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第五十八話 壊れた、真実

 「……は?」

 俺は己の持つ耳を疑った。


 高遠が、死んだ?

 途端に起こる、眩暈に近似した感覚。

 それと共に、俺の表情を歪ませる。


 「何かの間違いでは無いのか」

 「いえ、此の目でしかと確認いたしました」

 「いや待て、そんな筈は無い、儂はスキルで……」


 途端に、体中に鋭い痛みを感じた。

 「……っ!」

 俺を幾方向から潰さんとする、見えない圧力。

 思わずスキルについて口に出そうとした自身を諫めつつ、俺は耐える。

 「すきる?」

 男と弥兵衛は俺を案する様子を見せるが、俺は無理矢理な笑みを浮かべ、平然とした面持ちを貫いた。


 違う、有り得ない。

 俺が(スキル)で見た光景は真実だ。

 何をしても、頼重の運命を変える事は叶わなかったではないか。


 「……承知した、戻ろう」

 しかし、痛みが消えた頃に発された俺の言葉は、至極意外なものであった。

 否、意外と言うよりも、そう言うしかなかったという方が正しいだろう。

 何故なら、目に映る事象こそが、他の何よりも揺るがない真実だと信じているから。





 俺が弥兵衛と共に自陣へ戻った頃には、既に事は済んでいた。

 甘利、虎胤達も其の姿を揃える。

 「遅かったな、晴幸殿」

 そう声を掛ける甘利でさえ、何処かいつもと違う様子と雰囲気を臭わせていた。



 其処に広がる血だまりと、傍に落ちる一本の槍。

 そして、陣の中心に置かれる、綺麗に斬り取られた頭。

 それは優しい笑みを浮かべながら、眠っている様に見えた。


 「高遠……殿……」


 違う。何故か、全てが自作自演に見えてしまう。

 間違いなく、高遠頼継そのものであった。

 


 「大儀であった」

 ゆっくりと声の方を向くと、甘利が立って此方を見ている。

 彼の表情さえ、何処か哀愁に近い何かを含んでいる。

 こうして、やっと俺は、実感する。

 高遠頼継。

 間違いない、彼は此処で死んだ。

 俺の持つ予知のスキルが、外れたのだと。


 「……甘利殿、他の者は」

 「高遠は討死、他の者は我らの元で捕えて居る。

  殿は先に、城へ御戻りになられた」

 問いた筈なのに、耳に入らない。

 俺は己の慢心を酷く悔いた。


 俺は何も言わず、地に落ちる槍を持ち、第三の(スキル)を発動する。

 風が吹き、暖かな風が巻き上がった。





 そこは、桜の咲く庭。

 大木の許で、俺に対し背を向ける男。


 「高遠」

 男は、俺の声に振り返る。

 俺を見るや否や、鎧武者おとこは語った。


 「儂を、恨んでおるか」


 彼の発する第一声。それこそが彼の抱える、一番の感情であると悟る。

 その感情にどうにかして応えようと、俺は言葉を選ぶ。


 「其方は義に厚い男じゃ。何もおかしなことは無い」

 俺は己の言葉を変に思う。

 例い人を殺めたとて、主君への義を貫く行為ならば、其れは正義である。

 現代を生きる人間には、分からない事だろうが。

 

 「こちへ来い、中で話そう」

 そう言って、高遠は大木の傍に建つ屋敷へと入る。俺は彼の後方を付き、大広間で互いに腰を下ろした。






 「晴幸殿、儂は其方のみならず、皆を最後まで裏切り続けた。

  いや、思えば裏切りばかりの一生であったわ。

  今では、後悔ばかりが目につく。

  其れこそが、裏切者の抱える業なのであろうな」


 俺は彼の言葉に、幾つかの小さな棘を感じる。

 笑って居るように見えて、自身を嘲笑する様な、自暴自棄の台詞。

 それが、裏切り続け、己すらも信じる事が出来なくなった男の、末路だと。

 

 「裏切者のまなこは、いつでも偽りを映す。

  儂には分かる。其方の澄んだ目の奥にあるのは、

  皆を騙し通す、偽りの心であるな」


 そう言って、高遠は俺の目を睨んだ。





 「其方は、山本晴幸では無いのだろう」





 俺は表情を変えず、ただ俯く。

 今なら、何を言っても、信じてくれるだろうか。


 「あぁ、そうじゃ。

  儂は山本晴幸ではない。

  儂は、四百年という未来から、此処へ来た」


 高遠は何も言わず、俺の話に耳を傾ける。

 偽りの心を持つ俺も、裏切者の一種なのだろう。

 「儂の生きた時代には、武士もののふも侍も居らぬ。

  訪れるのじゃ、人が易々と死なず、殺めることもない太平の世が」

 「そうか、その様な時世が訪れるならば、儂も見てみたいものだ」


 俺は一度語り口を変え、再び問う。

 「高遠、儂にもう一つ訊かせよ。

  高遠頼継として生きた其方の一生というのは、幸せなものだったか?」


 それは、俺が最も知りたかったこと。

 当たり前の事の様に、友や家族が死んでいく。

 高遠や晴信、彼らはこの激動の時代に生き、戦の無い世を知らない者達。

 それでも、己の人生が幸せだったと思える者がいれば、そいつはきっと、どんな誰よりもしたたかだろう。

 

 「儂が生きたことで、幸せだと思える者が居れば、それで十分幸せじゃ」

 彼の返答に、迷いは無かった。

 俺は遂に、頬を緩ませる。この男の人生はきっと、悪いものでは無かった筈だ。

 高遠はそんな俺に、あるものを手渡す。


 「……これは、兵法書か?」

 「そうじゃ、儂の命ともいえる物、其方に託そう。

  其処には、儂が学んだ諏訪家直伝の兵法が隅まで描かれておる。

  其方ならば、巧く使ってくれよう」


 高遠は立ち上がる。

 「其方とは、また会う時もあろうな。

  今度はもっと、其方の生きた〈先の世〉とやらの話を聞かせよ」

 「ああ、必ず」


 高遠が屈託のない笑顔を浮かべた瞬間、脳内に雑音ノイズが走り、視界が暗闇に包まれた。






 

 気づけば、目の前には血だまりが広がっている。

 寒い風が俺の身体に染みながらも、吹き抜ける。


 躯は語らない。故に死者と話す事、話せる事は到底理解されない。

 俺はこのスキルのせいで、苦しい立場に置かれている。

 如何して俺にしか、彼らの声を聞くことは出来ないのだろう。




 ふと、目頭が熱くなる。

 徐々に視界がぼやけ、望んでも居ないのに、左目からぽたりと涙が零れた。


 俺は彼の槍を抱え、俯く。



 一度流れる涙は、容易には止まらない。

 俺の涙はぽたぽたと鮮血に落ち、濁らせる。

 いつぶりだろうか。悲しみを忘れてしまっていた俺が、こんな風に涙を流すのは。

 

 「晴幸殿」

 脳裏に響く高遠の声。俺は目を閉じる。

 高遠頼継、きっと御前を忘れはしないだろう。

 

 此の槍を形見にと、俺は立ち上がる。

 


 「何時まで其処で屈んで居る。

  甲斐へ戻るぞ、晴幸殿」





 遠くで聞こえる甘利の声に、俺は目頭を押さえ、振り返った。




 

 


 

第2章、クライマックス

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