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第五十二話 俺、出撃す

 宮川の血を踏みしめる、先陣を切る総勢五百名が、横に揃う。

 横陣の陣形を取る武田軍の先陣を務めるのは、武田信虎時代から足軽大将として名を馳せてきた、多田三八郎という名の男。

 史実では、晴信時代に二十九の武功を挙げ、全身に二十七カ所の傷があったといわれる、いわば歴戦の勇士と言うのに相応しい功績であろう。


 多田は振り返り、見渡す。

 五百という少ない兵数でも、横列を取るその様は、壮観という言葉が相応しい。


 「良いか、我らは後に続く者達の盾じゃ!何が有ろうと陣形を崩すな!」

 男達の鬨の声を聞く。己の言葉が伝わった事を確認し、彼は采配を振るった。

 武者達のけたたましい雄叫びと共に、両軍はぶつかり合う。


 大地に砂埃が舞い、所々に散らばった金属音が、状況の過酷さ、残酷さを物語る。

 蟻を踏み潰すかの如く、次々と血を流し倒れ行く兵の様に、〈青年〉はまるで地獄の様だと呟いた。


 

 青年は陣中からその様を眺め、言葉を失う。彼にとって目前に広がる光景は、話に聞く何倍もむごいものであった。

 それはまるで、本能のままに戦う、血に飢えた獣の様。

 

 「景康、分かるか。これが戦じゃ」

 晴信は、景康の手が震えている事に気付く。

 怖いか。しかし初陣とはこういうものだと、言ってしまえばその通りだ。

 晴信はふうと息を吐き、己にもそんな時代があったものだと、過去を思い返す。


 「我が父は、やはり凄い御方でした」

 その時、彼を現実へと引き戻したのは、そう口に出した景康の表情である。


 「……良きつら構えではないか」

 晴信は一見平静を保っていたが、内心驚いていた。

 青年の覚悟を決めた表情が、何処か虎胤の影を思わせる。

 晴信は思う。この童は、父に似て勇敢な将となる筈だと。





 同じ頃、俺は甘利の後方へ付いていた。

 目先で行われる殺し合いにやはり怖気付くが、今更後には引けない事も分かっている。

 しかし、少し我儘を言い過ぎたかもしれない。俺は馬上で手綱を握り、己が身に苦笑する。そして、先ほどのやり取りを再び思い返すのであった。



 数刻前


 「今、何と申した」

 俺は晴信に志願する。自分も戦場いくさばに出しては貰えないだろうかと。

 甘利は傍で反対の意を示す。やはり俺の身を案じてくれているのだろう。


 「其方が良ければ、それでも良い」

 「殿!?」

 「ただし、其方の役目は甘利に策を講じる事じゃ。

  其方は戦わずしてその役目、全うせよ」

 俺に言い渡されたのは、第三陣を務める甘利の伝令役。それを聞き、ようやく甘利は引き下がる。


 俺は死にたくない。無論、苦痛を伴う死に方なんてまっぴらである。

 それでも俺が戦場に出るのは、もちろん戦に加担する為ではない。高遠の姿をその目で捉える為。いや、もう一度面と向き合い話をする為である。

 この戦が終わる頃には、高遠は間違いなく敗走する事になろう。そうなれば二度と高遠と会う機会を与えられなくなるやもしれない。だからその前に、高遠の本心を聞きたいと思った。しかしその為だけに戦を放棄するのは、参謀としてあるまじき行為だということも分かっている。ならば戦に参加する体を装い、陣を離れるのが最も効率的だ。



 此度の件で、俺の護衛を新たに十人ほど付けることになった。俺は彼らの表情を眺め、指で頬を掻く。

 スキルで見た十人の戦力の平均値は約一〇〇〇前後。やはり武田ほど名の知れた家ともなれば、護衛の者でもそれなりに高い値を出す。

 少しばかり厄介だな。果たして彼らの目を振り切ることが出来るだろうか。

 もはや考える暇など無いと悟った俺は手綱を握り、歯を食いしばる。


 いや、大丈夫だ。

 人目を盗んで逃げることなどお手のもの。

 甘利には悪いが、俺が巧くこいつらを誘導する。




 俺はふと目を閉じ、己に語りかける。



 頼む、晴幸。負い目など感じるな。

 今だけでいい。

 力を、貸してくれ。



 そう強く願った途端、全身に激しい衝撃を覚える。

 何かが俺の中に入り込んでくる感覚。

 鼓動が早まり、呼吸の苦しさを覚える。

 途端に馬の操り方や兵法などの知識が、絶えることなく俺の頭に流れ込んでくる。


 一度(ひとたび)身震いした俺は目を開け、ゆっくりと頬を緩ませた。





 「皆の衆!準備は良いか!?」

 咆哮に似た、煮えたぎった叫びを耳に、甘利は武田の家紋が描かれた軍配を振るった。


 「行くぞ!鶴翼の陣型じゃ!!」


 采配を振った甘利は、勢いよく馬を走らせる。

 俺は狂乱にまみれた男達の中で手綱を引き、走り出す。

 目前の事象を睨みながら、垂れる汗に笑みを浮かべる。




 俺を守ってくれよ、晴幸。




 かくして俺は、総勢千人の兵と共に、鮮血に染まる地獄へと身を投じるのであった。


次回、奮戦。

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