第六十話 はじめての、宴
前話から、二時間半後の更新です。
思えば、二年振りのことである。
若殿の姿は、俺の記憶の中に生きる彼女と、何ら変わっていなかった。
其れゆえに、驚きの直後に懐古の情が沸き上がって来る。
俺は何も考えられず、ただ彼女を強く抱き締める。
苦しいという微かな声。慌てて俺はその腕を解いた。
「若殿、如何して此処に」
「昨日、御使いの方が私の許へいらしたのです。
晴信様が、直々に私を甲斐へ御連れして頂けると、
その方が仰っていて」
俺は晴信の方を見る。
晴信は何も言うことなく、二人から距離を置く。
この時ほど、晴信の行為に有難みを感じたことは無かった。
しかし、晴信の礼は其れだけでは終わらない。
晴信は俺たち二人に、今まで以上の立派な屋敷を構えてくれたのである。
「まさか、ここまでして下さるとは思って居ませんでした」
「あぁ、儂も驚きだ」
俺達は屋敷を見上げ、笑う。
二人にとって、再び同じ地で過ごせることが、何よりも幸せな事であった。
「ささ、一杯」
その夜、城内では宴が開かれる。
俺は御猪口になみなみと注がれた酒を、ぐっと飲んだ。
「珍しいものじゃな、其方が宴に加わるとは」
横から語り掛ける虎胤。俺は苦笑しつつも頷く。
この日、俺は甲斐に来て初めて、家中の宴に参加する。その理由は夕暮れまで遡る。若殿が洗濯へ出かけていた隙に言われた一言。
《若殿に、甲斐での暮らしが充実している事を示す必要がある》
(何故そこまで他人の目を気にするのかねぇ……)
晴幸は無心で、干物を肴に酒を飲み続ける。
気付けば、晴幸の身体は真っ赤に火照り始めていた。
「はは、もしや晴幸殿は酒に弱うござるな?」
しまった、思わず場に飲まれたせいで、飲みすぎてしもうた。
その直後、急に尿意を催し厠に立とうとするも、千鳥足になり歩ける状態ではない。
俺は虎胤に支えられながら外へ出る。冷たい風が妙に心地よかった。
「のらたねどの……うっぷ……」
「全く、弱いというのに、無理して飲むからこうなるのじゃ」
ふらつきながら、ようやく辿り着いた厠で、俺は飲んだものを全て吐いてしまう。
すると先程までの酔いが嘘の様に楽になり、一気に自身で歩けるようになるまで回復した。
そのついでと言いつつ、火照った身体を冷やそうと、二人は縁側に座る。
丸い月が暗闇に浮かぶ。その周辺には無数の星々。
庭の池が作る波紋。全てが趣深く思える。
「虎胤殿……あの節は世話になりました」
あの節とは、俺が高遠に襲撃を受け、意識を失っていた期間のこと。
虎胤には説明をせずとも、理解している様である。
「儂は伏せて居た其方を見かけただけじゃ。
それならば、菊に申すがよい」
「菊殿に?」
菊は、晴幸が眠っている三日三晩、常に傍に居続けていたという。
それに対し、何か御礼をしなくてはと、俺は忘れぬ様に心に留める。
一方で、虎胤は俺が知行四百貫を与えられたことを知っていた。
その話題は晴幸の知らない場所で、既に家中に広まって居り、俺を敵対視する者も現れつつあるという。
彼の話を聞く限り、また忙しい日々が始まりそうだと、俺は苦笑する。
それから、暫くの沈黙が続く。
少し肌寒さを感じ始めた頃に、俺は口を開く。
日中の晴信との会話から、ずっと心に留めていたこと。
「虎胤殿、若し私が牢に居る者達をまとめて、
此の家に引き入れると申せば、如何に御思いですか?」
虎胤は目を見開き、されど何処か驚きとは違う表情を見せつつ、笑った。
「其方ならば、そう申すと思うておったわ」




