第六十七話 僻み、正体
それから、過ぎること一週間。
真田幸綱という男には、依然謎が多い。
誰に対しても優しく、俺と違って明るい性格。
そのうえ重臣の名や仕事内容を一度聞かせると覚え、家中の者を驚かせる。
皆が持つ、彼に対する自己評価は高く、今では誰にでも好かれる存在と成り上がっている。
実を言えば、俺はそういった人間が最も苦手である。
まるで社会の縮図というものを見せつけられている気分になるからだ。
ただ彼と接する機会が存在しなかっただけ、運が良かったと言える。
幸綱は元々信濃の豪族である海野家の子で、海野平での戦に敗れ、上野国へと逃れた身だという。そこでどういう訳か、ある人物の推挙もあってこの武田へと足を運んだようだ。
俺にはどうも、彼の計算高さが目に付いてしまう。
偏屈なのは重々承知だが、自分の中に芽生えた印象は中々変える事が出来ないものだ。
少なくとも武田に仕える事が、彼にとって利のあるものだと分かっている上での行動なら、俺は彼に最低限の尊敬の念を示しつつ下手に近寄る事はしないだろう。
「真田幸綱、か」
「何か知っておるのか」
夕日が空を橙色に色づける下で、晴幸は腕を組む。
何も知らない。彼の心の声が頭の中に響き、俺は溜め息を吐く。
何故だろうか。少しも干渉など無かった筈なのに、今までの暮らしが幸綱によって狂わされているように思える。
当たり前の事だが、晴幸はそんな俺の感情を理解してはくれなかった。
理由は言わなくとも分かるだろう。干渉などしていない以上は、唯の僻みに終わってしまうからである。
夕食を食べた俺は、直ぐに屋敷へ戻ろうと立ち上がる。
縁側へ出る俺の目に映るのは、揺らめく灯の向こうから此方へ歩む女性の姿。
「御料人様」
俺は直ぐに傍へ寄り、道を開ける。
「貴方は山本晴幸殿、にございますね」
「は」
端的な返答に笑む御料人は、俺を彼女の寝室へと案内する。
俺は少し気まずさと恐れ多さを感じながらも、その場に腰を下ろした。
「殿には恩があります。
頼重殿を最期まで守って下さろうとした其の御気持ち、誠に嬉しゅうございました」
俺は何も口にはせず、ただ彼女の話を聞く。
彼女の言葉に、嘘は無いように見えた。
彼女はもはや諏訪の人間では無く、武田の人間。それは誰しも理解出来ていること。
しかし、彼女は迷いを捨て切れずにいるという。
諏訪と武田の間で揺れ惑う姿を、俺は傍で垣間見ていた。
「殿はまだ御若く、悩みの尽きぬ御方にございます。此れからも殿のことを、どうか御守り下さい」
俺は深々と礼をする。
それはどうだろうか。
晴信を守る、それは己に与えられた役目ではない。
己の役目はあくまで、戦に勝つ為の策を講じるのみ。
晴信の身を守るのは、俺ではない。
しかし、俺は決してそれを口には出さなかった。
部屋を後にする俺は、背後から声を聞く。
「これはこれは、山本晴幸様にございますな。
偶然ですね、このような場で出会うとは」
言った傍から現れたのは、俺が毛嫌いする男。
変な所で出会ったものだと、俺は苦笑してみる。
「晴幸様の御話は耳にしております。
何やら信濃の諏訪頼重殿相手に大勝したと」
「大袈裟じゃ、大勝という程のものではない」
幸綱は何故か、歩く俺の後を付いて来る。
その様子を鬱陶しく感じながらも、何も思っていないふりをする。
俺の言動に偽りはない。我らが手をかけたのではなく、頼重は自ずと死んだのだ。
戦の勝利条件というものは幅広く、敵の自害すらも勝ちと言えてしまう所、あらぬ誤解を生んでしまうのも頷ける。
「晴幸様、一つ御伺いしても宜しゅうございますか」
「……何じゃ」
俺は立ち止まる。同時に彼も歩みを止める。
そんな二人の間に、静寂が広がる。
「晴幸様は、拙者と同じ匂いがします」
「……同じ匂い?」
幸綱は頬を緩ませ、俺の一歩手前まで近づく。
「拙者と晴幸殿は似ております。
それに晴幸殿は、拙者には無い物を持っておられる」
「ゆきつな、どの?」
その時、幸綱の表情が変わる。
「動揺したな、山本晴幸」
次の瞬間、幸綱は突然俺の胸ぐらを掴む。
「っ!?」
其のまま勢い良く、地へ押さえつけられた。
「な……っ!?何をするっ!?」
「御前、山本晴幸では無いな」
幸綱は、鋭い眼光で笑う。
先程までとは程遠い、冷たく低い声。
「拙者には分かるのだ。
御前の寿命も、心の中も
見えておる世界も、全てな」
何を、言ってる?
その時、俺はようやく悟る。
まさか、信じられる筈が無かった。
しかし、その仮説は、彼の言葉で立証される。
「正直に申せ。御前も持っておるのだろう、
〈三種の特別な力〉を」
状況を理解した俺は、目を細める。
ああ、やはりそうだ。元からおかしいと思っていたが、そういう事だったか。
西の山に陽が沈んでゆく。俺の身体は徐々に硬直し、震え、熱くなってゆく。
間違いない。この男はー
その時、俺の心臓は大きく鼓動を打つ。
正気を失った状態から息を吹き返したかの様に、確信めいた口調で彼に言う。
「場を変えようか」
幸綱は真顔で俺の表情を見ている。
晴幸の目は、先ほどと打って変わった、紅く鋭い光を帯びていた。
如何して、直ぐに気付けなかったのか。
この男は我等と同じ、
未来から此処へやって来た、〈転生者〉だということに。
第二の、転生〈者〉




