第五十三話 命懸けの、護衛
戦場は、傍から見るものとはまるで違う。轟く咆哮に、馬上にもぴりぴりと振動を感じる。
俺は甘利の向かう先をただ一点に見つめ、馬を走らせる。
暫くして、俺は原虎胤率いる第二陣をその眼で捉えた。
防戦一方だった。
遠くの方で巻き上がる砂埃の中、刃と刃が交錯する。第三陣を務める者は、目先の状況に目を見開かずにはいられなかった。
虎胤自身も決死の表情を浮かべながらも槍を持ち、襲い来る兵を薙ぎ払う。しかし、敵の流れは留まることを知らず、次々と虎胤達に牙を剥く。
「まずいな」
甘利は舌打ち紛れに呟く。
俺も同じように、目前の景観を睨んでいた。
有効な策には、それなりの対価が付き纏うものである。
此度の戦における対価とは、《虎胤達の援軍を務める事が不可能》なことであろう。何故なら俺の示した策は、敵兵に存在を知られないことが前提だから。
(まさか、多田や虎胤が先陣で奮闘しても苦戦するほどの力を、高遠が招集した援軍は持ち合わせているというのか?)
この時、俺は少しばかり後悔していた。たった千人だと、内心侮って居たのかもしれない。
横列を取る先陣を突破し、此方への突撃を画策する者達の士気の高さに、怖気付く者も多数。心なしか、押されている様にも見えなくはない。
その時、俺は砂埃の中で悟る。
いや、違う。そんなことは無い。
今朝見た時よりも、明らかに敵兵の数が増えている。
俺は顎に手を当て、思考する。
「……甘利殿。ここで一つ、策を講じとうございます」
甘利は俺を見るが、俺は甘利の方を見なかった。
「鶴翼の陣形は継続。
本隊は甘利殿が指揮を執り、私は高遠殿の居場所を突き留めます」
「……まさか其方、始めからそのつもりであったのか?」
甘利の表情と声色が、一瞬にして変わる。
怒ったか?
まあ、普通は怒るだろうな。
「今朝からの身勝手な振舞い、申し訳ありませぬ。
どうか、此度ばかりは見逃してくだされ」
俺の言葉に甘利は溜息を付き、頷く。
「……承知した、今回ばかりは殿には内密に致す。
ただし次は無い、必ず高遠を此の場に引き出せ。
護衛の者は、必ず晴幸殿を御守りせよ」
「忝うございます……!」
俺は礼をし、十人の護衛と共に、元来た道を引き返し始める。
「甘利様」
「晴幸殿の申す通りじゃ。
じきに原殿も我らに気付き、横陣を崩すだろう。
今は奴の策通りに事を進める」
甘利は背後からの声に振り返ることなく、顎をくっと引く。
「……晴幸殿よ、あまり我等を見くびるでないわ」
そう呟きつつ、甘利は右手に持つ采配を振るった。
「ぐぅっ!!」
虎胤は七尺程の長さを持つ槍を振り回し、一気に敵の首を刎ねる。
しかし、砂埃の陰から、次々と新たな兵が襲い掛かる。
「どうなっておる!?既に五百は越している筈だ!何故止まらぬ!?」
すると、虎胤の傍で応戦する男の頭部が弓で射抜かれ、落馬する。
(横からだと……!?)
虎胤は馬上で唇を噛み、射た男を瞬時に槍で串差す。
身体が貫通した男は口から血を吐き、痙攣する様に身体を反応させ、その場に崩れ落ちた。
まずい、このままでは時が無い。
そう思い始めた己を否定するかのように、虎胤は首を振る。己を奮い立たせ、息を切らしながらも再び槍を構えた。
よく考えてみれば、おかしな点はいくつもあった。
そもそも戦を指揮する大将(ここでは高遠頼継)が居ない筈なのに、何故此処まで士気が高まり、統率が取れているというのか。
兵の中に紛れて居るという仮説が虎胤の中で浮かび上がったが、死の危険を顧みてまで紛れる意味など無いという訳で、棄却に至る。
この戦を場で仕切っているのは恐らく、高遠ではない誰か。
そいつを見つける事が出来れば、形勢は一気に逆転するだろう。
ただしそれは、後続が来る前に全滅しかけた際に使う、己が身を削る一種の最終手段としての話。
「原殿っ!!」
その時、微かに聞こえた男の声を、虎胤は聞き逃さなかった。
「甘利隊、到着の模様!!」
「来たかっ」
虎胤はようやく笑みを浮かべ、咆哮する。
「我が軍全体に告ぐ!守備は其れまで!此れより戦端を開く!」
俺は、戦場を走る。
散乱する死体を避けながら、両手で手綱を握り締め、振り落とされそうな身体を必死に支える。
以前よりも兵の数が増えているとなれば、恐らく後兵を戦場に向かわせている者が存在する筈だ。無論、其処に高遠が居るという確証はない。しかし、今は其れを信じて走るしかないのである。
こうして辿り着いたのは、敵兵が次々と姿を現した森の入口。
俺は立ち止まり、護衛に回る十人の兵を見る。俺は彼らに向け、優し気な笑みを浮かべた。
「良いか、儂に最後までついてきた者には褒美を与える。
命を懸け、儂を守って見せよ」
彼らの目を盗む必要など、元から皆無であった。自惚れるなと、俺は己に叱責する。
転生前もそうだ。一人でどうにかなるものではないと分かって居ながらも、誰に助けを請うことも無かった。
今なら分かる。助けを請うより一人で出来ないことに執着する方が、何倍も恥ずかしいことなのだと。
「御意」
彼らの目つきが変わる。やはりこの時代、物で釣るというのは有効な様だ。
とにかく、これで男たちの士気は高めた。
運が良ければ、直接敵陣へ突入することも出来る。
あとは、己自身の覚悟だけだ。
俺は手綱を引いて走り出す。その途中、山道を埋め尽くす、次々と絶え間なく現れる敵兵に、十人の護衛は勝負を挑み、敗れてゆく。
気にかけている暇はない。
俺は無心で、ただ敵兵が現れる方向へと馬を走らせ続けた。
山奥にある開けた場所に、諏訪の旗印を掲げた陣が立つ。
其処に一人の男が駆け込む。
「伝令っ、敵兵が此方へと向かっております!!」
男の発言は、突然の出来事によってかき消される。
一匹の馬が草むらから飛び出し、男の頭上を跨いだのだ。
「な、なんじゃ!?」
陣中に居座る数名の男は立ち上がる。
否、陣の中心に座る、一人の男を除いて。
血にまみれた男は、馬上からその男を見下ろす。
「久方振りじゃの、高遠」




