第六十八話 本物と、偽物
今回の御話は、少し頭を使うかもです。
足音が聞こえ、若殿は玄関へと向かう。
今日は少し帰りが遅かった。その理由を問おうとしたが、若殿は不意に言葉に詰まる。
俺の後ろに立つ存在に、彼女は警戒の姿勢を見せた。
「若殿、儂は居間にて此の男と話をする。其方はもう床につくと良い」
見知らぬ男は彼女に微笑む。俺は彼について唯の〈新参者〉とだけ伝えた。
囲炉裏を挟み、腰を下ろす二人。
中心で揺らめく火。それを眺める二組の目。
まずもって口を開いたのは、幸綱である。
「......さて晴幸殿。其方の持つ術とは何じゃ」
「えらく唐突じゃな……儂はまだ其方を警戒して居る、故に答えたくは無い」
真田幸綱、彼の持つ術も同じく三種類。
それも俺とは全く異なる効果を持つ。そこまでは分かるが、それ以外は何も分からない。
相手の出方を探っている段階では、いくら同じ武田の家臣とて、迂闊に口走る事は出来ないものだ。
「心外じゃな、儂を敵と見ておるのか?いや、仮にそうであれば、屋敷内に招くことなどなかろうに」
幸綱の言葉に、俺は彼を睨む。
『拙者には分かるのだ。
御前の寿命も、心の中も
見えておる世界も、全てな』
どうやら真田幸綱の持つ一つ目の術は、《他人の心を読む術》で間違いない。
他人の目を見る事で、その対象の思考を読み取る。いわばそれだけで敵の素性や性格、行動までもが手に取るように分かるはずである。ならば山本晴幸という男の中に別の人間がいる、術 の存在を肯定して仕舞えば、それがばれる事に何もおかしな点は無い。
敵にすると厄介な術にもなりうると、俺は目を細める。
「……何故儂に対し、自ら素性を晒そうとする?」
幸綱の術がどうかという以前に、一番の疑問はそこにある。
俺の言葉は、当に自身は敵だと公言している様なものだ。
対し幸綱は俯き、ただ力を貸してほしいだけだと呟いた。
「其方にとって儂は、敵なのやもしれぬ。
しかし儂は其方を味方だと思っておる。故に語るのだ。
それに先程も申した通り、其方は儂を屋敷に招き入れてくれたではないか。
それは同じ境遇の儂を信じていたからではないのか」
俺は黙り込む。
今までなら、見知らぬ男を屋敷に招き入れるなんてマネはしなかった。
それも、己の中に潜む慈悲の心が生んだ行為なのだろうか。
情けないものだと苦笑しつつ、己を諫める。
「......案ずるな。儂が何をし、何を為してこの時代へ辿り着いたかも、いつか其方に伝えるつもりだ。例えそれが本物であろうと、偽物であろうとな」
笑う幸綱。彼の表情を見て俺は沈黙を貫く。
此の男は、転生者を〈偽物〉と称している。
本物はいつも一つだけ。しかし、儂は自身が偽物だとは思わない。
俺とて、山本晴幸という男の一部であることに変わりない。
だとしたら、本物とは一体、どちらのことを指しているのだろう。
まだ、火は燃え続けている。
再び眺めつつ、俺は微かに目を細めた。
灯が作り出した小さな影に、吸い込まれるような錯覚を覚えた。




