第六十六話 実力、拝見
城へと足を踏み入れる俺が、先ず感じた違和感。
何やら、城の中庭あたりが騒がしい。
足を運んでみると、其処には家臣が取り囲む様に、二人の男が対峙していた。
晴信の側仕えを担う男と、見たことのない風貌をした人物。
ぼろの召物に藁の草履、あちこちに髭を生やす。
言うなれば、一見頼りなさそうな男。
あれは
脳裏に浮かぶのは、弥兵衛が口にしていた言葉。
俺は瞬時に悟る。もしや、あいつが武田への仕官を望んでいる男なのか、と。
「此度は一本勝負で事をつけるらしい」
「何にせよ、あの小汚い男が勝てる筈無いわ。
はは、それにしても馬鹿な男じゃ。今頃後悔しておるぞ。
〈剣術に心得がある〉などと申さねば良かったものを」
何処からかそんな会話が聞こえた。
なるほど、如何やら晴信はあの男の持つ剣の腕前を見定めるつもりだ。
いつもの通り、新参者に対しては、吟味の過程が抜かりない。
しかし此れではっきりした。あの男はやはり、弥兵衛が口にした〈妙な男〉だ。
ただ彼の纏う召物は、他国に仕官を申し出る際の格好ではないと、心の中で指摘する。
それにしても、晴信は新参者相手に無茶なことをさせるものだ。
俺には、彼がこの関門を突破できる様には思えなかった。
相手に迎える側仕えの男は、武田家中でも三本の指に入る剣術の持ち主だ。どうも相手が悪すぎる。
変に言えば、〈許より晴信は、此の男を家中に迎える気はないのではないか〉とも思えてしまう。
「互いに、前へ」
掛け声に、両者は木刀を片手に礼し、一歩歩む。
側仕えの男真剣な眼差しを浮かべる。
対する〈妙な男〉は、依然笑みを浮かべているだけ。
何故この状況で笑って居られる?其れ程己の腕に自信があると言うのか?
俺は、横から覗き込むように彼の目を見る。
「......は?」
その瞬間、俺は己を疑った。
「始め!!」
合図と同時に、地を蹴ったのは側仕えの男。
彼にとって、新参者との勝負に負ける訳にはいかない。
はなから一気に先手を打ち、事を済ますつもりだった。
振り上げた木刀は、〈妙な男〉めがけ、弧を描く。
「決まった、か」
その瞬間、目の前の事象に、皆が己の目を疑った。
地に伏せ倒れたのは、側仕えの男。
彼は腹を抑え、悶えている。
〈妙な男〉はただ目を細め、倒れる彼を見下ろしていた。
「ど……どうなってる?」
その場に集う者は、皆揃って偶然を信じただろう。
しかし、俺は違う。俺だけは違った。
セントウ 二八四一
セイジ 一八五〇
ザイリョク 四六三
チノウ 一九九八
俺はごくりと唾を飲む。
飛びぬけている。いや、〈飛び抜け過ぎている〉。
あの石井藤三郎をも遥かに凌ぐ戦闘能力。
そして、知能も約二〇〇〇という値を叩き出している。
戦闘能力の値が二〇〇〇に迫る側仕えの男さえも、
一瞬、それも一撃で倒されてしまった。
俺には彼が、同じ人間だとは思えなかった。
「確かに速い、しかし、それだけでは足りませぬ」
〈妙な男〉の言葉に、側仕えの男は歯を駆使張り、拳を握る。
見るからに、刀捌きの速度は藤三郎と同等、しかし、正確さの点で彼の剣術は抜き出ている。
俺は〈妙な男〉に、興味関心を覚える。
名は何だ?何処から来た?
御前は一体、何者なんだ?
晴信は驚きの顔を見せつつも、見事だと一言。
しかし、事は其れだけでは済まなかった。
「面白い、某が相手致しましょう」
其処に現れたのは、齢五十を超える一人の男。
「殿、この男と一度
手合わせしてみとうございまする」
「......ああ、やってみよ」
途端に、晴信の表情が変わる。
〈妙な男〉は彼の前に立つ男を見て、こう言った。
「貴方様は、どうやら御強いようだ」
春風が吹く。両者の着物の袖を揺らし、葉が宙を舞う。
その中で、男はふと優し気な笑みを浮かべる。
俺は其の男を知っている。
男の名は塚原卜伝。武田家随一の剣術の師とされている。
そんな彼が自ら手合わせを願い出るのは、至極稀な出来事であった。
両者は先程と同様に向かい合う。
静寂の中に聞こえる、木々の揺れる音。
其れを切り裂く様に放たれた、開始の合図。
「来てみなされ」
「言われずとも」
〈妙な男〉は刀を構え、一瞬のうちに男の正面へ立つ。しかし男は動きを予測していたかの如く、刀を縦に構えていた。
交差した刀の先が、甲高き木の音を立ててぶつかり合う。
「其方の剣術、しかと儂に見せてみよ……!」
そう言った卜伝は刀を上方向に弾き、彼の顔面に向け剣先を刺す。
〈妙な男〉は重心を反らしながらも避け、直ぐに立て直そうと二歩下がる。
しかし、卜伝は其れを許さなかった。直ぐに次の攻撃を彼に仕掛ける。
其れを防ぎつつ、距離を縮める〈妙な男〉の目は、鋭い。
周りの者はいつの間にか、目前の勝負に釘付けとなった。
卜伝は五十を超えているとは思えない速度で、〈妙な男〉に襲い掛かる。対する〈妙な男〉も其れ等を間一髪ながら防ぎきっている。〈妙な男〉は防戦一方。しかし常人には、卜伝に対して此処まで防ぎ切る事すら難しい。
「ふんっ!!」
「っ!?」
卜伝の渾身ともいえる一振りに、遂に〈妙な男〉の手から木刀が離れる。
勢いがついていたのか、其れは数秒間宙を舞い地に落ちる瞬間、晴信は叫んだ。
「止めよ!」
両者は動きを止める。からんと音を立てて落ちた木刀を見て、彼は立ち上がる。
呆然とした〈妙な男〉の表情を見つつ、頬を緩ませた。
「我が師、塚原卜伝殿に対し、よくぞ此処まで戦った。
真田源太左衛門幸綱、そちの器量、真と見た。
約束通り、其方を召し抱えよう」
幸綱は状況を理解したのか、地に膝をつき一礼する。
卜伝はそんな彼の様子に何も言うことなく、その場を去った。
勝負は終わった。
彼の表情に喜びは無かった。
むしろ悔しがっていた。理由は言わずとも分かる。
勝てなかった、勝ちきれなかったからだ。
〈妙な男〉、真田幸綱。
やはり、不思議な男だ。
俺は彼に対し関心を抱いた半面、
彼の中にある、何処とない違和感というものを感じていたのだった。
次回、違和感の正体




