第六十三話 晴信、謳歌
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お待たせしました。転機の第3章、どうぞ最後まで宜しくお願いします。
時は戦国時代。
人々が武器を持ち、領土拡大を目指し争う戦乱の世。
歴史好きならば、誰もが一度は憧れるであろうそんな時代に、
現代で何不自由なく生きてきた「俺」は、十数年前、突如として飛ばされた。
それも俺の身体では無く、〈山本晴幸〉という名の他人の身体として。
俗に言う、〈転生〉というやつである。
先の戦から月日が流れ、一五四六年二月。
甲斐へ来て、実に三年の月日が経つ。
この時期に降り積もる雪は、次第になごり雪へと変化する。
俺はその様を、何も言うことなく見ていた。
「晴幸殿、茶を淹れました」
「あ、ああ。有難う」
若殿の声に、俺は振り返る。
温かい茶を飲み、二人は白い息を吐いた。
縁側に、シンメトリーを形成した雪の結晶が、落ちては溶けてゆく。
もうじき春が来ると、俺は呟く。
きっと今年も、寒さを乗り越えた桜が花を咲かせる筈だ。
実際に目にした訳では無かったが、甲斐の桜は一品だと、村の者から耳にしたことが有る。
若殿には是非とも、見せてやりたい。
「笑っておいでですか?」
若殿の問いに、俺は首を振る。
とにかく今は、その時までの秘密にしておこうと心に決め、若殿には何も言わないことにした。
午後、飯富虎昌に呼ばれた俺は、しんしんと降り積もる雪を踏みながら彼の屋敷へと赴く。
凍えそうな俺を迎えた飯富は、一杯の茶を差し出す。
何やら最近の晴信の行動について、少しばかり話がしたいということらしい。
「近日の殿は、業務を疎かに、詩歌や遊興、深夜までの酒宴など、過度な娯楽が目立っておられる。
そのせいか、板垣殿は殿に対し、御怒りの様子を見せておるのだ」
俺は話を聞きながら、最近の状況を思い返す。
確かに、夜遅くまで城に火が灯っていたのには、少し疑問を抱いていたが……
この半年、自国はともかく、他国にも不審な動きはなかった。平穏な日々に、少々気が抜けてしまっているのだろうか。
やはり、一城の主と言うべき人間が、そんな様子ではまずいと言いたいのだろう。
「晴幸、其方からも娯楽は程々にと、直に頼んでみてはくれぬか」
飯富は、俺と晴信が主君と参謀という関係上、俺が晴信と密接に関わっている事を承知の上で頼んでいるのだろう。
断る理由も無かった俺は頷き、城中にある晴信の部屋へと赴いた。
「殿」
俺は障子を開けようとする手を止める。
中から微かに聞こえるのは、晴信と板垣の声。
俺は密かに耳を澄ませた。
「申し訳ございませぬ、近頃、寒さで少しばかり病を患っておりまして、
この老体にはどうも辛く、少々暇を頂きとうございます」
彼らの会話に意識を集中させる為に、俺は項垂れる様な前傾姿勢を取る。
板垣の発言は、果たして本当だろうか。
「其れは良いが、どれ程の間じゃ」
晴信の問いに返答した板垣に、俺は目を見開く。
「出来ることならば、一月程、頂きたいと」
何だと?俺は耳を疑う。
馬鹿な、嘘だろ
筆頭家老ともあろう男が、しかもこの状況下で一ヶ月もの間、城を留守にするつもりか
その時、目前の障子が開く。
目と鼻の先で俺を見下ろすのは、紛れも無い板垣。
「聞いておったのか」
頷くしかなかった。恐らく言い逃れは出来ない。
そんな俺に、板垣はこう言い放つ。
一月もの間、この城を頼むと、虎昌殿に伝えてくれと。
「いたがきどの」
そう言い掛けて、俺は踏み留まる。
俺の傍を通り、来た道を戻らんとする彼の表情は、辛さだけではなく、
決意と悲しみが織り交ざったかの如く、複雑な感情を抱えている様にも見えた。
俺は何もせず、ただ次第に遠ざかる彼の背中を見つめていたのだった。
その翌日から、
板垣は忽然と姿を消した。
次回、彼の本音。




