にクローゼットからこの組み合わせで引っ張り出した数時間前の自分を呪いたい……。
居た堪れない気持ちでいっぱいの私とは反対に、メアリさんは鼻歌混じりでラックから次々と服を手に取っていきます。自分のではなく私の服ばかりですが。
「う、うん、かわいい、とは思います、けど……」
「けど??」
「私、顔は地味な癖に胸だけは無駄に大きいので、前開きのブラウスはちょっと……」
「あぁ、だからいつも男物の大きすぎる服ばかり着ている訳なの」
羨ましい悩みねぇと笑いながら、メアリさんはパーカーに隠された私の胸元を注視します。『それってイヤミ??』とか言ってこない辺り、大人の女性は違います。
「じゃ、これは??背中ファスナーだけどバスト周りがかなり余裕あるし、エイミーに似合いそう」
シフォンブラウスに代わって鏡の前で新たに宛がわれたのは、目が覚めるようなブルーグリーンの地色に白い小花柄が散ったスクエアネックのワンピースでした。
「エイミーの赤毛とも合うし、色白の肌にも映えそうじゃない??スカートも膝丈だから短くも長くもないし」
「でも……、私が着るにはちょっと……」
全体に散った小花柄、パフスリーブ、胸元を飾るリボン、袖口、裾にあしらわれたレースが少女趣味というか、私には少々可愛すぎるというか。髪型といい地味な顔立ちといい、私には到底着こなす自信がなかったり……。
「そうかしら??エイミーはふんわりとした優しい雰囲気だから、女の子らしくて可愛い服が似合うと私は思うけど。ま、とりあえず着るだけ着てみたら??」
胸に抱えたワンピースとメアリさん、何度も交互に見比べてはしばらく迷っていました。服を選ぶ時は胸を隠すことばかり考えていましたし、子供の頃、母に『貴女には可愛い服が似合わない』とはっきり言い切られたことも――
「さ!試着室入って!!」
気持ちが沈みかけたところで、痺れを切らしたメアリさんに試着室へと強引に押し込まれてしまいました。
「絶対エイミーに似合うと思うから!もっと自信を持って!!」
カーテンを閉める際、期待を籠めた眼差しでメアリさんは笑いかけてきました。きらきら輝く笑顔を前に、私は腹を決めてこのワンピースを着るしかありません。
でも、カーテンを開けた時のメアリさんが果たしてどんな反応を見せるのかが、楽しみなような、怖いような。背中のファスナーを引き上げるのに悪戦苦闘しつつ、私の胸も不安と期待で大きく高鳴っていました。
(2)
自宅アパートのスタンドミラーに映る私は、あの時以上に緊張した面持ちでいます。
髪はベリーショートからセミロングに、素顔ではなく薄化粧をした私はあの時よりもずっと、垢抜けた雰囲気に変わった筈なのですが。
「二年前の服だけどデザインも柄も流行に影響ないものだし……、問題ない、よね??」
不安が先立ち、足元に座り込むヴィヴィアンに同意を求めたところ、気がなさそうにぷいと顔を背けられてしまいました。うぅ……。
だって、好きな人からデ、デートに誘われたのですよ?!
いえ、今までもそれらしきことをするにはしていましたけどね。でも、あれはストーカー対策の一環だった訳ですし、カウントするのは少々、だいぶ烏滸がましいと思うのです。
メアリさんに『凄く似合ってる』って絶賛されて買ってみたものの、勿体なくて今までクローゼットのこやしにしていたブルーグリーンの花柄ワンピース、今も似合ってるでしょうか。
道行く誰もが振り返る、あの人の隣に並んでも違和感ないでしょうか。
可愛らしいワンピースを着たのですから、暗い顔していてはいけませんね。
折角の機会、もしかしたら最初で最後かもしれないですし、とにかく楽しまなきゃ……!
(了)




