表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武田の鬼に転生した歴史嫌いの俺は、スキルを駆使し天下を見る  作者: こまめ
第3章 第二の、転生 (1546年 2月〜)
76/188

第七十二話 一局の、価値

 五月二十二日


 内山城での戦から二日後のこと。

 板垣は貞清の一件の後、晴信の許を訪れていた。


 「信方、儂と将棋を打て」

 晴信の座る前には、八十一の升目ますめが書かれた木の板。その上に、駒が並べられている。

 板垣は何も言うことなく、盤の前に座る。晴信が何を考えているのか、彼は知る由もない。


 「では、始めようぞ」

 間髪入れず、勝負は晴信の先手で始まる。

 交互に打ち合う際に鳴る乾いた音が、広間に響く。

 「懐かしいのお、碁はよく嗜むが、将棋は我が父と指した以来じゃ」

 笑みを浮かべる晴信。依然無表情を貫く板垣。

 そんな晴信の言葉の直後、板垣は自身の駒を動かし、口を開いた。


 「貞清殿の降伏を受け入れた後、貞隆殿をどうなさるおつもりですか」

 晴信の手が止まる。途端に肩で笑い出した彼に、板垣は目を細める。


 「信方、其方もしや、儂があの男を買っておると、そう思っておったのか?」

 「……それは、どういう意味で?」


 晴信は俯く。板垣の傍に置かれた茶に、波紋が広がる。


 「此度の戦は、降伏という形をとっただけじゃ。

  故に、貞隆を解放してやるつもりは無い」

 「殿……?」




 俺にかける冷たい声。俺に対する冷たい視線。

 そして板垣は気づく。彼は貞清を〈唯の〉だと思っている事に。




 「全く愚かな男よ、儂を信用しきっておるとはな。儂は奴のことを〈何とも思っておらぬ〉というのに。

  はっ、まんまと儂の思い通りになってくれたわ」


 晴信が盤に打つ駒の音が、響く。

 雲で隠れ、二人の間の影が消えてゆく。脇息に肘をつく晴信は、固まる板垣にほくそ笑む。

 「のう、お主ならば分かってくれるであろう?信方」

 板垣の頬に、一筋の汗が垂れる。


 板垣の駒を持つ手が、震える。

 指した瞬間、晴信は言った。

 儂の勝ちだ、と。


 板垣は我に返り、盤上を確認する。

 自陣の隅に在る王将。その前に置かれた歩。歩の背後には金が隠れ、逃げ場がない。

 所謂、〈詰み〉というやつである。


 「油断したな」

 高らかに笑う晴信に対し、板垣の身体は震えていた。


 やはり、此の男の考える事は恐ろしい。

 晴信かれは、己の考えを伝えるのと引き換えに、筆頭家老である板垣を晴信こちら側へ引き入れることで、自らの考えをばらされる危険リスクと責任を、極限にまで下げる手段に出たのだ。

 恐らく、晴信からこの件を自ずと口にすることは無い。故にもし広まってしまえば、板垣に全ての責任がのしかかって来る。


 板垣の笑みは、何処か引きつっている。

 晴信の中に潜む一面を、彼は垣間見ていた。




 


 【武田家城下・山本晴幸屋敷】


 「今戻った」

 「お待ちしておりました、晴幸殿」


 屋敷に戻った途端に、俺の衣にしがみつく若殿。

 無事を祈っていた彼女に感謝の意を述べつつ、俺は彼女の頭を撫でる。

 彼女は俺の着物の袖に顔をうずめ、安堵した様に息を吐いた。

 「あたたかい、晴幸様のにおいがします」

 「当たり前であろう、儂なのだから」

 俺は彼女の発言が可笑しくなり、微笑する。


 若殿は、強い女子である。

 決して屈することなく、乱世を強かに生きている。

 当たり前の日常、死と隣り合わせの日常を。

 少なくとも、俺が過去に生きてきた現代社会においては、生や死を実感できる場面は無かった。


 飯を食べること、眠ること、働くこと。

 この時代に来て、俺は幸せの定義を見誤っていたと感じる。

 今を生きる、呼吸が出来ていること。

 己自身の身体じゃなくとも、今なら十分幸せなことだと思える。

 

 



 「晴幸」


 縁側へ座る俺の声に、晴幸は応える。

 今まで聞きそびれていたことを、この機に訊ねようと思った。

 「儂は、強き男か」

 予想外の問いだったのか、晴幸は高らかに笑い、首を横に振る。


 「其方は優しすぎる。

  其れは自身が傷つけられることを、酷く恐れておる証拠であろう。

  ただ頼重の様に、其方の優しさの御陰で、救われる者が居るのは確かじゃ」


 そうかもしれぬな、と俺は笑う。

 確かに昔の俺は、人の顔色ばかりを気にして生きてきた。

 周りの機嫌を取り、自分に不利益な事も進んでおこなった。

 其れが誰にしも悪いとは言えないが、それが良い生き方だとも思えない。


 自分に素直に生きる人が、優しくあることは難しい。

 しかし、俺にとっての心地よい生き方は、優しくあることにある。

 たとえそれが、単なる偽善だと否定されようと、

 俺は己の生き方を貫きたいと、そう思う。


 「無論、儂は其方の生き方を止めるつもりはないがな」

 「忝いな、晴幸」



 俺と晴幸は同じ場所で、夕陽が西の空に溶け込む様を、ただ静かに眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ